答え

 カエデが答えを口にする、まさにその瞬間だった。


「──ふざけるな!」


 この場で聴こえてはいけない声が、部屋中に響く。忘れたくとも簡単には忘れられない声。春花達は揃って声のした方を見て──目を見開き、一様に言葉を失った。


「カエデは……カエデは、おれの女だ!」

「──植園桜紫郎、貴様……!」


 招かれざる男の名を絞り出すように口にし、魔法を使うべく目に力を込めるも、春花は動けない。彼だけではなく、誰も、動ける者がいない。

 行方不明になっていたはずの馬鹿息子、植園桜紫郎。彼の腕の中には──おくるみに包まれた子狼の姿があった。


「姉さんの子供に何をしているんだ!」

「──この人が急に取り上げてきたのよぉ」


 桜紫郎の背後から、女が現れる。

 カエデのお産に参加していた女──加藤だ。

 場違いなほどに楽しそうな笑顔をしていた。見ていると嫌悪感が湧いてくるような、そんな嫌らしい笑みを浮かべて、彼女は口を開く。


「産湯に浸けてる辺りから、念話でうるさく中に入れろって言ってきてね。ああ、もう、本当にうるさいったらないの。あんまりうるさいから、お姉ちゃんの方をおくるみに包んですぐ、片腕に抱きながら窓を開けたら、透明化もしないで入ってきて、この子を引ったくってきたの。野蛮よね。守永先生もびっくりして大声を上げようとしたから、魔法で声が出ないようにしたわ」

「……念話って」

「春花君は身に覚えあるわよね? あ・れ・よ」


 気安く桜紫郎の肩を叩き、加藤は彼の前に出る。そして優雅な動作で一礼をした。


「加藤改め──カトレア・サンジェルマンよ。たまには本名を名乗るのもいいものね。大好きなの、この名前」

「は……?」


 春花が思わず声をもらせば、女は意味もなくその場でくるりと一回転した。


「こっちの話よ。そんなことより、今回はね、この坊やが私に協力してくれるって言うから、私もこの子に協力してあげることにしたの」

「……協力って、何……?」


 思わずといった感じで溢れたカエデの問いに、加藤は、いやカトレアは邪悪な笑みと共に答えた。


「坊やはそこのお嬢さんが欲しい。私は──吸血鬼を生首にする方法を知りたい。お互いの欲しいものの為に、これまで協力してきたってわけ」

「……なま、くび」

「そう、生首。貴女のお母様の生家で生み出され、貴女の弟君が調べてくるように言われていた秘術」

「……そん、な」

「私はもう、そんなもの知りたくはない!」


 青い顔をして放心するカエデの横で、春花はありったけの怒りを込めて叫ぶと、一歩前に足を踏み出す。そんな彼を止めようとしたのか、カトレアは掌を見せつけるように左手を前に出した。


「私は知りたいの。というかね、皆動かない方がいいわよ? ──お姉ちゃんの方、誰が持ってると思ってるの? 坊やの気に食わないことをしたら、どうなるか」

「──セシリア!」


 カエデが叫ぶと、カトレアの笑みが増す。


「そう、この子、セシリアって言うのね! 良かった、それを知りたかったのよ。訊く手間が省けたわ」

「おいカトレア、いったい何を言ってるんだ」

「こっちの話よ、坊や。で、どうする? この状況、まずいわね。坊やは赤ん坊なんて……狼の赤ん坊なんてどうでもいい。むしろ、憎たらしく思ってるんじゃない? 惚れた女が生んだ子供だとしても、他の男と作ってるわけだからね。──いっそ、殺したくて堪らないんじゃない?」

「やめて! セシリアに何もしないで!」


 カエデが悲痛な声を上げた瞬間──笑い声が辺りに響く。

 おかしそうに、苦しむように、いっそ、泣いているように。

 それは、カトレアの笑い声ではなかった。カトレアの背後にいる、桜紫郎から聴こえた。


「犬畜生がそんなに大事か」


 乱暴にカトレアを押し退け、桜紫郎は前に出る。ろくに整えていない髪、汚れたコート、その腕の中にいる狼の赤ん坊。桜紫郎もカトレアと同じく笑っていたが──その目からは絶え間なく、涙が流れていた。

 何故、お前が泣くのか。

 春花はその胸に怒りを募らせ、隙を探る。


「犬畜生の子供がそんなに大事か」

「桜紫郎君、やめて……」

「何で、おれを見てくれない」

「お願いだから、やめてよ!」

「……お前は、おれに命令できる立場にないよな?」


 何かを察したのか、それまで桜紫郎の動向を見ていたジェラルドが、カエデを守るように──彼女が動かないように、素早く抱き締める。カエデはそれを拒むように、腕を赤ん坊に向けて伸ばしていた。


「これに、何もしないでほしいのか?」

「もちろんだよ、ねえ、桜紫郎君」

「なら──おれと来いよ、カエデ」


 カエデが何か口にするより先に、ジェラルドが彼女の口を塞いだ。そして、彼女と弟を隠すように、ジュリアスが彼女達の前に立つ。


「お前が来てくれるなら、これは解放する。お前が傍にいてくれればそれでいい。絶対に離さない。おれも吸血鬼になって、ずっと、永遠に、お前と……お前とおれの子供達と共にいるんだ。そんな未来はきっと、幸せだな……幸せだなあ!」

「おぞましいことをっ!」

「断るならこれを床に叩きつける!」


 そう叫ぶなり、桜紫郎は赤ん坊を頭上に掲げる。見えていなくとも言葉は聴こえているから、カエデはジェラルドの手の中で声にならぬ叫びを上げる。


「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ!」

「……えー、殺さないの?」


 つまらなそうに、カトレアが口を挟んでくる。


「それを決めるのはカエデだ」

「……なんだ、そう」

「──ふざけるなっ!」


 シャムロックが叫ぶ。だが、手も足もない生首に、できることなどない。


「答えろ、カエデ・グレンヴィル! おれと来るか、我が子を失うか! 答えろ……答えろ!」

「カエデは渡さない! カエデも子供達も、不幸にするものか! ……いっ!」


 ジェラルドの手に噛みついたようで、そうして彼の手から逃れたカエデ。吸血鬼の身体と言えど、出産の疲労はまだ残っているはずだが、それでも、我が子の為に彼女は無理をした。

 ──カエデ。

 皆が一斉に彼女の名前を呼ぶ。彼女は、ジェラルドの身体を押し退け、睨み付けるように桜紫郎を見つめた。


「──わたしは!」

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