かわたれどき
カエデの出産の為に用意された部屋は、春花とジュリアスが着いた時には扉が閉められ、その向こうから、カエデのものと思われる苦しげな叫び声が聴こえてきた。
『取り敢えず、カエデさんの背中を擦ったりしてあげてください!』
『は、はい! カエデ!』
守永とジェラルドのものと思われる会話も聴こえてくる。今まで隠れていたジェラルドが急に現れたことに対する動揺などは、聴こえてきた声から感じ取れず、代わる代わる、叫ぶカエデに声を掛けているようだった。
出産の知識などろくにない春花とジュリアスが、中に入っても邪魔なだけだろう。扉の傍に立ちながら、カエデや子供達の無事を祈るしかない。
いくらか経った所で、血液パックを両手にたくさん抱えたアスターが走ってやってくる。慌てて春花が扉を開ければ、瞬時にアスターは中へ入り込み、「持ってきました!」と、叫んでいるカエデに負けない声で告げた。
そっと春花が中を覗けば、ベッドの上で横向きになりながら叫ぶカエデと、彼女の背中を真剣な顔で擦るジェラルドの姿が目に入る。守永と加藤はどこだろうと春花は探るが、見つける前にアスターが戻ってきて、扉は閉められる。その手には生首のシャムロックを抱えていた。
「ちょうどいいので持っていってくださいと言われました。シャムロック様を物扱いするなど……」
「生首だからな、仕方ない」
シャムロックの軽口に返事をせず、苦しげな表情のアスター。それは、陣痛に苦しむカエデを想ってのことか。
春花の魔法の効力はまだ残っていた。手近な部屋にある椅子を魔法で廊下に取り寄せ配置していき、春花とジュリアスとアスターはそこに腰掛けた。シャムロックはアスターの膝の上だ。カエデの叫び声は続く。
まだ明るかった外は、時間が経つにつれて色を変えていく。橙色、淡い水色、濃い青色、そして──真っ黒に。
初産ということもあり、子供はまだまだ生まれない。たまに加藤が扉を開けて、血液パックやタオルの追加を求めてくるから、春花がアスターやシャムロックから涙を受け取り魔法で取り寄せる。またある時は、魔法でシーツを天井から垂らしてほしいとお願いされた。
「手すりを掴むより、シーツに掴まった方が多少は楽になるかもしれないって、守永先生が」
「ただちにシーツを持ってきます!」
加藤に言われてアスターがすぐに走り出し、そうして持ってきたシーツを受け取ると、春花は加藤と共に部屋に入り込む。顔を真っ赤にして力むカエデの姿が最初に目に入った。守永は彼女の足元に控え、ジェラルドは必死にカエデの背中を擦っている。
春花はすぐに魔法でシーツの端を天井に付け、掴みやすいように螺旋状に巻いていく。カエデは目にも止まらぬ早さでそれを掴むと叫びだした。
加藤に礼を言われ、春花は退出する。また声を掛けられるまで、ずっと廊下に控えていた。
誰も彼も食事を忘れ、生まれてくる命を待つ。
日付が変わった。雨が降りだしたか、窓を雨粒が打つ音がする。風が強いようで、忙しなく窓を揺らしていた。その頃になると、日のある時には姿を消す夜猫のロクサーナも姿を現し、共に廊下でその時を待っていた。
祈り、待つ。乞われて、動く。叫び声は、続く。
気付いた時には、かわたれどき。
朝日の訪れと共に──産声が館中に響く。
輪唱のように絶え間なく命は叫ぶ。それを耳にした途端、春花の瞳から自然と涙が流れ落ちた。
横を見れば、しゃがみこんでロクサーナを抱き締めるジュリアス、嗚咽を溢すアスターと、声もなく赤い結晶を瞳から溢すシャムロックの姿がそこにあった。
『カエデ……カエデ! ありがとう!』
『お疲れ様でした……』
涙混じりのねぎらいが、扉の向こうから聴こえてくる。そして、それに答えるか細い声も。
『見て……可愛い……』
『可愛いよ、本当に、可愛い……!』
温もりと幸せに満ちた会話。世界で一番掛け替えのない一時。
──この場に邪魔が入るなど、あってはならないことだ。
どれくらいそうしていただろう、そろそろ産湯に浸けましょうねと守永が言い、その後少ししてから、扉が開けられる。疲労の混じった笑みを揃って浮かべる守永と加藤が出てきた。それそれ腕の中には──タオルに巻かれた小さな狼の姿がある。
誰も声を出せなかった。双子の赤ん坊に意識を奪われていた。なんと小さく、力強く、可愛らしい赤ん坊なのか。
「どちらも、女の子ですよ」
守永はそう言い残して、加藤と共に去っていく。春花達はすぐに部屋の中に入った。
「……皆、見てくれた……?」
ジェラルドに汗を拭われながら、カエデが訊ねてくる。まだ誰も声が出ないのか、ベッドへと近付きながら、静かにそれぞれ頷いていた。
「カエデと、ジェラルドの子供、どっちもね、女の子なの」
「名前も決まっているんだよ、聞いてくれるかい?」
これまで名前の話は出なかった。いつの間にか話し合っていたのかと思いながら、春花は静かに耳を傾ける。
「姉はセシリア、妹はリリィ。セシリア・グリードとリリィ・グリードにしようと思う」
「……いい名前だな」
シャムロックの返事に、カエデは赤い結晶を瞳から溢しながら、笑った。そんな彼女の手を、ジェラルドが握る。
「……なあ、ジェラルド」
真剣そのものといった声で、シャムロックは彼に声を掛けた。ジェラルドが視線を向けると、生首はこう訊ねる。
「──カエデと離れるつもりはないな?」
「──もちろん。これからは、傍で支えたい。一緒に子供達を育てていきたい」
「ジェラルド……」
カエデは、自分の手を掴むジェラルドの上に、そっともう片方の手を添えながら、どこか不安そうにシャムロックを見つめる。
「カエデは、カエデは……」
「──皆さんがよろしければ、共に山に行きませんか?」
ふいに、ジュリアスが口を開くと、春花達は一斉に彼を見た。
「春花さんの魔法にかなり頼ることになると思いますが、広い所なので、皆で住める家を建てられると思うんですよ。どうですか?」
「……え?」
呆けた顔のカエデ。シャムロックは驚いたように声を上げる。
「いや、オレとアスターは残らないと駄目だろ。全員で行ってしまっては、ウエソノの魔法使いが何をしてくるか」
「……闘いましょう」
自然と春花はそう口にした。
「闘いましょう。私がしんがりを務めます」
「春花……そんな、危ないよ」
「平気です、姉さん。アスターさんやシャムロックさんが涙をくれれば、私はいくらでも力を発揮できる」
「でも」
「私が全力で守りますから、姉さんは安心して、これからのことを考えてください」
「……!」
カエデの顔に、希望が宿る。
「ハルカ君だけに負担を掛けませんから。おれ達だって闘います。なあ、ジェラルド」
「もちろんだよ、ジュリアス。今度は怪我しない」
「姪っ子から父親を奪うようなことはするなよ?」
「分かっているよ」
カエデの涙は、止まることを知らない。
「……シャムロック様、よろしいのではないですか」
「アスター、お前まで何を」
「覚えがないかもしれませんが、シャムロック様、寝言で仰ってましたよ。──カエデと離れたくないって」
「オレが……そんな……」
カエデの手に、力が込められたように見えた。
「どうですか、姉さん。皆で一緒に、行きませんか?」
春花は姉に問い掛ける。その声は、最初の頃に比べればずっと優しいものだ。
「カエデ、カエデは…………ううん」
否定の言葉を口にしてから、皆の顔を見回すカエデ。
そして、言うのだ。
「もう母親だから、これはやめる。──わたしは!」
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