物語
カエデの担当医が通うということで、山の中に身を潜めている人狼兄弟。出産予定日当日、春花は彼らの元へこっそり向かった。
魔法で彼らの足跡を浮かび上がらせながら、彼らの住み処へと辿り着くと、開けた場所に小屋が建っていた。
杖をつきながら円を描くようにうろうろと歩き回る、獣耳と尻尾を生やしたジェラルドと、座り込んで微笑んでいる、人の姿をしたジュリアスの姿があった。
「……あの」
春花が声を掛けると、ジェラルドは足を止め、瞬時に春花へと視線を向ける。ジュリアスも顔を上げていた。
ジェラルドのふさふさとした尻尾に意識を取られそうになりながら、春花は口を開く。
「今日は、姉さんの出産予定日です」
「……そうだね、この日をずっと待っていたよ。カエデの調子はどうだい?」
ジェラルドに訊ねられ、まだ陣痛は来ていないことを春花は伝える。そうか、と返事をしたジェラルドの尻尾は、忙しなく揺れ始めた。
弟のそんな様子を見て、兄たるジュリアスは腰を上げ、弟の傍に寄り、彼の両肩に手を添える。
「きっと大丈夫。ハルカ君、お医者様はもう来ているのですか?」
「はい、いつ生まれても大丈夫なように、準備を済ませ、段取りも話し合ってます」
「そうですか。……ほら、心配はいらない、ジェラルド。お医者様や、魔法使いであるハルカ君もいる。きっと無事に子供達に会えるはずだから。──そうしたら、師匠の元に帰ろう」
ジュリアスの言葉に、ジェラルドと春花は揃ってジュリアスを見た。
「帰るんですか、姉さんの子供が生まれてすぐに」
「一月か、二月はここにいようと思っているけれど、その後は一緒に行こうと」
「一緒にって、誰のことを言っているんですか?」
春花からの棘の混じった言葉に、ほんのり怒気の混じった無表情に、ジュリアスは不思議そうに首を傾げながら、答える。
「誰って、まずはおれとジェラルド、それから──カエデさんと子供達。問題がなければシャムロックさんやアスターさんにもついてきてほしいと思っています」
ハルカ君もどうですか?
そのような答えが帰ってきて、春花は驚きに目を見開き、身体を固まらせる。
「ジュリアス、そんな話、一度も」
「子供がいるのに、
「……ジュリアス」
「……姉さん達は、植園紅葉の監理下にあるんですよ、それなのに、そんな……逃げられると思ってるんですか?」
震える声で問い掛ける春花に、ジュリアスは少し考え込みながら、口を開いた。
「それでも逃げるんですよ、ハルカ君。人狼も、吸血鬼も、人間だって本来は自由なのです。自由の為に、愛する者の為に、平穏な日々の為に、時として拳を振るわねばならないのです」
──おれは愛を諦めない。
「師匠がいて、ジェラルドがいて、ジェラルドの大切な誰かがいて、そのまた大切な誰かがいて。そんな幸せな日々を送るんです。物語はハッピーエンドが好きなんですよ。ハルカ君は好きですか、ハッピーエンド」
「……どんなご都合展開になってもいいから、ハッピーエンドは、好きですね」
「良かったです」
「──離れなくて、いいのかい?」
泣いているかのような、ジェラルドの声。春花が視線を向ければ、ジェラルドの澄んだ青い瞳から、絶え間なく涙が溢れていた。
「カエデと、子供達と、一緒に……」
「おれや師匠と、それから皆で暮らすんだ、ジェラルド」
「……それは、いいな」
「もっと早くこの話をすれば良かったな。ジェラルド、足の具合は?」
「少し違和感は残っているけれど、問題ないよ」
「まだ完治していないか……。ハルカ君」
ジュリアスが何を言いたいのか、春花にはすぐ察しがつき、すぐにジェラルドの足に向けて魔法を掛ける。
泣き腫らしたジェラルドの顔に、徐々に驚きが広がる。そして、杖を手放し、その場を歩き回った。
「痛くない……!」
「良かったです。……ジェラルドさん、ジュリアスさん、姉さんの元に向かいましょう」
「けれどハルカ君、お医者様がいますよね? 見つかったら」
「──こうするんです」
そう口にした瞬間、春花の姿は消えた。
ハルカ君! と彼の名を呼びながら、慌てふためく人狼兄弟を見て、春花はすぐに姿を現す。
「魔法で透明にしますから、それでこっそり行動しましょう」
「……魔法って、すごいですね」
「……ありがとう、ハルカ君」
◆◆◆
だが、その方法は上手くいかなかった。
魔法で洋館の空き部屋に転移し、すぐに春花は人狼兄弟に透明化の魔法を掛けたが、彼らが透明になることはなかった。
「そんな、どうして……」
呆然と呟く春花。その後すぐ、部屋の外から慌ただしい足音がした。
人狼兄弟にこの部屋で隠れるよう告げて、春花が外に出ると、アスターと鉢合わせる。
常に一つに束ねた長い黒髪を振り乱し、その端正な顔には焦りが浮かんでいた。いつも人当たりの良い従者の見慣れない姿に、何かあったのかと、緊張感が走る。
「アスターさん、あの」
「──陣痛が来たんです! 生まれますよ!」
アスターの声は大きく、そして──人狼の聴覚は優れていた。
「カエデ!」
ジェラルドは部屋を飛び出し、カエデの元へと駆けていく。獣耳と尻尾を隠す余裕はなかったようで、そのままだ。
「……アスターさん」
「……今は、無事に生まれることを祈りましょう」
私は血液パックを取りに行きますので、とアスターは走り去り、残された春花とジュリアスは、ジェラルドに遅れてカエデの元に向かった。
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