灯り
春花の部屋の窓からは、庭の様子がよく見える。数多の名も知らぬ白い花が咲き誇るその場所は、月光の下でも美しく輝きを放っていた。
姉と散歩をしてからは、毎夜眠る前に庭を眺めるようになった。最初はチラ見程度。日々が過ぎていくごとに、視界に入れる時間も伸びていく。
ささやかな楽しみでもあったが──植園紅葉と手を組むことになり、その場所を見ると、彼とのやりとりを思い出して、何となく眺めるのをやめていた。
けれど今宵は、久し振りに庭を眺めたくなる。
植園紅葉とのやりとりから二月は経った。たまにスマホでやりとりをするくらいで、直接顔を合わせる機会はまだ訪れていない。記憶の鮮度は落ちてきていた。
美しいものを見て心安らかになりたい。アスターの紅茶でも飲めば瞬時に気分が良くなりそうだが、夜も遅く、一日動き回っていたはずのアスターを休ませたかった。吸血鬼にだって休息は必要だ。
窓から庭の花を眺めるだけの、手っ取り早いリラックス方法。──そのつもりだったが、そんなことは意識から抜け落ちる。
灯りだ。
柔らかなオレンジ色の小さな灯りが、白い花の前で揺らめいているのが見えた。この家では、庭に照明器具を置いていないはずで、その上、オレンジ色の電灯が使われているのはダイニングルームとお手洗いのみだ。庭と各部屋の位置的に、灯りが漏れたとは考えにくい。
あの灯りは何なのか。──まさか、
春花はポケットに入れていた小瓶を取り出し、素早く蓋を開けて中に入った吸血鬼の涙を呷ると、窓を開けて飛び降りた。部屋は二階な上に、魔法を使っているから、怪我の心配はしなくていい。
「──何者だ!」
地面へと静かに着地するなり、鋭い声で問い掛ける。こちらから先に動くか、敵の出方を待つか、そんなことを考えていると、返事が来た。
「──春花?」
「……え?」
聞き覚えのある声。それを耳にした瞬間、春花の警戒心は霧散した。
「春花もお散歩、なの?」
「……姉さん、どうしてこんな時間に」
庭にいたのは、細く小さな手にカンテラを持つ、姉のカエデだったようだ。
「急に動きたくなって、廊下を歩いていたんだけど、暑くなってきちゃったから、熱冷ましに庭にね。お花も綺麗で、いいよね」
春花に背を向けると、傍にある花へと顔を寄せ、微笑むカエデ。以前は白いワンピースを着ていたが、白は落ち着かなかったのか、今は黒い無地のワンピースを身に纏っていた。
黒く長い髪と黒く裾の長い服では、夜闇に紛れてしまう。
「……姉さん、夜に一人歩きをするなんて、危険ですよ」
「ここ、カエデの生まれ育った場所だよ。なんにも、危険じゃない」
振り向いたカエデの顔は、無表情に変わっていた。首を傾げながら安全を訴える。──それは、以前までの話ではないか。
カエデが花楓だった頃の……いや、植園一樹がまだこの家にいた頃の話だ。吸血鬼だけが住むようになった洋館には、他の吸血鬼や魔法使いがよく侵入してきたと聞く。
植園紅葉と手を組んだ今、侵入者を阻む魔法の結界を張っているが、それでも安心はできないのだ。
植園桜紫郎はまだ、見つかっていない。
両親と姉達が魔法で探しているにも関わらず、一向に尻尾を掴めぬ現状。カエデの腹は膨れていき、今や臨月を迎えている。
この状況で鉢合わせるようなことになってはいけない。そんな隙を与えてはいけない。
「……この家はとっても広い上に、歴史のある場所ですから、雨風で足場が崩れていたり、脆くなっていることもあるでしょう。この暗さでは、それを確認することも難しいんじゃないですか?」
直接、理由を言うべきなのかもしれないが、臨月の妊婦を不安がらせるのに抵抗感があった。姉にとって初めての出産、落ち着いて臨んでほしい。
カエデは少し黙った後に、それもそうだねと答えた。
「正直、視力は人間の時より、ぐんと上がってるから、問題ないけど、転んじゃったら、危険だもんね」
腹を撫でながら語る姉を見て、自然と春花の口からは、安堵の息が溢れた。
「カンテラ、お持ちします」
「いいよ、重くないから」
「えっと……その……持って、みたいんです、けど」
いくら吸血鬼とはいえど、あまり妊婦に物を持たせたくないと、カンテラを受け取る為にそう言ってみる春花。
「え、持ちたいんだ」
「……は、い」
「……」
「……」
「はい、どうぞ」
そう言ってカンテラを差し出してくる姉の顔は、仕方ないなと言っていそうな、淡い笑みだった。
◆◆◆
庭を眺める前、春花は植園紅葉と、メッセージのやりとりをしていた。
やりとりをしたから、心を落ち着けたくなった。
以前、遊園地に共に行った際、吸血生首の灰と思われるものを彼に渡したはずだが、その結果をずっと聞けていなかったと思い出し、訊ねることにした。
結果は、灰から吸血鬼の成分が検出されたが、それ以上のことは分かっておらず、現在まで引き続き調べさせているとのこと。
『わざわざ送ってくれたのに、悪いな』
その一文に、春花は引っ掛かった。
『私、紅葉さんに直接渡しましたよね?』
『いや、着払いでうちに送ってきただろうが』
『そんなことするわけないでしょう。配達してもらうなら着払いになんて絶対にしませんし、貴方が私を遊園地に誘ったんじゃないですか』
『遊園地? 何を言っているんだ? お前とそんな所に行ったことなんてないだろうが。寝惚けてんのか?』
メッセージの意味が分からない。──意味を分かりたくない。
春花が返信をできないでいると、植園紅葉から電話が掛かってきた。
『遊園地云々は、嘘じゃないんだな?』
「嘘じゃ、ないです」
『……段ボールで送られてきた。緩衝材がいっぱい詰め込まれた、小さな段ボール。灰は小瓶に入れられていた』
「私は、ハンカチに包んで渡しましたよ」
『……』
「……」
互いに、嘘の気配は感じられない。
押し黙ること、五分か、それ以下か。
『……桜紫郎は未だに見つかっていないよな?』
「は、い」
『あいつは俺の子供達の誰よりも、魔法の使い方がなっていなかった。そんな奴がよ、俺達の魔法から逃げ延びて、こんなに姿を隠せるもんだろうか。涙だって、とっくに尽きているはずだろう?』
「……」
『桜紫郎には、協力者がいるんじゃないか?』
少しだけ、春花もその可能性を考えていた。それだけの時間、植園桜紫郎は野放しになっている。
『遊園地で会った俺は、俺じゃない。桜紫郎か奴の協力者だろうな。あんな奴に協力するような奇特な奴が、魔法使いにいるとはな』
「魔術師という可能性はないんですか?」
『腕が悪く立ち回りも下手な魔法使いの桜紫郎と、どこの馬の骨とも分からねえ魔術師が手を組む? 吸血鬼と人狼が敵対しているように、魔法使いと魔術師も敵対してんだぞ? 他の植園分家や、植園以外の家の魔法使いという可能性の方が高そうだが……まあ、頭の片隅くらいには入れといてやるよ』
「ありがとうございます。今後は警戒を強めて、姉達を守ろうと思います」
『よろしくな』
通話を終えた後、春花はしばらく動けなかった。
あの日、遊園地に行ったのは誰か?
会話をした感じからして、桜紫郎ではないだろうと春花は考える。二度ほど彼の喋り方を耳にしたが、遊園地、特に観覧車内での会話内容を思い出すに、桜紫郎には当てはまらない気がした。
なら、誰なのか?
──真に警戒すべきは、誰なのか。
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