飾り
春花がカエデ達のいる洋館に戻った翌日、皆で朝食を食べ終えた時のことだった。
「──カエデ。前髪、邪魔じゃないのか?」
「え? ……うーん」
シャムロックに言われ、カエデは自身の前髪に触れる。確かに、目に入りそうな長さにまで伸びていた。
「少し、邪魔、かな」
「なら、切った方がいい。アスター……は今、手が離せないか」
生首の従者である吸血鬼は、キッチンで食器を洗っている。水が流れる音を耳にしながら、シャムロックは視線を巡らせていき、やがて、彼の正面に座っていた春花に目を止める。
「悪いがハルカ、散髪用のハサミを取ってきて……いや、涙を渡すから、魔法でテーブルの上に出してくれないか?」
春花に拒む理由はないので、もちろんですと言いながら頷いた。シャムロックは目を見開いて微動だにせず、一分、二分と無言で宙を眺め──ぽろんと赤い結晶を瞳から溢した。
失礼しますと一言断ってから春花は涙を拾い、口の中に運ぶ。彼の瞳は赤く染まりだした。視線をカエデの手元の辺りに固定し、待つこと数秒。何もない所からハサミが現れ、春花が見ていた位置に落ちる。
「切った髪は魔法で片付けるので、そのまま切って大丈夫ですよ」
そのように声を掛けたが、カエデはすぐに動こうとしない。ハサミをじっと眺めた後、まずは春花と目を合わせて「ごめんね」と短く謝罪し、次にシャムロックに視線を向ける。
「カエデね、願掛けしてるから、切らない」
「願掛け?」
怪訝な声を出すシャムロックに、カエデは微かな笑みを向け、自身の膨らんだ腹を撫でた。
「この子達が、無事に生まれますようにって。生まれるまでは、切らないの」
「……そうか。願いを込めているなら、切れないな」
そうは言いながら、シャムロックの目はカエデの前髪を見つめている。彼女はもう吸血鬼。再生能力が高いのだから、髪の毛が目に入ることでの視力低下や、角膜が傷付く心配をしなくて良いと思うが、心配せずにはいられないのかもしれない。
さてどうするつもりなのかと春花が状況を見守っていれば、手をハンカチで拭きながらアスターが戻ってくる。
「おや? こんな所にハサミが。どなたが持ってきたのですか? 危ないですよ」
そんな風に注意の言葉を口にしながら、アスターがテーブルからハサミを手に取ると、そうだと小さな声で言ってから、シャムロックが発言した。
「アスター、お前の寝室にアレ、あったよな?」
「アレ、とは何ですか?」
「ほら、アレだ。昔、カエデにもらった……あの、白熊の……」
そこまで言うと何か思い出したらしく、アスターは柔らかな笑みを浮かべ、少しお待ちくださいと言って、ハサミを持ったままダイニングから出ていく。
不思議そうな顔のカエデが、何のこととシャムロックに訊ねたが、生首は待っていろとしか言わない。
アスターの戻りは早かった。その手には既にハサミはなく、それでも何かを握っているのか、拳を軽く丸めていた。
「カエデの前髪に着けてくれ」
「かしこまりました」
カエデの傍まで行くと、アスターは膝を曲げ、彼女に目線を合わせる。伸びましたね、と彼が呟くと、カエデは無言で頷いた。
少し触りますねと断って、アスターは空いている方の手でカエデの前髪に触れる。横へ横へと指で梳かしてから、丸めていた拳を開き、握っていた物をカエデの前髪に付けた。
それは──白熊の飾りが付いたヘアピンだった。
可愛い白熊ですねと春花が声を掛けると、恐る恐るといった感じで、カエデがそれに触れる。
「これ……昔、カエデがあげたやつ?」
「まあ、そうだな」
「持ってたんだ、まだ」
「捨てるわけないだろうが」
「……返してくれるの?」
ほんのり残念そうな声音で訊ねるカエデに、シャムロックは瞬時に違うと否定した。
「貸すだけだ。……無事に生まれたら、返してくれ」
「……うん」
カエデの瞳は潤みだし、赤い涙が瞳から溢れ落ちて、テーブルの上でいくつも跳ねる。
「シャムロックも、願掛け、してくれるんだ」
「──オレの、家族でもあるからな。添い寝は任せろ」
「……うん、任せるね」
家族。
生首と吸血鬼の少女のやりとりを眺めながら、春花はその単語について考える。
家族。
これまでの人生で気にしたことのない単語。父がいて、弟がいて、生首がいたが、果たして自分達は家族と呼べるような関係だっただろうか、と思い返していく。
一般的なことはよく分からない。分からないけれど、道で家族連れとすれ違う機会はいくらでもあった。
家族。
色んな形の家族。
親や兄姉は我が子や弟妹をよく気に掛け、話し掛け、手を繋ぎ、子供や下の子は安心しきった顔をしていた。
自分達には関係のない世界。
それが、目の前でも繰り広げられている。──などと思いながら春花は黙って眺めていたが、ふいに肩を軽く叩かれた。視線を向ければ、人の良さそうな笑みを浮かべるアスターと目が合う。
「家族が増えると忙しくなります。ハルカ、頼りにしていますよ」
「……っ!」
眺めるばかりだった世界に、自分はもう、足を踏み入れている。
きちんと望まれた通りにできるか不安になるが、それを塗り替えるように、胸が温かくなってくる。
春花は両手で自身の心臓の辺りを押さえ、少し泣きそうになりながら、もちろんですと答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます