椿

 春花が使用している部屋に、元々置かれていた書き物机と椅子。その椅子にアスターが腰掛けており、生首のシャムロックは彼の腕の中にいる。


「な、何かご用ですか?」


 若干上擦った声で春花が問えば、硬い表情のアスターが口を開いた。


「勝手に部屋に入り、申し訳ありません。軽食がてら、サンドイッチをお持ちしましたので、後で食べてください。ダージリンもご用意しましたので、冷めないうちにどうぞ」


 戸惑いが増す中、周囲を見れば、ベッド脇のサイドテーブルに、丸いお盆に載せられたサンドイッチとティーポット、カップがあるのが目に入る。


「あ、ありがとうございます……」


 軽食を届けに来ただけなら、シャムロックがいる必要はないし、アスターが春花の戻りを待つ必要もない。

 それなのに、何故、両者がここにいるのか。

 視線をゆっくり、吸血鬼の主従に合わせる。どちらも春花のことをじっと見つめていた。アスターの表情は依然変わらず、シャムロックは左側の大部分が髪の毛で隠れている為に、感情を探ることはできそうにない。

 春花の額にうっすら、汗が浮き始める。下手に何かを口にせず、相手の出方を待った。


「……取り敢えず、ずっと立っているのも疲れるだろう。座るといい」


 シャムロックに促されたが、この部屋に唯一ある椅子はアスターが使っている。他に座れる所と言えば……。

 少し迷ってから、春花はベッドに腰掛けた。遅れてアスターが立ち上がり、片手でシャムロックを、もう片方の手で椅子を持ち、春花の正面まで持ってきて、腰掛けた。


「さて」


 吸血鬼の主である生首が口を開く。


「ハルカ、お前は──何を探っているんだ?」


 春花の額から顎に掛け、やけに冷えた汗が滴り落ちた。

 一瞬、植園紅葉の顔を思い浮かべてから、春花は返事をした。


「探るって、何をですか」

「それをまさに訊いているんだ。……ハルカ。お前はこの家で過ごしながら、時折妙な行動をしている。入るなと言った温室に入ったようだし、夜の山の中を歩いていたり」

「……」

「もう一度訊こう。お前は、何を探っているんだ? もしくはこう訊くべきか? ──それは、カエデやカエデの腹の子を害することに繋がるのか?」

「……っ!」


 思わず春花が腰を浮かせれば、座れと短くシャムロックが告げてくる。ゆっくりと腰を下ろして、春花は、自分の呼吸が酷く乱れていることに気付いた。

 シャムロックの言葉は、春花の心に嵐を吹かせる。以前であれば、どう誤魔化すべきかに思考を巡らせただろうが、今は──カエデの子供を守りたいと誓った今は、どう真摯にこの気持ちを伝えるべきかと、必死に考える。

 植園紅葉の顔、カエデの顔、カエデの膨らんだ腹。

 脳裏に現れては消えを繰り返し、最終的に残ったのは──まだ見ぬ甥や姪だった。


「……植園椿の生家について、どれくらいご存知ですか」


 春花がそう問い掛けると、アスターは悲痛を帯びた顔で目を見開き、シャムロックは一文字に唇を結んだ。

 植園椿という名前には、彼らにそんな反応を引き出させるような何かがあるらしい。春花はいつの間にか溜まっていた唾を飲み込み、続けた。


「彼女の家では代々、吸血鬼を生首の状態にして生かし、涙を搾取していく魔法が伝えられていました。現在、その家は潰え、その家の血を引く者は、植園椿の娘である姉さんのみ。姉さんは吸血鬼となり、魔法を使うことはできませんが、生首化のやり方を、母親から教わっていたんじゃないでしょうか」

「……お前は、それを探る為に、ここへ?」


 春花は頷き、無意識に丸めていた拳を膝の上に置いた。


「私達の父親である植園一樹が死んだ後、植園紅葉が接触してきました。どうやら父親は、吸血鬼を誘拐した罪人、という扱いになっているようで、我々はアヴィオール様の正式な監理人ではなかったんです。植園紅葉は、私達からアヴィオール様を奪い、取り返しに来られないように、それから口封じの為に、私達を殺そうとしていました」

「なっ……」

「父親は上手く逃げてきたようですが、私達はまだまだ未熟で、すぐに彼に見つかってしまいました。ただ、私も弟の夏樹も、ご覧の通り姉さんによく似た顔立ちをしています。植園紅葉は姉さんの元婚約者だった。そのおかげで命拾いし、彼の下に付くことを求められたのです。断れば殺され、アヴィオール様も奪われていたことでしょう」


 父親が死んだ数日後に植園紅葉はやってきた。春花が扉を開けた瞬間に、植園紅葉が酷く驚いた顔をしていたのを、春花は鮮明に覚えている。

 そして、部屋に上げた途端に、魔法で夏樹と共に拘束され、一方的に話をされた。

 アヴィオールを回収し、春花と夏樹は殺すつもりだったことを。──彼らの顔を見て、気が変わったことを。


「植園紅葉が求めた時、主に私が、彼の望む行動をする。彼の手駒となることを、要求されました。私達は……私と夏樹は、アヴィオール様を守護する為に作られた人間です。あの方を奪われない為に、どんなこともするつもりでした」

「それは……」


 表情は髪の毛でよく見えないが、思わずといった感じで溢れたシャムロックの声には、憐憫が込められていた。

 微妙に座り心地の悪さを感じながら、春花は続ける。


「植園紅葉が求めたのは、姉さんと接触し、吸血鬼を生首にする方法を探ること。ついでに、姉さんを妊娠させた男が誰か突き止めるように、とも言われました。……私は、どちらも無事に探り終えたら、貴方達には二度と関わらないつもりでした」

「……」


 アスターは悲しそうに顔を俯かせ、シャムロックの視線が痛いくらいに突き刺さる。怯みそうになるが、続けなければいけない。

 春花の言いたいことは、ここからなのだから。


「この家で貴方達と過ごす内に、調子が狂っていきました。私はアヴィオール様を守護する者。その為に作られた者。植園紅葉の手駒。だというのに……アヴィオール様以上に、守りたい者ができた」


 彼らから目を逸らさず、春花は告げる。


「私は狼が好きです。狼を好きでいいんだと、姉さんは肯定してくれました。その姉さんの腹の中に、愛すべき狼の子供達がいる。植園紅葉に知られれば、どうなるか分かりません。あいつは、未だに姉さんを想っている。狼は吸血鬼に害をなす者と言って、姉さんに関わる狼を排除するかもしれない。そんなこと、許してはいけないと思うんです!」


 春花は立ち上がり、声を張り上げた。


「守らせてください! 私の甥か姪を、姉さんを、そして──貴方達も!」

「なっ」

「未熟な魔法使いでも、できることはあるはずです! 私は、私の甥か姪を死なせたくない! 彼ら彼女らから家族を奪いたくない!」

「……いいのか、そんな」

「いいんです、決めました。私は──姉さんに付きます!」


 春花の荒い吐息が、室内に響く。

 シャムロックは黙り、アスターも息を殺し、春花もそれ以上は何も言わずに、時間がゆっくりと流れていった。


「……その気持ちに、偽りはないか?」


 口を開いたのは、シャムロックだった。


「ありません。あるわけがない」

「……分かった。その言葉、絶対に嘘にしないでくれ」


 思いの外、力強い声で返事をした春花だが、それはシャムロックに好印象だったのかもしれない。

 生首の顔は、露出した部分が徐々に和らぎ、優しい声音で言葉を紡いだ。


「ハルカ、力を貸してほしい」

「……っ! も、もちろんです!」


◆◆◆


 シャムロックに手があれば、握手でもしたかもしれない。


 だが、生首にその手はない。


 以前アスターが、裏の山でシャムロックのにおいがする腕や脚を掘り当てたが、いつの間にか灰となり、消えてしまった。

 生首とされた者の胴体は、生首が死ねば灰となり、消滅する。

 これは彼らの知らないことだが──植園椿は、シャムロックから胴体を奪った後、小間切れにし、捕らえた吸血鬼に飲み込ませ、それから生首にしていた。

 シャムロックは彼女の夫に──植園一樹に似ていた。少なくとも、植園椿はそのように勘違いしていた。

 だから、二度と自分から逃げないように、動ける身体を取り戻させないように、捕らえた吸血鬼に食わせていったのだ。

 最初の頃は、山の中に他の吸血鬼達の胴体を捨てていたが、だんだんと面倒になり、温室の中に放置する。

 植園椿亡き後、そして植園花楓がカエデ・グレンヴィルになった後、温室の生首達は血を与えられず、一体また一体と灰となり、やがて、真っ白な灰だけが、温室の中に残された。

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