流行・月・猫

 カエデが生まれ育った、植園家所有の洋館は、使っていない部屋がたくさんあり、その内の一部屋に、人狼兄弟を通した。

 本当は兄弟に一部屋ずつ用意できたが、深手を負っている人狼弟ジェラルドが心配な人狼兄ジュリアスが、同じ部屋にしてくれと言うからそうした。

 基本的に、人狼兄弟は食事の時以外に部屋から出ることはなかった。人狼と吸血鬼、特に最も激しく敵対しているはずのグレンヴィルの吸血鬼しかいないから、接触を控えていたのだ。

 シャムロックとアスターも、積極的に人狼と敵対したことはないが、同胞に乞われて仕方なく戦闘要員の勧誘に動いたことがある為、人狼兄弟と会話する際にはほんのりと緊張感が漂っていた。


 さて。


 元は魔法使いであり、今はグレンヴィルの吸血鬼であるカエデには、人狼に対しての忌避感は特になく、暇があるとジェラルドの様子を見に部屋まで行くことが多々あった。

 何か食べたいものはないか、何か本でも読まないか、流行の映画が配信されているから皆で観ないか、などなど。

 ジェラルドはほとんどの申し出をやんわりと断ったが、本だけは何冊か借りていた。ベッドの上で日々を過ごしているから暇なのだろう。


「その本、面白い?」

「面白いけれど……その、これ、本当にぼくが読んで平気なものなのかい?」


 夜空に満月が浮かぶ、とある日のこと。

 ジュリアスは気を利かせて部屋を出ていた。この場にはカエデとジェラルドしかいない。ベッドの上で上半身を起こし本を読むジェラルドの横に、カエデは部屋の椅子を置いて、そこで違う本を読んでいた。

 僅かに戸惑いの浮かんだジェラルドの表情を、カエデは不思議そうに首を傾げて見つめる。


「何で?」

「いや、これ、魔法に関する本みたいだから、部外者の人狼に見せていいのか気になってね」

「それ、魔法使いの家では、一般的に置かれているものだから、大丈夫だと思うけど」

「……まあ、読んだ所で、魔法が使えるわけではないからね。読み物としてはとっても面白いよ」

「良かった」


 微笑みを浮かべながら返事をした後、カエデはそれまで読んでいた本に意識を戻した。彼女が読んでいるのは恋愛小説。人間の青年に恋をした魔女を、使い魔の黒猫が色々と助けていく、若い女子に流行中の本だ。アスターが買ってきてくれたもので、彼も愛読している。

 いくらか読み進めていた所で、ふいに、視線を感じたカエデ。顔を上げると、こちらを見ていたジェラルドと目が合った。


「どうかした?」

「……表紙の黒猫が可愛いなと思ったんだ。それだけ」

「そっか。可愛いよね、黒猫」


 スピンを挟んで本を閉じ、表紙を一緒に眺める。

 体育座りをして涙を浮かべる魔女の横で、彼女を慰めるように黒猫が寄り添っていた。


「カエデね、昔、黒猫を飼いたかったの。でもね、お母様に反対されて、飼えなかった」

「今は、飼わないの?」


 この家に、彼女の母親と思われる女性はいない。写真なども飾ってはいなかった。

 アスターもシャムロックも反対しないと思うが、言われてみるとカエデは、これまで猫を迎えようと考えたことはなかったと思い、頬に手を添え考える。


「……飼っても、いいのかな」

「魔女に黒猫が寄り添っているんだ、吸血鬼が黒猫と生活するのも良いんじゃないのかい?」

「……そうだね。明日、アスターに話してみようかな」

「飼ったら会ってみたいな。まあ、まだ治りきっていないから、一緒に遊べないけれど」


 そう言ってジェラルドは、自分の左足をデュ布団越しに撫でた。この頃には踝の辺りまで再生したが、まだ完全に治るまで時間が掛かりそうだ。


「治ったら、どんな遊びをしようね」

「そうだな……。あ、懐中電灯はあるかい? 光を揺らして捕まえさせるんだ」

「光は触れないよ。ちゃんと捕まえられるやつがいいんじゃないかな」

「そうか」

「うん。……もし良かったら、一緒に買いに行かない?」

「いいのかい?」

「ジェラルドが、嫌じゃなければ」


 会話を重ねていきながら、両者共に目を逸らさなかった。

 ジェラルドは声に出さず、目で訴える。──嫌なわけあるものか。

 彼の手が動き、彼女の手も動く。お互いの方へと伸びていき、やがて、指先が触れた。一度は離れるも、すぐにまた触れて、そして──。


「カエデ!」


 指を絡めた途端に、アスターが部屋に入ってきた。

 カエデとジェラルドは揃って驚きを顔に浮かべるものの、絡めた指を離すことはなかった。興奮した様子のアスターは、すぐには気付かない。


「大変です、ジュリアスが!」

「兄さんが、どうしたんですか?」

「えっ、あっ、その、ジュリアスが山で猫を拾ってきまして……って、あの、カエデ。それにジェラルドも、その手は……」


 カエデとジェラルドは顔を見合わせ、そして、揃って吹き出す。

 タイミングがいいね、なんて言いながら。

 アスターには分からぬやりとり。彼を置いてけぼりに、カエデとジェラルドは笑い合った。


 大型犬くらいの大きさがある、真っ黒な夜猫。

 彼女はロクサーナと名付けられ、大切に飼われることとなる。

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