吸血鬼と人狼の恋物語

来る・坂道・湖

 人狼、ジェラルド・グリード。

 吸血鬼、カエデ・グレンヴィル。


 出会うはずもなかった両者は出会い、そして、恋に落ちた。


◆◆◆


 風に乗って、血のにおいが運ばれる。カエデが気まぐれに庭へと出た、とある夜のこと。


「カエデ、これは……」


 外に出た彼女が身体を冷やさぬようにと、カーディガンを持って追い掛けてきたアスターも、そのにおいを嗅ぎ取ったらしい。

 カエデは振り向かぬまま頷き、においのする方へと足を踏み出す。


「アスターは、シャムロックといて。また、ここに入り込んじゃった誰かだったら、カエデから、出ていくように言うから」

「君に何かあっては」

「相手が魔法使いなら、カエデの方がいいと思うよ。アスターも、分かってるよね?」

「……それは、そうですが……」

「アスター」


 悩ましげな顔をしながら、カエデの言うことにも一理あると思ったようで、危なくなったらすぐに逃げるようにと告げて、カーディガンを彼女に渡し、アスターのみ洋館の中へと戻っていった。

 カエデはにおいのする方へ──同じ敷地内にある山の中へと向かう。

 吸血鬼の視力は夜闇の中も容易に見通し、吸血鬼の脚力は足場の悪い山道も難なく進んでいく。吸血鬼になって数十年。カエデは自分の身体の便利さをかなり気に入っていた。

 近付くにつれ、血のにおいは強くなっていく。ちょうどこの二時間前に、自分達の監理者である植園紅葉から送ってもらった血で、喉を満たしておいたから、特別喉が乾くようなことはない。

 坂道を登り、降りて、また登り、そうして辿り着いたのは湖だった。晴れていれば夜空や月を水面に映し、見惚れるほどの絶景を誇るが、生憎曇天の日であった。

 湖にちらりと視線を送った後、カエデはじっと、特に血のにおいが強い茂みへと目を向ける。


「誰か、いるの?」


 返事はないが、茂みが大きく揺れる。意識を研ぎ澄ませれば、血のにおいに隠れて獣のにおいも嗅ぎ取れた。

 野生動物が怪我しただけなら、治療すればいい。アスターに頼めば治療の為の道具を用意してくれるだろう。


 だが、そうでなかったら?


 カエデは足音を殺し、耳を澄ませながら、茂みへ近付く。よほど相手は耳がいいのか、人間の耳では聴こえないカエデの足音を聴き取ったらしく、大きく茂みが揺れた。

 少し迷ってから、カエデは口を開いた。


「ここは、植園紅葉の、監理領域」


 相手の反応を窺うように、そこで一旦口を噤み、頃合いを見て再び語り掛ける。


「誰か分からないけれど、迷い込んだだけなら、傷の手当てをしたり、病院まで連れていったり、します。そうでなくて、その、吸血鬼が欲しくて来たなら、無理です。ここにいる吸血鬼は、皆、植園紅葉の監理下に、います」

「──吸血鬼?」


 返事が来た。年若い少年の声だ。

 その時点で野生動物ではないだろう。カエデは警戒を少し強めながら、相手との会話を試みる。


「そう、です。バッキンガムの子供達の一種、グレンヴィルの吸血鬼。ここにいるのは皆、グレンヴィルの吸血鬼。カエデは、カエデ・グレンヴィルって、言います」

「……よりにも寄って、吸血鬼のいる所に来たんだね、ぼくら」

「ぼくら?」

「こっちの話だよ。すまない、悪意を持って侵入したわけではないよ。追われてしまって、無我夢中で逃げていたら、ここに辿り着いたんだ」

「……この、血のにおい」


 近寄って、近寄って。気付いた時にはカエデは、茂みのすぐ傍まで来ていた。まだ相手の姿を目視できないが、掻き分ければすぐに確認できるだろう。

 それでも、カエデはまだ行動に移さず、会話を続けた。


「かなり血が流れてる、よね?」

「ぼくの血、飲みたい?」

「大丈夫。さっき飲んだから」

「タイミングが良かったわけだ。滞在費がてら、後で吸われたりは」

「家にたくさんあるからいらないよ。何も欲しくないから、気にしないで」

「助かるよ」

「……」

「……」


 無言の時間が流れ、カエデはひたすら考えた。相手に敵意は感じられない。こちらを油断させようとしている気配も感じられない。

 相手は強い血のにおいをさせている。敵意がないなら早急に治療するべきだろう。その場合、動かして平気なのか。ここに治療道具を持ってくるべきか。追われているなら病院はやめた方がいいだろう。

 ひとまず、怪我の度合いを見ないことには判断できない。


「あの」

「あのさ」


 同時に声を発してしまった。それでも互いに、勢いは止まらない。


「そっちに行ってもいい?」

「こっちに来る?」


 言い切った後、少し黙ってから、同時に吹き出して笑う。

 カエデは笑いすぎて、アーモンド型の赤い瞳からいくつか涙を溢し、そのまま茂みを掻き分けた。そうしてやっと、相手の姿を目視する。

 自分の見た目とそう変わらない年頃の、黒髪の少年が地面に座り込んでいた。その頭部には髪色と同じ黒毛の獣耳が生え、臀部からは尻尾が垂れている。

 それは、話に聞く人狼の姿。カエデは初めて遭遇した。

 人に近い姿をしているが、彼の左足だけは見当たらない。本来左足があるべき部位は、色濃い血のにおいを漂わせ、血液が滴り、衣服も地面もどす黒い赤色に染めている。

 逃走の最中に捥がれてしまったのか。


「酷い……!」


 カエデは思わず駆け寄り、捥がれた部位を悲しげな顔で見つめた。


「血を洗い落として、止血して、えっと」


 言いながらカエデは、身に纏うセーラー服からスカーフを抜き取り、それで欠損部分の上辺りを縛った。

 そして、すぐ傍の湖から水を手で掬い取ってきて、欠損部分に掛ける。二度ほど繰り返すと、彼の方から、肩を貸してほしいと言ってきた。


「その方が早いと思う」

「大丈夫?」

「平気」


 それならばと、カエデは彼を抱き抱え、湖の傍まで移動する。


「えっ」

「こっちの方が早いよ」

「……ありがとう」


 カエデのような可憐な少女に抱き抱えられるのは、少し恥ずかしかったようで、彼はほんのり顔を赤らめる。カエデにその心意は伝わらなかったが、ただ──可愛いな、と思った。

 水を掬い取って欠損部分に掛けていく。衣服に付着した汚れは落ちなかったが、肌の血は大分落ちた。断面がギザギザの状態になっているのがよく分かる。


「一応確認するけど、人狼、だよね?」

「そうだね、ぼくは人狼だ」

「……それなら、吸血鬼の涙は、使えないね」


 魔力の込められた、吸血鬼の涙。それを人間が飲み込めば魔法が使えるが、人狼にはまるで効果がないと聞く。

 落ち込むカエデを励ますように、明るく彼は語り掛けてきた。


「平気さ。人狼は死ににくい種族だし、吸血鬼ほどでなくとも、再生力は高い。その内生えてくるよ」

「……それ、いつから」

「確か、一週間くらい前」

「えぇっ!」

「いや、五日前かもしれない」

「そんなに時間が掛かるものなの?」

「……いつもだったら、寝れば治っているんだけどね」

「……この怪我、どうしたの? すごい酷いけど」


 少年は目を逸らす。あまり訊かれたくないことなのだろう。それでもカエデは答えを欲し、見つめ続ける。

 根負けしたように、彼は答えた。


「──魔法使いにやられた」

「……っ!」

「ぼくの、ぼくと兄さんの師匠が魔法使いに捕まって、助けに行ったんだ。その時にしくじって、相手の魔法を左足に食らって、この様さ」

「……それなら、その魔法、再生を邪魔する力が働いているかも」

「そうだろうね」

「……」


 カエデは視線を、少年の欠損部位に移し、じっと見つめた後、再び涙を瞳から溢す。

 涙の形をした赤い結晶。

 それを手に取り、素早く少年の口の中へ、脈絡もなく突っ込んだ。


「ぼへっ!」

「効くか分からないけれど、やってみる価値はあるかもしれない」

「……?」


 吸血鬼が涙を口にしても、魔法は使えない。一説によると、吸血鬼の体内に宿る魔力は、吸血鬼の不老不死の力を維持する為に使われているから、涙を体内に入れても力の維持の為に使われて、魔法には使われないのではないかと言われている。

 カエデには人間の頃から、魔法の為ではなくおやつ代わりに、吸血鬼の涙を頬張る習慣があり、吸血鬼になっても続けていた。そのおかげで気付いたのだが──吸血鬼が涙を過剰に接取すると、魔法による攻撃をされても効きにくいのだ。

 どういう原理でそうなるのかは分からないが、これまで侵入してきた魔法使い達が攻撃してきても、ほとんどカエデには効かなかった。

 手足を狙われても、魔法による毒を浴びせられても、催眠を掛けられても、何もカエデを害さない。アスターとシャムロックにも試させてみたが、徐々に効かなくなった。


 吸血鬼がそうなら、同じく涙による魔法が使えない人狼にも同じ効果が出るのではないか。


 少年は困惑しながら、口の中で飴のように涙を転がす。そして飲み込めば、再び突っ込まれそうになるから、手で慌てながら防ぎ、自分で飲むからと言って受け取り、口の中に入れる。

 何個か試していくと、次第に──欠損部分の皮膚が伸びて、断面を覆っていく。


「やった、効いた!」

「ほんとに」


 ね、と少年が言ったタイミングで、カエデは彼を抱き締めていた。


「良かった……! 治らなかったら、どうしようかと……!」

「……ありがとう。えっと、カエデ、だね?」


 カエデが頷くと、少年はそっと抱き締め返した。


「ぼくはジェラルド。ジェラルド・グリード。助けてくれて本当に、ありがとう」

「……っ!」


 嗚咽をもらして涙を溢すカエデの背を、少年ことジェラルドは、彼女が落ち着くまで、優しく撫でていくのだった。


◆◆◆


 さて。

 この場に遭遇する者は、実は他にもいた。


 少し離れた茂みに身を潜めて、その光景を静かに見つめる少年。彼の頭部や臀部にも、ジェラルドと同じく獣耳と尻尾が生えていた。

 ジェラルドと共にここまで逃げてきた、双子の兄のジュリアス・グリード。吸血鬼と抱き合う弟に怒りを覚えている様子はなく、むしろ、羨ましそうに見つめていた。


「おれもいつか、師匠と……!」


 一方、別の場所、カエデやジェラルドから遠く離れた木の影に、アスターが隠れていた。その腕の中にはシャムロックの姿もある。


「何ですかこの状況。え? 吸血鬼と人狼ですよね?」

「そんなこともあるんだな」

「それは呑気すぎますよ、シャムロック様! 吸血鬼と人狼なのに!」

「でも、あの少年は悪い奴じゃなさそうだぞ?」

「……あ……う……」


 戸惑いつつ、結局数分後、カエデが落ち着いた頃に両者近付き、全員で洋館まで行くのだった。

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