面倒なことになった。


 私が魔法で家に帰れば、妙に迫力のある鬼の面を被った夏樹が、畳の上に布団も敷かず、アヴィオール様を抱えて横になっていた。

 何をしていると訊けば、不貞寝中だと返事が。私の弟は何をふざけているのかと、この時は呑気に思っていたが……。


「変な奴が来て疲れた」

「何だ、それは」

「えっと……同じ植園の……桜紫郎、とか言う人?」

「は?」

「うるさくチャイム鳴らして、うっさい声で名前叫んでんの。おれは植園桜紫郎だーって。知らないし。普通に出たくなかったから居留守使った」


 それで正解だ。中に入れたら、アヴィオール様に危害を加えていたかもしれない。いや、この場合、野蛮にも魔法で侵入してこなかった奇跡に感謝するべきか。それくらいの理性は働いたようだが、次もそうとは限らない。

 私はすぐに植園紅葉に電話をし、息子への苦情を申し立てる。植園紅葉も息子の行動を把握していなかったようで、すぐに処罰すると言っていた。

 重ねて、しばらくどこかに身を潜めた方が良いと言われ、とあるホテルの名前を口にした。けっこうな高級ホテルだと思うが、料金は払ってくれるとのこと。

 すぐに手配するから、私達はそのまま現地に行けば良いと言われ、ひとまず、言葉に甘えることにした。

 電話を切る前にこれだけは訊いておいた。


「何故、そんなことをしてくれるんです。息子の不始末の尻拭いですか」

『それも少しはあるが、単純な話だ。──お前らは俺の女の弟だ。良くしてやるのは当たり前だろうが』


 それで電話を切られてしまった。

 夏樹を急かし(ふざけた面は取らせた)、荷物をまとめさせ、アヴィオール様から新たに涙を頂き、魔法で外に移動する。指定されたホテルの最寄り駅付近に降り立ち、急いでホテルに向かう。

 早急に話をつけてくれたのか、植園紅葉の名前を出せば速やかに部屋の鍵を渡され、私達は足早に部屋に向かう。

 ひとまず、これで当面は平気だろうと思いながら、こうして起きたことを書いてまとめてみた。


◆◆◆


 そこまで植園春花が書いていた所で、兄貴、と呼ばれ、春花は顔を上げた。

 植園夏樹。春花の異母弟。顔立ちは異母姉同様似ているが、その雰囲気はあまり似ていない。

 カエデが人形的な可憐さがあるなら、春花は神経質な空気を常に纏い、夏樹の場合は野性味を感じる。

 部屋に入ってすぐ、ベッドに寝転んでいたはずだが、兄が何をしているのか気になったのか、立ち上がり、兄のいる机まで来たらしい。その腕の中には、生首のアヴィオールの姿もあった。


「久し振り」

「……久し振り。アヴィオール様も改めまして、お久し振りにございます。長い不在という不敬を働き、申し訳なく思っております」

「弟よりもアヴィーへの言葉のが長い」

「夏樹、お前はまた」

「──別にいい。小生は気にしていない」


 弟への苦言を、当のアヴィオールが許してしまえば、春花としては何も言えない。これが父なら、魔法で折檻していただろうに。


「ハルカ。その……カエデは、カエデ達は、元気そうにしているか」

「……そうですね」


 アヴィオールとシャムロックやカエデは面識があるはずで、気になるのは分かる。分かるが、春花の心情として、今はその名前を聞きたくはなかった。

 そんな彼の気持ちが、アヴィオールに伝わっているのか、いないのか。喋る生首はそのまま問いを重ねていく。


「妙な男が来てこうなった。ウエソノの者なんだろう? カエデ達も被害を受けていたりはしないのか」

「……迷惑には思っているでしょうね。私の前任者で、出禁扱いを受けていました」

「それは……」


 何か言いたそうな顔をして、けれどそれ以上、生首は何も言わなかった。


「とりま、ここにいれば大丈夫なの?」


 代わりに、夏樹が会話を続ける。


「彼の父親が処罰をするとのことだったが、警戒はしておいた方がいい」

「父親って?」

「植園紅葉だ」

「あのおっかないおっさんか。俺、あの人苦手」


 正直、春花としても同意だ。進んで関わりたい人間ではない。特に、秘密を抱えた今は。


「……兄貴、また姉貴の所に行くんでしょ?」

「……」


 監理者として行くべきだが、まだ、春花の足は重い。


「俺も行っていい?」

「は?」

「一人でアヴィーを守るとか、正直心細いんだよね。植園の家に行けば兄貴いるし、姉貴もいるし、姉貴と同じ吸血鬼や、アヴィーと同じ生首もいるんしょ? 一人で桜紫郎とかいうのの相手することになったら怖いし、皆といれば心強いからさ、行きたいんだけど」

「……」


 駄目だ。

 その気持ちだけは一貫して、春花の中にあった。

 自分が不在の間は夏樹がアヴィオールを守れ、というのもあるし、今はそれに加えて──分かれることで全滅を避けたい、というのもあった。

 一ヶ所に固まって、全滅になるようなことがあれば、何も残らない。

 せめて、アヴィオールだけでも守りたい。自分は──自分が、守るのは……。

 そこまで考えて、頭の中に浮かぶのは、カエデの膨らんだ腹だった。


 自分が、今、守りたいのは何なのか。


 思えば、異母姉の腹に触れたことはない。いつも見るだけで、自分には関係がないと思っていた。

 会ったこともない、この先会うつもりもなかった、血の繋がった甥か姪達。■■い──可愛らしい、狼。

 春花は狼のぬいぐるみを持ってきていなかった。今はそれを、少し後悔している。

 その後悔に心地の良さを覚えながら、書いていた頁を破り取る。他にも数枚破り取り、机の上に置いておいた小瓶から、残りの涙を全て口に入れて、魔法で燃やしていった。


「ちょっ、兄貴」

「夏樹。お前はここにいろ」


 春花の声にはもう、迷いはなかった。

 手帳を弟に押し付け、まだ荷解きをしていなかった荷物を手に持つ。そして弟の顔を見た。自分や姉によく似た顔の弟を。

 これが最後になるかもしれないと思いながら。


「死ぬ気でその方をお守りしろ」


 そう、言葉を残して──春花は姿を消した。

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