猫
夜の山道を歩くのは危険だよ、お家まで送っていこう。
そのように言われ、春花は拒むことなく、ジェラルドと名乗った人狼と共にカエデ達のいる洋館に向かった。ロクサーナと呼ばれていた大きな黒猫も一緒だ。
今回の夜歩きの目的は、湖で聴こえた少年の声を探ること。その当人がこうして現れてしまえば、もう夜歩きをする必要もない。
貴方は、何者ですか?
道中、何度もそう問い掛けようと思ったが、春花はなかなか声を出さなかった。いや出せなかった。
人狼が横にいる。人狼と一緒にいる。
春花の短い人生において、こんなことは初めてだ。嫌悪感はまるでない。あるわけがない。植園春花は魔法使いでありながら──狼を好ましく思っているのだから。
何も話せないまま進んでいき、洋館に辿り着く。迎え出たのはアスターだった。
「ジェラルド……! ハルカも! 何で君達が一緒にいるのですか!」
「彼のお散歩中に遭遇したんだよ。夜道は危険だからね。こうして送ってあげた」
「……! ど、どこから、何と言えばいいのか」
頭を抱えるアスターを横目で見つつ、春花の意識はジェラルドに向いていた。
彼らとジェラルドの関係は、どんなものなのか。
山に住むことを許し、こうして普通に会話しているんだ、吸血鬼と人狼にしてはかなり友好的な関係を築いているんだろう。
……もしかしたら、ジェラルドは。
そんな風に考えていた所で、足音が聴こえてくる。誰かなど、簡単に想像がつく。
走るのは危険ですよとアスターが注意しても、きっと彼女には聴こえていなかっただろう。足音を大きく立てて、彼女は──カエデはジェラルドに抱きついた。あまりの勢いに、彼が手に持っていた木の棒が地面に落ちる。
「ジェラルド……! どうしてここに!」
悲鳴混じりに叫ぶ声には、隠しようもない親愛が含まれている。
ジェラルドはカエデをそっと抱き締めながら、ちょっとね、と返事をしていた。
「……姉さん」
答えが返ってくるかは分からないが、それでも、春花は訊ねた。
「姉さんのお腹の子供は、もしかして……」
「……そうだよ」
ジェラルド、とカエデが答えた。
◆◆◆
吸血鬼と人狼が愛し合うことなど、ありえるのか。
そうは書いても、現に
そんなことはありえるのか?
そんなことはありえるのか。
ああ、上手くまとめられない。
◆◆◆
人狼のジェラルドは泊まっていったらしい。朝食の場には彼の姿もあった。
カエデの隣に彼が座り、彼の横にアスターが座っている。生首のシャムロックはカエデの傍に置かれていた。
春花は、吸血鬼と人狼が同じテーブルについている事実に違和感を覚えながら、ワンクッション置くように、ある質問を口にする。
「昨日の黒猫はどうしたんですか」
答えたのはジェラルドだった。
「彼女は夜猫なんだよ。朝になれば消える」
夜猫。妖怪とも妖精とも言われる不思議な猫。
日のある内は姿を消してしまうが、夜になると現れる者。普通にペットショップで売られており、姿を消すので不在時の心配をしなくていいからと、一人暮らしの社会人が好んで飼っている。
その夜猫が、人狼と共にいるというのか。
「人狼なのに夜猫を飼っているんですか」
「気に入られてね、一緒にいるだけだよ」
「不思議に思うよな。オレも初めて聞かされた時はそうだった」
会話に入ってきたのはシャムロック。頷くように瞬きを二回してから、春花をじっと見つめてくる。
「ハルカ。昨日、山に入り、ジェラルドに送ってもらったと聞いた。夜の山歩きは危険だ。何故そんなことをした」
「……前に山に入った時に、不審な少年と遭遇したので、その正体を探ろうと」
「それはすまないね、ハルカ君。一応、許可を得て山に住まわせてもらっているよ」
ついでに言えばもう一体いるよと、ジェラルドは朗らかに言った。春花としては突っ込まなければいけない。
「まだ人狼がいるのですかっ!」
「ぼくの兄のジュリアス。お寝坊さんだからまだ寝ていると思う」
「……ハルカ」
シャムロックは尚も、春花を見つめ続けた。アスターとカエデも同じく見てくる。説明を求めているのだ。
彼らに話せることと、話せないことがある。
慎重に話す内容を考えながら、春花は口を開いた。
「……私は、植園紅葉氏から命じられた、貴方達の監理者です。その立場として、不審なことがあれば調べなければいけません」
「それでも、君はまだ子供なのですよ。危ないことは控えて頂かないと」
アスターに注意されても、春花としては、頷くわけにはいかなかった。
時に危険を侵さなければ、自分達の命はなく、生きる理由であるアヴィオールを奪われてしまう。夏樹は頼りにならないのだから、自分が励まなければいけないと、春花は常に思っている。
何があろうと、動かなければ。──それで、命を落とすことになってしまっては、本末転倒だというのに。
「……春花」
静かに、春花の名前を呼ぶ声があった。
彼の異母姉である、カエデだ。
「紅葉君に、ジェラルドや子供達のこと、話す?」
「……っ!」
彼の立場からして、植園紅葉に諸々のことを報告する義務がある。正しい報告ができなければ、どのような目に遭うか。
それが分からない春花ではないのに、そう異母姉に言われ、思わず、息を飲んだ。
もしも報告すれば、ジェラルドはどうなるか。カエデの腹の子供達はどうなるのか。
ジェラルドは人狼で、子供達は吸血鬼と人狼の子供で──春花は、狼が、好きだ。
「わ、私は……私は……」
春花は頭を抱える。答えは簡単なはずだ。植園紅葉に話すべきだ。
だというのに、その選択を取りたくない自分がいるらしい。
「私、は」
「ごめんね、春花。責めてるわけじゃなくて、その、そうするのかなって、カエデは訊いただけで。……あのね」
「カエデ?」
何を言う気だと声に込めながら、アスターが彼女の名前を呼ぶが、彼女は止まらなかった。
「カエデのことを診てくれているお医者様がね、教えてくれたの。お腹の子供──どっちも狼みたい」
「……っ」
カエデ、とアスターとシャムロックは揃って声を上げるが、腹の子の父親であるジェラルドは黙っていた。
春花はその話を聞いて、ゆっくりと顔を上げる。
「……狼が、腹の中に」
「そう。産院まで行けた頃、エコー画像で見たら、どっちの子もね、狼の姿をしてたんだ。お医者様は紅葉君が紹介してくれた方だけど、どうなるか分からないからって、秘密にしてくれているの」
「……」
「ハルカ君。人狼はね、生まれて一年くらいは狼の姿でいるんだ。だから、生まれる時も狼の姿だよ」
「……吸血鬼の子供は、吸血鬼のはず」
「でも、カエデのお腹の子供達は、人狼みたいだよ」
「……」
カエデの腹は、テーブルに隠れて見えない。
それでも、見えないものかと、春花は目を凝らす。
いつ生まれるかは分からない双子。狼の姿をした赤子。──春花の甥か姪だ。
植園紅葉に報告してしまえば、失われるかもしれない命。
自分や夏樹と変わらぬ立場の者達。
「……春花」
「……姉さん。それに、アスターさんにシャムロックさん。……ジェラルドさんも、その、申し訳ないんですけど──時間をくれませんか」
「え?」
不思議そうに声を上げる異母姉に構わず、春花は席を立った。
「話しません。植園紅葉氏に話すつもりは、まだ、ひとまず、絶対にありません。信じてもらえるか、分かりませんが……決心が、つかないんです。私は、どうするべきなのか……どうするのが、正しいのか、分からない」
ふらふらと覚束ない足取りで、その場から去ろうとする春花。それを咎める者はいない。
「話しません。絶対に、話しませんから……」
そう言って出ていき、部屋に戻るなり、春花は荷物をまとめていく。
父親の使っていたトランクケースに詰めていきながら、考えるのは、色んなこと。
魔法使いの植園紅葉と、その息子の植園桜紫郎。
吸血鬼のカエデ・グレンヴィル。人間だった植園花楓。
吸血鬼のアスター・グレンヴィルと、吸血生首のシャムロック・グレンヴィル。
人狼のジェラルド・グリード。
そして──カエデの腹の中にいる、双子の狼。
植園春花は、十五歳の少年だ。
今後のことを、そう簡単には決められない。
荷物をまとめ終えると、小瓶を取り出す。中にあるアヴィオールの涙は残り少ない。
それを一粒飲み込んで、瞳を赤く染める。
──そのタイミングで、誰かが部屋に入ってきた。
「ハルカ」
シャムロックだ。
彼は生首だから、当然ながら一体ではない。アスターに抱えられて、部屋まで運ばれて来たのだ。
二体の吸血鬼は、春花を、春花の荷物を見て、目を丸くする。
「ハルカ、その荷物は何だ」
「……誰にも言いません。時間をください」
「いや、それは分かっている。だから」
「──実家に帰り、ゆっくりと考えます」
それだけ口にして、春花は魔法を使い──瞬きの間に、姿を消した。
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