月
何の成果も得られないまま、夜になる。
今宵の月は満月だった。
満月。
こないだの、湖で遭遇した少年の声。彼は、満月を望んでいた。今宵の月にはさぞや、満足していることだろう。
あの時はいきなりカエデの名前を出され、驚いて逃げてしまったが、あれは、この家の監理者として、調べるべき案件ではないか。カエデのことを知っているなら、彼女の許可を得てそこにいる可能性もあるが、知り合いだからと勝手に住み着いている可能性もある。
もう一度、調べるべきだ。
アヴィオール様から頂いた涙の残量を確認する。思っていたよりも数は残っているが、油断はできそうにない。今回も戦闘は避け、万が一の場合には逃げることも考えた方がいい。
一度は足を運んだ場所。今回は、魔法で直接湖に移動しようと思う。その方が涙を節約できていいだろうから。
◆◆◆
満月の光によって照らされた湖。その水面には、揺れる満月が映し出されている。
魔法により一瞬でこの地に現れた植園春花は、しばしその光景に見惚れ、すぐに自分がやるべきことを思い出した。
小瓶から涙を取り出し、口に入れる。春花の黒い瞳は赤く染まり、歩いても足音は聞こえない。魔法で視力を高め、辺りを警戒しながら進んでいく。足跡も浮かび上がらせたかったが、節約の為にそれは控えた。
小一時間は湖の周囲を探っていたが、今回、話し掛けてくる声はなかった。
春花は涙の残量を再び確認し、今度は、記憶を頼りに声のした繁みを探り当て、その奥へと進んでいく。住み着いているなら、向かう先に寝床があるかもしれない。足音が出ないのをいいことに、どんどん進んでいった。
同じ景色が続く。下は砂利道、辺りは草木、見上げれば無数の葉。その隙間からは満月が見える。道はまだ続いているようだ。
進む。進む。進む。
鳥の鳴き声が響き、虫の鳴き声が耳を煩わせる。それらの鳴き声に混じり──猫の鳴き声が聴こえたのは気のせいか。
気のせいではなかった。
一際大きな猫の鳴き声が足元でしたかと思えば、膝から柔らかな感触が伝わる。春花は慌てて視線を下に向ける。魔法によって視力を向上させているから気付けた。春花の足元にいるのは、一匹の黒猫。大型犬くらいの大きさの、黒猫であった。
「何故、ここに……!」
春花が後ずされば黒猫もついてくる。甘えたような鳴き声を上げていた。
黒猫の、黄金色の瞳と目が合う。首輪はしていないようだ。
「──ロクサーナ? そんなに声を上げて、どうしたんだい?」
「……っ!」
春花が目指していた方向から、声がした。あの時の、少年の声だ。春花は身構え、声のした方を睨み付ける。
「ロクサーナ。……おや、君はこの前の」
声の主は、妙な物音と共に、何の警戒もせずにその姿を現す。声の通りの、少年の姿をしていた。春花や弟の夏樹、それから、異母姉のカエデとそう変わらない年頃の、黒髪の少年。足が悪いのか、長い木の棒を握りしめ、身体を支えていた。
彼の頭部には、
「カエデのにおいがする子じゃないか」
立派な──獣の耳が生えていた。
よく見れば、臀部の辺りからで毛量の多い尻尾が揺れている。
その特徴を持つ者に、春花は心当たりがあった。それを、口にする。
「……人狼」
「……そうだよ。おいで、ロクサーナ」
人狼の少年が呼べば、黒猫は嬉しそうな声を上げて彼の元に向かう。その後ろ姿は大きな犬にしか見えない。彼は、自分の元に来た黒猫の頭を優しく撫でてやり、それから春花に目を向ける。
見事な瑠璃色の瞳だ。
柔らかな笑みを浮かべ、彼は春花に話し掛けてくる。
「よく見れば、カエデに顔がよく似ているね。もしかして君が、ハルカ君かい?」
「……っ! わ、私を知っているのか」
「アスターとカエデにこないだ聞いたよ。最近見つかった弟で、新しい監理者なんだってね」
「……」
人狼。
グレンヴィルの吸血鬼と敵対している存在。
吸血鬼は人狼を蔑み、人狼は吸血鬼を憎んでいる。
両者が遭遇すれば、血が必ず流れるというのに、アスターとカエデの名前を呼ぶその声に、憎しみは全く感じられない。
あるのは、親しみだ。
「……貴方は、何者だ。いや、ですか」
「そんな畏まらないでよ。気楽にして」
人狼の少年はそう言って笑いながら──名乗った。
「ぼくはジェラルド。ジェラルド・グリードだよ」
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