吸血鬼達の心情

むかしばなし・食事・だんまり

 吸血鬼のカエデ・グレンヴィルである彼女が、植園花楓という名前の人間で、植園家本家の子供である植園紅葉と婚約をしていたことなど、今となっては昔の話だ。


 父が吸血鬼と共にいなくなり、母が正気を失った末に亡くなり、アスターによって吸血鬼とされてからは、彼女が住む洋館には穏やかな時間が流れていた。

 たまに他の吸血鬼や魔法使いが訪れて、揉め事になることもあったが、アスターやシャムロックと協力してどうにか乗り越えてきた。

 没落した植園家元分家の家に住み着く吸血鬼は、極東の魔法使いの間ではよく話題に上がっていたようで、ある時、植園紅葉が彼女らの家を訪れたことで、カエデはそのことを知る。


「俺に囲われる気はないか? そうすれば、魔法使いに狙われることもなくなるぞ」


 魔法使いの家に住み着く吸血鬼なら、魔法使いに囲われることを望むだろうと、けっこうな頻度で魔法使いが襲来していた。特定の魔法使いの元に降れば、そういうこともなくなるだろう。

 だが、魔法使いに囲われるということは、自由を奪われるということで。

 シャムロックをカバンに隠して、アスターとカエデは出掛けることがたまにあった。植園紅葉に囲われれば、そういう自由を失うだろう。

 嫌だ、と彼女が言えば、植園紅葉はすかさずこう提案した。


「それなら、俺と契約をしないか?」


 カエデら三体の吸血鬼は、植園紅葉に定期的に魔力源である吸血鬼の涙を提供し、植園紅葉は、カエデらにある程度の自由を許した上で、対外的には植園紅葉が囲っているということにする。


「どうして、そんなに譲歩してくれるの?」

「……お前が、俺の女だからだ」


 吸血鬼に去られた時点でカエデの家は没落し、本家の息子との婚約などすぐに解消された。カエデの前に現れた時点で、植園紅葉は他の分家の婿養子となり、既に子供も生まれていた。


 それでも、植園紅葉はずっと、カエデのことを気に掛けていたらしい。


 涙の回収には植園紅葉だけで来て、涙以外のものは求めてこなかった。応接室でカエデと共に、ただ静かにソファーで隣り合って座るだけ。その時間にカエデは、退屈も恐怖も感じなかったが、たとえば何の問題も起きなくて、植園紅葉と正式に結婚していたなら、こんな時間を過ごしていたのかと思っていた。

 彼の気が済めば終わる逢瀬。最初の頃は一応、アスターが彼の分の食事を用意していたが、植園紅葉は手を付けることなく帰っていく。


「何を考えているのか分からない方ですね。カエデ、いきなり変なことをしてきたら、突き飛ばして逃げてくださいね。悔しいですが……この地をすぐに離れましょう」


 アスターは植園紅葉にそんな感想を抱いていた。


「……考えていることは分からなくても、あの男のおかげで助かっていることは多々ある。あの男が生きている内は、安心していいんだろうな」


 シャムロックは植園紅葉にそんな感想を抱いていた。


 カエデとしては、どうだろう。


 元は年上の婚約者だった。彼が亡くなれば、いつかその歳を追い越すことになるだろう。婚約していた時から、特に会話は多くなかったが、一緒にいて居心地の悪さを感じたことはない。

 ──ただ、それが恋に繋がることはなかった。

 カエデは少女の姿のまま時が経ち、植園紅葉は歳を取り、カエデの元に来る機会が徐々に減っていく。婚家の当主となり、色々と忙しくなってきたのだ。

 いつも不機嫌そうな彼の顔だが、その日はほんのり苛立ちも混ざっていた。


「俺もいつまで生きているか分からない。不服だが、後継者に今後はお前達のことを任せようと思う」


 植園桜紫郎。

 植園紅葉とその妻の間に生まれた息子は、彼によく似た容姿をしていながら、その中身はまるで似ていない。きっと妻に似たのだろう。

 最初に会わされた時から、やけに熱の込められた視線を向けられていた。会う回数が増えていくにつれて、その視線に劣情が帯びていき、カエデはただただ、彼との時間に苦痛を覚えるようになった。

 髪を触られた。手を触られた。膝を触られた。カエデはそのたびに突き飛ばし、やめてくれと言った。そうすると癇癪を起こして暴れるものだから、正直嫌悪感すら抱いていた。

 アスターが傍に控えようとすれば、余計に手が付けられなくなるから、彼は扉の向こうで待つしかなく。


 苦痛の時間は、後に悲劇を招き寄せる。


 植園紅葉に息子を近付けるなと言い、カエデの妊娠が分かってからは、絶対に彼の前に姿を現さず、父の命を無視して家に訪れた時は、アスターに応対してもらった。

 妊娠していることを植園紅葉に告げれば、彼は産科医の手配をし、彼に渡す分の涙は産科医を通して渡すことになった。植園桜紫郎が来るようになってから、植園紅葉とは電話での会話しかしていない。

 電話のたびに訊かれた。


『腹の中のガキ、父親は誰だ?』


 カエデはだんまりを貫く。

 それはけして、表沙汰になってはいけない相手。何よりも守らなければいけない者。──カエデがはじめて、恋をした男だ。

 植園桜紫郎では絶対にない。

 アスターとシャムロックもその相手のことを知っている。苦い顔をされるが反対はされていない。何の問題もなければ、一緒に暮らしたいと思っているが、今のままでは難しいだろう。

 アスターがいて、シャムロックがいて、愛する者と子供達がいて。

 カエデが家族と思う者達と、永遠に幸せに暮らしていけたらどんなにいいだろうか。

 自身の腹が大分大きくなった頃に、植園紅葉から一本の電話が来る。


『馬鹿息子の後任が決まった。お前の弟だ』


 いなくなった父は、弟を二人作っていたらしい。その内の一人が、カエデの前に現れた。

 黒いワイシャツの上に黒いぶかぶかのカーディガンを羽織る、どこか冷たい雰囲気の、自分によく似た顔の少年。今は自分と変わらぬ歳の頃だが、その内、年上になっていくだろう。

 何故か分からないが、彼を見ていると、一粒、カエデの瞳から涙が溢れ落ちた。

 血の繋がった家族。それは、腹の子供達だけだと、そう思っていたのに。

 ──姉さん。

 弟は自分をそう呼び、家にいてくれるようになった。

 家族が増えてくれたのは、嬉しい。

 この幸せを守りたい。

 日々膨らみを増していく腹を抱き締めながら、カエデは静かに、強く、そう願うのだった。

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