来る
今日は調子が良かったのか、朝食の場にカエデの姿があった。
青白い肌に目の下の濃いクマ。部屋で寝てなくていいのかと、少しばかり、本当に少しばかり思い、そう彼女に伝えてみた。
「心配してくれて、ありがとう。ずっと、ベッドの上から動けなかったけど、今日はね、平気そうだから、皆と久し振りに、一緒に食べたかったの」
儚げな笑みを浮かべ、自身の大きな腹を撫でながら、カエデはこう口にした。
「──家族が皆、揃ってくれたら、嬉しいね」
この家に滞在している者は、全てダイニングルームに揃っていた。私にカエデ、アスターにシャムロック。カエデの腹の子も含むべきか。
それなのにそんな発言をしたのは、どういう意図があってのことなのか。
私の家にいる夏樹とアヴィオール様のことを言っているのか、腹の子の父親について言っているのか、あるいは両方か。
夏樹をここに呼ぶ予定はない。夏樹には、私が不在の間、アヴィオール様を守護する役目があるのだし、アヴィオール様を家の外に出すなど考えられない。
植園紅葉が気まぐれを起こして、アヴィオール様を奪いに来る可能性だってあるのだから、常に家の中で守護してもらわないと。
そんなことを考えていた私の耳に、シャムロックの声が届く。カエデ、と呼ぶその声は、彼女のことを案じているようで、私にも伝わるくらいなのだから、カエデも気付いていた。
平気だよ、シャムロック、と生首の名を彼女が口にした時──チャイムの音が室内に響く。誰か来たらしい。宅配か、ご近所の方か。
そんな呑気なことを考えていると、カエデの手がシャムロックへと伸びていき、自分の方へ引き寄せて、胸に抱える。シャムロックが呼吸をしやすいように、外向きに抱くその姿は、どこか不安そうだった。
「どうかしましたか、姉さん」
「……アスター」
話し掛けたのは私だが、カエデはアスターの名を呼び、彼は静かに首を横に振った。
「居留守を使いましょう。気になるようなら耳栓をご用意しますよ」
「……お願い」
そんな会話をして、アスターはダイニングルームから出ていき、カエデは俯きながら、シャムロックを強く抱き締める。
「……あのね、春花。お願いがあるの」
私の顔を見ないまま、カエデは頼みごとをしてくる。その顔はどんどん青くなっていき、額には汗が浮かび、アーモンド型の赤い瞳は潤み出す。
「アスターが、戻るまで、カエデの耳、押さえてくれる?」
チャイムの音はひっきりなしに鳴り響いていた。かなりの騒音で、彼女の様子はあまりにも苦しげであり、従うしかなかった。
小さく柔らかな彼女の耳を、私の手で塞いでやると、彼女は安堵の吐息を溢していた。
「……今ね、来てるみたいなの」
「どなたが、ですか?」
「……桜紫郎君」
植園紅葉の息子か。何の用で彼は来たのか。いやそもそも、何故、彼が来たと分かったのか。ダイニングルームと玄関は離れているのに。来客が誰かなど、知る術はないはず。
そんな疑問の答えは、すぐに教えられた。
「吸血鬼の耳、すっごく聴こえるの。だからね、誰が来て、何を言っているのか、よく……聴こえちゃうの」
コロン、コロン、コロンと、カエデの瞳から涙が溢れ落ちていく。それを何となく、目で追った。
「……違うよ」
「分かっている」
私に構わず、カエデとシャムロックは会話を始めた。
「違うから」
「分かっている」
「桜紫郎君じゃない」
「分かっている」
「桜紫郎君とは何もない」
「分かっている」
「私はちゃんと突き飛ばした」
「分かっている」
「桜紫郎君じゃない。──この子達の父親は、桜紫郎君じゃない!」
「分かっているから」
そこで初めて、腹の子が双子であることを知る。
しばらくしてアスターが戻り、私がカエデから離れてすぐに、彼女の耳を耳栓で塞ぐ。そして、彼女の身体を支え、立ち上がらせた。
「部屋に戻りましょう。胎教に悪い」
私にはそのまま朝食を食べているように言って、彼らは揃ってダイニングルームを出ていく。残された私は、テーブルの上の朝食を黙々と食べていき──ふと、気になって、玄関まで向かう。
チャイムの音はまだ鳴り響いていた。近付くにつれて、何を言っているのかも聞き取れた。
『おれの子供なんだろ?』
『やっぱりあの夜の時の!』
『責任を取らせてくれ!』
『カエデ!』
『カエデ──愛してる!』
寒気のする言葉ばかりだ。
いくら植園紅葉の息子だろうと、開けてやる義理はないから、私はそのまま部屋に戻って、これを書いている。
チャイムの音は、未だに鳴り響いていた。
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