第一幕 春花の日記

残された頁

食事

 男に案内された客室は、隅から隅まで清掃が行き届いており、これを書くのに使っている机にも、埃一つなかった。

 華美な所はないが、歴史を感じる家具はどれも一目で一級品と分かる物ばかりで、さすが、かつては名門と謳われた家だと思う。


 植園家。


 この国で魔法使いを名乗る四つの家の一つ。私が滞在しているこの家は分家であり、数ある分家の中でも格が上の家で

 最後の当主であった植園一樹が、吸血鬼を抱えて出奔してしまい、当主と吸血鬼がいなくなったこの家は没落し、当主の妻と娘だけが残された。

 ここに来る前に、妻は行方が分からなくなり、娘だけが住んでいると聞いていたが……さて、どこから書くべきか。

 娘、こと植園花楓カエデには、会えたとも言えるし、会えなかったとも言える。

 植園花楓は既に、植園花楓ではなくなっていた。──吸血鬼になっているようだった。

 艶やかな長い黒髪を三つ編みにし、人形じみた可憐な顔には何の感情も浮かんではおらず、アーモンド型の瞳は、血のように赤い。

 人間であったなら五十手前くらいになっていたかもしれないが、黒いセーラー服風のワンピースを纏うその姿は、私と変わらない年頃の、十代半ばくらいに見える。

 彼女は、私の姿を目にすると、無表情のままに小走りで目の前までやってきて、何の警戒もせずに、私の顔を小さな両手で包んできた。


「……似てる」


 信じられないとでも言いたげな声だった。だが、それは私の台詞でもある。似ている。私と彼女の顔はよく似ていた。

 それもそのはずで、私と彼女の父親は同じ人物。彼女を置いて家を出た、この家の当主であった植園一樹は、私の父親でもあるのだ。


「はじめまして、姉さん。私達は、父親が一緒なんですよ」


 そう挨拶すると、彼女の瞳から一滴、涙が溢れていく。液体ではなく、涙の形をした赤い結晶。吸血鬼が流す涙はそのようになっているのだ。

 彼女はゆっくりと、首を横に振った。


「カエデ、貴方のお姉さんには、なれないかも。カエデはもう、人間じゃないから」


 カエデ・グレンヴィル。それが、吸血鬼としての彼女の名前だそうだ。


「……人間じゃなくなったとしても、同じ父親から生まれたのだから、貴女は私の姉ですよ」


 そう言ってやると、うっすらと彼女は笑った。その顔は父親を思い出す。彼が愛する吸血鬼にだけ見せた顔に。そんな顔、私や弟の夏樹ナツキには見せたことがなかった。

 彼女は後ろを振り返る。さてそこには、私を彼女の元まで案内してくれた男が控えていた。

 黒いワイシャツに黒いスキニーパンツ、後ろで一つに縛られた黒く長い髪と、どこもかしこも黒くありながら、一点だけ、瞳が赤い。その男も吸血鬼らしい。

 アスター、と彼女は男を呼んだ。男は少し遅れてはいと返事をする。聞いただけで泣いていることが分かる声。男は彼女以上に泣いていた。


「何で、アスターが泣いているの?」

「カ、カエデに、家族がまだ、残っていたのかと、思うと、私は、私は……!」

「アスター、何を言っているの?」

「──オレもお前も、とっくにカエデの家族だろうが」


 その場には、私と彼女と男以外にもいた。彼女や男と同じく、吸血鬼であり、そして──我が家にいる吸血鬼、アヴィオール様と同じく、生首にされた者。

 生首は男に抱えられていた。男が流す涙はほとんど生首に当たっているようで、痛くないのだろうかと少し思ってしまった。

 その生首は、黒々とした髪が中途半端に伸び、顔の左側が髪で隠れ、左目が見えなかった。それでも、ほんのりうんざりしたような顔をしているのは分かる。


「でも、でもですよ。血の繋がった家族というのも、それはそれで、良いではないですか……!」

「……まあ、そうだな」

「……アスター、涙脆くなったね」


 彼女はそう言いながら、私の顔から手を離し、ゆっくりと、自分の腹に──食べ過ぎとは思えないほどに膨らんだ腹にそっと当てる。


「叔父さん、になるのかな。貴方が、カエデの弟、なら」

「……姉さん」


 彼女はどうやら、妊娠しているようだった。

 自分とそう歳の変わらない、セーラー服姿の少女の妊婦、というのは、少し心を落ち着かなくさせる。それが腹違いの姉ともなれば尚更だ。

 彼女はそんな私の心中など気にもせず、男と生首の元に行く。そして、私の方を見ながら、彼女は口を開いた。


「この男の人がアスターで、アスターにだっこされているのが、シャムロックだよ。ねえ、貴方の名前、聞いてもいい?」

「……植園、春花ハルカ

「春花、だね。お腹は空いてる? もう夕方だし、一緒にご飯食べようよ」


 私は断らず、共に食事をすることにした。何が出されるのかと思ったが、まるでレストランで出てきそうな、美味しそうなハンバーグがテーブルに置かれた。トマトソースが掛けられ、カリフラワーやポテトが添えられてあった。

 味も大変美味しく、夏樹の分も作ってほしいと思ってしまった。さすがに図々しいだろう。

 男と彼女は私と同じ料理を口にし、生首は私達が食べ始める前に、男の手首に噛みついて吸血していた。


「シャムロックの食事はこうなの。血以外のものは飲み込めないんだ」

「同じ吸血鬼同士なんですよね?」

「吸血鬼同士でも、血を飲むことはできるみたいだよ」


 そういうものなのかと、余裕があれば手帳に書こうとその時から思っていた。こうして無事に書けて良かった。

 会話は弾んだ、のかは分からない。私はあまり多弁な人間ではないし、姉である彼女もそのようで、男がとにかく場を盛り上げようと話をし、生首から喋り過ぎだと注意されていた。

 そんな風に夕食を済ませ、今日の所は帰ろうと思ったが、泊まっていけばいいと全員から言われた。


「もう遅いよ。今日は泊まっていったらいいよ」

「子供が外をうろついていい時間ではないだろう」

「部屋は余っているので、お使いください。これでも毎日、掃除はしていますので!」


 人が良いという言葉を、はて、吸血鬼に使って良いものか。

 夏樹のことを考えると帰りたかったし、これを書く前にスマホで連絡したら文句を言われた。俺も泊まりたいだの何だの。全く、遊びで来たわけではないのに。

 この展開は都合が良い。血の繋がりがあるというアドバンテージがこのように働くとは。

 彼女も男も生首も、私に対して友好的。この顔が彼女に似ているからというのもあるだろう。助かった。

 焦りは禁物。期限はないのだ。ゆっくり、ゆっくりと──彼女に探っていこうと思う。

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