名前のない路地にて

kusyami

高校生活は、短い。

 Y高校に入学して2週間が経った。

 これは到底信じがたい事だが、高校生になったからと言って自動的に自分のステータスが一新されたり、突然新しいアビリティやフィールド効果が開放されたりする訳ではない。せいぜい通う校舎とカリキュラムと、従うべきルールが変わっただけに過ぎないのだ。

 自分を変えるきっかけが出来たり、新しい事が出来るようになったりするのはほとんど自分のおかげでしかない。何も変わらないのであればそれは自分のせいだという事になる。

 少なくとも私達が住んでいる世界ではそういう事になっている。それが良い事か悪い事か、正しい事か正しくない事かについては良く分からないし、今の所は興味が無いので触れずにおく。


 そんな事を考えていたら帰りのホームルームが終わった。教室内の雰囲気は入学当初に比べて幾分落ち着いて見えた。クラスメイトのほぼ100%が、ふわっとした雰囲気の中でお互いがある種の“探り合い”に興じる期間が終わり、いくつかのグループが作られつつある。

 一番分かりやすいのは、れいちゃんを筆頭にしたいわゆる人気者とその愉快な仲間たちの集団。彼女の周りには常に4、5人の人だかりが出来ていて、その中心であるれいちゃんの社会的立場がひと目で分かる状態になっている。実際、こうしている合間にも人が集いつつある。入学早々にしてクラスのヒエラルキーは決したのかもしれない。

 あるいは部活仲間のグループ。早々に野球部に入った坂崎クンと他2人は登校や昼休みの時間に一緒にいることが多い。他にも似たような集まりがちらほらある。

 入学したての頃に仲が良さそうにしていた人達の中には、その頃とは違う人物と行動している人も見受けられた。多分席が近いとか同じ中学だったといった、薄いつながりでしか無かったのだろう。震え上がった小動物が身を寄せ合って外敵の襲来に備える、みたいな感じ。

 その場合は不思議なことに、新しく出来た友達同士でしかほとんど会話もしなくなる。けれどもこれは“軽薄”とか“残酷”とかそういう類のマイナスイメージで語るべき話ではない気がした。必然的にそうなった――ただ、それだけなのだろう。


 私の後ろの席からため息が聞こえた。小さな、しかし確実に私には聞こえる程度の音量で。私が振り返えると、いかにも“気分悪いです、自分”みたいな顔と目が合った。

「大丈夫?」

 私が訊くと、青ざめた顔面の持ち主である月宮さんが重々しく口を開いた。

「もう終わりよ」

「……はい?」

「今日部活が決まらなかったらおしまいよ……」

 月宮さんは両手で頭を抱えながらうつむく。

「“何者にもなれない者”のレッテルと共に、長く虚しい高校生活を送るはめになるのよ……」

 何かぶつぶつ呟きながら落ち込む彼女を見た私の胸中に、大げさだなあという気持ちと可哀想だなと本気で憐れむ気持ちとが同時にやってきた。

 あれ? その言葉は最近どこかで聞いたな――私は一瞬考え込んだ。すぐに答えが出た。昨日だ。思い当たった私の胸中は、大げさだなあという気持ちが100%になった。

「まあまあ、まだ部活なんて選びきれてない人たくさんいるよ」

 私が言うと、彼女は顔をあげて私を見る。

「それに体験入部だって始まったばかりだよ。私も入りたい部活探したいし、今日も一緒に見て回ろうよ」

 彼女の血色が見る見る良くなっていく。月宮さんは勢いよく立ち上がり、私の手をとって上下に激しく振り回した。仰々しく私に感謝の言葉を並び立てながら。

「ありがとう! じゃあ、早速今日も見に行きましょう!」

 私は目の前で好き勝手されている右手を割と早く返して欲しかったが、上手く言い出せずにいた。その要求の代わりに私は訊いた。

「昨日はソフトボール部だったよね? その前は美術部で、更にその前は確か剣道部に吹奏楽部――今日はどこにいく?」

「テニス部!」


 私はテニスに対して憧れに近い感情を持っていた。フォアハンドで繰り出される強烈な一撃、切れ味鋭いサーブ、息を呑むネット際の攻防を制する鮮やかなボレーショット……その全てがカッコいい。自分で打てたらさぞ気持ちいいだろうなと思った。

 私の思いとは裏腹に、体験入部中に私に渡ってきたボールがラケットに接することは一切無かった。完璧に、誇張なしに、見事にただの一度もボールを打つことが出来なかった。

 私は恥ずかしいというより、無性に悲しくなった。こうしてまた道がひとつ閉ざされ、私の人生における選択肢が狭まったのだ。

 逆に月宮さんは凄かった。未経験だという話だったが、フォアでもバックでも安々やすやすとラケットのスイート・スポットを捕らえて打てていたし、少し練習しただけでほとんど100%サーブが入るようになった。

 テニス部側としてもその才能の持ち主を見過ごせず、長い間、月宮さんに自分たちの部活の魅力をアピールしていた。「部員その1」「その2」「その3」と次々にプレゼンターが現れ、各々が方向性を微妙に変えながら代わる代わる彼女を説得する。最終的に副部長、部長とやってきたが、結局月宮さんは頭を下げ辞退した。

 彼女は運動神経が良い。運動部の体験入部はいつもこんな感じで終わる。なんだこいつ、と思わないこともない。


「ごめんなさい。付き合ってもらったのに今日も決められなくて」

 下校途中、私に向かって月宮さんは謝った。私はバツが悪くなる。

「気にしないでいいよ。決まらなかったのは私も同じだしね」

 私がフォローすると彼女はありがとう、と言って笑った。

「でも、もったいないと思うけどなあ。初めてであれだけ打てるんだし」

「う~ん……楽しかったのは事実だったけど決め手に欠けるというか、しっくり来ないというか……とにかく、3年間これで行こう、って思えなかったのよ」

「そんなものなんだねぇ」

「そんなものなのよ」

 私達がそんな会話をしながら長い横断歩道の前で信号待ちをしていると、少し離れた位置に小柄な生徒が見えた。見覚えのある横顔だった。あれは確か――と、思った矢先に信号が青に変わり、同時に月宮さんが話しかけてくる。

「今までの体験入部で気になった部活はあった?」

「え、そうだなぁ」

 私は歩きながら答えた。

「運動部は今日と同じような結果だったからどれも入りたくないなぁ。文化部もこれといって気になる部活、無かったなあ。唯一、吹奏楽部は面白そうだったけど……ああ見えて体育会系のタチみたいだし、向いてなさそう」

「それじゃあ、お互い明日に期待ね!」

 月宮さんはそう言って目を輝かせる。このやり取りはもう6回目くらいだった。私はそうだね、と相づちを打ちながら、さっき見かけた生徒の姿を探した。彼女はもういなかった。月宮さんが言った。

「そう言えば、さっき信号待ちの時に横にいた子、あの子も色々な所で体験入部してるわよね? 美術部と吹奏楽部と剣道部の時に見かけたわ」

「同じクラスの子だよ」と私が答えた。

「名前、なんていったかしら?」

永良ながらさんだよ、永良景子ながらけいこさん。私は一緒のクラスになった事なかったけど、私と同じ中学の子」

 私がそう答えると一瞬、妙に眩しくなった。駅前にある雑居ビルに反射した夕日が、どうやらそうさせているようだった。

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