第2話

 俺もスマホは持っている。

 動画サイトを見たり、SNSだってそれなりに使ったりしている。


 だけど、AIアシスタント「アリス」だけはどうにも使う気になれなかった。時代遅れと言われても構わない。自分の行動をAIに左右されるのが、なんとなく嫌なんだ。


 現に今だって――昼食が終わった後の教室で、話をしている生徒たちのほとんどがアリスの話題で持ちきりじゃないか。

 近くの席で話をしている男子たちの声が聞こえてくる。


「なあ、今日の放課後どっか遊びに行こうぜ」

「悪りぃ、アリスが今日は6時までに家に帰れってさ」

「アリスが言うなら仕方ねぇ、また今度な」


 反対側の席で女子たちが集まって話をしているが、それにもアリスが一枚かんでいる。


「今日の髪型カワイイ!」

「でしょ、アリスが提案してくれたの!」

「え、え、今日告白するんでしょ? うまくいきそうなの?」

「アリス的には……95%……らしいんだけど」

「まじ? もう勝ち確じゃん!」


 なんだよ、アリスは人間の恋愛にまで手を出すのか。もう近い将来、あなたに合う人はこの人ですとかいって、勝手に恋愛の相手まで決め出すんじゃなかろうな? そうなったら人間は完全にアリスに――AIに支配されることになるぞ。


 俺は勝手に未来を危惧しながら、教室を出た。アリスありきの会話にりしたというのもあるが、どうもじっと座ってばかりいるのもしょうに合わない。


 食後すぐの運動はよくないのはわかっている。しかし、このモヤモヤした気持ちは体を動かさないと払拭できないと思ったのだ。


 階段を降り、廊下を歩いて、俺は一階の渡り廊下までやってきた。

 教室にいたときには聞こえなかったクマゼミの声が、いつもに増して激しく聞こえてくる。


 この先は職員室や事務室のある第二校舎へと続いているから、特別な用がない限りは足を運ぶことはない。もちろん俺は職員室へ行こうとしているわけではない。


 ここの校舎と校舎の間に作られている中庭に用があるんだ。


 緑の芝生の中心に、大きなケヤキが真っ直ぐに幹を伸ばして立っている。葉は縦にも横にも生い茂り、日の光を余すところなく浴びようとしているかのようだ。


 ケヤキの脇に、さりげなく置いてある木製のベンチ。


 いつもは誰かがこの木陰で読書をしたり、談笑したりする姿が見られるのだが、この暑さの中で外に出て過ごそうとする生徒は誰もいなかった。


 冷房の効いた教室で、アリスを活用しながらおしゃべりに講じた方がいいと判断しているのだろう。いや、アリスがそうさせているのかもしれない。「熱中症警戒アラートが発令中です。本日は外に出ずに教室で過ごしましょう」とでも言って。


 じゃあ俺は、アリスの言葉に反して、夏の暑さと戦おうではないか!

 上履きのままではあったが、俺は気にせずに中庭へと一歩踏み出した。


「――っ! あ、あちぃっ!」


 日陰から出た瞬間、むわっとした熱気が立ち上がる。日差しが俺の肌を刺す。思わず声を出してしまったが、俺はベンチまで歩いた。たった十数歩の距離だというのに、全身から汗が噴き出す。夏の真昼はヤバイ。みんなが外に出てこないわけを身に染みて感じた。


「だが……俺は……負けないっ!」


 ベンチまでたどり着くと、俺は背中をつけて寝そべった。背中の汗にシャツが張り付くが気にしない。足を曲げて、膝の角度が直角になるように調整し、かかとに体重をかける。両手を頭の後ろで組んで、腹筋の準備完了だ。


「ふん! ふん!」

 息を吐きながら、俺は腹筋運動を繰り返した。


 AIに……アリスに頼ってばかりではダメだ!

 自分で考えて行動するんだ!

 AIに支配されてしまうぞっ!

 筋肉は自分を裏切らないっ!


 心の声が、俺の腹筋運動を応援している。


「ふん! ふ……んっ!」

 29回目の腹筋が終わったときだった。渡り廊下に人の気配を感じて、ふと俺は視線を向けた。


 すると、荷物を抱えてこちらを見ている女子生徒と目があってしまった。


 吸い込まれそうな大きな瞳。整った顔立ちは女優かと思うほど美しかった。

 シンプルなポニーテールでありながらも、耳の前に下ろしている前髪がたまらない。他の女子生徒と同じ制服を着ているはずなのに、立っているだけで優雅に見えてしまうのはなぜだろう。


 こんな美人な女子生徒が英藍えいあい学園にいたなんて。まるで物語の中から抜け出してきたかのような、端正な外見からしばらく目が離せなかった。


「おーい、十六夜いざよい! こっちこっち!」

 第二校舎の方から先生の声が聞こえた。

 女子生徒が声のした方を向く。横顔もまた、非の打ちどころのない美しさだった。

「はーい、今行きます!」

 十六夜と呼ばれた女子生徒は、こちらを振り返り軽く微笑むと、第二校舎の方へと足早に歩いていった。


「……」


 俺はしばらくベンチの上で固まっていた。


 荷物を持っていたということは、恐らく先生に頼まれて手伝いでもしていたのだろう。

 つまり、しばらくここで待っていればもう一度通りかかるのではなかろうか。

 ああ、もう一度あの女子生徒に会いたい。できれば話もしてみたい。


 俺は昼休みが終わるまでベンチで腹筋をしながら彼女を待っていたが、会うことは叶わなかった。

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