#5 現地人との遭遇 後編
らんかの背に揺られながら、私はマシュと出会った時のことを思い出していた。
今から二十年程前、私が守護天使をやっていた世界に魔王が誕生した。
私は世界を管理する者として、勇者の素質を持つ者を選び、魔王を討伐させることにした。
そうして選んだのが、マシュだったのだ。
当時マシュが暮らしていたのは、昼間でも薄暗い深い森の中。早くに両親を亡くした彼女は、ここにある古びた屋敷に一人で暮らしていた。
「――はぁ……面倒ですね……」
ため息を漏らしながら、マシュの元へ向かっていた。木々が生い茂っているせいで視界は悪く、足元には木の根がうねっているため歩きにくい。マシュの家の前に転移してくるつもりだったけれど、少し座標を間違えて森の中に出てしまったのだ。
嫌になりながら、私は森を進んでいた。不意に、背後から何かが迫ってくる気配を感じた。咄嗟に後ろを振り向くと、そこには耳障りな羽音を立てて飛んでいる巨大な蜂の魔物がいた。
普通の人間が刺されたのなら決して無事では済まないであろう大きく鋭い針を私に向けて、襲いかかってきた。
「ひっ……」
私は腰を抜かして、その場にへたり込んだ。今でこそ平気だけれど、当時の私は虫が大の苦手だった。カブトムシとクワガタ、それから蝶はギリギリセーフ。それ以外の虫は全部アウト。中でも、蜂は私が特にダメな虫ランキング第五位にランクインしていた。普通の蜂でも遭遇したら身体が動かなくなってしまうのに、魔物化した蜂の相手なんてできるわけがなかった。
蜂の魔物は。辛うじて防御魔法だけ展開して動けなくなった私の背後に回り込むと、首筋を針で刺そうとしてきた。
魔法壁に針が弾かれるが、巨大蜂は諦めない。不快な羽音をブンブンと鳴らしながら、何度も魔法の壁に攻撃を仕掛けてきた。
魔法壁にはほぼダメージはないものの、蜂がここに居座っているせいで、私はその場から動けずにいた。
そろそろ諦めてどこかに行って欲しいんですけど……。
そんなことを考えながら、視界に蜂を入れないように、固く目を閉ざした。不快な羽音が聞こえないように、強く耳を塞いだ。
そうやって蜂がいなくなるのを待っていると、やがて蜂の攻撃が止まった。
やっと諦めてくれたんですかね?
恐る恐るまぶたを開くと、目の前にいた蜂が光の刃に貫かれて地面の上でもがいているところだった。
突然の事に呆気に取られていると、
「大丈夫かい?」
やや低い落ち着いた雰囲気の少女の声が聞こえてきた。
その声の方に目を向けた。そこにいたのが、マシュだった。
マシュは腰を抜かして動けない私を背負って、自分の家まで連れ帰ってくれた。そこで私はマシュに事情を話し、勇者になってもらった。そこから、私達の冒険が始まったのだ。
そんな風に、らんかの背の上で思い出に浸る事、五分程。私達はらんかのテントにたどり着いた。
「お腹空いてるんすよね? 今準備するから、ちょっと待つっすよ」
テント脇に置いてあった折り畳み式の椅子の上に私を降ろして、らんかが告げた。
「うん。悪いわね」
椅子の背もたれに全ての体重を預け、溶けたようにだらしなく座った。ろくに動けないので、目の前にあるテントをなんとなく観察してみる。私の世界のテントは厚めの布に溶かした蝋を塗り込んだものを使っていて、ごわっとした質感だけど、らんかのテントは薄くやや光沢があり、さらっとした質感だ。
こっちの世界のテントは、私の世界のテントと比べて脆く見える。これで長旅は難しいんじゃないだろうか。
「……ねえ、らんかはどこに行くところなの?」
私の質問に、らんかはケトルでお湯を沸かしながら首を傾げる。
「ん? えっと、どういう意味っすか?」
「ここにテントを張ってキャンプしてるってことは、旅の途中なんでしょ?」
「別に旅なんてしてないっすよ。まあ、強いて言うならこのキャンプ場に来るまでが旅ってことになるんすかね。片道二、三十分っすけど」
「短っ! というか、何? キャンプする為にここに来たってこと? あなた、変わってるわね」
「変わってるっすかね? 普通だと思うんすけど……というか、シエルちゃんもキャンプする為にここに来たんじゃないんすか?」
らんかは、何を言ってるんだとでもいうように苦笑した。いや、その反応はおかしい。私のリアクションじゃないの、それ。遠くに行くわけでもないのに、キャンプだけしに来る奴なんて相当な変人しかいないと思うんだけど。
それとも、この世界はキャンプが娯楽にでもなっているのだろうか。
「それに変わってるっていうなら、シエルちゃんの方っすよ。そんな魔法使いのローブみたいな服でキャンプにくるなんて。コスプレキャンプイベントとかでもない限り、そうそういないっすよ」
「こすぷれ? 何言ってるかよくわからないけど、こんな格好なんてその辺にいるでしょ? 私からすれば、あなたが着てる服の方が変わってるわよ」
「カーディガンとジーンズを着てる人なんて、それこそそこら中にあふれてるじゃないっすか」
らんかの言葉に再び言い返そうとした時だった。
ぐぎゅるるるるるるる。
私の腹の虫が、一際大きく鳴いた。
「ははっ、ずいぶん大きなお腹の音っすね。そんなにお腹が減ってるんすか」
「うるさいわね。その通りよ」
と、今度はケトルからしゅんしゅんと音が鳴り出す。
「お湯が沸けたっす。あとはこれを……」
らんかはカバンから封がされたカップを取り出した。そのふたを半分だけはがして、中にお湯を注ぎ込むと、もう一度、ふたを閉じる。ふたの隙間から、スパイスのような香りがふわっと漂ってきた。
「シエルちゃんの国にカップ麺ってあったんすか?」
「いや。初めて聞くわ」
「じゃあ、今日はシエルちゃんのカップ麺記念日っすね。あと三分で出来上がるから、もうちょっと待ってるっすよ」
らんかはそう言って無垢な微笑みを向けてきた。その笑顔が記憶の中のマシュと重なって、別人だと理解しているのに、どうしてももにょっとした気持ちになった。
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