第15話 もういい


 厄介事万請負所所長のメモによるとエディル=テミラーナは学校を卒業後設計士に弟子入りし若干二十歳で設計士として独立。

 二十三歳でサーシャ=フォルビアと恋に落ちすぐに結婚。

 二十四歳で一人息子のトーマスが産まれ二十七歳でリディアが誕生。

 三十歳で開発区の大々的な計画のメンバーに選ばれた。

 建設組合の者達に反感を買うような強引なやり方で土地の買収や立ち退きを進め、仕事を横から奪うような形もしばしば。


 娘の誘拐事件が起きてからは強引な手段を控え開発区からは手を引き、現在ではスラムの住環境を善くするために動いているらしい。

 仕事を奪われて失業した者たちの数は二十人強。そのうちの誰もが誘拐を企てるのに十分な怨恨を持っていたともいえる。


「うーん。どうして事業を拡大しようとしてたんだろう」

「そりゃ金と成功が欲しいからだろ」


 ぽつりと呟いた声に答えを返した者がいた。


 いつの間に隣を歩いていたのか解らないがメモを届けに来たライカだった。

考え事をしていても隣を同じ速度で歩かれていればさすがに気づくはずなのに。


 驚いて右隣を見上げると腕を組んだまま足音も立てずに歩いている。気配も息遣いさえも無い。


「それは恨まれてまで欲しいものかな?」


 ノアールは知識の通りを抜けて昨日倒れた広場へ出る道で少し速度を落とした。

メモを開いてエディルの設計事務所の場所を確認する。


 時計通り三丁目とあった。

 それならば市場を通って湾岸地区へ一旦出てから時計塔の方へ行けばいい。


「エディル=テミラーナにしたら怨まれてでも欲しかったんじゃねえか」

「どうして?」


 生まれも育ちもディアモンドのライカはノアールより詳しいだろう。

 さっきまでの速度で広場を迂回する緩い坂を登りきり市場へと足を踏み入れる。

 潮の香りが強くなり、真っ直ぐ海へと向かう道の先に堤防と船着き場がちらりと見えた。


 停留してる帆船の帆と柱が倉庫群の向こうで光と風に輝いている。


「結婚相手がオルキス=フォルビアの娘だからに決まってんだろうが」

「オルキス=フォルビア」


 悪いがディアモンドの権力者には疎い。

 ディアモンドだけでなく権力自体に興味が無い為に他の街や国の権力者の名もよく解らないのだ。


 おそらく兄たちなら知っているのだろう。


「なんだ?お前そんなことも知らねぇのか?」


 呆れたような言い方にノアールも居心地の悪さを感じた。

 遅くまで外で遊び回り勉強などしたことが無いように見えるライカすら知っている街の有名人だと思うと、知らない自分がひどく無知なようで恥ずかしい。


「元々古い名門の貴族で法務大臣の補佐官を務めた男だ」

「法務大臣補佐」


 その名門貴族の娘を妻に迎えたエディル。

 一介の設計士ごときが結婚できる相手ではないだろう。


 そのために成功と金を手に入れて認めてもらいたかったのか。


 それとも見返したかったのか。


「今では城で教育係をしているとかいってたな」


 王の近くで仕事をしているということはよっぽど信頼されているのだろう。

 法に関する仕事を長くしていたのだろうからとても厳格で貫録のある傑物を想像し感嘆のため息をもらす。


 ライカが「こっちの方が近い」と道の途中で橋の方へと曲がる。川は街を北から南へと縦断する川で、王城の真下を流れていると聞いた。城に攻め込まれても地下水路から川に入り、湾岸まで無事に逃げ延びることが出来るようになっているらしい。


 その川をライカの後ろについて渡ると小さな雑貨屋や事務所、食堂や共同住宅が立ち並ぶ雑多な雰囲気の場所に出た。市場からの活気からくる騒々しさが消え、どこかひっそりとした感じの所で落ち着く。


「ここだな」


 時計塔の方へ幾つもの角を曲がりようやくライカが足を止めた。

 一階はパン屋と印刷所があり、左端にある外階段が二階へと続いている。その階段入り口に『住環境改善事務所テミラーナ』と看板が目立たないようにかけられていた。


 狭い階段を上ると三人立てばいっぱいの踊り場があり、深い緑の扉が二つ並んでいる。

 手前の扉に下で見た同じ看板が掛けられており、隣りは空いているのか『入居者募集』という張り紙がしてあった。


「こんにちは」


 ノックをしてから声をかける。

 下のパン屋から良い匂いが漂ってきて胃がきゅうっと鳴った。


 そういえば朝食も昼食も抜きだ。帰りに寄ってみようかなと考えていると緑のドアが内側に開けられる。


「どう見ても仕事の依頼人には見えないが」

「いや、あの」


 出てきたのは四十代初めの男だった。


 栗色の髪に扉と同じような緑の瞳で、鼻の下と顎によく手入れされた髭がある。

着ている開襟シャツは上等なリネンでゆったりとしたシルエットだ。それを無造作に腕まくりしてさっきまで書き物をしていたのか右手はインクで汚れた跡があった。


 じろじろと不躾に見るのではなく、さりげなく視線を走らせてノアールを検分すると怪訝そうな顔をする。


 しどろもどろになりながら自分の名を名乗り、リディアのクラスメイトだと告げてから彼女の事件の事で話が聞きたいとお願いすると中へ入れてくれた。


 薄暗い廊下を行くと突き当りの部屋に大きな机があり、そこには沢山の紙が拡げられている。

 大量の資料が壁に幾つも貼られ、窓以外は隙間が無く、腰の高さまでの棚の中には建築関係の本が並べられていた。


「こちらへ」


 呼ばれて部屋から目を逸らし、途中にあった扉へと向かった。

 そこは応接間と小さな簡易台所があり、エディルは二人の為に茶を煎れてくれている。


 その後ろ姿は細いが肩幅はがっしりとしていた。陽に焼けた肌もどこか若々しさを感じさせる。リディアとはあまり似ていないというのが第一印象。だが理知的で穏やかな風情に昔の野心家の面影はどこにもなかった。


 エディルは両手にカップを持ち、向かい合わせで設置されているソファーまで来て二人の前に置く。

 それから座り微苦笑を浮かべたまま口を開いた。


「マーサが昨日リディアの友達が訪ねてきたと言っていたが君のことかな?」

「はい、わあっ」


 ミントティが出されてノアールは思わず歓声を上げてしまった。爽やかな香りと飲んだ後すうっとする感じが好きなのだ。


 まさかハーブティが出されるとは思っていなかったので手放しで喜んでしまった後で慌てて「ありがとうございます」と礼を言う。それから訪ねて行ったのは自分ともう一人セシルという女子がいたことも伝える。


「詳しく事件の話を聞かれたと言っていたがどうしてだい?」

「リディアの呪いを解くために協力すると約束しました。そのためには犯人を特定する必要があります」


 話を逸らされたりしないように真摯な態度で目の前に腰を下ろしているエディルを見つめる。その瞳を受け止めたまま身動きせずに黙り込む姿に怯みそうになるが堪えた。


 なんとしてでも犯人を見つけなければならない。


 マーサはエディルが犯人の目星がついているようだといっていた。それにやはり恨まれていた本人が一番心当たりがあるはずだ。


「あれは魔法なんかじゃない。暗示です。それを解くにはリディアがかけられた時に使われた鍵となる言葉を思い出すか、新しい暗示で打ち消すしかないんです。でも辛い記憶をできれば蒸し返したくない。リディアが苦しまないで暗示を解く方法は、犯人に鍵となる言葉を教えてもらえばいい。だから」

「教えてくれるとは限らないだろう?」

「それは」


 口籠ったノアールにエディルは疲れたように微笑んで見せた。そして「呪いではなく暗示だとよく解ったもんだ」と呟く。


 その口調は初めから知っていたと窺わせるに十分な物だった。

 きっと家族内では周知の事実なのだろう。


 リディアだけが呪われていると信じている。

 なんだか滑稽で悲しい。


「君が娘を心配してくれるのは有難いと思う。でもね。もういいんだよ」

「もう、いい?」


 聞き返すとエディルは首肯して重い腰を上げて立つ。

 どこか肩の荷が下りて脱力した感じの立ち姿だ。


 そしてゆっくりと諭すような口調で「もうすぐ全てが終わる。だからこの件からは手を引きなさい」と告げた。


「でも」

「私は仕事があるので失礼するよ。お茶は飲んだらそのままにしておいてくれていいから」


 それ以上の追及は許さないという態度でエディルは応接間を出て行き、突き当りの仕事部屋の方へと去って行った。


 全てが終わるとはどういうことだろうか。

 リストまで行った紅蓮に何か関係があるのだろうか。


 頭の中で紅蓮が言った「守秘義務がある」という言葉が浮かんで消える。


 納得ができずにいるノアールの隣で茶を飲んだライカが「なんだこれっ」と素っ頓狂な声で顔を顰めた。


 どうやらハーブティは口に合わなかったらしい。思考を遮られてノアールはカップを取り口に運ぶとほっと息を洩らした。

 ミントティはどこまでも爽快で心を解す。だがここでほだされてしまってはいけない。なんとしても犯人を捜さなければならないと強く思い直し次の行き先を決定した。


「厄介事万請負所だ」


 飲み干してから決心が鈍らないうちに出発した。

 確か歓楽街の中に事務所があると聞いている。

 そちらへと向かう前に一階のパン屋で焼き立てパンを購入してライカと歩きながら食べた。


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