3/8 夜道
商店街の外のホームセンターまで足を延ばして、ウォークくんを塗り直すためのペンキを色々探していたら、結構時間が掛かってしまった。商店街の南口のバス停についた頃には、もうすっかり暗くなっている。
降りてから、速足で帰路につく。そこへ、自分の後ろから、自転車のライトの光が投げられた。ふらふらと、初めて自転車に乗った人のような危なっかしい動き方をしている。
もしかして、と思って振り返ると、思った通り、その自転車に乗っているのは郵便局の局長さんだった。今日は喪服のスーツ姿で、黒髪黒目の普通の男性に見えるけれど、彼の正体は死神だと、商店街のほとんどの人が知っている。
局長さんも、僕に気付いたようで、すぐ横にブレーキを踏んで止まった。その瞬間、自転車の後輪が浮くぐらいに前のめりになり、そのまま転んでしまうのではないかと、ヒヤッとする。
「
「ホームセンターで、ペンキとか買っていたんです」
局長さんは、さっきの危なかった瞬間などなかったかのように、平然と聞いてくる。こっちはまだドキドキしながら、持っていた袋を掲げた。
「ウォークの修理に必要なものか。熱心なのはいいが、時間も気にしないと。俺がゲートまで送っていくよ」
「すみません、ありがとうございます」
こうして、自転車を押す局長さんと並んで歩きだす。僕はもうすぐ大学生だけど、局長さんから見たら、まだ子供なんだと分かって、少しこそばゆい。
「局長さんは、どうしたんです」
「仕事で、あっちに行っていた」
「自転車で、ですか?」
「別に自転車は必要ないんだが、練習がてら」
局長さんが話す「あっち」とは、あの世のことらしい。そこがどんな場所なのかは、一言も言ったことがない。
それよりも、こんなふうに定期的に練習しているのに、自転車が全然うまくならないことが気になる。局長さんが、商店街の郵便局に赴任してきたのは八年前で、その時に初めて自転車に乗ったとしたら、あまりに下手すぎるのでは……。
「ウォークの再起動、十一日にするんだな」
「へ、あ、そうです」
失礼なことを考えていたので、急に話しかけられて、びっくりした。それにしても、まだチラシとかで報告していないのに、もう広がっているのかと思うと、いつものことながら、ちょっとびっくりする。
「夕方の五時に行う予定です」
「それなら、郵便局も閉まっているから、俺も顔だせるな」
「あ、はい。ぜひ見てください」
こういう行事に、局長さんが参加するのは珍しい。商店街の一員とはいえ、局長さんとは少し距離があるように感じていたからだ。「死神だから」だと勝手に思っていたけれど、それとは関係ないくらいに、局長さんにとってもウォークくんは大切なんだろうか?
また考え込んでいると、商店街の南口ゲートが見えてきた。あと数歩で、あそこをくぐるのだというタイミングで、歩いたまま、局長さんが声をかける。
「明」
「はい。なんでしょう」
「お前は今、幸せか?」
驚いて、局長さんの横顔を見た。あまりに唐突な質問だけど、それを発した本人の気持ちは、いつもの仏頂面からは汲み取れない。
「……えっと、幸せです。ウォークくんの修理は楽しいですし、これから、
「そうか」
足を動かしたまま、局長さんは、ふっと小さく息を吐いた。
「それは良かった」
口にしたと同時に、局長さんが微笑んだ。初めて、彼の笑みを見たので、僕は立ち止まりそうになる。
しかし、次に僕を見た局長さんは、普段通りの仏頂面に戻っていた。今の笑顔が、幻だったかのようなくらいの切り替えだった。
「じゃあ、俺はまだもうちょっと練習してくるから」
「……は、はい」
「修理に夢中になって、徹夜とかすんなよ。若いからって、無茶は禁物からな」
「ありがとうございます」
死神らしいのからしくないのか、よく分からないアドバイスをして、局長さんは自転車に跨った。ふらふらしたまま、ギリギリ転ばないように、自転車を漕いでいく。
僕は、商店街の南口ゲートの前で立ち止まっていた。そこからは、温かいオレンジの光が零れ落ちているけれど、局長さんの向かう先は、街頭や家の明かりも少ない、少し暗めの道だ。その対比が、やけに寂しかった。
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