3/5 質問


 いつもの商店街、変わらない昼下がり。なのに、なんだかふわふわしているように見えるのは、僕自身がふわふわしているからだろう。

 そんな気持ちで、商店街の中にある巨大な本棚型のモニュメント・ブックタワーを通りかかると、すぐそばから「あれ?」と声を掛けられた。真横を見ると、小学生くらいの男の子が、僕のことをきょとんと見上げている。


「どうした、あける。月の上を歩いているみたいな感じだぞ」

「……ああ、精霊君か」


 大人びた口調で、詩的な言い回しをしてくる彼の正体は、ブックタワーの精霊。このブックタワーの分身で、この男の子のような姿は、今、僕にしか見えていない。


「さっき、大学の合格発表を見てきたところなんだ。受かっていたよ」

「おー、おめでとう」


 心から祝福するように、拍手をしてくれた。精霊君は、よく子供の姿になるから、忘れそうになるけれど、実際は僕よりも年上だ。昔から、成長を見守ってきた子が大学合格して、近所のおじさんのように喜んでくれている。


「ありがとう」

「良かったなぁ。今日はご馳走か?」

「うん。焼肉だって」


 一緒に合格発表を見に行った母は、南口近くの精肉店に立ち寄った。僕は何だかそわそわして、一足先に帰ろうとしていたところだ。


由々菜ゆゆなも知っているのか?」

「さっきメールして、すぐに返信が来た。喜んでいたよ」

「そうか……来月から、明も由々菜も大学生か……。本当、時が経つのは早いな」


 精霊君がしみじみするのは分かるけれど、自分よりも年下の子供の口から出る言葉としては、すごくシュールだ。そういえば、ブックタワーは戦後の復興のシンボルとして建てられたんだったっけ、と思い出して、あることが気になった。


「精霊君は、どうやってブックタワーの精霊になれたのかな?」

「どうやってって、これはもう、偶発的なことだからなぁ。長いこと大切に扱われたこと、『形見の本』が集まっているという特殊性がうまく噛み合って……正直、俺も説明が難しい」


 精霊君は、自分の両手の指を組み合わせたり、外したりして、教えてくれようとしたけれど、最終的には渋い顔をして、首を振った。

確かに、このブックタワーはご近所の人たちが、大切な人の形見の本を預けて、成り立っている。そんなモニュメント、僕は他に聞いたことがなかった。


「やっぱり、精霊が誕生するのって、難しいんだね」

「パターンは色々あるが、少なくとも百年はかかる。俺の場合は、かなり特殊なケースだから、あまり参考にならないだろうな。けど、どうして急に精霊の話なんて……」


 僕に訊き返そうとした精霊君は、はっとした表情になり、言葉を変えた。


「……ウォークと関係あるのか?」

「そうだね」


 精霊君は、視線を時計店の方に向けた。ここからでは分かりにくいけれど、ウォークくんは修理のため、店先ではなく、物置部屋に置いてある。


「……物に精霊が宿るのが、一番ハードル高いんだよな。けど、ウォークはずっとこの商店街を見守り続けていたし、それは達成できると思う。遠い未来かもしれないが」

「……うん、ありがとう」


 はっきりとは言わなかったが、精霊君は、その瞬間、僕や由々菜はここにいないんだと伝えたかったようだ。最短で百年かかるのだから、当然だと思うのだけど、精霊君の気遣いが少し嬉しい。

 ふと、精霊君が僕の方に目線を戻した。口元に、幼い顔には似合わないようなニヒルな笑みを浮かべている。


「俺からも、質問、いいか?」

「いいよ。何かな?」

「もしも、目の前で子供が車に轢かれそうになっていたら、助ける?」

「……」


 普通に、ウォークくんか、大学進学についての質問だと思っていたので、一瞬思考が停止してしまった。

 一体どういう意図の質問なんだろうか。精霊君の顔を伺ってみると、ニヒルな笑みは口元に残したまま、しかし、目は真剣にこちらを見つめ返していた。


「もちろん、助けようとするよ」

「そうだな、それが理想だよな。けど、いざとなったら、体は動かない」

「まあ、そうかもしれないね……」

「ただ、そうなっても、俺は明を責めないよ」


 急に、彼の口調が優しくなった。ありがとうと言おうとすると、今度は目線を下に向けて、ポツリと呟く。


「俺も、出来なかった」

「……」

「形見の本という特性のせいだろうな、俺は、『存在すること』にこだわっている」

「……」


 言っている言葉の一ミリも分からなかったが、僕は黙ったまま頷いた。顔を上げた精霊君は、へらっと相好を崩す。


「めでたい日なのに、長々と引き留めて、変な話をして、悪かったな」

「いいよ。気にしていない」

「ほら、おふくろさん、来てるぞ。今日の主役とはいえ、手伝った方がいいんじゃないか?」

「あ、そうだね。じゃあ」


 精霊君が、南口の方を見ると、彼の言う通り、僕の母が買い物袋にはみ出すぐらいの肉を運んでいた。このあと、野菜も買うだろうから、もっと大変になるだろう。

 僕は、片手を振って、精霊君の下から離れた。精霊君も、手を振り返す。母と合流して、ブックタワーの方を向くと、もうその姿は見えなくなっていた。

















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