夢遊び(1話完結)

藍玉カトルセ

第1話

 若草色の木々が生い茂る獣道を歩き続けている。 

 本当は歩を進めるべきではなかったかもしれない。 

 扉を開くことを躊躇ったままにしておくべきだった。 

 それでも、小鳥のさえずりが、差し込む木漏れ日の暖かさが手招きしている。 

 こっちだよ こっちにおいで、と。 

 いつにも増して、このときばかりは胸の鼓動がやけにうるさく聞こえた。


 ◆ ◆ ◆


 昨晩、いつものように夢遊びをしていた。 

 10歳の頃から、突然変異の如く会得した超能力の夢遊び。 


 君は、明晰夢というものを見たことはあるだろうか。 

 夢を見ているとき、自分が夢を見ていると自覚し、夢の内容をある程度コントロールできるようになる状態のことだ。 

 僕は、その明晰夢をどんなときでも見ることができる。 

 自由自在に夢の内容を変えることだってできるし、悪夢になりそうな先の展開を食い止めることも可能だ。


 それをいつからか「夢遊び」と呼ぶようになって、毎晩のように好きな夢を見ては恍惚とした気分に浸っている。 

空に架かる虹の橋を全速力で走る夢、お気に入りの本の世界で主人公と冒険する夢、サーカス団と共に旅をして大道芸を披露する夢、美しい庭園を散歩する夢…数えたらキリがない程、僕はこの夢遊びの力を使うことに入り浸っていた。


 毎日、夜が来るのが楽しみで仕方がなかった。 

 ずっと、まさに夢のような日が続くと思っていた。


 でも、半年ほど前から奇妙なことが起こり始めた。 

 毎月、満月の晩になると、同じ夢を継続的に見るようになったんだ。 

 それも、そのときだけに現れる不思議な夢。


 ◆ ◆ ◆


 僕は、忘夢の森と呼ばれる場所にある大きな遺跡の前に立っている。 

 遺跡は、巨大な4つの岩が東西南北にそびえ立っていて、中央に硝子細工の薔薇が結晶の中で咲いていた。 

 色は白と黒、それから灰色だった。 

 それぞれの割合がどれ位なんて分からないけど、とにかく凄く無機質な感じなんだ。 

 近づくとパリン、と乾いた音を立てて一枚一枚の花弁が散っていく。 

 岩石で出来た地面には重なることのない花弁が無数に広がっている。 

 暫くすると、一枚だけ、虹色に光り輝く。 

 今まで見たどんな七色の彩よりもまばゆく、儚そうに。 

 そっと屈んで、両手で掬うと花弁の鋭利な切っ先が右の掌に一筋の傷を作る。 

 傷はだんだんと広がって文字に変化していく。 

 「1936.11.25」 

 この日付がくっきりと掌に記された瞬間、全身が黒い茨の棘で覆われて身動きが取れなくなる。 

 叫びにならない慟哭をあげても、頭からつま先まで駆け巡る激痛は消えない。 

 ついには、立ち込める暗雲から雷鳴が轟き、稲光が遺跡の4つの岩をことごとく破壊する。 

 逃げようにも何の術も持ち合わせていない僕は、覆い被さってくる岩に押し潰されて死んでしまう。  


 このときばかりは、何故だか夢遊びの能力を使って逃げることも、場面展開をストップさせることもできない。 

 目が覚めたとき、口の中はカラカラに乾いて動悸が収まらない。 

 そして、一月前、二月前にも味わった戦慄に暫くの間打ちのめされるんだ。


 ◆ ◆ ◆


 僕はずっと満月の晩が間近に迫る度に、恐怖におののいている。 

 それは、苦痛を感じるからでも、死ぬ結末を迎えるからでもない。 

 毎度表れる、僕の掌に刻まれる日付。 

 紅の毒々しさで綴られたあの日付。 

 「1936.11.25」。 

 1936年11月25日は、僕が初めて夢遊びができるようになった日付だ。 

 あまりの高揚感で日記帳に殴り書いたから、今でも覚えている。 

 夢の中で死ぬ瞬間にその数列が左の「1」から順番に消えていく。 

 まるで、もう二度と夢遊びができなくなることの暗示かのよう。 

 いや、まだそんな確証はどこにもないし、実際に僕はまだ満月の晩以外は自由に夢遊びを楽しんでいる。


 でも、怖いんだ。 

 いつかこの夢遊びの時間を終える日を迎えるのが。 

 悪夢にうなされても、無力なまま太刀打ちできなくなることが恐ろしくてたまらない。 

 見たい夢を見れなくなる絶望感。 

 想像しただけでも吐きそうだ。


 ◆ ◆ ◆  


 5度目の忘夢の森の悪夢を見た日の朝、居ても立ってもいられず、町の図書館を訪れることにした。 

 調べるために。 

 もしかしたら、ただの夢に過ぎないと思っていた「忘夢の森」が本当にあるかもしれない。 

 …現実の場所として存在していたとしても、見つけたくない。 

 そんな願いを灯したちっちゃな炎が胸の奥にくすぶっていることに、とっくに気づいていた。 

 気づいていたけど、見ないフリをしている我がままな僕がすぐそこにいた。  


 ◆ ◆ ◆


 図書館は閑散としていた。 

 人気が少なく、親子連れの2組と僕だけが来館者だった。

 

 資料検索機の前に行く。

 肩掛け鞄に入った財布についているカードケースから図書利用者カードを取り出して、バーコードをかざす。

 すると即座に、僕の利用者IDが画面の右上に表示される。

 検索バーにはどんなフリーキーワードを打ち込んでも良いし、カテゴリー別のオプションボタンからオススメ本を検索することも可能だ。

 ためしに、「夢遊び」と検索してみる。

 検索結果のバーには何も映し出されない。 

 ダメだったか。

 今度は、「忘夢の森」と文字を打ち込んでみた。

 すると、一冊の本のタイトルと一致した。

 『忘夢の森』 作者:不詳

 全身に鳥肌が立った。

 まさか。

 そんなことってあるのか。


 検索結果に示された館内地図をメモし、本棚へと急ぐ。

 幸い、まだ誰にも貸し出されておらず配架されたままだった。

 背表紙を引き抜いて手に取った。

 確かに、作者名はどこを見ても確認できなかった。

 真ん中のページを開いてみた。

 白紙のページが続く。

 どういうことだ?

 今度は目次を調べる。

 すると、年月日の羅列が無数に続いていた。

 年月日の数はざっと2000以上はあるだろうか。

 最後の日付は何だろう...。

 ゴクリと唾を飲み込みながらページを捲り続ける。

 あった。

 人差し指で上から年月日の羅列をなぞっていくと、ある場所で不意に終わりを見せる。

 「1936.11.25」

 僕が夢見遊びをできるようになった日付。

 その日付以降の数字の羅列は皆無。

 ただ、残りの白紙ページは多量に残されている。

 これが何を意味するのか。

 全く分からない。

 けれど、1ページと2ページの見開きに忘夢の森 の地図が書かれているのを見つけた。

 謎を解明するために、僕は地図の指し示す方向へ行くことを決めた。

 

 ◆ ◆ ◆


 木漏れ日が差し込む森は迷路同然だ。

 獣道ばかりで、どこを歩いているのか分からなくなる。

 だけど、さっきと比べて獣道が少しずつ明確な道に変わりつつある。

 地図の表記と同じだ。

 このナビゲーションによると、あと少しでこの道が石畳の道に変わるらしい。

 辺りには紫や藍、水色の蔦が生い茂り、見たこともない模様の喋々が舞っている。

 キノコのカサも目を見張るほど大きいし、蜜の滴るラッパの形をした花も咲き乱れている。

 旅用の杖をつきながら、一歩を大きく踏み出す。


 ◆ ◆ ◆


 小2時間ほど歩みを進めていくと、急にコツ、という子気味良い音が杖先から響いた。

 ついに、辿り着いたんだ。

 あの、満月の夜に見る夢に出てきたのと同じ遺跡が目の前にある。

 東西南北にそびえ立つ、大きな4つの巨大な岩。

 その中央には、白と黒、灰色の花びらが入り乱れた硝子細工の薔薇の花が結晶に閉じ込められている。

 正に、夢と瓜二つの光景。

 心臓が飛び出そうだ。

 一体、何がどうなっているんだ。

 もしかして、今目に映っているこの遺跡も薔薇の硝子細工も、眼下に広がる樹海も夢なのだろうか。

 いつもとは違って、今回は悪夢ではなく、ここから空飛ぶ絨毯を口笛1つで呼び出して飛び乗ることができる、夢遊びをしているだけかもしれない。

 それなら、この硝子薔薇に近づいても何の変化も起こらないのでは?

 なんだか、あれ程ビクビクしていた自分が突然阿保らしく思えてきた。

 杖を地面に置き、薔薇が閉じ込められている結晶に近づこうとした。

 そのときだった。

 「待って」

 ?!

 人の声がした。

 急いで後ろを振り向くと、それは人ではなく、紫の斑点が全身に広がった小さなドラゴンだった。

 やはり、ここは夢の中なのではないか。

 現実では絶対にドラゴンに会うことはない。

 開いた口を塞ぐことができず、まじまじと見つめ続ける僕をドラゴンは少し笑いながらこう言った。

 「ここは、現実の世界だよ。まぁ、君の住む世界とは「別次元」の現実の世界だけどね。夢遊びができる人しか来ることのできない、特別な場所」

 夢遊びー。

 「君は、夢遊びを知っているのかい?」

 「もちろんさ。だって、僕が君を夢遊びの能力を『与えた』んだから」

 なんだって?

 「夢遊びの能力はただの偶然じゃなかったのか?自由自在に夢を見るあの能力が、君からもらったものだというのかい?」

 「当たり前じゃん。夢を思いのままにコントロールする力を有するのは、夢者(ムシャ)だけだよ」

 「...夢者(ムシャ)?」

 「僕たちのような、ドラゴンだよ」

 「だ、だけど、実際に僕は自由自在に夢遊びをかれこれ7年程継続しているんだ」

 「それは、まだ君が夢遊びの能力を『与えられて』いるからだよ。だけど、もうそろそろ時間切れなんだ。今日をもって、その能力を回収しなければならない。次の調査対象に夢遊びの特権を授けて研究をしなければならないからね」

 研究?調査対象?回収?

 一体こいつは何を言っているんだ。

 「まず、最初から順を追って説明しなきゃいけないね。端折ってしまうと、混乱させたままになっちゃう」

 ちびドラゴンはふわりと宙に浮かんで羽をバタバタさせながらこう言った。

 「僕ら夢者(ムシャ)は、このはるか上空にある『パンドラ』という惑星で日々夢についての調査研究を行っている。人が見る夢には謎とロマンがパンパンに詰まっている。…残念なことに『何故人は夢をみるのか』という究極的な理由は解明されていない。僕らの研究理由はもっと別のところにあるからね。それは、『人にはどれ程の想像力が秘められているか』だ。ある調査方法を考え出した重鎮夢者(ムシャ)がいたんだ。『人に夢をコントロールさせる能力を与えたら、どのような内容の夢を創り出すのか』というもの」

 「じゃあ、君たちは人に夢遊びの力を授けて、研究に役立てていたってことなのか?」

 「その通り。摩訶不思議で突飛な夢のデータがわんさか収集できたよ。各夢の内容は秘匿情報だから教えることはできないけど、それはそれは素晴らしい夢ばかりだったよ」

 「何故そんな調査を行うんだ?」

 ちびドラゴンは少し寂しそうな表情を浮かべた。

 すぐにまた真面目そうな顔に戻ったけれど、その一瞬を僕は見逃さなかった。

 「人って、楽しい夢を見ても悪夢程は長期間覚えられないだろう?幼い頃に見た怖い夢はその後暫く、いや何年も鮮明に思い出せる人が少なからず存在する。だけど、その逆は?楽しかった夢の内容を君は今すぐ言える?」

 あれ...。

 そういえば、あれ程どっぷり堪能していた夢遊びの内容も全部曖昧だぞ。

 以前は、しょっちゅう思い返しては満足感を味わっていたのに。

 思い出せない。

 「ね?すぐに答えられないってことは、悪夢程の強烈な印象として記憶に残っていないんだよ」

 ちびドラゴンは続ける。

 「だから、人の見た、幸せで最高な夢の記憶を僕たちが管理する。毎日コットンのハンカチーフで表面を磨いたり、栄養を与えたりしてね。それをすぐに君たちに見せてあげたり、プレゼントしたりすることはできない。…でも、いつか人が永い眠りについたときにその魂が空に還るだろう?そのとき、生まれたての新しい命が芽生える。人々のピカピカした命たちが再会する場で、1つ1つ丁寧に守った夢も手渡しで贈るんだ。だから、そのときを楽しみにしていてほしい」

 「じゃあ、これから僕はどうなるんだ?」

 「申し訳ないけれど、夢遊びの能力を返してもらう。いつもそうなんだ。たった一人の夢遊びができる人...僕らは夢見人と呼ぶんだけど、その夢見人が毎月満月の夜に悪夢を見続けるようになると、夢遊びの能力使用時間の期限が来る。そうするとこうして、君のように何らかの方法を通して夢見人はこの遺跡に辿り着く。そして、夢遊びの能力を僕たちに返すんだ」

 「...どうやって返せば良いんだ?」

 俯きながらちびドラゴンに問うた。

 声は震えている。

 表情だって切なげに違いない。

 「僕を抱き締めてくれるかな」

 思わず、顔を上げた。

 「今まで見た幸せな夢を思い出しながら、僕にハグをするんだ。ちょっと照れくさいけど、それが儀式なんだ。僕も君をぎゅっと抱き締めながら、君の今後の旅路が希望で満ち溢れるように祈るからさ」

 ちびドラゴンは満面の笑みを湛えていた。

 パタパタと羽を羽ばたかせ、僕の方に近づくとコロコロした手をこちらに伸ばしてきた。

 僕もゆっくりと手を伸ばし、ちびドラゴンの胴体を抱き締めた。

 すると、光の靄が辺りに立ち込めてきた。

 ちびドラゴンと僕の身体も眩く輝き、やがて、全てが真白の光でいっぱいになった。

 「ここに来てくれてありがとう。夢遊びで幸せな夢を見続けてくれて、ありがとう」

 最後にちびドラゴンがその言葉を耳元でささやいた瞬間、天からラッパの音が聞こえた気がした。


 ◆ ◆ ◆


 目を開けると、自室のベッドに仰向けに横たわっていた。

 「...?」

 あれ?

 どうして、僕はここにいるんだ?

 なんだか、とても心地良い夢を見ていたようだ。

 あと、誰かに何かを囁かれていたような気もする。

 だけど、思い出すことができない。

 瞳からは何故だか涙が溢れているし。

 一体どういうことだろう。

 目元を擦ったとき、シャラン、と音を立ててちっちゃな欠片が掛布団に落ちた。

 「ん?」

 摘まんで光に翳すと、紫の斑点模様の鱗が煌めいた。

 その輝きは不思議と懐かしかった。

  

 僕は、その鱗を日記帳に挟んで、取って置いている。

 今でも、ずっと。

 

ー終ー

ー5714字ー

 

 

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