悪魔の復讐代行屋

赤夜燈

第一章 沼に棲む蛇

第1話 喫茶店あけぼし 一

天国から追放された悪魔が、二柱いた。


彼らは考えた。善行を積めば、再び天国に戻ることができるのではないか。




ということで、善行を積み上げて階段にしてやがては天国に至るため、さまざまなことをした。


 彼らの一柱は無花果いちじくと。


 彼らの一柱は林檎りんごと名乗っている。




 日本に流れ着いた無花果と林檎の二柱は、復讐代行屋を営むことにした。


 悪人を殺すのが一番、天国に至るのに近いと考えたからだ。




 彼らの元には、毎日のように依頼人が訪れる。


 これは、二柱の悪魔と奇妙な隣人たちの物語である。 








 悪魔の復讐代行屋の朝はそこそこ早い。


 というのも、彼らは食べていくための本業と依頼を集めるための場所として、喫茶店を経営しているからだ。




 新宿の、繁華街近郊にある喫茶店「あけぼし」。


 木のカウンターと、数席のテーブル席があるこぢんまりした場所だ。


 時刻は平日の午前六時である。モーニングの営業すら始まっていない。他に客のいない店内で、火野真ひのまことはわざとらしい溜息をついた。




「とある乙女の周囲で、最近変なことが起こっているんだよ」




 派手な赤い柄シャツを着て、グラスチェーンのついた濃いブルーのサングラスをかけ、喫茶店のカウンターに腰かけている。


 座っていてもわかるほど背が高い。適当に伸ばしっぱなしの髪をハーフアップにまとめている。


 低い声は事態の深刻さと相反して楽しげな響きをしていた。いや、実際楽しいのだろう。




「被害が大きくなってきて、困っているんだよね。このままだと原稿に差し障る。キミたちになんとかしてもらいたいってことなんだ。原稿を提出できないと、今度出る限定ラーメンも食べにいけないからね」




 カウンターの内側にいた無花果いがわずかに眉を上げた。


 大柄な男だった。

 黒髪をポニーテールにまとめて、白いシャツにネクタイを締めてカフェベストを着ている。

 ひどく整った顔立ちだが、壊滅的なまでの愛想のない鉄面皮をしている。

 そのため、血の通った人間には見えない。



「またですか、先生」


「ああ、またなんだ。すまない、あはは」



 欠片も悪いと思っていない様子で、からからと笑って手を振る。常連客を無下に扱うわけにもいかない。無花果は黙ってケトルから出る湯気を見つめていた。


「ところで、林檎くんは今日は休みかい?」


「町内会の清掃です。もうすぐ戻ってくるかと」


 無花果は、にこりともせずに答えた。


 火野との会話に愛想という機能を使う必要はないと、彼は知っている。愉快そうな火野をよそに、慣れた手付きで珈琲を入れる。


 火野がオーダーしたのは、フルーティな酸味が魅力の浅煎りの豆だ。


 喫茶店「あけぼし」では豆を手動のミルで挽くところから始めて、ペーパードリップでじっくり淹れることにしている。


 カップとコーヒーサーバーは既に温めてあった。ペーパーフィルターの上に挽いた豆を敷いて、ゆっくりと、慎重に湯を注ぐ。

 この間だけはいつもやかましい火野も黙って、漂いはじめる珈琲の香りを楽しんでいた。


「どうぞ」


「ありがとう」


 珈琲で満たされたカップとソーサーを差し出す。火野は目を閉じて、じっくりと味わっている様子だった。いつでもこういう顔をしていればいいのに、と無花果は思う。



「ただいまー! ねえねえ無花果! スズキのおばあちゃんから桃たくさんもらってきた! あれッ火野センセいるじゃん! どしたの、締切じゃないの? 終わったの?」




 ばたばたばた、と店の裏口から普段の火野に輪を掛けてやかましい足音と声が聞こえる。


「……もっとやかましいのが帰ってきた」


 うんざりと呟く。火野が苦笑した。


「ねえねえねえ火野センセ! また話聴かせてよ! オレ、センセの話好きなの!」


 ひょこっと顔を出したのは、白髪に赤い眼をしたひょろ長い青年だ。無花果と同じく白いシャツに黒いネクタイ、カフェベスト。いかにも喫茶店の店員といった風情だ。


 短い髪を留めているヘアピンが特徴的である。顔の大半が丸いサングラスに覆われているが、無花果と対照的に人懐っこい、少年のような顔つきをしている。


「落ち着け林檎。これから営業だぞ」


「えー。どうせいつものやつでしょ? あっちの依頼なら今日は仕事になんねーって」


「…………」


「店の前掃除してインスタとTwitterで休業の告知してくるから、ちょっと待っててね、センセ」




 林檎が言っていることは正論だった。




 自分たちのもう一つの稼業――復讐代行屋への依頼なら、店を開けて呑気に話を聴いている場合ではない。

 さらに言うなら、この店に火野が来た時点でおかしなことになるのは確定事項なのだった。


 無花果は溜息をつくと、林檎と自分のぶんの珈琲を淹れることにした。


 起きてしまったことは仕方が無い。切り替えが大事だ。






 今日の日替わりケーキは旬のメロンをふんだんに使ったショートケーキで、生クリームには香り高いリキュールを混ぜている。これは、林檎が自ら作ったものである。




 喫茶店「あけぼし」は珈琲だけではなくフードも評判がいい。珈琲は無花果担当、フード全般が林檎のお手製である。




「……………………」




 林檎が無花果の淹れた珈琲を飲んでちらりと横を見る。


 そこには、いつもの無表情鉄面皮ながらおそらく最大限幸せそうな顔で、メロンのショートケーキを口いっぱいに詰め込んで食べる無花果がいた。




 彼の目の前には、ホールケーキが三つほぼ丸々置いてある。

 メロンのショートケーキ、バスクチーズケーキ、ガトーショコラだ。

 火野のせいで今日の営業はなくなったから、仕込んでおいた消費期限の短いケーキを置いておくわけにはいかない。


 そして無花果は、大が三つつくほどの甘党である。




「無花果。いーちーじーく。聞いてた? 全部食べるなよ、ケーキ」


「なにがだ?」


「オマエ本当に甘いモノ食べてるときは話聞かねえな!? もう一人来るんだよこれから! 朝ごはんまだだろうしケーキ残しておかないとお腹空いちゃうだろ!」


「…………わかった」


「この世の終わりみてえな顔すんなって。また試作するから。今度は桃とマスカットな」


「僕も食べていいかい? もちろん、お金は払うよ」


「え? モニターなってくれんの? ラッキー」




「――先生、ここでしたか」




 からんからん、とドアベルが鳴るが早いか、ばたん、と「本日臨時休業」の札を下げたはずの扉が勢いよく開く。



 その場にいた全員が、扉のほうを見た。




「火野先生、新作の締切は一週間後ですよ? 拝見した原稿データは真っ白でした」




 りん、と。女性にしては低めの声が響く。

 無花果と林檎の顔が、さあっと青くなった。


 つかつかつか、とヒールの音が鳴り、背の高い女性がひとり、喫茶店内に入ってくる。


 黒髪にメイド服を着た彼女は火野に向き合い、彼女よりも背が高い火野にびしり、と指を突きつけると、高らかに宣言した。




「新作を書かないなら、今日が死に時です。……返答次第によってはこの伽羅からが、先生のメイド兼マネージャー兼友人として、今この場でくびり殺します」




 まずい相手が来た。




 作家である火野のもとに押しかけて勝手にマネージャーを勤めている女性、伽羅。


 聞くところによるとマネジメントや家事などは完璧で、そのまま雇ってしまったと呑気に火野が言っていた。余談だが火野の家事能力は壊滅的で、一時期は冷蔵庫すら部屋に存在しなかったらしい。




 彼女は――伽羅は火野が原稿を落とした、または筆を折った瞬間に即座に殺すと宣言してはばからない、そして既に何度か火野を殺しかけている狂読者なのであった。




「伽羅さん、その極悪作家は好きにすればいい。けれどうちの店を殺人現場にするのはやめてくれないか。ところで珈琲飲むかい?」


「メロンのケーキあるよ、食べる伽羅チャン?」


「いただきますわ」




 伽羅は、無花果と林檎に勧められると存外素直に着席した。




「珍しいね、店に来るなんて」


 無花果が珈琲を淹れながら話しかける。林檎がケーキを切り分け、伽羅の前に差し出す。


「火野先生の玉稿が完成しないものですから、これはもう脳味噌を啜り殺すしかなかろうと」


 物騒なことをさらりと言う。脳味噌を啜り殺すってどういう状況だ。



「まあ、まあまあ伽羅チャン、メロンのケーキとバスクチーズケーキとガトーショコラのどれがいい?」


「ではみっつとも、一ピースずついただきますわ」


 遠慮というものがない。無花果と林檎は焦っていた。


 なぜなら、この女性は一切嘘をつかないからだ。先ほどから火野への殺意を連呼しているが、全てが嘘偽りない本音である。


 伽羅という女性は、やると言ったら絶対にやる。


 一度、原稿を落としかけて満身創痍になった火野がこの店に逃げ込んできたことがある。

 ボロボロになった火野の背中に容赦なく包丁を突き立てようとする伽羅を、無花果と火野は二人がかりで止める羽目になった。

 ケーキを三ピース目の前に置き、優雅に食べる伽羅は無花果と林檎にとっては導火線に火が点いた爆弾みたいなものだ。

 彼女を止められるのは、火野の小説以外に存在しない。


 伽羅という女性は、火野真の小説を尊敬し、崇拝し、信仰している。

 それを読むのを妨げる者であれば、たとえ火野自身であろうとも躊躇いなく殺すほどに。


 あのときも、ギリギリで火野が原稿を書き終えなければこの作家は今ごろこの場にいなかっただろう。


「火野先生、帰って原稿をやったほうがいいんじゃないですか」


 無花果が冷や汗を垂らしそうになりながら言う。

 林檎がうんうんと頷く。


 無花果には悪いが、焼いたケーキを全て差し出してでもこの二人には帰ってほしい。仮にもここは飲食店だ。刃傷沙汰だけは勘弁してほしかった。


「いやあそれがねえ。この事件をネタに書き始めちゃったから、事件がなんらかの形で解決しないと、新作が書けないんだよ」


 火野がにやにやと笑いながら、伽羅に告げる。


「そうですか。なら殺しますわ」


 伽羅も笑顔のまま応じ、シームレスに殺人に移行しようと椅子から立ち上がる。


 ――うちの店を殺人現場にする気か!?


 無花果と林檎の思惑がぴたりと一致した。


「ただし、この二人がなんとかしてくれるとも」


 椅子を持ち上げそうになった伽羅をすっと手で制し、火野はにやりと口角を上げた。


「復讐代行屋のキミたちに依頼だ」


 常人ならたじろぐ視線を火野は涼しい顔をして受け流し、カップに口をつけた。




「君たちが怪異に復讐を遂げてくれれば、僕は安心して原稿に取りかかれる。つまり――純情可憐な乙女に取り憑いた、蛇に復讐してほしいのさ。取材ができないと原稿が滞る。原稿が世に出なければ、僕は伽羅ちゃんに殺される。それは世界の損失だからね。それに、僕はいま死ぬわけにはいかない。連休の限定ラーメンを食べないといけないからね」


「なにそれすっげえ面白そー!」


「……受けるほかない、んですよね……」


 目をきらきらと輝かせる林檎。


 額を押さえて溜息をつく無花果。




 彼らは、通常では裁けない悪を殺す「復讐代行業」を、喫茶店のかたわら営んでいる。


 その対象には、生きていないモノも含まれる。




 実話怪談系ホラー作家である火野真は、彼らに心霊案件、つまり生きていない相手への復讐代行の仕事を紹介してくる――風変わりな常連客なのだった。


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