過ちては改むるに憚ること勿れ。

過ちては改むるに憚ること勿れ。

*/八丈島 松希の供述


 理詰めで考える堅苦しい考え方は嫌いではないが、型にはめるにはいささか難しい話もある。ヒトの感情で起きる犯罪を前にして、人の感情を捨てて考えるほうがおかしな話。腹が立つ出来事の最高潮で殺人を選ぶヒトもいるし、そこで他者を殺すか自分を殺すかは、それまで歩んできた人生によって変わる。

 吸い貯めだった。三本目の煙草に火をつけて、チェーン気味になっているクセが、きっとよくないのだと思う。――小一時間前に耳にした三上の言葉が突っかかっていた。

 過去に担当した案件。殺人事件に居合わせたが、誰でも見破れるようなお粗末な工作。

言わば「犯人はお前だ」という流れで突きつけると、犯人は自白した事件だった。その後、取調べでも供述した言葉は絵に描いたような私怨。容易に推測できる劣等感とコンプレックスを延々語るのだ。

 三上はそんな調書を含んだ司法書類一式(一件書類)へ目を通して言う。

「八丈島さんって、なんだかんだ情に流されると、なんでも赦してしまいそうですよね」

 その時は否定したが、改めて考えるとどうだろう。別に三上と違ってルールがすべてだと思わない。あくまでも平等に不利益を被る場合、采配するのは法律だと思っている。何かの拍子に勢いあまって首を絞められたとしても、俺が殺されるべき正当性さえあれば、抗わないかもしれない。

 ――なんて、つまらない会話の端々にいちいち引っかかっていた。四本目に火をつけると、喫煙室のドアが開いた音を耳にする。自称、禁煙を目標に掲げている元属の課長かと思いきや訪ねてきたのは件の三上だった。

「吸わないのによくここに来るよな」

 煙草は吸わないと言うクセに。まるで副流煙するがために傍につく。

「本当に吸わないと思いますか?」

 そう言って視線を向ける。俺に見せる顔はいつも、感情の読み取れない疲れ切った仏頂面。被害者と会うときようの愛想のいい薄笑いを向けられるよりはマシだけど、その顔は容疑者に向けるときと同じ敵意であることも理解していた。

「人は見かけによりません。捜査の基本じゃないですか、うわべだけではなにもわかりませんよ」

 元来、三上とは二係の俺とは違い一係(別班)だった。捜査一課へ転属してすぐこそは多少会話する程度だったし、忘年会だってタイプが真逆で話にならなかった。それから一年と経たないうちに、勢門瑞樹容疑者(女性新聞記者)、ひらがな符号書類送検(教職員・児童連続殺傷事件)の合同班捜査をきっかけに、気休めのように居る。三上は二係(自班)の事件について、自分から箝口令を破る事はしないが、誘導尋問には答えるようになっていた。無論、俺も事件解決へ進展するようならば、と口を零すことがままあった。

「うわべの下を調べる方が難しいだろう、だったらうわべから調べるのが道理だ」

 内面を調べる以前の話をする、三上のおかしな質問はまだ続いた。

「では内面はどうやって調べるおつもりです。言葉巧みに質問するだけでは分からないかもしれない。たとえば、先ほど訊ねた情に訴えかけてくるタイプ。あるいは色仕掛けで惑わす美女とか」

 詰め寄った三上は頭一つ分くらい高い背格好。襟を両手で掴まれるから、つい気圧されてしまった。

「――暴力で訴えるしか能がないタイプとか」

 見据える三上の目にはなにか闇深いものを感じた。とっさに懐をつかみかかる。自身の足の外側へ、相手の足の外側を刈って床へ叩きつけた。

「ふざけるのも大概にしろ、らしくねぇだろ」

 衝撃に苦い顔をした三上は静かに「らしいって、誰に対しての〝らしい〟なんでしょう」と疑問を並べる。半ば屁理屈に似たなにかだった。

「私は私ですし、八丈島さんは八丈島さんですよ」

 強引に俺の腕を振り払って、埃を払う。組み付く時に落とした、さっきまで吸っていた俺の煙草へ口をつけた。

「分かりはしませんよ、何を考えているかなんて」

 半分より少し長いくらいだったセブンスターだったが、三上の深い一呼吸でフィルターに到達した。ぱらぱらと灰が床に落ちる。噎せる様子もなく、吐きだす白煙。喉元が唾液を嚥下する。

「……確かにお前がなにを考えているのか、俺にはさっぱりだ」

 自白に足る理由はこの際、あまり考えたくはなかった。

「己に如かざる者を友とするなかれ。私はあなたと仲良くはできませんね」

 故事からの引用。そう言って、吸い殻を手近な灰皿に投げ入れる。教養でオブラートに包んだ暴言。

「……それを言う俺は、過ちては則ち改むるに憚ること勿れとお前に返す」

 三上のセリフには〝誠実な心を第一として〟の一文が欠けていた。過ちを犯してしまったら、ためらわずにすぐ悔い改めよ。俺はそれ以上に返す言葉が無い。自身が劣っているか、そうではないか。そんなことはどうでもよかった。優劣で言うのなら、勝手に敵視してくれても構わない。――けれど、三上が言いたかった本質はそれではないと悟る。

「さようでございますか」

 と、適当にあしらわれてしまった。三上は聞く耳も持たず俺の前を横切った。去り際にもう一度、もう一度と思ったが、この手の話題で三上が掘り下げる事はまずない。だいたい気難しい性格に輪をかけて、ああ見えてかなりの気分屋であった。隣の席だとよく見える。

「少なくとも三上の取り繕ってるうわべの下なんて予測できるっつの」

 ロクでもない思考回路だ、本当に。三上が煙草に口をつけたわずかな瞬間。ほんの少し歪めた左目の端。あれは嫌な事を無理やりやり遂げた時のツラだった。どうせ見えないところで、カッコつけた代償として大咳しているに違いない。どっかで嘔吐いてなければいいけれど。

 そんなやり方を教わったのがあの判官贔屓じゃなきゃいいけど。――なんて、俺が心配するのはお門違いな所有欲。おかしな話だ、なにもかも。


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