7-1.三人での日常


 朝も早くから、庭で一人ちまちまと鞘を磨いている。月光樹の樹液とフィオレッタの魔法によって作り出された鞘だ。それなりに手に馴染んできてはいるが、大雑把な型で作ったせいか所々いびつなのである。だから鞘自体を削って持ちやすくする必要があるのだ。


 こういう作業は削りかすが散るから外でやるように厳命されている。木にもたれかかりながら、木陰の中で手を動かす。日差しも明るく、庭の緑も鮮やかだ。そんな穏やかな景色に今ひとつ馴染まない男が家から出てくる。金の髪色と鈍色の胸当て。流石に全身鎧はやめたようだが、それでもごつい装備はこの牧歌的な景色からは相当浮いている。


 あたりを見まわすルガートと目が合う。そのままこちらに歩いてきた。フィオレッタの護衛がルガートの騎士としての任務なわけだが、はっきりいって護衛の必要性はまるでないのだ。

 

 フィオレッタの行動範囲は狭い。家の中で大半を過ごし、庭に出て薬草の手入れをするのがいちばんの遠出だ。森の魔女であるフィオレッタの目を掻い潜るのは不可能に近い。

 よって、ルガートが職務に忠実であるのなら、護衛のほぼ全ての時間は安全な家の中にいるだけということになる。


「護衛は順調か?」

「見ればわかるだろう。やることがない」

「フィオレッタが言った通りだな。あいつは用事がない限りは家に篭りっきりだ。護衛の必要はまるでない」

「……とはいえ丸きり鵜呑みにするわけにはいかないだろうが。護衛は初めてではない。が、ここまで動きがないのは堪えるな」


 騎士が護衛をするような人間は、こんな小さな家には住まないだろう。いつぞや世話になった街ではやはり有力者は大きな屋敷に住んでいたことを思い出した。食事ごとに部屋を移動する必要があるだろうし、人が多いだけに紛れ込んでくる不審者への警戒もしなくてはならないはず。

 

 しかしフィオレッタは基本的にリビングで本を読みながら過ごしている。食事も当然リビングだ。薬草な魔法なりを扱う時は地下室や自室に籠る。フィオレッタの感知範囲は森のほぼ全域に渡るし、俺と魔剣の目もある。つまり、警戒をする理由がないのだ。


 そんな状況でまともに護衛などやる必要があるのか。どうせフィオレッタが騎士団に何を報告するでもない。

 こうしてフィオレッタから離れたところを見ると、早くも護衛方法を自分のやりやすい方式に変えたらしい。警戒は続けるが、常に控えることはしない。すぐに駆けつけられる範囲にいれば問題なかろうと。まあ妥当な判断だな。


「フィオレッタには?」

「無論言ってある。だから言ったのにと、笑われた」

「だろうな。で、暇つぶしに来たか」

「……何をしているんだ?」

「鞘を削っている」


 見ればわかる。そう呆れたような目を向けてくるルガートに、一から説明してやる。この鞘の重要性をだ。


「なるほど、魔剣の力を抑える……。それは他の魔剣であっても有効なのか?」

「知らん。だが他の魔剣は封印されていたんだろう? この鞘で全てやれるとは限らんが、同じような封印をするための何かしらがあったんじゃないか?」


 顎に手を当ててルガートが黙り込む。俺は作業を進める。

 しばらくしてルガートがそのまま黙って立ち去る。こいつも大概マイペースだな。


 ***


 森の中を1人歩く。目的は魔獣、その命。フィオレッタの鞘も完全に魔剣を抑えることはできない。こうやって定期的に何かを斬る必要がある。今回は何が出てくるか。だんだんと馴染みも出てきた魔女の森だが、毎回違う魔獣に遭遇するのだから面白い。

 

 落ちていた枝を拾い、森の木々や藪を適当に打ち付けて音を立てる。ガリガリと地面を掻きながら歩く。どれもこれも俺がここにいるぞと、魔獣を誘き寄せるためのアピールだ。同時に俺が家に帰るための目印でもある。魔獣自体は大したことはない。魔剣が求めるままに振るえばそれで済む。だが森を歩くことについては未だ不安がある。十日以上同じ場所を歩き続けた苦い記憶もある。

 できれば、もう迎えにきて貰うような事態は避けたいのだ。


「来たな」


 森の奥から物音。俺の左手側から何かがくる。

 棒を放り投げ、魔剣を抜く。途端に魔剣の囁き──命を奪え、血で世を満たせと──が俺の頭の中に響く。

 普段は鞘のおかげで随分と声が抑えられているということを、魔剣を抜くたびに思う。そしてよくもまあ、今までこの声を四六時中聞き続けて平気だったなとも。


 ペロリと唇をなめ、魔獣に逆ねじを喰らわせてやると魔剣を構える。

 

 そして一瞬の静寂の後、藪から飛び出してきたのは、魔獣ではなく火球。追うようにして現れたのは鮮やかな緑のトカゲだ。かわした火球が背後で炸裂する音を聞きながら、もしかしたらトカゲではなくて竜かもしれないと思い直す。


 竜とトカゲ。暇つぶしにフィオレッタと魔獣談義をしていた時に違いを聞いた覚えがある。

 推定竜が再度口に力を込めている。開いた口の奥から赫い火が上がってくるのが見えた。火を吐くといえば聞こえはいいが、改めて正面から見ると唾をかけられるのと仕組みが変わらないような気がしてくる。別に火球を魔剣で断ち切ってやってもいいが、唾のイメージがチラついて嫌な気持ちだ。魔剣の声や悪意は最低だと思うし、さっさと手放すなり何なり処分をしたいと思う。が、それまでは俺の唯一の武器だ。唾を斬りたいとは思わない。


 口から精一杯吐き出そうというのだから、これほどタイミングを測りやすい攻撃もない。軽いステップで近づき、魔剣の腹で下顎を真上に勝ちあげてやる。吐き出しかけていた火球が、竜の喉元で遮られて暴発する。口からあふれ出す煙がなかなか愉快な見た目をしている。が、元より火を吐く魔獣だ。口内が熱でやられるはずもない。むしろ怒りをあおっただけのようだ。大きく首を伸ばして、殺意を宿した目で、俺をジロリと見下ろす。次の瞬間にはその前足が鋭い爪を剥き出しにして振るわれた。


 まあ竜の爪だなんだと威張っても、爪は爪だし、その根本はただの腕。くるだろうと予測していた攻撃でしかない。

 爪の軌跡に置くようにした魔剣が竜の右腕を斬り落とす。すっぱりと切断されて吹き出す血に、魔剣が歓喜の叫びを上げる。一瞬その声の大きさに平衡感覚がなくなりかける。本当にうるさい。これが続くようなら、斬るたびに鞘にしまった方がいいかもしれんな。


 役体のないことを考えながらも体は動く。竜が暴れれば暴れるほど、血が振り撒かれ、魔剣が興奮し意味のわからないほどに絶叫する。声と血に俺も塗れて、だんだんと気持ちが高揚してくる。竜の鱗、竜の角、竜の牙。断ち切りへし折り切り砕く。何となく気分がいい。口元が吊り上がっているのを自覚して──。


 気がつけばバラバラになった竜の死体が散らばっている。


「お前……何かしたか……?」


 斬ったことは覚えている。どうやって斬ったか、どんな順番で斬ったのか。だが、断片的だ。俺が斬ったと言うよりは、斬る姿を見ているような感覚。斬った手応えすら、残っていない。

 斬ったのは俺だ。それは間違いない。斬るのも俺だ。これも違えない。なのに、その感覚すら魔剣に吸い取られたかのようだ。

 乱暴に魔剣を鞘に叩き込み、右手を大きく開いて、閉じる。指先の微かな動きだって俺の意識の下にある。


「フィオレッタに、一応話をしておくか……」


 それでも、念の為に相談をしておく。何せ俺よりよほど俺のことに詳しくなっているのがフィオレッタなのだから。


 少しの間手を見つめたあとに、散らばった死体から適当にきれいな形を残している竜の角をカバンに押し込む。この森にどんな魔獣が済んでいるのか。騎士団としては魔女の元に騎士を送り込めた以上、それなりに調査も進めたいらしい。ルガートから斬った魔物の一部を持ち帰るように頼まれているのだ。細切れにした死体をあさっているとどうも気持ちがふさぐな。斬るのは良くてもその残骸は良くない。自分で斬ったというのにわがままなことだと自分でも思う。ふと、転がった脚を見る。


「ああ、脚のつき方が違ったんだな」


 曰く、歩くだけの足ではなく、獲物を仕留めるために猫の手のように自在に動くのが竜だ。


「じゃあ、竜か」


 のどに引っかかっていた疑問が解消し、俺は何の憂いもなく足取り軽く家路につくのだった


 ***


 家に帰れば相変わらず退屈そうな騎士が一人。


「暇そうだな」

「ああ。だがすることがないというのも、まあ悪くない。で、それはなんの魔獣だ?」

「竜だ。緑の鮮やかな鱗の奴だ。結構デカかった」

「地竜の一種か……。にしても、そんなのがゴロゴロといるのか、この森は」

「俺も竜を見たのは初めてだ。……ルガート、竜とトカゲの見分け方を知ってるか?」

「……見れば分かるだろう。大きさ、鱗の付き方、骨格に知性。わざわざ見分けようと思うまでもない」


 そんなにあるのか……。とりあえず悔しいから知ってることにする。なんだ、知ってたのかと、それっぽく頷いておく。


「それにしても、フィオレッタに対しての言葉遣いはやけに丁寧なのはなんでだ?」


 俺に対しての口調や態度とは随分違っている。前から気になっていたのだ。だがルガートは俺を見つめて正気か? とでも言いそうな顔をしてくる。


「正気か?」


 言った! いや、言われたいわけではないが。

 街の連中がフィオレッタを敬うのは分かる。魔女の森のすぐそばで、魔女の加護を受けて居るわけだから。俺だって街に育ったならフィオレッタを様付けで呼ぶくらいはしてたはずだ。


 だがルガートは王都からきた騎士だ。直接的にフィオレッタからの利益を得ているわけではないだろう。魔女としての実力を敬う、というのも今ひとつしっくりこない。自分の騎士団での出世のためと言い放ったやつが、人を敬うという感覚を持っているのが今ひとつ信じられないのかもしれない。

 

「……お前、建国記を知らないのか?」

「この国のか?」


 何かしらこの国にかかわる逸話を聞いたためしがあったか、頭の中をさらってみる。けれども出てくるわけもない。なにせずっと人と関わり合わずに旅をしてきたのだから。


「信じがたいな……。どこの田舎から出てきたんだ、お前は」

「ああ、水のきれいな村でな、確かに田舎といえば田舎だ」

「まさか国外から来たとはいわんだろうな?」

「さすがにそれは──」


 ないはずだ。だというのに、なぜか俺はそれを言い切れなかった。

 俺の村は、俺の家族が暮らすあの村は。キレイな川が流れていて、気のいい村人がいて、ムギや家畜を育てながら暮らしていた。近くには森があったし、遠目には山だってあった。

 

 ただそこから先が、出てこない。この国のどこにあったのか。北か、南か。東ではない? 西にあったか? 何も出てこない。俺の村は、どこにあった?

 1人静かに困惑する俺を気にすることなく、ルガートがぞんざいにいう。

 

「お前の方向音痴は魔女殿から聞いている。どこの村だと聞いてもどうせ答えられんのだろう? 北か南か、まあ辺境何だろう。ああ、名を聞いたところで俺が分からない。だから言う必要もないぞ」


 ……そうかもしれない。俺は、あの村がどこにあるのかは、方向音痴だから分からない。そうだ、それ以外の理由など、ない。


「ルガートぉ? ゴート帰ってきた? ってもういるじゃないか。ほら、二人ともお茶にしないか?」

「いえ、先ほども頂いたので……」

「午前中の話だろう? いいからお茶にしよう」


 ルガートの肩に手を置き、首を横に振る。こういう時のフィオレッタは一才の遠慮がないし、抗うことはできない。大人しくお茶をするしかないのだ。

 

 頭をよぎった、正体の分からない不安はおいておく。どうせ魔剣をどうにかするまでは帰るわけにもいかないのだから。なら魔女のお茶会でフィオレッタの気分転換に付き合った方がいくらもマシというものだ。

 困惑しているルガートを押し込むようにして、庭の椅子に座らせる。


「フィオレッタ、配膳を手伝うぞ。盆に茶を並べておいてくれ」


 はいよーと、返ってくる声に、俺はなぜかひどく安堵していた。

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