空腹の時間

@miteno

空腹の時間

朝食にはパンを食べた。トーストにバターを塗り、コーヒーを飲みながら静かに窓の外を眺めた。パンの日はいつもそうだ。軽い食事が胃の中に収まり、しばらくの間は何も考えなくて済む。けれど、10時を過ぎると空腹感がじわりと顔を出す。それは決して急激なものではない。ただ、静かに、しかし確実に訪れる。


「空腹感ってなんだろう?」と僕は思う。もちろん、体がエネルギーを欲しているということはわかる。でも、それだけなのだろうか?空腹感にはもっと別の側面があるような気がする。例えば、それは時間の流れを感じさせるものでもある。朝食から昼食までの間に生じるこの感覚は、僕に「今」という瞬間を意識させる。


白ご飯の日は少し違う。炊きたてのご飯に味噌汁、それから漬物を添える。パンの日よりも重みがある食事だ。だからか、空腹感が訪れるのは少し遅い。11時半頃になるとようやくその存在を感じ始める。でも、その遅れた分だけ昼食への期待感が薄れるわけではない。むしろ、空腹感が遅れて訪れることで、昼食の時間がより明確になるような気がする。



僕は空腹感について特別な感情を抱いているわけではない。ただ、それが訪れるたびに「ああ、またこの時間だ」と思うだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。ただの生理的な現象だ。でも、その現象にはどこか哲学的な響きがあるようにも感じる。


空腹感は僕に選択肢を与える。「今日は何を食べようか?」という問いかけだ。それは単なる食事の選択ではなく、日常生活の中で自分自身をどう扱うかという問いでもある。パンの日には軽いものを選びたくなるし、白ご飯の日にはしっかりしたものを求める。その選択肢が僕の日々のリズムを作り出している。



昼食前の時間は静かだ。そして、その静けさの中で僕は自分自身と向き合うことになる。空腹感が訪れるたびに、自分が何者であるかについて考える。それは決して深刻な問いではない。ただ、「今、自分はここにいる」という確認作業だ。


空腹感には輪郭がある。それは曖昧でありながらも確固としている。その輪郭を感じるたびに、僕は自分自身の存在を再確認する。そしてその確認作業が終わる頃には、昼食の時間が近づいている。



昼食前の空腹感。それは特別な意味を持つものではない。ただ日常生活の一部として存在するだけだ。でも、その日常生活の中で空腹感が訪れることによって、僕は自分自身のリズムを感じ取ることができる。そのリズムは平坦でありながらも心地よい。そしてその心地よさこそが、生きている証拠なのかもしれない。


時計を見ると11時45分だった。もうすぐ昼食だ。僕は立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。そして次に何を食べるかについて考え始めた。それはいつものことだった。そしてその「いつものこと」が僕の日々を支えている。

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