二十二世紀探偵
みやび
第1話 二十二世紀プロポーズ
『私と結婚してください♡』
壮大な物語の冒頭は大抵些細な出来事から始まるのが公式だが、しかし今回の出来事は初っ端からフルスロットルだった。
十二月の冷たいコンクリートの急斜面を利用して日課の腹筋をしていた俺は、<スマートグラス>の右上のバナーに表示されたショッキングなメッセージを見た瞬間、飛び起きた。
差出人は
なりすましアカウント、ハッキング、送信先を間違えたとか……どうかそういう類のものであってくれと願ったが、それはどれもあり得なかった。俺のアカウントも七音のアカウントも、準国家機密クラスのセキュリティで守られている。それに、あのお転婆娘ならやりかねないと、そう思えてしまうのが恐ろしい。
まったく、眩暈がしてくる……なんだよ、♡って。プロポーズに♡をつけるとか、これが最近の十代の感性か。あいつ、自分が何をしでかしたのかわかっているのか?
俺は今年で二十三歳の成人で、七音はまだ十七歳の未成年だ。未成年の場合、オンライン上の行動記録は保護者にも共有されるから、このメッセージは彼女のお父さんお母さんに筒抜けである(しかしそれにしたって、抜け道は沢山ある。何故あいつはわざわざこんな公的なアプリを使ったんだ?)。
もちろん、それだけなら問題ない。ただの冗談で済む話だ。問題は、あいつの家系が、大を幾つ付けても尚足りない、超大富豪の音町一族の令嬢であることだ。そして彼女の父親は、娘を害虫から守るためなら法律も倫理も躊躇なく叩き割る、親の鑑のような立派な御仁であらせられる。つまり何が言いたいのかというと、俺の命は今日までかもしれないということだ。
まあ、殺されるっていうのは冗談にしても、俺の返信次第では、社会的に存在を消すくらいのことは現実的にやってきそう。
さて、どう返信したものか。完全な否定と肯定はもちろんアウト。どっちつかずな返答も解釈次第だからリスクが高い。なら、返信しないのが最善手か。偶々素潜りしていてスマートグラスを外してたとか、適当な理由をつけて気づかなかったことにして押し切れば……。幸いまだ既読はつけていないし……。
俺が未読スルー作戦で乗り切ろうと決めた直後、七音からさらに畳み掛けるようにメッセージが届いた。まるでこちらの思考を見透かすかのように。
『何故無視するんですか? 酷いです。私にあんなコトしておいて、気が済んだらポイですか……』
『何をおっしゃっていらっしゃるのでしょうか? マドモアゼル』
強かすぎるぜ、この未成年。
誤解がないように言っておくと、俺と七音の間に肉体関係はない。恋愛関係もない。あるのは利害関係だけだ。百歩譲っても主従関係。
七音の奴、ちゃんと後で俺とお義父様に事情を説明してくれるんだろうな?
というか、本当に何が目的なんだ? イタズラ好きなのは知っているが、しかしイタズラだけで満足するほど、あの少女は可愛くない。なにかもっと、壮大な不利益が俺を待っていそうな気がする。
……しかし、どうやら今度はあちらからの返信がこない。しかも悪質すぎる既読スルーだ。
本格的に自分の身を案じていると、後ろから車のエンジン音が聞こえてくる——否、エンジン音というかもはや破壊音で、明らかに水素でも電気でもない、まさかのガソリンエンジンだ——振り返ってみればさらに驚くべきことに、ガソリンエンジン車の中でも初期中の初期、大衆向け自動車の先駆け、T型フォードだった。呆れも驚きも通り越して、ここまでくるとちょっと感動する。T型フォードは仮想現実で見たことも乗ったこともあるし、
それに、そんなレトロな車を運転しているのが、古き良きメイド服を着たお姉さんというのもまた、時代感がめちゃくちゃで面白い。
「…んださ……や……とまらな……けて…!!」
知人のメイド運転手さんは元気に手を振って何かを言っているようだが、エンジン音がうるさすぎて全然聞こえない。元気があるのはいいことだが、千年さん、ちょっとスピード出し過ぎじゃ……あ、やば、顔めっちゃ引き攣ってる! これ止まらないやつだ!
俺が事態を察した頃にはもう手遅れだった。急斜面も手伝い、とんでもない速度が出ている。
フォードが俺の真横を猛スピードで過ぎ去る一瞬に、千年さんがドアから飛び出してきた、というか、飛び込んできた、俺の胸に。
緊急脱出である。
「ぐへっ」
二人で一緒に倒れ込む。少し遅れて、遠くの方で正真正銘の破壊音が鳴り響いた。
大事故である。今世紀最大の交通事故かもしれない。リアルで自動車を公道で運転するような物好きは半世紀前に絶滅しているというのに、二十世紀のアンティーク車をこうも派手に大破させた奴は、当時のアメリカにもいなかったんじゃないか?
「うう……
「やっちゃいましたって……千年さん、怪我は?」
「ないです」と言いながらのそのそと起き上がる千年さん——彼女は
「壊れちゃいましたね、T型フォード」
「うう……また怒られる……」
突き当たりのフェンスににぶつかって大破したフォードから、モクモクと立ち昇る煙を二人で眺めていると、ものの数分で無人消防車と全自動回収車が駆けつける。
「あ、通知来ました。半年間の免停と講習の受け直しに、<ASL>がすごく下がったっぽいです……」
「それはそれは……」
不慮の事故として見做される可能性もあると思ったが、やっぱり、あんないつ壊れてもおかしくないアンティーク車で公道を走るのはまずかったらしい。御愁傷様。
「まあ、よかったじゃないですか、命が助かったなら」
「そ、そうですよね! 命が助かったなら全然一切問題ないですよね!」
「それに、状況を瞬時に判断して脱出したのなんか、ナイス判断だと思いますよ。いやあ、あの判断は素人にできることじゃないですね」
「えへへぇ、それほどでもありますかねぇ」
「…………」
この人、
「ところで、用件の方は……なんとなく察しがついてますが……」
「ああ! そうでしたそうでした、私は反田さんをお迎えにあがったんでした!」
ポンと手を叩いて千年さんは言った。
「七音の命令でしょう? ……あいつ、今回は何を企んでいるんですか?」
俺はさっきのメッセージを思い出す。少々演出が過ぎているが、あのメッセージといいこれといい、イマイチあいつの考えが読めない。全てが全くの思い付きで何の意味も目的もない悪戯である可能性も否定しきれないが。そしてT型フォードに関しては完全に何の目的もない思い付きの演出だろうが——演出が大好きだからな、あの小娘は。とにかく人の予想を超えるのが大好きで生き甲斐みたいな奴だ。
「それが、私もまだ何も聞いていなくて。まあ、私はいつも何も聞かされないままに言われたことをただやっているだけなんですけれど」
多分、言われたことのうち半分もできていなそうだが、これを言うと落ち込みそうなので言わないでおこう。そのドジっ子属性を七音に買われているわけだし、何より、千年さんの落ち込む姿は見たくない。
「じゃあ、あいつに直接訊くしかありませんか……でもどうします? 移動手段無くなっちゃいましたけど」
事故現場を眺めながらそう言うと、千年さんは空中で人差し指を踊らせた。
「少々お待ちください。今、新しく<飛行車>を手配しますので」
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