悪魔と陰膳
蘆 蕭雪
『ラムロックの悪魔』
『ラムロックの悪魔』 芳賀喬治
悪魔には、無糖の珈琲とラムロック*が似合うらしい。十二月の午後、京都駅の地下街にある喫茶店で悪魔を見た。その日、僕は幻想作家の絵崎先生と待ち合わせをしていた。絵崎先生は当時の僕にとって憧憬の対象だった。僕は新人作家、それも駆け出しの怪談作家だったけれど絵崎作品の愛読者で、怪談と怪奇幻想は似て非なるものでありながら、絵崎先生は僕の処女作を買ってくれたらしかった。絵崎先生の敬虔な崇拝者になったのは言うまでもない。一年前、対談の機会を得てからささやかな親交を持っていた。京都へ取材旅行に、とメールで書き送れば面会の誘いが降りたのだ。後日、先生が指定したのは、京都駅地下街にある老舗の喫茶店だった。
午後二時半、僕は迷いながらもイノダコーヒ*に辿り着いた。
新幹線は待ち合わせよりも少し早めの到着だった。けれど、僕は件の喫茶店を間違え、地下街のポルタではなく新幹線側の店舗に向かってしまったのだ。慌てて引き返して、地下街の中をうろつくこと十分弱。喫茶店を探し出せば、店頭のショーケースには洋生菓子が並んでいた。店員に声を掛けると、絵崎先生が席を取ってくれていて恐縮する。喫茶店の中は落ち着いた色調で調えられていた。奥行きのある店内で、壁際には二人掛けの席がまっすぐに並ぶ。窓がなく、寄木張りに見立てた床板が白熱灯に艶を刷いて照り返して、暖房はほんのりと温かい。
暗い茶色の壁は、板目に深煎りの珈琲でも塗り込んだように渋かった。店の中央には、さながらトルテに似た大卓が置かれ、新聞や雑誌を読みながら熱い珈琲を啜る老人たちが相席しているのが見えた。椅子も壁に埋めた背も、乳白色の革張りで眩しいほどに潔い。僕は常連客らしい人影の間を荷物を抱えて進んだ。絵崎先生の姿はすぐに見出すことができたけれど、確信が持てなかった。奥の壁際、何故かこちらに背を向けて椅子に座っていて、壁側のソファに腰掛ければいいのに────とは思ったけれど、そこに先客が座っているらしかった。
この時、僕は第六感的な直観で「悪魔だ」との天啓を得た。
先客の悪魔は、黒ずくめの影法師じみた格好をしていた。黒のハイネック、濃灰色のツイードのジャケット。四十路辺りの、日本人男性の中年紳士らしい見た目だ。男は、服装からして陰気で、蠟細工の質感のくすんだ皮膚が生身の人間には見えなかった。頬骨の浮く、それでも鼻筋の通った、小奇麗な造形の顔立ちは、隠微な疲れた色気を粘土を捏ねた塑像に押し込めたようだった。粘土を捏ね、贅肉を削いでいけば、悪魔らしい男の姿が出来上がるのかもしれない。古典落語の死神のような飄々とした風情はなかった。黒髪の鬢を撫でつけながらほつれてやつれた感じが妙に淫靡だった。観察する間、男の前にはお冷が置かれていないことに気づく。
断っておくと、僕は悪魔崇拝者などではまったくない。
無論、悪魔だったという根拠があるわけでもない。正直に言えば、ごく稀に霊感が発揮される場合がある。時折、テレビのチャンネルが合ったみたいに見えるというだけで、交信は不可能だった。交霊術も、死霊も悪魔も天使も関係がないのだ。僕は怪談作家であり、悪魔主義者でも心霊主義者でも霊能者でもない。晩年のコナン・ドイルは心霊主義に傾倒していたらしいが、僕に出来るのは降霊術どころかコックリさんくらいだ。つまりは子供騙しの児戯だけ。意のままにできることなどありえない。偶然、本当に低確率で、僕の目は異物にピントが合ってしまうらしいのだ。僕の目には、悪魔らしい四十路くらいの男が見えていただけだった。
悪魔はただ、絵崎先生の先客であるかのように腰掛けていた。
僕は、絵崎先生にどう声を掛けるべきか悩んだ。先客がいて、その先客は悪魔らしく、絵崎先生に見えているのかどうかが分からない。最適解は何なのだろう。すると、悪魔の方が僕に目顔を寄越しながら席を横へずれた。悪魔は、先生の正面、ソファの中央に陣取っていたのを譲るように壁際に座る。僕が呆気に取られていると、微かに笑みながら「どうぞ」と口を動かしたのが分かった。読唇術など習得しておらず、これも交霊術の範疇に含まれるのだろうかと直観に怖気がする。悪魔は失笑して、噴飯物のコントでも眺めているように蠟の相好を崩した。
僕は絵崎先生に「遅れてすみません」と声を掛けた。悪魔のお蔭で緊張の糸が切れたのか、拍子抜けなほど自然な台詞だった。絵崎先生は怒りもせずに、鷹揚な会釈をしながら「道に迷ってもうたん?」と破顔してみせた。僕は頭を下げ、平身低頭したまま悪魔の隣に座った。葛藤はあったが、躊躇する余裕もなかったので膝を揃えて絵崎先生の正面に収まる。再三の謝罪に、絵崎先生は悪魔と同じように噴き出して笑った。その笑顔の造形、表情の奇妙な合致が、隣の男が悪魔であることの証左のように思え、絵崎先生は悪魔と契約しているのではないか────と十九世紀末の神秘主義者じみた妄想に危うく陥りかける。
実際、当時の僕だけでなく、今の僕自身も信じているのかもしれなかった。
絵崎先生は、僕の逡巡など知る由もない様子でメニューを開いた。ぺらぺらと順に頁を捲りながら、「葉賀くんは甘いもん好き?」と洋菓子を薦めてくる。洋菓子の候補は、アップルパイにレモンパイ、モカトルテと王道なものが揃っていた。僕は厚意に甘え、先生の質問に逐一に頷いては相槌を挟んで返す。絵崎先生が選んだ珈琲にスイーツをひとつ。不意に、真横から黒い腕が伸びてメニューに影を落とした。静かに黙っていた悪魔が、白い人差し指を出せば、絵崎先生の指も動き、悪魔と不可視のコインを頁の上で滑らせるように動かし始めた。二人の、いや二名の奇妙なシンクロは、悪魔と交霊するテーブルターニングのような有様だった。
交霊術、もしくは悪魔との交信が喫茶店の卓上に現出しているのだ。
僕の目の前で、悪魔はラムロックと書かれた洋菓子の写真を選んでみせた。絵崎先生が「この店の名物やねんけど」と呟く。ラムを効かせたチョコレートの生菓子らしい。隣では、悪魔が肩を震わせながら笑いを堪えていた。僕は頷きながら、絵崎先生はラムロックの悪魔と契約しているのだと思った。黒い悪魔は、ラムロックの悪魔と呼ぶに相応しい四十路の紳士だった。
【注意事項】
この作品はフィクションです。
実在するあらゆるものとはまったく関係ありません。
また、作中の商品名、社名などに利益を享受する意図はありません。
【注釈】
* ラムロック
イノダコーヒ(後述)で販売されている洋菓子
チョコレートで覆われており、ラム酒を効かせたチョコクリームが特徴。
* イノダコーヒ
昭和十五年創業、昭和二十二年にコーヒーショップを開業
現在、京都市内をはじめ多くの支店がある(作中はポルタ支店をモデルとする)。
【公式サイト】 イノダコーヒ https://www.inoda-coffee.co.jp/
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【著者附記】絵國先生の追悼記念号に寄せて
読者諸氏の賢察通り、この作品は絵國淑哉先生をモデルにしたものである。無論、生前の絵國先生が、悪魔と契約していたという妄言を吹聴する意図はない。但し、作中の出来事は、絵國先生との面会時の実体験に基づく。当然ながら、悪魔であるというのは著者の主観的な判断に過ぎない。この意味で、当作品は虚構であり、現実を下敷きにしたフィクションなのである。右記について、著者としては、読者諸氏の賢明な判断による鑑賞を求める所存である。
悪魔の正体は、絵國先生が寄稿された生前のコラムにヒントを得る。
絵國先生の愛読者であれば、悪魔が誰であったのかを了察するに余りあるだろう。
(著者・
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