4-2.襲撃 -raid-

「所長、一階エントランスでこのビルのエマージェンシー・ロックが作動しました。同時に六藤陽菜の通信回線からASAPコールが発せられています。場所は同じく一階エントランス!」

 所長室で書類業務をしていた所、階下でかすかに銃声のような破裂音が聞こえたかと思った矢先、非常ベルが鳴った。所長ことリチャードの耳は常人よりはるかに良い。銃声のような破裂音は、まさに発砲音だったということだろう。

 すぐに音の方へ駆けつけようと椅子から立ち上がった所で早口に補佐役の村瀬が告げてきた。

 ASAPコール。それはD-PAINの戦闘員に持たせている通信端末につけられている独自機能の一つで、スイッチひとつで通話やメッセージを打つことなく周囲のメンバーに至急応援を求める緊急発信を行う。

 つまり陽菜のASAPコールは『一階エントランスのエマージェンシー・ロック作動は敵意のある襲撃のためであり、状況が悪く、早急に応援が欲しいこと。また、通話やメッセージを行う余裕は無い』ことを端的に現していた。

 エントランスという場所からして、たまたま襲撃に出くわしてしまったというところだろうか。すぐに状況判断をしてためらわずにASAPコールをする判断力は流石だ。

 リチャードは自身の端末を取り出し、小夜へコールする。規模や目的が不明の相手なら司令塔である自分が出るより小夜を向かわせたほうが良いだろう。 

『──はい、六藤です』

 小夜はワンコールで出た。が、声にいつものような覇気がなく息を殺すように小声だ。そしてどこか焦っているような声音だった。

「小夜くん、陽菜くんのASAPコールはキミにも届いているはずだね? キミはいまどこ? 一階に向かえる状況かい?」

『四階のオフィスにいたのでASAPコールを見てすでに向かっていますが……エレベータとその横の階段前に一人ずつ覆面男がいて行く手を阻んでいます。向こうはまだ私に気づいていません。これから交戦しますが二人共契約犯罪者なら一階到着は少し時間がかかるかもしれません。時間が惜しいので失礼します』

 そう言うと通信が切れた。

「バカな……襲撃者がすでに四階まで来ているだと」

 ありえない……が、それ故にありえなくもない。

 悪魔との契約能力とはそういうものだ。本来ありえない事がありえてしまう。

 例えば、瞬間移動の能力や、場所と場所をつなぐような能力を持つ契約犯罪者が襲撃者の中にいる場合だ。

 この場合の優先すべき事案は何で、それにどう対応するか。瞬時にリチャードは頭を回転させて、様々な状況を検討する。

 ── “賢者の契約書” を闇市にばらまいてんのがデケェ組織だったら

 ──そいつ等と全面戦争になったら

 様々な情報を整理、選択する中でこびりついたように繰り返されるのは先程、取調室で真柴が言っていた言葉だ。

(狙いは売人か、あるいは押収室にある大量の契約アイテムか…)

 売人は地下二階、売人から押収した大量の契約アイテムは七階の押収室だ。二手に分かれて行動するにも、二手に別れるほどの戦力がこちらにあるのかどうか。

「村瀬くん、いまビルに残っているエージェントは?」

「ほぼ全員出払ってます。所長を除けば、六藤小夜のみ。ただし、非番ですが先程のASAPコールの通り六藤陽菜が一階エントランスにいます。また、GPSを見る限り百地桃也も同じ場所にいるかと思われます」

「完全に人の少ないタイミングを狙われたわけだ」

 唐突に訪れた入念に用意された襲撃に、リチャードは思わず舌打ちをしそうになる。

 しかし、見習いとは言え二人のエージェントがたまたま襲撃を受けた場所に出くわしたのは僥倖と言えるかもしれない。明らかに襲撃者の思惑とは異なっているはずだ。荷が重いのは重々承知だが、彼らが状況を変える一手になることも期待できる。

「村瀬くん、陽菜くんのASAPコールに “三番” で返信して」

「了解です」

ASAPコールに対する返信はいくつかある。あらかじめ番号を振り、それに対応した意味合いを決めておくことで受信側がわざわざ通信端末を開かなくても意味合いが通じるようになっているのだ。

 三番は「増援を送る。ただし到着までに時間を要する可能性があるため、状況によって自己解決を試みること」だ。

 賢い六藤陽菜ならそれだけで状況を察するだろう。

 戦闘向きではない悪魔を持つ彼女だけなら難しいだろうが、同じ場所に百地桃也がいるのであれば、二人だけで状況を打開できる可能性も充分ある。

 リチャードは百地桃也のポテンシャルを高く評価していた。いや、彼の契約した悪魔アラガミに未知数の可能性を感じていたと言えるかもしれない。

 無論、それが遺憾なく発揮できる状況であれば、だが。

「それから三人にメッセージを」

「はい!」

 各々が眼の前の状況を打破し、自由に動けるようになった場合に備え、あらかじめ全体の指示をメッセージで飛ばしておく。

「私は地下二階の拘束室へ向かう。小夜くんは四階の敵を無力化したら一階エントランスで陽菜くん、桃也くんと合流。三人でエントランスの襲撃者を無力化したらそのまま七階へ向かって押収室の確認」

「了解です」

 最優先は拘束室だ。

 襲撃者の狙いが押収した大量の契約アイテムである可能性もあるが、それらは代替が効くものだ。

 一方、拘束室にいる売人や真柴がリチャードをはじめとするD-PAINが知り得ない何かを握っているとなると、その情報は絶対に手放すわけには行かない。

 その読みがあたっていれば、地下二階に至る道程がもっとも戦闘が激しくなる可能性がある。であればまずはリチャードが出て戦力分析をする。

 一人で対応できるなら良し、自分一人が厳しければ状況により他三人と合流して力を合わせて戦うことが一番勝率が高いだろう。

 瞬時に今後の方針を決めると、勢いよく所長室から飛び出すリチャード。まるで扉を壊さんばかりの勢いだが、今はお行儀に拘っているタイミングではない。

 飛び出した廊下では、所長室から階段までの道のりを塞ぐように黒尽くめの人物が右に二人、左に二人経っている。目出し帽にサングラスと顔や性別はわからないが背格好からして男だろうか。

 全員の身長、体格が全く同一なのが不気味だった。

 どうやらエレベーター横の階段から姿を現したらしい。

「──なっ!」

 リチャードの後ろから顔を出した村瀬が息を呑む。

 黒尽くめの男たちはいずれもナイフやサブマシンガンなど何かしらの武器で武装している。

 法治国家日本でなかなか拝める光景ではない。

「やれやれ、わざわざ所長室までご足労戴くとは恐縮だね」

 リチャードはオーダーメイドであろうシワのないスーツのボタンをおもむろに外し、ネクタイを緩める。セリフも仕草もまるで銃を向けられている者のそれではない。

 しかし、その目つきと体に纏う殺気は明らかに肉食獣を彷彿とさせる。

「村瀬くん、キミは契約者ではない。終わるまで下がっていなさい」

 所長室のドアを再び開け、村瀬をそこに逃がす。

 村瀬もまた、いつも温和な上司の初めて見る獰猛なる目つきに恐怖を覚えつつ、無言で従った。

「啼け、 “テスカトリポカ”!」

 その言葉とともにリチャードの背後に悪魔が現れる。その姿は柱状の木造彫刻のようで、まるで手のひらサイズのトーテムポールだ。

 テスカトリポカと呼ばれた悪魔が鳥のような高く鋭い鳴き声を発すると、リチャードの屈強な体はさらに怒張した。


 ◇


 真っ暗闇の中、わずかな光さえ襲撃者である依原を刺激しかねない事を考えるとスマホ型の通信端末は開けない。そのため、陽菜はポケットに手を入れ、通信端末の感触を確かめている。

 襲撃を受けたと判断した瞬間に陽菜がASAPコールを送っていたのには気づいていた。ASAPコールは範囲内の全エージェントに届くため、俺のポケットに入っていた通信端末にも陽菜からのコールを現す振動が届いていたからだ。

 一方で、ASAPコールに対する返信は本人だけに届く。

 どうやらその返信があったようだ。ASAPコールに対する返信は、特殊な振動で返ってくる。その振動パターンで返信内容がわかる仕組みだ。

 陽菜がやんわりと握っていた俺の手を一旦離し、再度指だけを握り直す。

陽菜が握り直した俺の指は人差し指から薬指までの三本だった。

 つまり返信は三番。増援を送るが時間がかかるというヤツだ。

 やはりこの襲撃は思っていたよりも大規模なようだ。増援が時間がかかるかもということよりも、他のエージェント、この場合は小夜ねぇだろうけど、小夜ねぇを始めとする自分たち以外のエージェントも同時にトラブルが発生していることが問題だ。

 とは言え、必要最低限の情報は出揃ったし、こちらの状態も所長や小夜ねぇに伝わっただろう。もともとASAPコールは増援が欲しくて送ったというよりはこの状況下で素早く俺たちの状態を伝えるために送ったものだ。

 後は俺たちが依原と戦っている間に所長が適切な対応を指示してくれるはずだ。

 さて、依原とどう戦うべきか。

 今俺たちがいるのは目を開けているのか閉じているのかすらわからなくなってしまうほどの完全な暗闇の中だ。

 石柱に背を預けているのでかろうじて方角はわかるが、石柱という確かな感触がなければどっちを向いているかもすぐにわからなくなるだろう。

 調書に書いてあった依原の特徴を思い出す。

 基本戦術は、アプペでターゲットがいる周囲を暗闇にし、依原自身は暗視装置を装着した上で、静かにターゲットに近づいてナイフで暗殺というスタイルで依頼された人間を報酬と引き替えに殺す、殺し屋まがいのことをしていたとのこと。

 そして、依原は従軍経験者。特に夜間戦闘が得意で契約犯罪者になるまで海外で傭兵をやっていたらしい。

 近接戦闘の技術は俺より格上だと思うべきだろう。

 この暗闇の中では依原の正確な位置もわからない。先程アプペが能力を発動する前はエレベーター前に立っていたが、今も同じ場所にいるとはリスク管理の上で考えづらい。

 近づいて俺の強化された右腕でブン殴る、というのが途端に現実味を無くしたように感じられた。

 もうちょっと確実性のある他の方法はないのだろうか。そう考えた時、ふと、俺がアラガミから借りられるのはこの腕だけなんだろうか? という考えに至った。

 深層意識で出会った本来のアラガミは百八本の手足と六つの眼があると言っていたし、俺が望めばそれらを貸してくれるとも言っていた。

 だとすれば、この状況に最適な別の腕があるのではないか。

(……アラガミ)

(はいナ)

 隣りにいる陽菜にすら聞き取れないほどの小声でアラガミを呼ぶ。

 アラガミもまた俺の肩に乗り、俺だけに聞き取れるぐらいの小声で耳打ちする。いつもなら騒がしいやつだが、今回ばかりは状況と空気を読んだようだ。

(いつものこの腕以外の腕を借りたいんだ。この状況にふさわしい右腕はない? いや、右腕じゃなくてもいいんだ。左腕でも目でもなんでも)

 右腕を掲げてアラガミに向け、俺はヒソヒソとアラガミに相談する。

(当然あるのダ。吾輩はそこらの悪魔と違うのだ。ソシャゲで言うSSRなのだ)

 俺の金で遊んでるソシャゲで例えるなよ。と突っ込みたかったが声が大きくなってしまうのは目に見えていたので飲み込む。

(お前も知ってのとおり、吾輩の能力は “吾輩の体を貸す” ことなのだ。ただし体ならどこでも貸せるわけじゃないのだ。お前の体が壊れている所じゃないとダメなのだ)

(──!?)

 それは初めて聞く話だ。力を借りるのに条件が必要なのか?

(壊れてヒビが入ってたり穴が空いてないと吾輩の力が入る隙間がないのダ。お前の右手はちょっとだけヒビが入っているのダ。だからちょっとだけ吾輩の力が流れるのダ。だけどヒビが細かすぎていつも貸してる貧弱なあの腕しかヒビの隙間を通れないのだ)

 アラガミの説明は単語選びがたどたどしいせいで拙い。

 要領を得ない部分もあるが要約すると、アラガミの体を借りるには契約者、つまり俺の体の借りたい部位が傷ついたり不自由だったりしないといけない、ということだ。

 俺は幼い頃の事故で右腕に後遺症が残っている。アラガミが言う、“ヒビ” というのは恐らくそのことで、だからアラガミの憑依はいつも右腕だけだということだ。

 そして、その後遺症も比較的軽度だから貸せる腕がいつものやつしか無い、というのだ。しかし……

(──貧弱な腕? いつも借りているこの右腕が?)

 改めて右腕を見る。硬く黒い鱗が張り巡らされた腕に鉄をも引き裂く鋭い爪。この腕がアラガミの中では貧弱なのか?

(普段お前に貸しているその腕は吾輩の腕の中で一番へなちょこの腕なのだ。背中ぽりぽりかくようの手なのだ)

(孫の手かよ)

 興味深い話ではあったが、一方でそうすると、現状ではいつもの右腕を使うしかないということになる。

 俺の体で不自由なのは右腕だけだ。

 このアラガミの力が憑依した右腕に力不足を感じているわけではないが、今のままだとどうも状況不利だ。

 しかしゆるキャラのようなアラガミと話したことで幾分頭が整理された。

 俺が依原に接近戦を仕掛けるのはかなり分が悪いが、しかし、今この状況下に置いては付け入る隙が無いわけでも無いと思う。

 まず第一に、さっき明るい時に見た依原はナイトビジョンを装備していないように見えた。これは拘束室にいたせいで持っていなかったからだろう。ということは、向こうからも周囲の様子が完全に把握できているわけではない。もちろん、暗闇での戦闘に慣れているという面ではあちらが上だが。

 次にやつの装備は拳銃だということだ。どこから調達したかは不明だが、お得意のナイフではない。

 俺は思いついたプランを実行するため、陽菜に耳打ちした。

 ヒソヒソと喋る声が依原の耳に届かぬよう、最新の注意を払いながらゆっくりと丁寧に。陽菜と俺との距離感は普段から近いが、陽菜の耳に俺の唇がついてしまうのでは、と思うほど物理的に近いのはほとんど初めてだ。俺はこの状況下だと言うのに少し気恥ずかしさがあった。

 陽菜はプランを聞き終えると静かに頷いた……気配がした。真っ暗で何も見えないが雰囲気でわかる。

 握った手に少しだけ力を込めると、それを合図に手を離す。

 陽菜が静かに自分の悪魔バエルを呼び、音を立てぬようゆっくりとシャボンを空に放ち始める。俺はその間に左手を石柱につけ、石柱を軸にして体の位置を四分の一ほど反時計回りに移動した。つまり、エレベーターホール側からは石柱に隠れるような位置にあった体を出し、そちらへ向いたわけだ。銃で撃たれたらひとたまりもないが、暗視装置のない相手もまたこの暗闇が見えていないはずだ。

 俺は暗闇の彼方、先程まで依原がいたであろう場所を凝視し、腰を落とす。ここからは瞬き禁止だ。

 パチン!

 プチンパチン!

 俺の姿勢が前傾になるとタイミングを同じくして、俺たちの斜め左手側の天井付近から小さい破裂音が聞こえる。

 陽菜が飛ばしたシャボンを意図的に割っているのだ。

「オイ、音を立てているのは誰だ」

 シャボンの破裂音はかすかなものだが、依原を刺激するには充分だった。いや、かすかなもの故に正体がわからなければ不気味な音とも感じられるかもしれない。

「その音、今すぐ止めないと撃つ」

パチン、パチン、――パパパパパパパパンッ!

 依原の静止を無視し、むしろ逆に煽るかのようにありったけのシャボンを割る。

 バシュッバシュッ!

 依原は宣言通り、音のする方へ銃を撃った。とはいえ、音のした正確な位置がこの暗闇でわかるはずもなく、大雑把な威嚇発砲だった。

(見えたッ!)

 作戦通りだ。そう思ったと同時に地面を蹴り、駆け出す。

 依原にできるだけ安全な方向へ向けて銃を撃たせたかった。

 欲していたのは発砲の際の僅かな発火。銃を撃ったときに銃口付近で火薬が燃焼して発生する閃光、マズルフラッシュというヤツだ。

 映画やアニメほど派手な光ではないが、しかしこの暗闇で依原の位置を把握させるには充分だった。

 奴はやはり明るい時にいたエレベーター前から移動していた。光ったのは俺から見て右手側一時の方向、およそ十四歩の距離。

 ……八、九、十、十一、十二――

 頭の中で歩数を数えながら右腕に力を込める。

 狙うのはマズルフラッシュで光った位置からやや上、頭があるであろう位置。

 もし外したらもう一度同じ手は通用しないだろう。一撃で相手の意識を刈り取れなければそれもまた同じことだ。

「じゅううううう……よんっ!!」

 ありったけの力を込めて暗闇を殴り抜ける。

「ッッッッ!!」

 俺の右腕に確かな衝撃と硬い何かが砕ける感触が伝わり、瞬間拳に重さがのしかかったかと思った直後には吹き飛んでその重さから開放される。

 それは俺が殴ったモノが彼方に吹っ飛んでいく時の感触だ。

 手応えあり。しかも、会心の一撃と言うか全力で殴れた感触があった。

 直後、大きな衝撃音とともにドサ、ごろごろ……という土の詰まった麻袋が転がるようなかすれた音が聞こえた。

 殴られた依原が壁に激突して地面に突っ伏した音だろう。

 吹っ飛んだ依原から何の音も、それこそうめき声の一つも聞こえないことからも依原がすでに意識を失っているのは間違いない。

 俺の拳に伝わった手応えからも、人が殴られて無事でいられる衝撃ではないことはあきらかだ。

 なのに……。

「桃也!」

「まだだ! まだ終わってない!」

 こちらへ駆けつけようとする陽菜を静止する。

 そう、まだだ。まだ暗闇は晴れない。

 それはつまりアプペの能力が継続中であること、ひいては依原の意識がまだあることを意味しているはずだ。

 いや、そんなはずはない。自分で考えて自分で否定する。

 アラガミの力を借りた右腕の全力で殴ったんだ。意識の有る無しどころか、生死が問われるレベルの威力だ。それを耐えるなんてありえない。

 …………。

 場は沈黙している。俺も陽菜も、居合わせた受付の女性二人も息を殺している。当然、依原の反応もない。しかし、暗闇はなお続く。

 俺は意を決し、ポケットからスマホを取り出すとライトを付け、依原が吹っ飛んで言ったであろう方へ向けた。

 そこにはうつ伏せで倒れる人影があった。手足も明後日の方向へ向いている。どう見ても、意識があるようには見えない。人影の周囲に悪魔の姿もない。

 そもそも、俺はアプペの姿を見ただろうか? この崩れ落ちている人影が言葉で「アプペ」と発したのを聞いただけだ。なぜ、悪魔が姿を表さないんだ?

 依原の方へ、足音を殺しながら慎重に近づく。右手には拳銃を握ったままだ。俺はひとまずそれを奪おうと依原の右腕を掴み、その感触に違和感を覚えた。思えばさっき殴った時の感触も妙だ。手応えはあったが同時に、まるで硬質なプラスチックが砕けるような感触もあった。

 そして、その違和感を確かめるため、先程までの慎重さは捨て、今度は大胆に依原が被っていた目出し帽を剥き脱がせる。

「これは……」

「桃也……これって……」

 俺の背後まで小走りによってきた陽菜も、俺と同じく依原を見て絶句する。いや、依原だと思っていた物、か。

「マネキン……?」

 俺の手から離れ、ゴトリと音を立てて転がるマネキンの懐からぽろりと何かが落ちた。

 スマートフォンだ。どうやら俺たちが依原だと思って聞いていた声はスマートフォンを通して流れていたものらしかった。

 一体俺たちは誰と、何と戦っているんだ?

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