第14話

三月の上旬に、大学卒業前に、あきらは東京の大手ゼネコンに就職が既に決まっていた友人の隆史、自分のアパートで話をすることにした。


隆史が、あきらに向かって言った。

「お前、手を出してはいけない娘に手を出してしまったな。」

「ああ・・・。」

あきらは、ずばり指摘されてしまったと思い、歯切れの悪い返事になっていた。


それから、隆史は、タバコを一本ポケットから取り出し火をつけ、一口吸ってから続けた。


「あの娘、すごく純粋だから、このままお前が沖縄帰っちまったら・・・。」

「それ以上言わなくても分ってるよ。俺が沖縄に帰ったら、あの娘、相当悲しい思いするだろ~な~。」

「そうだよ!」


隆史は、ちょっときつい口調になりかけていた。

あきらは、一息深呼吸して、真剣な顔になって話し出した。


「今時、あの娘みたいな娘は、もういないと思っていた。あんなに、純真で、ひたむきな気持ちを正面からぶつけてくる娘は見たことがない。亅

「あの娘は、俺が今まで出会って来た娘たちとは全く違っていた。沖縄にはいないタイプの娘なんだ。」


「東京にも、そうはいないと思うよ。」


「人間誰しも大きくなると、色んなことがあって、内面がどんどん醜くなって行ってしまうはずなのに、人を疑うと言うか性悪説と言うか、あの娘には、全くそれがないんだよな。亅

「浮世離れしていると言えば、そうなんだろうけど、俺たち皆が既に失ってしまった、子供の頃には持っていた何か大事なものをあの娘は未だに持っている。亅

「そんな気がするよ。だから、あの娘と居ると、心が癒されて、安らぐんだろうな。」


「確かに。それで、どうする気だよ?」


「出逢ったとき、俺自身びっくりしたけど、この娘にしようって決めたんだ。」


「今は一緒に連れて帰ることはできないけど、いずれ沖縄に連れて行くつもりだよ。」


「そうなのか、それなら、俺はもう何も言うことはないな。」

と、男二人で話していた。


あきらが東京を離れる日が近づくにつれ、仁美の精神は時々不安定になっていった。


夜もあきらのことを考えては眠れなくなったり、泣いたりしていた。

音楽プレーヤーでユーミンの曲を聴いては、一人でよく涙ぐんでいた。


カレンダーを見ては、『後何日』、と思ってみたり、『大丈夫、まだ先の話よ』、と思ってみたりした。


あきらとは毎日デートして、毎日電話でも話ししていたが、その時は見たくない現実は仁美の頭の中から都合よく消えてしまうのだ。


そして、あきらと離れると、またいろいろ考えて不安な気持ちが擡げてくるのであった。


不安な気持ちを忘れたくて、眠りたくて、あきらには内緒で、薬をのんで眠ったこともあった。


仁美にとって、あきらの存在は大きくなっていて、自分でもどうしていいか分らなくなっていた。


切なくて、悲しくて、胸が張り裂けそうになっては、気がつくと、夜中でもかまわずあきらに携帯をかけていた。


「もしもし、あきら、夜中からごめんなさい。まだ起きてる?」

「ああ、起きてるよ。もう講義も試験も全部終わって、学校は休み。後は卒業式を待つばかりだからね。どうかした?」

「不安で寝むれないの。あきらが沖縄帰っちゃったら、私どうかしちゃいそう。」


「何も心配ないさ。」

「う~ん、あきらが沖縄に帰って社会人になったら、綺麗な大人の女の人が大勢周りにいるだろうし、沖縄と東京はあまりにも遠いんだもの。」


「仁美こそ羽目外すんじゃないか?」

「そんなことしないわ!でも、あきらは分からない。とにかく不安なの! あきらー、『安珍と清姫』って話、知ってる?」


「なにそれ?」

「知らないの?」

「恥ずかしながら、知りません。」

「昔々、ある所に安珍という美青年がいました。勉学に励む青年でした。その安珍を町で見かけた清姫が一目惚れをしてアプローチをしました。」


「それでどうしたの?」

「でもね、勉学に燃える安珍は見向きもしなかったの。安珍に恋焦がれる清姫は、とうとう気が狂ってしまったの。」


「安珍はばかだよな。そんなに思われてるのに、勉学に燃えて見向きもしないなんて、もったいない。」

「も~う、安珍はあきらと違うの。それで、清姫を恐れて逃げる安珍は、お寺に逃げ込んで、お寺の鐘の中に匿われるのよ。」

「鐘の中?そのほうが清姫から逃げるよりぞっとするね。それで?」


「安珍は匿われるけれども、安珍恋しや、と言って、とうとう恋しさのあまり大蛇になってしまった清姫に鐘ごと絞め殺されるのよ。」


「うわー、恐ろしい話だ、女の一念ってやつかー。安珍は浮気した訳でもないのに絞め殺されるなんて、堪ったもんじゃねぇーよなー。でも、清姫みたいに思われるなら本望だと思うよ、男冥利につきるってもんだよなー。」


「あきらだって浮気したら、私が清姫になってやる!私の干支、蛇なんだから。」


「ははは、俺は蛙なんだね。ところで、仁美が浮気したときはどうするの?」

「絶対浮気なんかしないってばー!」

「ほんとかいな?」

「ほんとだも~ん!」


「そうか、それじゃあ、契約書を作成しておくことにしよう。」


「契約書って、結婚の契約?」

「そう、これから遠距離恋愛になるから、契約結婚のね!」

「うん?」


「え~っと、ちゃんとワードで同じものを二部作成して、二人でそれぞれ署名・捺印して、お互い持っておくのさ。俺は印鑑証明付けて実印で捺印するから、法律的にも有効だよ。万が一、俺が契約違反したら、刑務所送りにするのも可能だよ(笑)。」


「浮気したら、禁固百年の刑にしちゃうからね・・・。」

「おお、こえー。」

「嘘よ、うそ。そんなことしないわ。」


「ほーっ、本気かもしれんって思ったよ。どう?少しは安心したかい?」

「うん。」

「ゆっくり寝るんだよ。」

そう話して、電話を切った。


翌日、あきらはいつもの通り仁美とデートした時に、作成しておいたその『契約書』を取り出し、お互いに署名・捺印した。


三月二六日に、日本武道館で東明大の卒業式が盛大に行われ、あきらも無事卒業することができた。


四月一日には、沖縄にある会社で社会人としての生活がスタートすることになっていたのだ。


あきらが東京のアパートを引き払う日、仁美は、引越しの手伝いに行った。

荷物を仕分けして、ダンボールにつめたり、本を紐で縛ったり、荷物が少しずつ片付けられ、あきらと仁美の思い出も荷造りされているような気がして、仁美はたまらない気持ちになった。


『大丈夫、まだ日があるわ。まだ一緒にいられる。』

そう自分に言い聞かせ続けていた。


三月三十日、あきらが東京を引き払う日がついにきた。

あきらが東京での生活にピリオドを打つ日だ。


あきらは少しでも仁美と居られる様に、最終便を予約していた。


あきらと仁美は、東京での最後の思い出に、仁美の自宅近くにある洗足池公園に行った。

その公園は日蓮上人が足を洗ったと言われ、洗足池と名づけられたところで、大きな池があり、周りに柳の木と桜の木が植わっている風情のある所だった。

仁美とあきらは池の周りをゆっくりと魚に餌をやったりしながら、腕を組んで散策した。


平日だったので人もあまりなく、二人だけの世界に浸れた。

「今何時?」

「十一時だよ。」

「あと七時間しかないの?」

「まだ七時間あるよ。」

「ほんとに帰っちゃうのね、まだ実感わかない。」

「記念に写真とってもらおうか。」

と言った。


あきらは仁美の気分を引き立てようと、その時、公園を掃除しているおじさんに、

「すいません、写真をとってもらえませんか。」

おじさんは快く引き受けてくれたので、あきらは仁美を抱き上げた。

「花嫁さんみたいだろ。」

「うん・・・。」

「記念だよ。」


山手線で浜松町まで行き、そこからモノレールで羽田まで。


刻々と、あきらと離れ離れになる時が迫っていた。


仁美の心の中には、あきらとの将来に対する不安と、残り少ない二人の時間を大切にしたいという気持ちがあった。


「あきらはもう社会人になっちゃうのね、なんだかすごく遠く感じちゃう・・・。」

「確かに学生とは違うね。」

「女の人も綺麗な人が沢山いるし、沖縄と東京では離れすぎてるし・・・。」

何か話したいけど、何を話したらいいのか分からない。


夜の羽田空港のロビーは、まだ人で溢れかえっていた。

仁美とあきらと同じように、離れ離れになると思われるカップルを何組も目にすることができた。


仁美はあきらが沖縄に帰るという事を頭では理解していたはずだったが、感情では分かっていなかった。


搭乗ゲートの前まで来ると、あきらが、

「このまま一緒に飛行機乗って、沖縄行くかい?」

と、意識的に明るい声で話しかけた。


「行けないよ、航空券持ってないもん。」

仁美は下を俯いて答えた。


「空席あるから、買おうか?」

「いいよ。このまま一緒に飛行機乗って沖縄行っても、すぐに一人で東京戻ってこなくちゃならなくなるから・・・。」


口から出た言葉とは裏腹に、『ほんとは一緒に行きたい、ずっとあきらと一緒にいたいの!でも私、大学もあるし、親兄弟もあるし、現実には、今は無理なのは分ってるから。』と、仁美は、心の中で叫んでいた。


本心を心の内にしまっていた仁美であったが、それは仁美の顔を見れば、あきらにも心が痛くなるほど分かっていた。


「そうだよな。それじゃあ、もう行くよ。大丈夫かい?」

あきらは、仁美のことが心配でしかたがなかった。

「大丈夫よ。」

仁美が、けなげにもそう答えたのが、あきらには堪まらなかった。


「それじゃあね。」

あきらは感情がこみ上げてくるのを抑えて、またも明るく言った。

「・・・。」

仁美は、もはや言葉が出なかった。


「ゴールデンウィークに、沖縄おいで。」


と言って、あきらが仁美にキスした。


搭乗ゲートに消えた後になって、

「うん、元気でね。浮気しないでよ、私のこと忘れないでね。」

と仁美は、あきらからは姿が見えなくなっているのに、にっこり笑って手を振りながら、やっとのことでそう言うのが、精一杯であった。


『泣いてはいけない、涙をみせたらあきらは行きづらくなってしまう、ほんとは離れたくない、帰ってほしくない、でも、一旦涙を流したら、きっと止まらなくなってしまう。』


と思って、仁美は必死に我慢していた。


あきらが飛行機で飛び立って行った空港は、仁美にはもう用はなかった。


空港からモノレールで浜松町の駅まで行き、そこから山手線で五反田へ、東急池上線で自宅のある最寄駅まで帰ったはずだが、何も覚えていなかった。


仁美の目には何も見えていなかった。


あきらとの東京での五ヶ月間の思い出の数々が走馬灯のように仁美の脳裏に浮かんでは消えていったのだ。


出会った日のこと、初めてのキス、初外泊のこと、そしてこの指にはまっている指輪をくれたクリスマスの夜・・・。


思い出せば思い出すほど、涙がこみ上げてきてどうしようもなかった。


仁美は本当に分っていなかったのだ。


仁美が家に帰ってポストを見てみると、なんとあきらからの手紙が入っていた。


「まあ、あきらからの手紙だわ、二八日に投函してある!」

急いで自分の部屋に入り、喜びと不安の入り混じった気持ちで、封筒を開けてみると、中にはゴールデンウィークの沖縄往復航空券が同封されていた。


「 仁 美 へ


 この手紙を仁美が開ける時には、俺はもう沖縄への飛行機の中にいるか、沖縄に着いてしまっていると思う。


 東京で仁美に出逢えて、本当に良かった。俺の人生の中で、一番生き生きとした毎日が送れたのも、仁美がいたからだと思っています。


 十月一日に沖縄の会社に就職が決まって、東京での学生生活の最後の思い出づくりにしようと行ったダンスパーティーで、仁美と出逢うとは、夢にも思っていませんでした。


 あの時、あと五ケ月間しか東京にいられないのと、俺のトラウマのこともあって、仁美と付き合っていいものか、正直、随分悩みました。毎日悩み続けながら、仁美とのデートを重ねてきました。そして、いつも自問していました。


『お前は、彼女にふさわしい男なのか?


 恥ずかしくない人間なのか?


 沖縄にもいい娘はいるだろうし、彼女にとっても、東京にいる人とお付き合いした方が良いのではないか?


 彼女を泣かせて、不幸にしてしまわないか?


 お前は、彼女を幸せにできるのか?』


 って、ね。


 でも、昨夜、夢を見ました。子供三人に囲まれて仁美と幸せに暮らしている、二十五年後の姿を!


 正夢になるかどうかは分からないけど、これから遠距離恋愛になる覚悟ができた。遠距離恋愛には、いろいろと辛いことがあって別れてしまうカップルが多い。


 でも、俺は仁美となら乗り越えられるって、なぜかそう思えるんだよ。

 

 俺が東京を離なれても、どうか悲しまないで下さいね。俺も泣いてしまうから・・・。


 それでは、航空券を同封しておきます。


 一月後に使ってくれることを願っています。

 本当に、ありがとう。


      三月二八日 あきらより 」

                              


仁美は、読み終えると、すぐに、もう通ずることがないと分かり切っているのに、あきらの部屋の固定電話にかけてみた。

トゥル・ツゥルーと通話音が聞こえてくる、当たり前だがあきらは出ない。


仁美はそのあきらのいないアパートの部屋を想像して悲しくなった。

電話を切り、またかけた、何度も何度も繰り返した。


もしかしたらあきらが魔法かなにかで出てくれるんじゃないかと思って・・・。

やっぱり出ない。


今度は、あきらの携帯にもかけてみた。

あきらは、飛行機の中では、携帯の電源を切っているのが分かっているのに、仁美は繰り返し繰り返しかけた。


「おかけになった電話は、電波の届かない場所にいらっしゃるか、電源が入っていないため、かかりません。」

との音声が流れるだけであった。


胸がはりさけそうだった! 

涙があとからあとからあふれ出て目の前がぼやけた。


仁美は遂に耐え切れなくなって、自宅の屋上に駆け上がった。


誰にも見られたくなかったのだ、誰もいないところで思いっきり泣きたかったのだ。


涙でぼやけた仁美の視界に、夜空の星がキラキラ輝き、月が美しく浮かんでいた。

一筋の雲がやんわりかかっていた。空気は冷やりしていた。

 

あきらと観た夜空を、あきらの笑顔を思い浮かべ、肩を震わせ仁美は、しゃがみ込んで泣いた。

大声で泣きじゃくった。

でも、声が漏れるの恐れ、拳骨で口を押さえ、泣いた!


「あきらー! あきらー!」


声にならない叫びが仁美の涙となって後から後から流れ出た。


仁美は、東京の空を見上げて、『あきらは、もう本当に同じ東京の空の下にはいないんだ!』、ということが身にしみたのであった。


仁美は東京の夜空を、涙の止まらない眼で見つづけた。


この夜空はあきらのいる沖縄にもつながっている、あきらからの手紙を握り締め、仁美はいつまでも夜空をみつづけた・・・。

 

        完「AKIRA〈青春編〉」

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AKIRA<青春篇> @niraikanai60

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