山多を知らない

旭川のすぐる

山多を知らない

   1


 眠れない夜というのは、勝手に回想を始めるから困る。

 まだ雪も解けきっていない高校の校庭に掲示された合格者一覧表。

 その中に俺の受験番号はなかった。番号順に並ぶ以上、俺の前後の受験番号があったのならもう調べる必要はない。それなのに、俺は隅から隅まで探していた。塾では、合格ラインギリギリだが大丈夫のはずだと言われていた。


 で、やっべえなと思ったときに見つけたわけ。

 何を?

 何て言うんだったかな……。ほら、パソコンのアレあるでしょ。

 アレってなんだよ。

 なんか空気がすっげえ出るやつ。ブワーって。

 ああなんだっけ、たしかエアダスターって言うんだっけ? パソコンのキーボードの細かいクズとか埃とか吹っ飛ばしてくれるやつ。


 俺は脳内でチャンネルを変えていた。先日のラジオでスパイカルトの二人がしていたフリートークを抽出する。一言一句憶えているわけではないが、概ねのディテールは再現できる。


 そうそう、それ。もう、これしかないと思ったの。

 これを使って、隙間で干乾びてるゴキちゃんを引っ張り出そうと。

 壁に向かって発射すれば、空気の跳ね返りでゴキちゃんがこっちに出てくるんじゃないかって。


 回想の浸食をせき止めるための防波堤としての役割を求め、俺は二人の表情も思い描いている。ラジオなので映像はないが、きっとこんな感じで喋っているんだろう、と。

 防波堤は簡単に決壊する。だから繰り返す。瞼をきつく閉じ、何が面白かったのかわからなくなるくらい繰り返す。そうしている間に意識が落ちるのを願って繰り返す。

「………………」

 瞼を開ける。

 そのまま上体を起こす。身体は眠りに入ってくれていたのか、いくらかの怠さも伴っていた。

 窓の方に身を寄せる。俺はカーテンを閉めて寝るのが好きではなかった。起床時に日光が射しこんでいないのがどうにも不快だった。なので開ける手間を挟むことなく、二階の自室から見下ろすことができる。

 声が聞こえた気がしたのだ。

 家の真ん前には公園がある。そこで不良が騒ぎだしたのだろうか。だとしたらお手上げだ。注意しに行く気概などない。

 住宅街にある公園なので大きくはない。すべり台、鉄棒、ブランコ、砂場、東屋はある。中心にある東屋の横に外灯が一本立っており、それだけで概ねの範囲を照らせてしまう面積だ。

 その東屋の中で動きがあったような気がした。

 俺は身を乗り出して目を凝らす。

 屋根の下、外灯に照らされない唯一の場所。

 そこでオレンジ色の光が二本、不明瞭な人影と共に動いていた。オレンジ、紫、緑……光の色は何分かごとに変わっている。

 タブレットを東屋のテーブルに置き、そこから流れる映像を見ながらペンライトを振り回している。部屋から公園まで距離はあるが、それくらいの想定はつく。

 不意に光が消えた。

 テーブルのタブレットを操作し、その人はそれを手に携えると、東屋からのそりと出てくる。

 外灯が一瞬、歩くその姿を浮かび上がらせる。

 ぼんやりとしていたが、それでも、誰であるかの目星はついた。

 いや、初めからついていたような気もする。

 聞こえるわけがないのに俺は呼びかけていた。

「何をしているんだ、山多やまた


   2


 朝。空いているとも混み合っているともいえないバスの車内にて。前方で吊り革を掴んでいる山多はイヤホンを耳にしていた。

 山多とは家が近所の幼なじみだ。仲は良くない。仲が良いのはアニメやドラマの世界の話だ。

 昔から山多は物静かだった。何かに距離を置くようにしている。だから、俺も距離を置いていた。そんな奴より、男子達と馬鹿やっているほうが楽しかった。

 山多を変人扱いする奴もいた。いじめられているわけではない。しかし、クラスにはいていないようなもの……は、さすがに言いすぎか。高校で離れるはずだったのに、俺が受験に失敗したせいで高校までも一緒になっている。


 しっかし、豆腐専門店で並んで買った日に、先輩からお土産で豆腐もらうかね。

 もう、夜は気合を入れて豆腐料理をたくさん作らないと。クックパッド先生のお力も借りて。

 いや、敢えての全部冷奴もありだろ。

 全冷か……

 全冷か全湯……ああ、全部湯豆腐の略ね。


 スパイカルトのラジオはリスナーメールを結構読む。芸人の深夜ラジオはメールを読まずに近況を話すパターンもあるが、彼等は違う。リスナーメールを軸に話を展開していく。それが近況に繋がることもあれば、まったくそうならないケースもある。


 というか、量はどれくらいなんだろうね。

 いやあ、買うのももらうのも大量ってことはないでしょ。

 どうする? 先輩がクーラーボックス担いでやって来たら。

 え、どういう展開? いや、あり得るのか?

 開けたらもうギッシギシよ。バケツプリン的なアレね、豆腐が。それをすくって渡すから、もらう方はボウルを用意して待機。直立不動で待機。


 普通、リスナーメールで多いのはリアクションメールだろうか。「あの番組出ていましたね。○○さんとは初共演でしたが、どうでしたか?」みたいな。そこから話を広げるという形だ。

 それがどうしてオープニングに、「一時間並んで豆腐を買った直後に、職場の先輩から豆腐をいただいてしまい困りました」というメールをチョイスするのか。いや、今日のはまだマシか。先々週くらいは普通に上司からのパワハラ相談だったし。


 最終的には全ミキだよ、全ミキ。

 全ミキって何……ああ、全部ミキサーってこと? え?


 意識が山多に向いている間に話が進んでいた。


 全ミキして全飲みしてランニングしてシャドーボクシングして筋トレして試合会場までたどり着いてフラフラになりながらも逆転KOして叫べばいいわけよ。

 エイドリアン的なね。

 ………………。

 え、どうしたの、急に無言になって。

 ………………。


 構成作家の堪えきれない笑い声が入る。


 ああ、盛り上がったツッコミが入ると思ったの? それが冷めた返しだから言葉を 失ったの? いや、全然面白くなかったけど――

 それでは今夜も始めて行きましょう。スパイカルトの中毒者の逃げ道!

 勝手に始めちゃったよ、この人。

 今夜も最後までお付き合い願います。


 俺も山多もイヤホンをしているが、当然聴いている中身は違うのだろう。こちらは芸人の深夜ラジオをタイムフリーで聴いている。スパイカルトきっかけで他のも聴くようになったが、それぞれに個性があって面白い。まあ、繰り返し聴きたいと思える番組は『中毒者の逃げ道』ぐらいだが。

 山多の足元を見る。ローファーではなくスニーカーであることはどうでもいい。

 その足がリズムを取っていないことに小さな違和感を覚える。

 イヤホンからアイドルの楽曲が流れていれば、身体が揺れ動いてもよさそうだが、山多は微動だにしていなかった。俺の知っている山多だった。

 深夜の公園で見かけたアレは山多ではなかったのか、とつい考えてしまう。

 アイドルのライブ映像を流し、それに合わせてペンライトを振る。

 山多らしき影は嘘というか夢というか、そんなものに思えてきてしまう。

 その疑問を解消するために近づいて話しかける、なんてことはしない。

 とそのとき、山多がこちらを振り返ってきた。

 俺と確実に目が合った。

 いきなりどうしたんだ、と混乱する間もなかった。

 山多の目尻から一滴の涙が流れ落ちていた。


   3


 休み時間。教室内でスマートフォンを開く。そして、『三番線メント絶対的エース 御嶋梓 六月末での卒業を発表』というニュースを見つけた。

 あの涙の可能性としてあり得るのは、山多の応援しているアイドルに関するニュースだと思った。アイドルグループの名前はわからないが、何か衝撃的な出来事をスマートフォンで知った山多がショックのあまり泣いた、という可能性だ。というわけで、片っ端からアイドルのニュースを検索して辿り着いた。

 はたして、山多の涙の理由はこれなのだろうか。

 それにしても、三番線メントと来たか。

 これも何かの運命だろうか、と思いつつイヤホンを耳にさし、タイムフリーで『中毒性の逃げ道』を聴く。シークバーをスライドさせ、目的のところから再生する。


 この前の収録でもね。泣かせちゃって、こいつが。

 いや、違うって。

 お前、マジで下手だよな。女の子と距離取るの。

 最初なんか誰だってそうでしょ。うん、人っていうのは難しい生きものだから。みつを

 いや、真面目に話してるんだから。


 これは、「三番線メントとの番組が始まりましたね」というメールを端にして展開された話だ。始まりました、と言っているが、もう既に五回くらい放送されているらしい。ちなみに俺はノーマークだ。理由は単純で、スパイカルトの魅力が最大限発揮される場所はラジオだと思っているからだ。


 それにしても、どうして俺達が選ばれたんだろうかね。

 それは思う。もう収録もだいぶ重ねてきたけど、いまだに思う。というか不安。

 上手くやっていけるかどうか?

 いや、これドッキリなんじゃねえかって。

 そっちかよ。あ、折角の生放送だし、これをメールテーマにして募集かけましょう。『どうしてスパイカルトはアイドル番組のMCになれたのか』


 で、募集をかけたが、採用されたのは一通だけだった。まあ、こういう日もある。スパイカルトのラジオにルールなどない。真面目な相談メールから手の込んだネタメールまでなんだって読まれる。コーナーだってやる回数は少ない。それが普通だ。それでこそ『中毒者の逃げ道』だ。

 ラジオを再生したまま、ポータルサイトで「三番線メント スパイカルト」で検索をかける。当然トップには、二組が共演している番組の『三番線を通過します』公式ホームページが表示される。クリックし、バックナンバーを見てみる。画像と文章のみだが、手を叩いて笑い合っている場面が掲載されていた。

 これを山多も視聴しているのだろうか。

 山多がどれくらいのファンであるかはわからない。しかし、公園でライブ映像を流しながらペンライトを振り回すほどのファンであるはずなのだ。まあ、その対象が三番線メントであるかはまだ不明なのだが……。

 アイドルの卒業発表で泣く。それ以外の可能性も普通にあり得るよな、とバスを降車するときになってようやく思う。

 それでもまあ、スパイカルトファンとして番組をチェックするのはありかと思った。これも何かの縁だ。放送は配信でも見られるようになっている。

 いい暇つぶしが見つかった。そう思いながら俺は帰路に就いた。


   4


 こんばんは、スパイカルトの榊です。

 安井です。

 早速、メールを読んでいこうと思います。ラジオネーム、公園の枯れ葉。スパイカルトのお二人、こんばんは。最近になってこのラジオを聴き始めた新参リスナーです。私がこのラジオを聴くきっかけになったのは『三番線を通過します』でお二人のことを知ったからです。

 いるんだねえ、こういう子も。

 私は高一です。新しく入った高校ではクラスに上手く馴染めずにいますが、中三後半に知った三番線メントのおかげでなんとか乗り切れています。私は人と話すことがとても苦手です。誰かと向き合って話すだけで身体が熱くなるような感覚になります。それは家族相手でも同様です。

 おう、なんか真面目なメールだった。

 そういうメールも読んでいくのがこのラジオだから。続けます。正直、今までならそれでも問題はありませんでした。私は一人でも平気な人間でした。それが三番線メントを知ってから変わってしまいました。誰かにメントの魅力を伝えたい、共有したいという思いが強くなったのです。

 なるほど。

 ですが、これまでの私は友達を作るための努力を怠ってきました。隣の家に同い年の子がいますが、その子ともろくに話してきませんでした。

 うん。

 このラジオでは相談メールも読んでいることを知ったので勇気を出して送ってみました。お二人に相談です。私は日に日に、一人でいるのが苦しくなっています。ですが、他人と話すための一歩目の踏み出し方がわかりません。こんな私はどうすれば、他人と仲良くなれるのでしょうか。まとまりのないメールですみません。よろしければ、アドバイスをいただけたら幸いです。


   5


 いつもと変わらない朝のはずだった。

 お前は善人だったのか、と自問が飛ぶ。

 そうではない、と自答する。

 何を話すべきか。やっぱり三番線メントの話だろうか。どうしてお前がそれを知っているんだ、と訊いてきたら、正直にこれまでの経緯を話せばいいのかもしれない。

 そんなことを考えつつバスを降車し、前を歩いている山多に近づく。

 呼びかけようとした瞬間、何かを察したのか、山多が振り返ってきた。

 途端、山多は駆けだした。

「おい、山多!」

 声にして追いかける。久しぶりに名を呼んだ、とどこか客観的に思う。

 山多の足は遅かった。華奢な背中が簡単に大きくなってくる。もうすぐで追いつける。俺の声だって聞こえているはずだ。

 それでも、山多は走り続けている。

 それはまるで、俺ではなく亡霊から逃げるかのような、そんな必死さがあった。

「山多!」

 校門手前でようやく左手を掴む――が、それでも山多が走り続けようとするせいで一緒に転びそうになった。

「落ち着けって」

 言いながら右手も掴む。さすがに力の差は歴然だ。

 抵抗は長くは続かない。山多は俯いたまま、荒く息を吐き続けている。

 そっと手を離す。

 俺は何を話すべきだろうか。つい数秒前に整理したはずなのに、机上に紙がとっ散らかっている。

 だから、改めて台本を書いていく。

 単純に、山多のことが心配だった、で始めていいだろうか。

 夜の公園でペンライトを振っている山多。

 学校では物静かにしている山多。

 その二つがどうしても重なり合わないことへの違和感を話すべきか。

 三番線メントの話をすることもできる。卒業するメンバーの知識も今の俺には備わっている。そこから何が生まれるかはわからないが、虚しい時間にはならないだろうと思う。

 こちらを見る山多の双眸。

 山多はまた泣いていた。

 それを拭うこともせず、まっすぐな眼差しのまま、山多は俺を見ている。

 とりあえず、と思い、俺は口を開いた。

「少し、時間あるか」

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