3 第一楽章
イサミは家の外に出ると、運動靴の爪先を足元の砂利に何度か叩きつけ、履き心地を整えてから歩き出した。
まだ陽光が眩しい。彼は家の脇の細い石階段を勢いよく駆け下りた。運動靴の底が不揃いな石の段々を突き、硬いゴムが跳ねる音が奇妙に反響した。
階段を下りて右手に進むと、灰色の大きな診療所が見えてきた。建物の家屋部分に回り、広々とした立派な玄関の戸をノックもせずに開いて、彼は中に入った。
「トイタ、いるか?」
やや間があってから、玄関口にトイタが出てきた。彼は着古して色が褪せたネイビーのTシャツを着て、毛玉ができたグレーのスウェットパンツを穿いていた。細く真っすぐな髪の毛に寝癖がついていた。
「おう」後頭部を指でかきながら、トイタは言った。「あがれよ」
イサミは踵をこすり合わせて脱いだ運動靴を素早く揃えて、トイタのあとに続いた。階段を上がり、突き当りの部屋に二人は入った。
イサミは部屋を見渡す。勉強机、椅子、ベッド、オーディオ機器、ずらりと並ぶいくつかの大きい棚にぎっしりと詰まったCDと本。
「相変わらずなんでもあるな」
イサミは棚に手を伸ばし、適当に一枚のCDを取り出した。ジャケットをしげしげと見つめる。開かれた片上げ下げ窓の外に、なだらかな草原と林が広がり、レースのカーテンが風ではためく瞬間を切り取った、セピア調の写真。
「聴いてみるか?」
トイタはイサミの手からCDケースをするりと奪い、背の低い棚の上に置かれたオーディオ機器のカバーを開いて、CDを置いた。ブルーノ・ワルターが指揮を務め、コロンビア交響楽団が奏でる、ブラームスの『交響曲第一番』が流れた。
第一楽章を聴き終えると、イサミは言った。「暗く、激しく、悲しいな」
二人はブラームスの『交響曲第一番』を聴きながら、漫画本を読んだ。部屋に射し込む白い陽光は次第に黄色味を増し、やがて朱色に染まっていった。ベッドに寝転んで漫画本を読んでいたトイタがゆっくりと起き上がり、窓辺に歩いてレースのカーテンを引き開けた。
窓の外に薄暮が降りていた。空の上の方はまだかろうじて薄っすらと青く、山との境目に近づくにつれて赤く染まってゆく色彩の移り変わりをイサミは眺めた。山の斜面の家々に、点々と明かりが灯った。
「日が落ちる」トイタは部屋の照明をつけて言った。
「明日は学校か」漫画本を床に置いてイサミは言う。「いつも通り」
「いつも通りか」トイタは雨戸を閉めながら言った。鉄が擦り切れるような音が鳴った。「なあ、ヤムイとカシグネが突然、学校に来なくなっただろ?」
「ああ」イサミは頷く。「それがどうした?」
「それぞれなんかあるみたいだぜ」トイタは左頬を吊り上げて言った。「込み入った事情が」
「そうか」イサミは棚に漫画本を戻しながら言った。「いろいろとあるんだな」
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