悪役マニアの学園暗躍物語

空志 美鳥

第1話

「覚えてらっしゃい。わたくしがこんなことであきらめると思わないことね!」

 テレビの中から聞こえてくる台詞に、私は胸をぎゅっとおさえて聞き入っていた。

 ヒロインに意地悪をしていたライバル役の伯爵令嬢は、凛とした声で最後にそうはき捨ててきびすを返す。今週の話は、そこで終わり。

「ああ……シャルロット嬢、今日の演技も、最高だったなぁ」

 顔がへにゃっとゆるんでいるのがわかる。

 仕方ないよ、だって今回は最高の、推しの見せ場だったんだから!

「最後のセリフも最っ高に決まってたよ……」

 私は咳ばらいを一つして、喉の調子を整えて、口を開く。

「わたくしがこんなところであきらめるとは思わないことね!」

 聞いたばかりのシャルロット嬢のセリフをそのまま口に出す。

 とたん、恥ずかしくなって、枕で顔をおさえて足をバタバタさせた。

「やっぱり、声優さんの演技がすごかったなぁ……。私もいつか、あんなふうにかっこいい悪役を演じられるようになりたいなぁ」

 私、大本鈴奈は、中学一年生の女の子。アニメ大好き、声優さん大好きな、ごくごく普通の女子中学生……っていいたいところだけど、実はちょっと変わってるかも? って自覚していることもあったりする。

 それは、悪役が大好きってこと! 

 アニメでも、洋画のヒーローものでも、とにかく私は悪役キャラたちの振るまいにとてつもなくひかれてしまうんだ。

悪役といっても、最近では悪役令嬢ものが小説や漫画ではやっていたり、悪役にスポットを当てている作品もたくさんある。

例えば、ちょうど今私がテレビで見ていたアニメみたいな、乙女系のファンタジー世界で、いじわるな悪役令嬢がヒロインの恋がたきとして描かれているけれど、一見だれにでも優しい清らかなヒロインの方が実は腹黒で、王子様の目を自分に向けさせるためにいじわるされているように見せていたっていう感じのやつだ。

たいてい、そういう作品では、悪役は誤解されているだけで、実は良い人だったりもする。  

私ももちろん、そういうお話も大好きだ。

 でも、世の中の悪役たちは当然そんなのばかりじゃない。

 ヒーローにやっつけられて映画の結末は大団円! みたいな、いわゆるやられ役っていうのももちろんある。

 私はそういう悪役も大好きなんだ。

 どのくらい好きかっていうと、今よりずっと小さいとき、それこそ幼稚園に通っていたときから、教室でみんなと一緒に見ていたアニメ、『おむすび仮面』で、毎回おむすび仮面の必殺おむすビームで空の果てまで飛ばされちゃう敵キャラ、ごくアックンをいつもこっそり応援していたくらい。

 もちろん、みんなを困らせたり、悪いことをするのはいけないことだけれど、敵キャラたちも、もともとはみんな、私たちと同じような、いわゆる普通のひとだったんじゃないかなって思う。

 だから、それがどうして悪いことをするようになっちゃったんだろうって考えると、悪役の方にこそドラマがあると思えるんだ。

 そして、数々の作品で悪役キャラに注目し続けた結果私は、ノートにそれぞれの作品の敵キャラの生い立ちを自分なりに考察して記した『悪役キャラ大全(大本鈴奈調べ)』を作成してしまうほどの、悪役マニアになっていたのだ。

「あっ、いけない、そろそろ出かけないと……」

 私は時計を見て慌てて立ち上がる。

 時計の針は七時半を指している。これから登校だというのに、何で朝からアニメを見ていたかというと、昨日はいろんな教科で小テストがあったからだ。

 運悪くテストが重なったおかげで、今週は昨日までずっと勉強つづきだったし、昨日は疲れて帰ったらすぐに寝てしまった。

だから今日はいつもより三十分早く起きて、ばっちり推しの活躍を目に焼き付けていたというわけだ。

「いってきまーす」

 両親とも仕事に行ってしまって、今は家に一人なので返事はないけれど、何となくクセで声をかけて家を出る。

学校について教室に入ると、一人の女子がすぐに私の席にやってきた。

「おっはよー、すずなっちー!」

 にぱっと口を開けて、私を見上げながら眩しい笑顔を向けてくれるのは、クラスメイトの深町真凜ちゃん。

色素の薄いふわふわの髪の毛に赤いフレームの眼鏡がよく似合っている。クラスで一番背が低くて、クリッとした黒目がちな目もあいまって、リスみたいな印象を与える可愛い女の子だ。そして、クラスで私が普通に会話できる、ほぼ唯一の友達でもある。

「おはよう、真凜ちゃん」

「ちょうど今、りんねる劇場の動画見てたとこなんだー。今回もかなり再生されてて好調だよ。おもしろいもんね」

 いたずらっぽい笑みを浮かべた真凜ちゃんが声をひそめてささやきながら、スマホの画面を見せてくれる。

 開いているのは、この学園の生徒ならみんな使っている動画サイト。

 画面の中で、少し動きのぎこちないアニメーションでクマの姿をしたキャラクターが動き回る。

「あ、ありがとう……」

 私は照れくさくなって、ぎこちない口調でお礼を言う。

 実は、この動画は私が作ったものなのだ。

 私にはちょっとした特技……と呼べるかはわからないけれど、密かに一人で練習していることがある。

 それは、声の演技だ。

 だれかに習ったりしているわけではないけれど、本や俳優さんたちの動画で自分なりに研究していて、りんねる劇場の動画は、それをだれかに見てもらいたくて始めた、オリジナルのアニメーション動画のチャンネルなのだ。

 内容は主に、二頭身のデフォルメキャラ、クマの怪盗ベア伯爵と、刑事犬のワンソン警部の二人が繰り広げる、三分程度のショートコメディ。

ベア伯爵はシルクハットとマントがクールな怪盗なんだけど、いつもあとちょっとのところで失敗してしまう、憎めないほっこりキャラ。

ワンソン警部は真面目で優秀だけど、宿敵のベア伯爵のことになると張り切り過ぎて空回りしちゃう熱血キャラ。

キャラクターは自分で描いて編集ソフトで動きをつけていて、背景とBGMはフリー素材。そこに、パソコンにつないだマイクで自分の声を入れている。

毎回、物語は自分で考えているし、演技も二役を一人でやって頑張ってはいるけれど、そんなに上手じゃないし、編集もつたない。

はっきりいって、面白い動画があふれている世の中で、人の目を引くような出来ではない。

 だけど、実は最近、ふとしたきっかけですごく動画の再生数とお気に入りに登録してくれる人が増えた。

いつものアニメの合間にたまにやっているお気に入りの悪役キャラ紹介で、今大人気の漫画の敵キャラを紹介したときのことだった。

たまたま私のそのキャラのセリフの裏にこんな意味が隠されているんじゃないかっていう考察が、本当に偶然なんだけど、その後の原作の展開を言い当てる結果になったりして、ちょっとだけ話題になったのだ。

人気急上昇中のキャラだったこともあって、それをきっかけに私の動画が一時的に今までと比べるとすごく再生数が上がった。

 それで、ついでにベア伯爵のアニメも見てくれる人が増えたんだけど、ありがたいことに、見てみたらけっこうおもしろいということで私のチャンネルをお気に入り登録してくれる人が一気に増えた。

「でも、このままいけばほんと、動画配信の点数だけで高等部の推薦も取れちゃうんじゃない? そしたらすずなっち、ほかの勉強しなくてもいいから楽だよー、いいなー」

「さすがにそれはないって。それに、いくら動画が人気でも、ほかの成績がどうでもいいってわけじゃないだろうし」

 真凜ちゃんの言葉に苦笑する。

 私たちの学園には、ちょっと変わった成績評価システムがある。

 学園全体で、未来のインフルエンサーを育てることを目標に掲げていて、SNSや動画での配信を奨励し、そこでの人気を成績におりこむというものだ。

 インフルエンサーといっても、活動内容は完全に自由。

あくまでも学園の生徒としての自覚をもって行うものという最低限の決まりはあるけれど、要は人に迷惑をかけたり、だれかがケガをするような危ないことをするのでなければ、基本的には何でもオーケー。

 形式も、動画でも、小説やブログなんかの文章でも、イラストでも、インターネットで配信できるものであれば何でもいい。

 そして、それを行えるようにするためのシステムを、学園が独自に開発して生徒たちが使っている。それがさっき真凜ちゃんが言っていた、学内配信システム、通称学内システムだ。

 学園の生徒だけが使えるシステムなんだけど、よくある動画サイトや絵や小説の投稿サイトを想像してみてほしい。それらとよくにたものが一つのサイトに集まったものが学内配信システムで、私たちはそこからそれぞれ、動画なり、イラストなり、作品の形式に合ったサイトにアクセスして配信を行うわけだ。

学内配信システムの名の通り、配信も閲覧も、この学園の生徒しかできないけれど、それぞれの配信サイトの機能は、大手の配信サイトとだいたい同じ。要するに、動画配信システムなら、動画が見られて、配信できる、という感じだ。

私たちが通う中等部は、あくまで学内システムでの配信活動は、部活なんかと同じで、成績が素晴らしかった場合に普通の成績に加算されるだけ。

動画なら再生数、イラストや小説なら見られた数、また、見た人が気に入ったときに押す「お気に入りボタン」の押された回数などが人気を示すものさしとなり、点数化される。

 でも、高等部では、もっと専門的にそれぞれの道を究めていくことが目的とされていて、一種の専門学校や養成所と言った感じにまで発展している。

 動画の編集やプログラミング、イラストなどのクリエイター向けの授業もあれば、配信者向けのダンスや歌、企画の立て方まで、インフルエンサー育成のためのさまざまな授業があり、実際の配信活動も中等部よりもずっと重視されることになる。

 そして、中等部での活動は、高等部への内部進学を有利にするためにはけっこう重要なのだ。

 私も、もちろん高等部への進学を目指してこの学園に入学している。

 理由は、声優になるための勉強をするため!

「あ、先生来ちゃった。じゃ、またね!」

 ホームルームが始まる気配を感じて、真凜ちゃんは自分の席に戻っていった。

 その日の昼休み、急に教室がざわざわし始めた。

私が何だろうと思っていると、真凜ちゃんがあわてたように私に近づいてきた。

「すずなっち、大変!」

「どうしたの?」

「これ、見て。ほら、すずなっちの名前」

 真凜ちゃんは声を潜めると、スマホの画面を私に向ける。

「え……これって!」

 私は目を見開いて真凜ちゃんを見た。学内配信成績上位者発表と書かれたところに、大本鈴奈って、私の名前がある。

「ど、どうしてっ?」

「ちょっと、向こう言って話そう」

 真凜ちゃんが私の制服の袖を引っ張って立たせると、私たちの教室の二つとなりの空き教室に連れていく。そして、だれもいないことを確認するとドアを閉めた。

「どうして、なんで私の名前が⁉」

 自分のスマホからもランキングにアクセスして、やっぱり自分の名前があることを確認すると、私は改めて疑問を口にする。

 学内システムでは、毎日生徒の配信活動の成績を計算して、こうして上位の配信者のランキングを発表しているんだけど、そんなの、私には関係がないはずなのに……。

「そんなん、決まってんじゃん。すずなっちがやってる『りんねる劇場』がそれだけみんなに大人気ってことだよ」

 真凜ちゃんはそう言って、ぐいっと顔を近付けてくる。そして、いつもの調子とは違う落ち着いた声で、

「問題はそこじゃなくて、どーしてすずなっちの名前、そのまま出てるのかってことでしょ」

 私は真凜ちゃんの言っていることが頭に入ってこないくらい、今見えている画面に目が釘付けだった。

「確かに、最近動画の再生数増えてたし、けっこういい感じなのかなって思ったりしてたけど、まさか上位に入るなんて……」

 感動して呟く私に、真凜ちゃんはダンッと机をたたいて身を乗り出す。

「今そんなこと言ってる場合じゃなーい! 確かにすごいけど、うらやましいけど!」

 そして、たたみかけるように言う。

「今はまだりんねる劇場やってるのがすずなっちってことはバレてないだろうけど、それだけにすずなっちの名前が上位に入ったら、みんな不思議に思うんだよ?」

 真凜ちゃんのその言葉で、私は我に返った。

「そうだった! どうしよう、真凜ちゃん! まさかこんなふうに上位に名前が入るなんて思わなかったから……」

「もー! すずなっちのうっかりさん!」

 真凜ちゃんはそう言って私の肩をガクガク揺らした。

 私は自分の失敗に思い至って、真凜ちゃんにされるがままにゆらされながら、しまった! と天を仰いだ。

 学内システムでの配信活動には、いくつか特徴がある。

 まず、作品の発表や動画の配信をするときに、自分の名前を出さなくてもいいというルール。

 顔出しして動画の配信をする人はもちろん友達からバレてしまうけれど、顔を出さなくても発表できるイラストや小説なんかは、ペンネームで発表することができ、実際そうやって正体を隠して活動している人も多い。

 そして、ペンネームや動画配信者としての名前は、ひとりでいくつも持っていても問題ない。

 例えば、動画とイラストを両方発表している人がいたとして、それを別々の名前でやったりすることもできる。

 しかし、見ている人たちにはわからないけれど、システムの中では同じ配信IDからログインしていれば、同一人物と認識される。

 そうやって総合的に配信活動での成績を計算して順位を発表しているんだけど、ここで問題なのが、その発表が学内システムの配信IDでされるってこと。

 配信IDというのは、一言でいうと、自分がやっている配信活動を管理するための、管理者としての名前みたいなもの。

 これは学内配信システムを使っている人なら必ず、一人につき一つ持っている。

 例えば、動画のチャンネルを別々の名前で二つ持っている場合でも、くわえて、イラスト投稿サイトでイラストを動画チャンネルとまったく違うペンネームで公開している場合でも、システムの中ではすべて同じ一つの配信IDとして扱われるわけだ。

 配信IDとして登録する名前は何でもよくて、本名がバレたくない場合はニックネームでもいいし、他の人と被らないようにしなければならないけれど、あとからの変更も自由。しかし、それを私は本名で登録してしまっていた。

 私は思い出す。

入学したばっかりのときに、最初のホームルームの課題で、自己紹介もかねて、全員が何か自分の好きなことや得意なことを、動画にして発表しようっていう課題があった。

思えば、あれは学内システムを使うことに、私たち新入生が慣れるための課題だったんだろう。

「私、あのとき何も考えないで配信IDを本名で作っちゃって、そのままりんねる劇場をはじめたあとに変更するのを忘れてたんだ……。だって、配信IDが発表されるなんて、成績上位の人たちくらいだから私は関係ないと思って……」

 ちなみにそのとき、チャンネル名イコールそのまま本名で私が投稿したのは、イチオシの悪役キャラの魅力を、スライドショーみたいまとめて語るという動画だ。

 そのチャンネルと動画は今も残っているけれど、再生数はクラスで発表したときから動いていない。

 絶望する私の肩に手を置いて、真凜ちゃんはなぐさめるように言った。

「とにかく、名前が出ちゃったのはどうしようもないけど、今からでも配信IDを本名じゃないやつに変えておくんだね。そしたら、次またランク入りしたとしても、発表されるときは本名は出ないから」

「絶対変えとく」

 私は強く決意しながらうなずく。

 そのとき、ホームルームが始まるチャイムが鳴り、私は真凜ちゃんと一緒に急いで教室に戻った。

 そのあとの授業は、何となく落ち着かなかった。

 何だかみんなから見られているような気がするのだ。

最初は、意識しすぎかな、とも思ったんだけど、考えないようにしていたところにこんな会話が聞こえてきてしまった。

「ねえ、今日のランキング見た?」

「見たけど、あれ、おかしくない?」

「私も思った。なんでうちのクラスの大本さんの名前が上位に入ってるんだろうね。気になって本名でやってる動画チャンネル見たけど、全然再生数なかったよ」

「内容もちょっとだけ見たけど、全然ぱっとしないっていうか……とりあえず何か上げてみましたって感じ? それなのに……」

 ううっ……。背中に視線を感じる。

 やっぱり、私が人気動画配信者なわけないって、みんなそう思うよね。

こうなったら、配信IDをかえたあと、りんねる劇場の配信を少しのあいだお休みして、ほとぼりがさめるのを待つしかないかぁ。だって急にランキングの名前だけがかわったら、私が配信IDをかえたってバレバレだもんね……。

そう思っていると、急に背中から聞こえてくる声のトーンがさらに一段階低くなった。

 自分の名前が聞こえてきたから、何となくひそめられた声が気になって聞き耳を立ててしまう。

「そういえばさ、最近アレ、問題になってたじゃん」

「ああ……。この間なんか大変だったみたいだよね。二年生のはーちゃん先輩の誕生日配信、私も楽しみにしてたのに……」

「あれは特に被害大きかったよね。だって学内の配信サイトがだめになっちゃったんだから、今までで一番かも」

「でも知ってる? うわさだと、犯人は生徒かもしれないんだって。ほら、この学園って、プログラマー志望の子も多いでしょ?」

「生徒が学校のシステムをハッキングしたってこと? うちらとそんなに年も変わらないのに、そんなすごいことできるひといる?」

 なんだか話の雲行きが怪しくなってきた。

 ここ最近、学内配信システムで不具合、つまり急に使えなくなってしまったりするエラーみたいなものがたびたび起こっていることは私も知っている。

 動画配信がらみのシステムに不具合が起きたり、生徒同士がだれとでもやり取りできる『つぶやき』でコミュニケーションをとる学内SNSが使えなくなったり……。

「しかも、なんか、最近では脅迫みたいなメッセージを送られた人までいるんだって」

 その言葉に、私はつい注意をひかれてしまった。

「うそ、何それこわっ」

「ほら。新聞部の人の個人アカウントみたいだけど、先週送られてきたんだって。他にも何人かいるみたいだよ」

 私も気になって自分のスマホで調べてみた。学内SNSで新聞部って検索すると、プロフィールに新聞部員って書いている人の個人アカウントが出てくる。

 いくつか見てみると、すぐに見つかった。

『突然、知らないアカウントからこんなメッセージが送られてきました。いたずらかもしれませんが、さすがに学園にうったえて対処してもらおうと思います』

 という文といっしょに、そのメッセージのスクリーンショットが映っている。

『今すぐこのアカウントを削除しろ。さもないと、学内で活動できなくしてやる』

 私はそれを読んで何だか背筋がヒヤッとした。確かに、これは脅迫だ。

 だれかわからない人に突然こんなことを言われたら、すごくこわいと思う。

「でも、学内SNSからこんなメッセージを送れるってことは、こっちはやっぱり学園の関係者かもね。脅迫とシステムの不具合が同じ犯人かどうかはわからないけど」

もう聞くのをやめようかな、と思っても、話が盛り上がってきてみんな無意識に声のトーンが上がったせいで聞こえてきてしまう。

ちょっとトイレにでも行って授業が始まるまで席を立とうかな、と思っていると、次の瞬間、聞こえてきた言葉に私はつい動きを止めてしまった。

「案外さ、プログラマー志望って周りに言ってなくてもそういうスキル持ってる人っているんじゃない? 学内配信システムを好きなように操ることができれば、自分の成績を上げることだってできそうだし」

「まあ、顔出ししてないで、自分の作ったゲームとかを配信サイトにアップしてる人もけっこういるし、あるかもしれないけど……もしかして、それで不正をしてるってこと?」

「わかんないけど。でも、そういうことができれば、自分のランキングを操作して上位になることもできそうだなって」

 そこで、話し声が止まる。私は自分の背中に視線が集まっているような気がして、動けなくなってしまった。

 一瞬だけ沈黙が生まれたあと、冗談を笑い合うような、クスクスという軽い笑い声が聞こえた。

 だれも本気で私をハッキングの犯人だって疑っているわけではないし、私を攻撃したいわけでもない、ただの面白半分のうわさ話だってことはわかってる。

実際私にはそんなハッキングができるようなプログラミングスキルなんてない。

だけど、私は気まずくて顔を上げられなくなってしまう。

「なあ、それ、もしかしてオレのこと言ってる?」

 そのとき、頭の上から声がした。

「あ……」

 ドキッとして顔を上げると、そこには私のとなりの席の男子、花島瑠偉くんが立っていた。

 さっきまで教室の外にいたけど、ちょうど後ろの子たちがうわさ話をしているタイミングで戻ってきていたようだ。

「聞く気なかったけど聞こえちゃって。ハッキングができそうなやつがいて、そいつが学園内のシステムをいじってるって、そう言ってた?」

 花島くんは、むすっとした顔で、私の後ろの席の子たちに言う。

「え、ええっと……」

「ち、違うって。花島くんのことじゃないよ。っていうか、ただの冗談だし」

「そうそう。ご、ごめんね。花島くん、プログラミング特待生だし、こんな話してたら気分悪いよね」

 うわさ話をしていた子たちが慌てたようにそう言って、逃げるように解散して自分の席に戻っていく。

 花島くんは、はあっ、と小さくため息をついて席に座った。

今のって……もしかしてだけど、助けてくれたのかな?

 そうちょっとだけ思ったけれど、すぐに思いなおす。話していた子が言っていたように、単に自分のことを言われてるんじゃないかって思ったからだよね。だからって、面と向かって抗議しちゃうのはすごいけど。

 花島くんはプログラミングがすごく得意で、プログラミングの大会なんかでも活やくしているらしい。プログラミングとか、そういう世界はからっきしの私にはよくわからないけど、学校外の大会で優勝してみんなの前で表彰されることもしょっちゅうだった。

 うわさでは、すでに大人に混じってむずかしい大会にも参加しているとか……。

 でも、花島くんのすごいところはそれだけじゃない。

「瑠偉くんが女子に話しかけるなんて珍しくない? なにごとっ?」

「いいなぁ、あんな近くで、正面から顔みられるなんて」

 教室のそこかしこで、女子たちがきゃあきゃあはしゃいでいるのが私の耳にまで届いてくる。そう、花島くんって、女子に話しかけるだけであんなふうにさわがれるくらい、すごくかっこいいんだ。

「……?」

 ふと視線を感じて前を見ると、教卓のまん前、最前列の席で真凜ちゃんがこっちを見ながらニシシッ、と笑っていた。


「いやあ、まさか、ハッキングの犯人とうわさされるなんてね。でも、実際すずなっちが何であんなに人気者なのか知らなかったら、疑いたくなっちゃう気持ちもわかるよ」

 帰りのホームルームが終わったあと、真凜ちゃんが私の席にやってきた。

「うぅ……。真凜ちゃんまで」

「ごめんってば、すずなっち。私も親友が変なうわさされてるのに、何にも言えなかったし」

 しゅんとする真凜ちゃんが本当に小動物みたいで可愛くて、思わずほおがゆるんでしまう。

「それは仕方ないよ。私だって、あんなふうに話題にされるなんて思ってもみなかったし」

「ハッキングのことがなければ、すずなっちのランク入りはシステムエラーってことにされてたかもね」

「そ……それはあんまりだよ」

「それにしても、そこでまさか瑠偉くんがさっそうとすずなっちを救いに現れるとはね。びっくりだったよ! 聞こえちゃって、とかいってたけど、私にはあれは、すずなっちにも聞こえてるんだぞって注意してるように思えたね」

「いや、絶対私のためとかじゃないって。プログラミングができる生徒が犯人ってうわさされてたからだよ」

「いやー、むしろ、そんなうわさだったら、瑠偉くんが相手にするわけないと思うんだよねー。わざわざ女子のグループに話かけてまでさ」

 確かに、花島くんは無口で、女の子に自分から話しかけるところなんて見たことない。でも、それならなおさら、女子の中でも地味で目立たない私をかばうなんてこと、あるはずがなかった。

「あっ、やばい。そろそろ部活いかなくちゃ。動画の打ち合わせあるんだった」

 真凜ちゃんが言う。

「そっか、美術部の配信、また当番近かったもんね」

 真凜ちゃんが入っている美術部では、部活全体で一つのチャンネルを持っていて、毎週ひとりずつ持ち回りで、絵に関する配信を行っている。単に一枚の絵やイラストを仕上げる工程を映していることもあれば、絵の描き方のレクチャーなんかもアップしていて、けっこうファンが多いらしい。

「そ。じゃあ、明日ね、すずなっち!」

 かけていく真凜ちゃんに手を振って、私も帰るためにかばんを持って立ち上がろうとした。

「大本。ちょっといい?」

 突然の呼びかけに、私は冗談抜きに飛び上がった。

「は、はいっ?」

 そこに立っているのは、今ちょうど真凜ちゃんと話題にしていた人物、花島瑠偉くんだったのだ。まさに、うわさをすれば影ってやつ……。

「今日、女子の日直の青山が早退したから、黒板のそうじと日誌、代わりに一緒にやってほしいんだけど」

「あっ……えっと、わかりましたっ」

 言われて思い出す。出席番号がいっこ前の青山さんが授業の途中、カゼで早退しちゃったから、今日は次の日直だった私がそのあとを引きつぐんだった。

 私はあわてて黒板消しを手に取った。背伸びして上の方をきれいにしようとしていると、突然上から声が降ってくる。

「いいよ、届かないだろ」

 私のすぐとなりに立った花島くんが、そう言いながら私が手を伸ばした先のチョークの粉を黒板消しでふき取ってくれた。

「ありがとう……」

 小さな声でお礼を言うが、花島くんは聞こえてないみたいに黒板の方だけを見てそうじを続けている。

 私はつい、その横顔をちらりと窺った。

 態度はどこかぶっきらぼうだけど、その顔ははっとするくらい整っている。男子のわりには色白で、きりっとした目元に、繊細そうな薄い唇。艶やかな黒髪は校則に引っかからないくらいの短髪で、毛先はそろわず無造作な印象だけど、まっすぐに伸びている。身長は男子の中で真ん中くらいだけど、体の線は細くてどちらかといえばきゃしゃな方。

 改めて見ると、さっき女子たちがはしゃいでいた理由がよくわかる。

 私は急にまわりが気になって、後ろを振り返った。

 教室の中にはもうだれもいなくて、みんな帰るなり部活に行くなりしてしまったらしい。何となくほっとすると同時に、今度はみとれちゃうくらいかっこいい男子と教室に二人きりという状況に、急げきに胸がどきどきしてきた。

「でさー、この間のりんねる劇場がめっちゃおもしろくてさ」

「あ、わかる! 私も見た」

 しんと静まり返った教室に、廊下から私のやっているチャンネルのことを話している声が聞こえてくる。

 みんなが話題にしてくれるくらい人気になったんだな、としみじみ感じて、本当なら嬉しくてにやけちゃうところだけれど、今は心臓のドキドキでそれどころではない。

「あのさ……」

 そのとき、となりで花島くんが口を開いた。

「は、はいっ……? なんでございましょうっ」

 緊張して口調が変になる私に構わず、花島くんは続ける。

「ランキング、ちゃんと別の名前で登録し直した方がいいんじゃないか? 本命のチャンネルを周りに隠したいなら、本名の方が上位に入っちゃったらまずいだろ」

 その言葉に、私は思わずかたまってしまった。

「えっと……。それってどういう……」

 花島くんの顔をうかがいながら、慎重に口を開く。

どうして私にそんなことを言ってくるのかわからないけど、確かに言葉の通り、本命のチャンネル、りんねる劇場は本名を隠してアップしているのだから、あまり不用意なことは言えない。

「そのままの意味だけど。大本がやってるチャンネル、確実にファンが増えていってるんだから、このままだとずっと上位に大本の名前が残り続けることになるぞ」

「いやあ、そんなことは……今回のはまぐれなんじゃないかなぁ……って、あれ?」

 ほめられてついつい照れながら返事をしたけれど、はたと気が付く。

 ファンが増えていってるって、どうして花島くんがそんなこと知ってるの?

「あ、いや……。別にこっそり調べたとかじゃなくて。オレ、ここのシステムの管理、理事長から任されてるから……って、これ、他のやつらには秘密な」

 一瞬、言われている意味が分からなくて、珍しくちょっと慌てた様子を見せる花島くんをまじまじと見つめてしまう。私が見ていることに気付いた花島くんは、なんだか落ち着かなさそうに頭をかいて、黒板の同じところをガシガシみがきながら早口に続けた。

「そもそも、この学園配信システム自体、オレが人気の動画サイトとかを参考に見よう見まねで作ったもので……だからってオレみたいな一生徒に管理を任せるなんてどうかしてるっていつも言ってるんだけどな」

 そこでようやく私の頭が動き始める。

「ええええっ? 学園のシステムって、花島くんが作ったの?」

 声を上げた私に、花島くんは慌てたようにシーっと人差し指を口に当てる。

「声でかい! 秘密って言っただろ」

「ご、ごめん……。だ、だって驚くよ。花島くんがプログラミング得意なのは知ってるけど、まさかそんなことまでできちゃうなんて」

「別に、そんなに驚くことじゃ……。これくらいできるやつ、他にもいるだろ。ここのプログラミング部のやつとかな」

 いやいやっ、絶対いないと思う。中学生でこんなことできる人がいるなんて、信じられないもん。

「っていうか、今はそんなことより、大本のチャンネルの話だろ。忠告はしたからな」

「そ、そうだった! 今の話からすると、そのぉ……花島くんはやっぱり、私のチャンネルが何であるか、知ってらっしゃる……?」

 おそるおそる聞く私に、花島くんは容赦なく言う。

「ああ。だいたい、りんねる劇場って、名前そのまんま過ぎだろ。そういうの、特定してネタにするやつもいるし、本当にバレたくないんだったらもっとひねった方がいいぞ」

 あああっ! やっぱり知ってるんだ! どうしよう、終わった!

「ええっと、チャンネル名は確かに、鈴奈を音読みしてりんなにしたのが由来なんだけど、でもそこにさらにひと工夫してるから、そこまでわかりやすくもないんじゃないかと……。あ、ちなみに、名前の最後の『な』を『ねる』にするのは、私の好きな声優さんのあだ名がそうだからで、すっごく可愛いから私のイメージとは違うんじゃないかな……って」

 あわてているはずなのに、ほとんど条件反射みたいにチャンネル名の由来を、好きな声優さんのエピソードも交えてすらすらとしゃべってしまう自分のオタク根性が悲しい……。

 花島くんは、私の様子を目を丸くして見ていたけれど、ふいにふっと噴き出した。

 花島くんが……笑った⁈

 しかし、私が面食らっているとすぐに顔をいつもの無愛想な表情に戻して、念を押すようにこっちを見つめながら言った。

「まあ、とにかく……。これで秘密を知ってることについてはおあいこだからな。オレたちの秘密、絶対にだれにも話すんじゃないぞ」

「も、もちろん!」

 見たことないくらい真剣な顔でそう告げる花島くんに、私は力強くうなずいた。

「じゃあ、日誌はオレが職員室に置いてくるから」

「あっ……ありがとう、ございます」

 日直の仕事が全部終わると、花島くんはそう言ってさっさと出口に向かって歩き出した。

 しかし、出て行く直前で振り返って、私にたずねた。

「ところで、気になってたんだけど……そもそも、なんで自分の名前でチャンネルやってないんだ?」

「それは……恥ずかしいからだけど」

 なんでそんなことを聞くんだろう。そう思いながら答えると、花島くんは表情を変えずにまた歩き出した。

「ふぅん……。あれだけ堂々と自分のやりたいことを表現できていて、人気も出てるんだから、隠さなくてもいいんじゃないかと思っただけ」

「えっ……?」

「まあ、顔出ししないことでかえって話題がとれる場合もあるみたいだし、オレが口出すことじゃないけど。じゃあ」

 そう言って、花島くんは背中を向けて教室を出て行ってしまった。

残された私は、ボーゼンと今の言葉を頭の中で繰り返し再生する。

(今のって……私の動画について言ってくれたってことだよね? つまり、花島くんは、私のチャンネル、知ってるだけじゃなくて、見てくれてたってこと……? それで、今みたいな感想を?)

そう思った瞬間、なんだかぶわあっと顔が熱くなってきた。

 クラスメイトにバレてしまって恥ずかしいっていう気持ちはもちろんあるんだけど、それだけじゃない。むしろ、そういう胸がざわざわするようないやなドキドキはなくなっちゃって、何だかほっこりあたたかい感じがする。

(なんだろう、これ……)

 正体不明の感覚に、私は残された教室で一人首をかしげるのだった。


 翌朝、登校して教室に入ると、何だか昨日とくらべてももっと教室の雰囲気がおかしくなっているような気がした。

 私が入った途端、女子たちの視線が集まって、すぐにぱっとはなされたような気がしたのだ。

(何だろう、どうかしたのかな……)

 私が席についてかばんを下ろすと、すかさず真凜ちゃんがやってきた。

「ちょっとちょっと、すずなっち! ヤバいことになってるよ」

 周りをうかがいながら、真凜ちゃんが私に耳打ちする。

「おはよう、真凜ちゃん。何かあったの?」

 不思議に思う私に、真凜ちゃんはずいっと顔を近付けてくる。

「昨日私が部活いったあと、教室でクラスの王子様と何してたのさ!」

「えっ? 王子さまって……」

「瑠偉くんに決まってるでしょ。こんな動画まで撮られて、どうするの!」

 真凜ちゃんはスマホを差し出して、表示されているショート動画を再生した。

「……っ!」

 何これ! と思ったけれど、びっくりしすぎて声が出なかった。

 映っているのはまぎれもなく、昨日、私と花島くんが日直として黒板のそうじをしているシーンだった。

しかし、よく見てみると、さらにあることに気が付く。動画は一分程度に短く編集してまとめてあるのだ。画面の方も切り取られていて、全体が映らないようになっている。

私にはわかった。これは、私が手を伸ばしても届かないところを花島くんがそうじしてくれた場面だって。しかし、画面に映っているのは上半身と、上に伸ばした腕の途中まで。

この部分だけを見るとまるで……そう、花島くんが後ろから私におおいかぶさっているように見えるのだ。

私は思わず、バッと視線をそらした。顔が赤くなっているのがわかる。

「ねえ、すずなっち……。一応聞くけど、これって、本当に瑠偉くんがすずなっちに壁ドンしちゃってるシーン、なの……?」

 真凜ちゃんの言葉に、私は全力で首を横に振る。真凜ちゃんは、はぁっとため息をついて言った。

「だと思ったよ。明らかに編集してそういうふうに見せてる感じがするし」

「き、昨日は、日直の青山さんが早退したから、私が代わりに花島くんと残って……これはただ、花島くんが私の届かないところを掃除してくれてるだけ……」

 やっとの思いでそれだけ説明する。真凜ちゃんは、難しい顔でうーん、とうなった。

「やっぱ、配信者じゃなくても人気者は注目されるんだなぁ。瑠偉くん、学園内ではかなりの有名人だし」

「だれかが花島くんを狙って、隠れて撮ってたってこと? 全然気が付かなかった」

「たぶんそうだろうね。面白半分にアップしたんだろうけど、この編集のせいで、瑠偉くんのファンたちは大さわぎだよ」

 私は再び動画に目を戻す。

 今度は私たちが見つめ合って何かを話している場面が流れている。

(あ……!)

 さっきまでと違い、ここは声が消されずにそのまま入っていた。花島くんの真剣な声が、私に向かってまっすぐに発せられる。

「オレたちの秘密、絶対にだれにも話すんじゃないぞ」

 私の顔からさっと血の気が引いていくのがわかった。切り取られたセリフ、ただこれだけを聞いたら、みんなどう思うだろう。

「鈴奈さん、ちょっとよろしいかしら」

「はっ、はいっ?」

 急に声をかけられて、顔を上げると、そこにはきらびやかな美貌に笑みを浮かべたクラスのお嬢様、彦根ルリカさんが立っていた。

「げっ、ヤバい……」

 真凜ちゃんが小さくつぶやく。

「そこの小さいの、何か言いまして?」

「い、いやー、ルリカお嬢様。今すずなっちは私とお話してるんだけど」

「黙りなさい。わたくしとのお話の方が、今は大事です」

 ぴしゃりと言われて、真凜ちゃんは肩をすくめてお手上げのポーズ。

 余談だが、ルリカさんは実は、私にとっては推せる要素のカタマリみたいな存在で、常日頃から注目させていただいている。

なにしろ、お人形のような容姿や、ちょっと高飛車な言動と堂々とした立ち振るまいは、まさに私の大好きな悪役令嬢キャラにぴったりだからだ。

そのルリカさんに、今私は、入学してから初めて話しかけられている……⁉

「コホン。鈴奈さん、ごきげんよう」

「え、ああ、おはようございます、彦根さん……」

 優雅なスマイルに心をうばわれながらあいさつを返すと、ルリカさんはいきなりビシッと私の顔を指さして言った。

「単刀直入に申し上げますわ。あなた、花島瑠偉さんとどういうご関係ですの?」

 その言葉で悟った。ルリカさんも花島くんのファンで、あの動画を見たからこうして私に直接確認しに来たのだ。

「どういう関係も何も、普通のクラスメイトです! あの動画は、昨日一緒に黒板のおそうじをしてただけで……」

 私は、あらぬ疑いを晴らすべく、思わず立ち上がってそう言った。突然話しかけられてびっくりしたけど、せっかくこうしてわざわざ聞きに来てくれたのだ。

これは弁解できるチャンス!

 私の言葉に、ルリカさんは形の良い眉を片方だけ寄せて、ふぅん、とつぶやいた。

「やはりそうでしたの。ま、この安っぽい動画だけで、あなたとあの瑠偉さんが恋仲であるなんて、信じろと言われても無理がありますものね」

 わかってくれたか! と私は胸をなでおろした。すると、ルリカさんの後ろにひかえていた、いつも一緒のお友達二人が、ルリカさんの両脇から顔を出して言った。

「でもルリカさん。この間のランキングのことも合わせて考えると、やっぱりちょっとあやしくありませんか?」

「そうですよ、もし学園のシステムをハッキングできる人がいるとしたら、やっぱり瑠偉さんしかいないですよ。それをもし、恋人の鈴奈さんに頼まれてやってるんだとしたら……」

 その言葉に、私は内心、ええええっ! と声を上げてのけ反ってしまいそうだった。実際には、感情を表に出すのが苦手なので、ひかえめに息を飲んだだけにとどまったけれど。

 だって、そんな考え、いくら何でも突拍子がなさすぎる!

「ちょ、ちょっと待ってください。そんな、私だけじゃなくて、花島くんまで疑うなんて……」

「そうだよ、いくら何でも飛やくしすぎ! すずなっちがそんな野望のために人を利用するほど器用なわけないじゃん」

 真凜ちゃんのフォローが、ちょっとだけ複雑だけどあたたかかった。

 でも、今、私のせいでルリカさんのお友達の二人と真凜ちゃんがにらみ合っている。どうにかしなきゃと思ったけど、何て言ったらいいかわからなくて、口を開いたままアワアワするしかない。

「お二人とも、ちょっと心配しすぎですわ。わたくしは真凜さんの言った通り、鈴奈さんの不器用さを信じますわ。少なくとも、この動画しか証拠がない今の時点ではね」

 ルリカさんが肩をすくめながらそう言った。

「配信者ランキングの上位に鈴奈さんの名前があるのがどういうわけかは知りませんけれど……システム上のトラブルかしらね?」

 ルリカさんの瞳が、冷たく私を見ている。私は何も言い返せないまま下を向く。

「こんなふうに自分の言いたいことも堂々と口に出せない子を、瑠偉さんが相手にするわけがありませんもの」

 続く言葉に、私の胸はさされたように痛くなった。どうしてだろう、そんなこと、自分でもわかっていたことなのに、今、ルリカさんに言われたら、何だかすごく苦しい……。

「そ、そうですね。ルリカさんがそういうなら」

 でも、ルリカさんのお陰で、二人はそう言って後ろに下がった。

すごい、さすがルリカさんだ。

「それじゃあ、ごきげんよう、お二人とも」

 そう言って、綺麗にカールした髪の毛をなびかせて、ルリカさんは去っていった。

「ああ……。疲れる……」

 真凜ちゃんはちょっとげんなりした顔でそれを見送ると、私に向き直って心配そうに言った。

「大丈夫? すずなっち」

 ルリカさんに言われたことが胸に引っかかっていたせいで、顔が強張っているのが自分でもわかる。私はぎこちなくなるのを承知で笑顔を作った。

「大丈夫。心配かけてごめん」

「ひとまずルリカお嬢様相手には誤解は解けたけど、他にもたぶん、直接言ってこなくてもすずなっちのことをいろいろかげで言う人は出てくると思う。でも、あんな隠し撮りの動画なんて、規則違反で消されるはずだし、そのうちにはみんなあきるに決まってるから……」

「うん。なるべく気にしないようにしておく。真凜ちゃん、さっきもかばってくれてありがとう」

 あんな動画が広まっちゃって、正直もう学校にいるのが怖いくらいだけど、私はうなずいて見せた。そう、きっと、真凜ちゃんの言うとおり、みんなすぐにあきるよね。

 そう自分を納得させて、私はかばんを開いて授業の準備をした。

 花島くんは今日、お昼になるまで学校に来なかった。

 朝のさわぎを聞かれなくてよかったとほっとしたけれど、それは甘い考えだったようだ。

 移動教室で廊下を歩くたびに、こっちを見ながら何か話している生徒を見かける。

 聞き耳を立ててみると、花島くんと私が映っている動画の話といっしょに、ハッキングとか、ランキング操作、とかいう言葉まで聞こえてくる。

 きっと、ルリカさんたちが広めたわけじゃなくて、みんなから見て不自然に思える出来事が同時に起こったから、何か関係があるって勘ぐってしまう人が多いのだろう。

「ああ……。帰りたいなぁ……」

 朝のできごと以来、直接何か言われることはなかったし、表向きはみんな普通に接してくれるけれどやっぱり居心地が悪かった。

(きっと、花島くんも困ってるんだよね。いつもと同じように見えるけど)

 そう思うと怖くて、私は今日一日、となりの席の方を向くことができなかった。

 放課後になり、私はようやく帰れると長いため息をついた。

 昨日早退した青山さんが今日は交代で日直の仕事をやってくれるから、私は真凜ちゃんにだけあいさつすると、一目散に教室の出口へと向かった。

 そして、廊下を突っ切って階段を一気にかけ降りる……と、そこでだれかに肩を叩かれた。

「大本、ちょっと」

「わあっ!」

 私はびっくりして叫び声を上げてしまった。だってそこにいたのは、私と同じく動画のせいで話題になってしまった花島くんだったんだから。

 花島くんはあわてたようにしーっとジェスチャーをして、私を階段のうらの空きスペースに引っぱっていく。

「な、なにっ……花島くん、そのっ……私、ちょっと急いでるんだけど」

 今こうして二人で話しているところをだれかに見られたら、と思うと気が気じゃなくて、私はつい、かばんで顔を隠しながらキョロキョロと周りを確認してそんなことを言ってしまう。

「そんなに警戒するなって。ちゃんとまわりにだれもいないこと、確認してあるから」

 花島くんは、私の肩に手を置いて目を合わせる。そこでようやく私も落ち着いて話を聞く気になった。花島くんだって、用もなく私を呼び止めるわけないんだし、きっと何か大事な話があるはずなんだ。

「どうも、周りの生徒たちから、オレたちが例のハッキングの犯人なんじゃないかって疑われてるらしい。疑われるとしても、本当はオレだけのはずだったんだろうけど、昨日一緒にいたせいでなぜか大本まで……」

 花島くんがそう言って、はあーっと長いため息をついた。眉間に深いしわが寄っていて、今にも頭を抱えだしそうだ。

 そっか。全然普通そうに見えたけど、やっぱり花島くんだってうわさされてること、気が付いていて、どうにかしたいって思ってるんだ。だから、同じく当事者である私に相談したいんだ。

 私は納得すると同時に、急に胸がどきどきしてきた。

 花島くんも、私と一緒に写ってる動画を見たってことだよね? あんなふうに編集されちゃって、どう思ってるのかな……。

「オレがうかつだった。教室であんな話するべきじゃなかったんだ。大本にはその……迷惑をかけたと思ってる」

「う、ううん! そんな、全然っ!」

 クラスの王子様の申し訳なさそうな様子に、私はびっくりして慌てて顔の前で手を振った。それと同時に、花島くんが本当に困っているのが伝わってきた。花島くんって、なんでも完ぺきにこなしちゃうイメージがあるから、なんだか意外な感じがする。

(でも、そうだよね。私と同じ中学生なんだから、こんなふうに自分のことを学校中でうわさされたら、辛くて当たり前だよね)

 何だか、こんな状況で能天気にドキドキしてしまった自分が恥ずかしい。

「それで、なんだけどさ」

「えっ?」

 顔を上げた花島くんと目が合って、私ははっとする。

 さっきまでの様子とは打って変わって、完全に気持ちを切り替えたみたいに強い瞳をしていた。

「今までは、ハッキングされてシステムがいじられたときには、オレがそのたびになおしてたんだけど、いい加減、根本的な解決に乗り出した方がいいと思うんだ」

「な、なるほど……根本的な解決っていうと?」

 システムをなおしていたとか、今さらっとすごいとこ聞いた気がする。

でも、昨日すでに、学園のシステムを花島くんが管理していることを聞いておどろいたばかりなので、そこについてはいったん触れないで、胸にとどめておくことにする。

「ハッキングしてたやつを探し出して、やめさせる」

「な、なるほど」

 確かに、それしか思いつかない。

 だけど、そんなこと、できるのかな? 私には、プログラミングのこととか全然わからないけど、もしかしたら花島くんのスキルがあれば、それも可能ってこと?

 首をかしげる私に、花島くんはさらに言った。

「大本にも手伝ってほしいんだ。まき込んで悪いけど、その……あれで迷惑してるのは大本もおなじなわけだし、おなじ立場どうし協力すると思って」

「で、でも、ハッキングの犯人をさがすなんて大変なこと、私なんかで役に立てるのかな」

 自分で言いながら、私はぐっと制服のベストの裾を握りしめていた。だって、花島くんが私に何をしてほしいのかわからないけど、こんな、学園全体をまき込んだ事件なのに、私なんかが手伝ったって、かえって迷惑かけちゃったり、足を引っ張っちゃったりするかもしれない。

(あ……。まただ)

 今私は、その大変なことを、花島くんひとりにやらせて自分は逃げようとしている。役に立てないなんて言い訳して。

 本当は力になりたいのに、自信がなくてなにもできないことにしてしまう。できることを探しもしないで、あきらめてしまうんだ。

 頭の中に、朝にルリカさんに言われた言葉が浮かんできた。

「こんなふうに自分の言いたいことも堂々と口に出せない子を、瑠偉さんが相手にするわけがありませんもの」

 私はそれ以上何も言えずにただうつむいて、私に失望しているであろう花島くんの言葉待った。

「大丈夫だ。大本にシステムのなおしを手伝って欲しいと思ってるわけじゃない。そっちはオレができるから任せてくれていい。大本には別の……オレにはできないことで、手伝って欲しいことがあるんだ」

「え……」

 私はおどろいて顔を上げる。

「花島くんには、できないこと……?」

「ああ」

 私の言葉に、花島くんはしっかりとうなずいて見せる。この花島くんにできなくて、わたしにはできることなんて、あるのかな……。

「犯人を探し出すためには、ちょっと直接いろんな生徒に聞き込みをしてもらいたいんだ」

「はあ……。聞き込み……」

「どんな不具合が起こっていて、どんな生徒にどんな影響があったか。これって実際、システムを使っている生徒は知らないだろう? 一度その辺を含めて、オレが考えた聞き込みのポイントを後でメッセージで送るから」

 たしかに、そうかもしれない。今まで学園内のシステムの不具合は何度か起こっていたけれど、それがどこまでの範囲で起こっていたことなのか、把握している人はあまりいないと思う。

使っている側からすると、いつも使っているシステムにおかしなことが起こっても、自分で調査しようなんて思わないからだ。

例えば、ある日突然、いつも使っている動画配信サイトの動画が再生できなくなってしまっても、何が原因で、他にどんな影響が出ているかなんてことはあまり考えない。調子が悪いのかな、なんて思いながら、また使えるようになるのを待つだろう。

なおったときも同じで、いつの間にか使えるようになっているから、原因なんてあまり気にしない。

「オレのことは、意外と学園の中で知ってるやつが多いみたいで……。犯人から探ってるって気づかれないためにも、目立たないように聞き込みする必要があるだろ。そこを大本に頼みたいんだ」

 確かに花島くんは学園全体で見てもかなりの有名人だ。その花島くんが直々に聞き込みなんかしたら、みんな何事だろうって気にするだろう。

だけど、自分でそのことを口にする花島くんの様子が、なんだかすごくイライラしているように見えて、もしかして本当は周りで色々さわがれるのが好きじゃないのかなって私は思った。

でも、そういうことなら。

「わかったよ! その聞き込みの役、私がやる!」

 私はそう宣言した。

「助かる。ありがとう……」

 花島くんは、ちょっと顔を私からそらしてそう言った。そんなふうに言われたら、女子ならだれでもドキドキしてしまうだろう。そして、私もやっぱり、例外ではなかった。

 さっきまで勝手に沈んでいた気持ちが、できることが見つかって、お礼を言われただけで明るくなった気がするのだから、我ながら単純だ。

「あの……ところで、聞きたいんだけど」

 熱くなってきた顔をパタパタと手で仰いで覚ますと、私は疑問に思っていたことを口にする。

「ハッキングの犯人を捕まえたら、花島くんはどうするつもりなの?」

「別に。どうするつもりもない。ただ、もうやらないように釘をさすだけだ。いい加減、何度も直すことになって、オレは迷惑してるからな」

「そっか」

「それとも、大本はそれだけじゃ気が収まらないか?」

「ううん。私も、それでいいと思う」

 目的はわからないけれど、学園全体で使われているシステムを勝手にいじってしまったんだから、犯人だってバレたら、きっともう学園にはいられないんじゃないだろうか。

 そして、私にはそんな危険をおかす理由が、ただのいたずらだとは思えなかった。

 なんとなく、そうしなきゃいけない理由があるんじゃないかなって思ってしまうのだ。

「釘を刺しても聞かないようなら、学園側で対処してもらうことになるだろうけどな。まあ、さわぎを起こした目的とか、そのあたりがわからないと説得できるかもわからないから、大本はそっちの方からさぐってみてくれるか」

「うん。わかったよ!」

 これで、一応、話はひと段落した。明日から私は、ハッキングをしていた生徒を探し出すために聞き込みを始めるのだ。

「最後に一つだけ」

 花島くんがそう言って、私を見た。

「ハッキングとは別件で、例の動画についても、一応アップしたやつにはいろいろと口留めしておかないといけない」

「ああ、そっか。そっちもアップした人を見つけて、動画を消してもらわないといけないもんね。だけど、口留めって?」

 首をかしげる私に、花島くんはやれやれといった調子で首を振る。

「気づいてないのか? これアップしたやつには、昨日の教室での会話を聞かれていたんだぞ。聞かれてまずいこと、お互いに話してただろ」

「ああっ! そうだった!」

 私は真っ青になった。そうだよ、私がりんねる劇場やってるってことと、花島くんが学園のシステムを管理してるってこと、お互い秘密にしてたことを話してたんだった! 

 私としたことが、悪意ありまくりの編集にばかり注意がいっていて、こっちの方はまったく頭になかった。むしろ、この動画で切り取られたシーンこそ、本当に見られたらまずい部分だったのだ。

「オレもここのシステム管理してること言っちゃったからな。マジでうかつだった……」

 再び頭を抱えてしまいそうな花島くんに、私はドンと胸を叩いて言った。

「大丈夫だよ! 私も頑張って聞き込みするから、そっちも絶対、見つけ出して動画消してもらおうね!」

「あ……。ああ……」

 いきおい込んでいる私に、花島くんはちょっと驚いたように瞬きを繰り返した。

 その日の夜。

 学校の階段うらで話していた通り、花島くんからメッセージアプリでメッセージが届いた。あのとき、特にお互い連絡先を交換したりはしなかったけれど、クラス全体のグループをつくっているから、そこから私の連絡先を見つけたのだろう。

 花島くんの普段のイメージ通り、そっけない文面で、必要なことだけが丁寧に、そして私にもわかりやすいように書かれている。

「放課後、学校で言ったことについて説明する。

 まず、最近よく起こっているシステムの不具合の傾向について。

 ハッキング自体は、一か月くらい前に初めて起こって、それから連続で何回も起こっている。

 主な問題は以下の二つだ。

・一部の生徒が学内SNSのアカウントをロックされて使えなくなった。

・そのなかのさらに一部、ほんの数人の生徒には、こんな内容の脅迫文が届いている。

『今すぐこのアカウントを削除しろ。さもないと、学内で活動できなくしてやる』

ちなみに、脅迫文の内容はどれも同じ。

・動画配信システムから、動画のアップができなくなった。

 学内SNSが使えなくなった件については、どんな生徒が使えなくなったのか調べてみた。

 一見とくに規則性がないように見えたけど、投稿内容と投稿された時期の相関関係を調べたら、最近の投稿で配信者に触れたアカウントが一番多くロックされていた。

逆に、最近配信者について投稿していなくてもロックされたアカウントもあったけど、しらべてみると過去に配信の感想とか、配信者についてなにかしら発言していたことがわかった。

新聞部の部員のアカウントがかなりの数ロックされていたから、配信者に関係するアカウントがロックされてるっていうのは間違いないと思う」

後半の、相関関係とかそういうのは読んでもまったく理解できなかったけど、最後の一文だけは納得した。

この学園の新聞部は、よく人気の配信者に取材したりして記事にしているのだ。ただ、たまに強引な取材とか、根も葉もないうわさとかを記事にして配信者とトラブルになったりもしている。

「ちなみに、基本的には今までに起こった不具合はほとんどがこの学内SNSの方で、動画の方はまだ一回しか起こっていない。

次に、動画のアップができなくなった件について説明する。

 こっちはついこの間の、五月七日に起こった。この日の午後、突然、動画配信サイトそのものが使えなくなったんだ。こっちは特定の生徒だけじゃなくて、全員が同じように配信サイトにアクセスできなくされていた」

 そのときのことは、私もよく覚えている。ちょうどりんねる劇場の動画を編集して、アップしようとしたら、動画サイトの画面がまっしろになっていて、何もできない状態になっていたんだ。

「いつも通り、オレが対処してたけどかなりてこずった。それなのに、理事長にしばらくなおせそうにないことを報告して長期戦を覚悟していたら、オレが対処するまでもなく、次の日の朝にはすっかり元通りに直されていた。

 たぶん、犯人は、この五月七日の放課後から翌日までのあいだ、何かの事情があって、動画サイトを使えなくしたかったんだと思う」

 花島くんの説明を読んで、私は呆気に取られてしまった。

改めて、花島くんって本当にすごいと思う。私なんかにとっては本当に、雲の上の人だ。

 私たち他の生徒がいつも使っているシステムは、花島くんのものすごい努力によって保たれているんだ。同級生だってことが信じられない。

 そして、その花島くんをてこずらせるほど、犯人は手ごわいということ。

 超天才プログラマーとハッカーの戦い。そして、どちらもが、おそらく私たちの学園の生徒なんだ。

 何だかすごい戦いに巻き込まれてしまったようで、私は再び心が小さくしぼんでしまうのだった。

 そして、花島くんのメッセージの最後は、こんなふうに締めくくられていた。

「何にせよ、この事件で一番迷惑してるのは、オレをのぞけばたぶん配信者だ。このことから、犯人の目的は配信者がらみのことなんじゃないかとオレは思ってる。

大本にはまず、この事件で何か困ったことがあったかどうか、配信者を中心に聞いてみてほしい。配信者といっても学園全体で見るとかなりの人数になるから、特に人気で動画の投稿数が多いやつから聞いてみてほしい。

長くなってしまったけど、今わかってるのはこんなところだ」

読み終えて、私は座っていたベッドにうしろからたおれ込んだ。

何だか自分がいるのとは別の、すごい世界を覗き込んでしまったようで、現実味がないっていうか、どう受け止めていいかわからない。

改めて、私で役に立てるのかわからなくなってきた。

(でも、花島くんが私に協力してほしいって言ってくれてるんだから、やるしかない!)

スマホをぎゅっとにぎりしめ、私はそう気合を入れた。

 次の日の放課後。

 私は聞き込み用のメモ帳をもって、二年生の教室の前にたたずんでいた。

 理由はもちろん、昨日花島くんと話した通り、聞き込みをするためだ。

 昨日の夜、花島くんからのメッセージを読み終えた私は、顔出しで活動している配信者をとにかく調べまくった。

 ランキング上位に名前が出ている二十人の中で、顔出しで活動しているのは十五人。その人のクラスや本名、そして部活や時間割まで調べた。

 時間割はクラスがわかればおのずとわかるとして、どうやってクラスと本名を調べたかというと……。

 まず、ランキング上位の配信者十五人の動画を見て、顔を覚える。

本名のまま配信をやっている人もいるので、その場合はそのまま学内の配信システムと学内SNSでクラスのわかる投稿をしていないかを検索してみる。たとえば、去年の学園祭のときの投稿でクラスの出し物を宣伝していないかどうかとか、体育祭でクラスメイトと一緒に撮った写真をアップしていないかどうかなどだ。

 本名で配信しているひとたちについては、それで全員クラスが分かった。

 問題は、顔出ししてはいるけど、本名ではやっていない場合。

 私は記憶を頼りに、昼休みに図書室に行き、学園が毎月保護者向けに出している会報誌を開いた。すると私のねらい通り、五月の分に、入学式のときに新入生が全員ならんで撮った写真が、名前入りで掲載されていたのだ。

 私は昼休みの間に大急ぎで去年とおととしの分も確認して、そこから一年生から三年生まで、全員の名前を調べ上げたわけだ。

 なんだか、自分もこの学園の生徒とはいえ、人さまの大事な個人情報を勝手に調べるなんて、悪いことしてる感ハンパなかった……。

でも、そのおかげで、今、ようやく聞き込みのためにクラスに乗り込むところまで来ているのだ。

 しかし今、聞き込みをしたい相手のいる教室に、私はふみ出せないでいる……!

(ど、どうしよう……。上級生の教室なんて私、入るの初めてなんだった……)

 勝手に入って怒られないかな、とか怖い先輩がいたらどうしようとか、そんなことを考えてしまう。

 っていうかそもそも、教室には入れたとして、人気配信者のキラキラした先輩に、私が話しかけるのが無理な気がしてきた。

 いや、でも。昨日決めたんだ。いつも一人で大変なお仕事をしている花島くんのために、少しでも役に立てるなら、頑張ろうって。

 私は顔を上げて、放課後になって人の出入りが多くなった教室に足をふみ入れた。

「失礼しまーす……」

 だれにともなくことわってから、私は最初の聞き込み相手を探す。

 名前は葉月麻里絵さん。

二年生の女子で、去年からランキング一位を守り続けている人だ。

 葉月さんは本名で配信しているのだが、実は彼女のことは、私は調べるまでもなくクラスまで知っていた。

 なぜかというと、あまりにも有名過ぎるから。私たちのクラスが移動教室のとき、この葉月さんの教室を通ると、必ずだれかがドアから中をのぞいて葉月さんを探し始めるため、一度先生から注意されたことがある。

 葉月さんは自分の学内SNSのプロフィールで、本名、クラス、他にも部活をやっていないことなどをオープンにしているので、放課後、聞き込みをさせてもらえないかと思って来てみたのだ。

 教室に入ってみると、葉月さんの姿はすぐに見つかった。だけど、とても私が近寄っていい雰囲気じゃなかった。

 葉月さんの周りには、キラキラと輝くオーラが漂っていて、まぶしくて近寄れない。

 一人で帰りの支度をしているその横顔が、まるで一枚の美しい絵のように、見ている人の心をはなさない。私は息を飲んだまま見惚れてしまっていた。

「ちょっと、そこのあなた。一年生?」

「うぇっ……? はいっ!」

 後ろから声を掛けられて我に返る。ヤバい! 私、初めて来た上級生の教室で一人でかたまってた!

 振り返ると、髪の毛をポニーテールにした先輩が私にするどい視線を送っていた。

「ここに来るってことは、もしかしなくても、はーさまのファンね?」

「えっ、はーさま?」

「とぼけたってムダよ。今だって見つめていたでしょ」

「あ……。葉月さんのこと……」

 名字が葉月だから、はーさまか。そういえば葉月さん、動画でははーちゃんって呼んでくださいって自己紹介してたな、と思い出す。

「まさかとは思うけど、話しかけようなんて思ってないわよね?」

「ええっ、その……ええと……」

 図星を指されて、私は焦る。でもここまできたんだから、このままおじけづいて帰るなんていやだ。

「実は、聞きたいことがありまして……」

 思い切ってそう言ったけれど、思ったほどの声量は出なかった。

 おずおずと顔を上げると、先輩はさらに視線をとがらせて私を見た。

「あのねえ、ファンが直接話しかけるなんて迷惑なの。わかるでしょう? 人気の配信者がどれだけ忙しいか。あなた一人がはーさまの時間を独占するなんて、許されると思う?」

「ええっ……。あ……確かに、知り合いでもないのに、失礼とは思いましたけど。でも、どうしても確認したいことが……」

「そりゃあ、推しの配信者について知りたいことなんて無限にあるでしょうけど、それははーさまのファンならだれだって同じなの。いい? はーさまとお話したいのはみんな同じなのよ。わかるわね?」

「う……はい」

 さとすように言われて、私はうなずいてしまった。

「わかってくれればいいのよ。ちなみに私、はーさまこと葉月麻里絵様のファンクラブ会長兼マネージャーをやっているの。会員の特典として、月に一回、抽選でサイン会をやっているから、もし、正式にファンクラブに入会したいって言うんだったら……」

「あ、あの……今はまだそこまでは考えてなくて」

 月に一回の抽選でもしサイン会に当たったとしても、そんな場所で聞き込みなんてできるはずもないし。

「そう? まあ、ファンクラブ自体はいつでも歓迎だから、またいらっしゃい。はーさまに直接話しかけるのは、もちろんルール違反だけど」

「そうですね。失礼します」

 私は大慌てで二年生の教室をあとにした。

「こ、困った……」

 やっぱり、いきなり人気者の配信者の人に近づこうとしてもうまくいかないんだ。

 ただでさえ人に話しかけるのが苦手なのに……これじゃあ、聞き込みができない!

「いや……待って。今話しかけたのは一番人気の葉月さんだったから、日常でみんなから話しかけられたりするから、あんなふうに対策されちゃうんだ。きっとそこまでガードが固くない人だっているはず……」

 でも、ランキングの上位の人たちなら、みんな同じように直接話しかけるのが難しい可能性がある。ここは、ランキングに頼らず、もう少し広い範囲で、たくさんの配信者に聞き込みすることを検討した方がいいかもしれない。

「よしっ……! じゃあ、また明日までに、ランキングには入らないものの、人気のある配信者の人を対象に、リストを作り直して……」

 リストを見つめながら、私は気合を入れ直す。

「あとは……そうだ、部活への聞き込みだったら、今日できるかな」

 真凜ちゃんが所属している美術部のように、部員みんなで一つのチャンネルを持って配信している部活はたくさんある。

 ランキングの中にも、部活がやっているチャンネルが一つだけ入っていた。

「演劇部か……」

 昨日のうちに、個人でやっているチャンネルについては配信者の名前と顔をリストに記録したけれど、部活でやっているチャンネルについてはあまり調べられていない。

 演劇部に所属している生徒は、クラスにもいる。

けれど、できれば配信について詳しく知っている人から話を聞きたい。美術部は、配信については部員全員で会議を行って、持ち回りで担当しているらしいけど、ほかの部もそうとは限らない。

だからせめて、だれが部活の配信について決定権を持っているのか知っておきたかった。

「やっぱりこっちも、明日クラスの演劇部の人に話しかけて、取り次いでもらうしかないかぁ……」

 私はずーんと気が重くなった。

 今のクラスの状況からして、私に協力してくれる人がいるのかどうか、それが問題だった。

 花島くんのファンは上級生にも多い。しかし、私の方はといえば、もともと上級生に私の顔を知っている人があまりいないため、教室に行ってもうわさの動画に写っているのが私だとは気づかれにくかった。

 でも、同級生となるとさすがにそうはいかない。

 下手をすると、私のことを敵視している女子がたくさんいるかもしれない。

「でも、やるしかないよね」

 私はぐっとこぶしをにぎりしめて、つぶやいた。

「一応、今日も行ってみて、それで話が聞けそうになかったら明日クラスの人に声を掛けよう」

 私は演劇部が練習に使っている教室へと向かった。

 教室に近づくと、中から発声練習をしている声が聞こえてくる。

 練習に中に入るわけにはいかないから、私は少しだれか出てくるのを待ってみることにした。すると、少ししてから、一人の男子生徒が教室に向かって走ってくるのが見えた。

「あの、すみません!」

 私が呼び止めると、その人は首をかしげて言う。

「何の用? 練習ちこくしてるから、急いでるんだけど」

「ごめんなさい! その、演劇部の配信について、ちょっと聞きたいことが……」

「配信? ああ、悪いけど、オレはあんまりよく知らなくて」

「だれが配信に関わる作業をしているのか、教えてもらえませんか?」

「一年の彦根さんだけど。うちの部、みんなネットとか機械とかうとくてさ。彦根さんが機材をお家から持ってきてくれて、編集とかも全部やってくれるからうちのチャンネルは成り立ってるんだよ」

 その言葉を聞いて、私は思わずうなだれそうになった。

 そう、私がクラスの演劇部員に聞き込みするのに気が重くなった理由、それはルリカさんが所属しているからなのだ。

(それもよりによって、配信の担当をしているのがルリカさんだなんて……! やっぱりルリカさん、有能!)

 本来なら、影ながらあこがれている彼女の活やくを聞いて嬉しくなりそうなところだけれど、今はのんきに喜べない。

 ルリカさん本人はあの動画のこと、誤解だってわかってくれていたみたいだけど、お友達はそうじゃなかったみたいだし、それに、その話をしていたときの、おろおろする私を見るルリカさんの冷たい瞳を思い出す。

 どうしても話しかけるのが怖いって思ってしまうし、話を聞きたいって言えたとしても、ルリカさんが私のために時間を取ってくれるのだろうか……。

「じゃ、オレもう行くから」

 そう言って、その人は教室へ入って行こうとした。

 そのとき、ちょうどがらりとドアが開いて、中から部員たちが出てきた。

「やべ、もう基礎連終わっちゃったか」

「中里くん、今日はこれから体育館のステージで大事なオーディションがあるから早めに来てって言ったじゃない!」

「部長、すみません!」

 どうやら、これからみんなで移動するらしい。私は、出てくる人の中からルリカさんの姿を探した。

(いた!)

 私は勇気を振り絞って近づき、声を掛けた。

「ルリカさん!」

「……あら。鈴奈さんじゃありませんか。今、見ての通り部活の最中なんですけれど、何かご用?」

「す、すみません! その……実は、演劇部の動画配信のことで、少しだけ教えて欲しいことがありまして」

 ひるむ気持ちをおさえて、私は言った。

 ルリカさんは私を見つめながら、数回まばたきすると、フンと小さく鼻を鳴らしてうなずいてくれた。

「なんだかよくわかりませんけれど、まあ、体育館に移動する間なら、お話を聞いてあげてもよろしくてよ」

「ありがとうございます!」

 私は花島くんから聞いていた聞き込みのポイントを思い出しながら話し始めた。

「実は私、最近学園の配信システムに起こっている不具合について、個人的にちょっと調べてまして……その、不具合の影響で、配信してる側から見て何かすごく困ったこととか、ありませんでしたか?」

「不具合って、あれのことですの? 学内SNSが使えなくなった……」

「はい。それもそうなんですけど、一回だけ動画配信もダメになったじゃないですか。実は、それも一緒に調査をしていて……」

 くわえて私は、学内SNSが使えなくなった生徒は主に配信者について何か情報を発信している人たちであったことと、そのことから私が配信者への聞き込みをしていることを話した。

「よくそこまで調べましたわね」

「ええ、まあ……」

 本当は調べたのは花島くんなので、私はあいまいな笑みを浮かべた。

 ごまかす私に、ルリカさんはうさんくさそうな視線をよこす。

「でも、どうして急にそんなことを調べ始めたんですの? それも鈴奈さん、あなた一人だけで?」

 不審そうに眉をひそめるルリカさんの視線にギクッとしながらも、私は平静をとりつくろう。そして質問に対して、用意しておいた言い訳を口に出した。

「えっと……。その、ルリカさんもご存じの通り、最近私のまわりで、ハッキングのうわさを聞くことが多くて。何だか、私がそれに関係しているっていうふうに思っている人もいるみたいだから……その、ちょっと探ってみたいな、なんて……」

 こういうふうに言えば、疑われている私が事件について調べるのは不自然ではないはずだ。ただ、問題は……。

「鈴奈さんにしては、ずいぶん積極的ですわね。自ら疑いを晴らすために行動するなんて」

 驚いたように目を丸くして、ルリカさんがまじまじと私を見つめる。

 私がこうして話しかけてきたことが本当に意外なんだと思う。

 やっぱそうだよね……。私だって、自分一人だったら、絶対こんなふうに人に聞き込みしようなんて思わなかったもん。

「いや、その……最初は、うわさが消えるまで何もしないで待っていようと思ってたんだけど、やっぱり気になっちゃって」

「ふぅん……。でも、疑いを晴らしたいのなら、一番の近道はあなたがやっているチャンネルで正体を明かして、人気配信者であることを自ら証明することだと、わたくしは思いますけれど」

 うっ……。確かにその通りかもしれない。りんねる劇場を私がやっていることをチャンネルで話せば、それが私にとってこれ以上ない証明になる。

 ルリカさんは、探るように私を見ている。

「わたくしを含め、配信者のランキングの上位にあなたの名前があることに疑いを持つものを黙らせるには、それが一番良い方法でしょう?」

「それは、その……あんまり、配信やっていることを、人に知られたくなくて。ちょっとした手違いで本名がランキングに出ちゃったんだけど、本当はそんなつもりはなくて」

 チャンネルの話をふられて、私はしどろもどろになって何とかそれだけ言う。

 ランキングに私の名前があることは動かすことのできない事実なので、私が配信をやっていることはごまかせない。

「ま、そこについては、今は深くはききませんわ。顔出ししない方針の配信者に、それを曲げろとはいえませんもの」

「あ、ありがとう……」

「別にお礼を言われることではありませんわ。顔出ししていない配信者を特定しようなんて考えは無粋ですもの」

 そこまで話しているうちに、体育館に到着してしまった。

「まあ、鈴奈さんの質問に答えてあげてもよろしいですけれど……。一つ条件を着けさせてもらおうかしら」

「条件?」

 私が首をかしげると、ルリカさんは急に笑顔になって言った。

「実は、今からこの体育館のステージで、大事な配役を決めるオーディションがあるの。鈴奈さん、それに参加してくださらない?」

「えっ……」

いいこと思い付いた、とでも言うように、手を胸の前でパンっと合わせるルリカさん。その仕草もとっても優雅でお嬢様らしくてすごくイイ……。

しかし、さっきまでとは打って変わってとろけるような笑みを浮かべたルリカさんにそう言われ、私の思考は大じゅうたいだ。

(えっ、まって、オーディションってなに? 私、演劇部員じゃないのに? それ以前に人前で演技なんて無理なんですけど! ああ、それにしてもルリカさん、いつものツンとした表情もいいけれど、笑顔もやっぱりすごくステキ……)

 それだけでもいっぱいいっぱいなのに、ルリカさんは何と、追い打ちをかけるように私の手を両手で包み込むように握ってきたのだ。

「ひっ!」

 緊張しすぎて変な声が出てしまうが、ルリカさんは意に介さず。

「いいじゃない、おもしろそうでしょ? このお願いを聞いてくれたら、もちろん約束は守るわ。鈴奈さんの聞きたいこと、全部答えてあげる。ね?」

 推しに手を握られた状態でお願いされて、私はふらふらとうなずきそうになる。

(待って! だめだ、ちゃんと考えなきゃ!)

 何とか我に返ると、私は誘惑を振り払うようにブンブンと頭を横に振る。

 いきなりオーディションとか言われても、納得できるわけない!

「ど、どうして私に、演劇部のオーディションを?」

 私はルリカさんの真意を確かめたくてたずねた。

 正直、からかわれているんだとしか思えない。

「そんなの、おもしろそうだからに決まってますわ!」

 その言葉を聞いて、私はズコーッとずっこけそうになった。

 やっぱりね!

さすがはお嬢様。すがすがしいほどあっさりと認めてしまわれた。

庶民をからかって楽しむご令嬢って感じで、私の推しとしてはまさにイメージ通りなんだけど……。

「勘違いなさらないで? わたくし、まったくの素質を感じないものに下手な演技をさせて楽しむような趣味はありませんわ」

「え……?」

「鈴奈さんには、お遊びではなく真剣にオーディションに取り組んでいただきます。もしも、鈴奈さんの演技に真剣さが感じられなかったら、そのときはそちらのお願いも聞くことはできませんから」

 その言葉にドキッとする。ルリカさんの目が、射貫くように私を見た。

 まさか、ルリカさん、私のやってるチャンネルのこと、知ってるわけじゃないよね?

「緊張しなくても大丈夫ですわ。鈴奈さんには演技の経験なんてないでしょうから、上手に演じられているかどうかは問いません。思うようにやっていただいていいですわ」

 そう言って、ルリカさんは再び私に微笑みかけた。

(あ、りんねる劇場のことを知ってて言っているわけじゃないんだ……)

 私は少しほっとして、顔を上げてルリカさんを見た。

「……わかりました」

 正直、ルリカさんがどうして私に演技をさせたいのかはわからないままだし、すごく不安だ。でも、私だって、真剣に聞き込みをしているつもりだ。だから、答えてもらうためにはこれくらい頑張らないと。

「そうこなくっちゃ!」

 私の返事に、ルリカさんは満足そうにうなずいた。

「さあ、これが台本ですわ。主人公のオーディションですの。相手役は演劇部員がつとめます。鈴奈さんの順番は最後にしてもらいますから、他の方が演じている間に、セリフに目を通してください」

 そういって手渡された台本を持って、私はステージの隅に座り込んだ。

「もちろん、この場で覚えろと言っても無理があるでしょうから、鈴奈さんは台本を持ったままで構いませんわ。それじゃ、順に審査を始めますわよ」

 そう言って、ルリカさんはステージを下りて他の部員たちと同様、審査員に加わった。

 ちなみに、オーディションに部員ではない私が参加することについては、他の部員たちにルリカさんがすんなりと話を通してしまった。

 私は入部希望者ってことにされてしまったけれど、演技はこれから勉強すればいいってことで、希望があれば新入部員がいきなりオーディションに参加することは特に問題ないらしい。

でも、私みたいに飛び入り参加でぶっつけ本番って言うのは、たぶんあんまりないんじゃないかと思う……。

(いつも動画の収録は家で一人でやっているから、人前で、しかも相手役もいるなんて状況は初めて……。演技だって自己流で、演劇部の人たちから見たらしろうと同然のはず。きっといつもみたいにはできないだろうな)

 良くも悪くも、今回の演技から私がりんねる劇場の配信者であることがバレる心配はないと思う。たぶん演技としてはひどいできになってしまうだろうから。

 それでも私が今回、ルリカさんの出す条件に乗ったのは、もちろん、聞き込みをして、花島くんの役に立ちたいからだ。でも、それだけじゃない。

(いつまでも一人で自分の好きなようにやっているだけじゃ、アニメとか映画でたくさんの人を楽しませられるような声優になるっていう夢はかなえられない。夢をかなえるためにも、きっとここは、逃げちゃダメなんだ!)

 私はグッとにぎった手に力を込めると、もらった台本を開いて目を通し始める。

「なるほど……。同じ人物で二つのシーンを演じるんだ……」

 台本には、お題となるシーンのセリフと一緒に、簡単なストーリーの説明が書かれている。

 冒険ファンタジーの世界で、今回演じるシーンの登場人物は二人。

私の演じる主人公の勇者エインズと、もともとは親友だったけれど、実はずっと主人公をねたんでいて、裏切って対立してしまう敵役のハンス。

 その設定を読んだ瞬間、私の頭の中で悪役マニアの部分がはげしく反応し始める。

(なるほど……。典型的な闇落ちのパターンか。この悪役、好きなタイプだなぁ……)

 思わぬところでイイ悪役キャラに出会えて、うれしくなった。

 私はにわかにテンションが上がっていくのを感じながら、台本を読みすすめた。

 台本は、エインズとハンスがまだ対立していなかったころの友情を描いた過去のシーンと、最後の決戦で、エインズがハンスに想いをぶつけるシーンの二つで構成されている。

 どちらも、物語の中心といっても過言ではない、重要なシーンだ。

(すごい……! キャラも展開も、私の好きな要素ばっかり!)

 思ってもみなかった幸運だ。ただ一つ惜しいのは、私の演じるキャラが敵役じゃなかったこと!

「いや、私が演じるかどうかなんてことはどうでもいいんだ。私はもらった役を精一杯演じるんだ……!」

 そして、目標は主人公だけでなく、悪役キャラまでもが光る演技をすること! だってこの場面、ハンスにとっては最高の見せ場だもん。

このときだけの役とはいえ、しっかりと向き合わないとキャラクターに失礼だもんね。

私は頭の中で、エインズとハンスの人物像を、よりくわしく思い描いてみた。

こうやって自分なりにキャラをほり下げるのは、私が動画の収録するときにもいつもやていることなのだ。

 今回私が演じるのはエインズだけなのだが、この二人の関係性が重要になる場面だから、ハンスの方もしっかりと、それこそ『悪役キャラ大全(大本鈴奈調べ)』に追加できるくらいにくわしく想像してみる。

(エインズは、いかにもって感じの勇者にしたいな。でも、あんまりかっこよく演じる自信はないから、ちょっと抜けてて親しみやすい青年……明るい性格だからだれとでもすぐに仲良くなっちゃいそう。きっと、細かいこととかはあんまり気にしない性格で、おさななじみのヒロインが同じパーティにいるんだけど、その子の気持ちになかなか気が付かなくて……)

 想像を膨らませていくと、止まらなくなってしまう。

 私はエインズの方をそれくらいで切り上げて、次にハンスの方をイメージしてみる。

(エインズがちょっとお気楽な感じになっちゃったから、ハンスの方は逆にちょっと神経質そうなタイプかな? 髪の色とか服装も、エインズとは反対に、暗めな色がいいよね。うん、きっとエインズはウェーブのかかった金髪で、ハンスの方は黒髪の直毛が似合いそう)

 見た目と性格を何となく決めると、今度はストーリーに踏み込んでみる。

(親友だったのに、ハンスはエインズを裏切って敵対してしまう。その理由が、台本にはくわしく書かれていないんだよね)

 もともとハンスが勇者であるエインズをねたんでいたっていうふうに、台本には書かれているけれど、具体的にどんなきっかけがあったとか、そんなことは書かれていなかった。

 それだけでも悪役であるハンスのキャラ性はわかるから、このシーンを演じる上ではそれでいいのかもしれない。今回のオーディションはあくまでも主人公のエインズ役の方なんだし。

でも、私はどうしてもハンスの心の動きや、闇落ちするきっかけになったできごとなんかを具体的に知りたくなってしまった。

(だって、闇落ちキャラを魅力的に表現するには、そこにいたる過程がすごく大事なんだもん!)

 私はセリフに目を通すのもそこそこに、二人の関係性を深く考察していった。

(きっと、親友って言うくらいだから、二人の付き合いは長くて、おさななじみなんじゃないかな。だけど、ハンスの方はエインズのことをねたんでいた。きっとずっとそばにいて、少しずつ辛くなって行ったんだと思う。きっとエインズが自分よりもすごく強くて、みんなから好かれる人気者だったから。そういう人のそばにいるのって、ときどき辛いときもあるもんね)

 その気持ちは私にもわかる気がする。

自分から見てもあこがれれで、まぶしいほどの人気ものであっても、ずっと近くにその人がいたら、私だったら気後れしてしまう。

だけど、それが幼いときからずっと一緒にいる親友だったら……。

努力しても追いつけない、そして小さいときには気が付かなかったかもしれない、そんな差が、成長するにつれてわかってきてしまったとしたら……。友達なのに、きっと一緒にいて気が休まる関係とは言えないだろう。

 そこでふと、私は、ステージの真ん中ですでに始まっている、審査中の演技が気になった。

 場面は過去の、まだ二人が親友だったころ。

 剣の稽古がうまくいかないハンスを、エインズがはげましているところだ。

「オレには、エインズみたいな才能がないんだ……。きっとこのさき、いくら努力してもきみには追い付けない」

「何を言うんだ、ハンス! オレたちは二人でずっと腕をみがき合ってきた。そのおかげで、オレもハンスも、この町ではともに一番だろう。ずっとこうしてふたりで高め合っていけば、オレたちにかなうやつはいないさ!」

「そうかな……」

「いつだって、オレにはお前が、お前にはオレが付いているんだ。もっと自信を持て」

「ありがとう、エインズ……」

 ステージの上の二人に、私は思わず見入ってしまった。

 エインズ役もハンス役も三年生の先輩らしい。さすが、演技はすごく上手で、完全に観客として引き込まれてしまった。オーディションなので衣装もなく、二人とも体操着姿なんだけど、そんなことがどうでもよくなってしまうくらい。

 特に、まだ闇落ちする前の純粋な頃のハンスの演技が、エインズのことを親友と思いながらも、彼に追いつけない劣等感とか悲しさを痛々しいまでに表現していて、すごく良かった。

 エインズの方も、まさに私の思い描いていた勇者という感じで、すごくかっこよかった。親友を元気づけるために、まっすぐ目を見て、一生懸命に言葉を伝えている。

 本当にハンスのことを大事な親友だと思っていることが伝わってきて、これからこの二人の関係がくずれていくのだと思うと胸が苦しかった。

 そして、過去の回想が終わり、ついにクライマックスの決戦シーン。

 私は息をつめてステージを見つめる。

「ハンス! 思い出してくれ! 一緒に修行をしていたころのお前は、こんなことをするようなやつじゃなかったはずだ」

「オレはもうあの頃とは違うんだ。エインズ、お前が親友だと思っていたオレはもういないんだ」

「戻って来てくれ、ハンス! お前ならやり直せる。オレと一緒に、また人を助けるために剣を振るってくれ」

「……っ! もう、遅いんだよ! オレはもう……お前のとなりにはいられない! 決めたんだ、勇者を倒して、オレがこの国の王になると!」

 エインズの語りかけに、ハンスの心が一瞬だけゆらぐ。しかし、やり直すには何もかもが遅すぎた。

 ハンスはきっと、エインズと別れてからたくさんの悪事をはたらいて人を傷つけたり、困らせたりしたのだろう。

「ハンス! 戻って来てくれ! もう一度、オレたちの仲間に……!」

 エインズはあきらめずにハンスの剣を受け止めながら語り掛ける。その顔はとても悲しそうで、見ていて切なくなってくるほどだった。しっかりとハンスの目を見て、自分が知らない間にハンスがつのらせていた憎しみをすべて受け止めるかのように、エインズはただ、切りかかってくるハンスの剣を受け止め続けた。

「もう終わりだ! 終わったんだ……! オレは、おまえをたおす! 覚悟しろ、エインズ!」

 エインズから何度も説得されて、ハンスのひとみにもゆらぎが見えた。しかし、ハンスはもう遅い、再びエインズの仲間になることはできないと、迷いを振り切るように剣をかまえ、エインズを拒絶し続けるのだ。

「カット! はい、そこまで! 二人ともお疲れ様でーす」

 ステージの下から声が掛かり、審査が終了したことを知らせた。

 私は緊張がとけてはあっ、と息を吐きだした。

 自分が演じていたわけじゃないのに、間近でみる演劇部の先輩たちの迫力がすごくて、思わず息を止めてしまっていた。

「……あんなに上手な先輩にまざって、私も演じなきゃいけないなんて」

 ルリカさんは聞き込みの条件として、オーディションに出ることを私に指示してきた。

だけど、あんなにすごい人たちのあとで私の演技なんか見て、何がおもしろいんだろう。

 改めて、ルリカさんの意図がわからない。

「まさか、聞き込みを断るためにああいったとか、ないよね……?」

 私が本当にオーディションに参加するなんて思っていなかった……なんてことはないだろうか。

 それか、演技がひどいのをわかっていて、これじゃあ聞き込みに応えることはできないって言われたり……。

 なんだか悪い想像ばかりが頭に浮かんできてしまう。

 私はブンブンと頭を振ってそれを追い出した。

(いやいや。確かにルリカさんは庶民をからかって楽しむような、ちょっぴり高飛車なお嬢様っぽいところはあるけれど、実際はそんなに意地悪な人じゃない。少なくとも、もともと私の質問に答える気がないのにオーディションに出させるなんて、人をだますみたいなことは、絶対にしないはず)

 私と花島くんの動画が広まっちゃったときだって、ルリカさんだけがかげでこそこそいうのではなくて私のところに直接聞きに来た。

 きっと、ルリカさんなりに何か考えがあるんだろう。正直、それが何かはさっぱりわからないけれど。

 でも、だからこそ私は、言われた通り、この役を自分なりに真剣に演じるしかないんだ!

 ステージの真ん中では、すでに次の人の演技が始まっている。審査対象のエインズ役だけが入れ替わり、ハンスは引き続き同じ女子の先輩が演じている。

 私はそちらに目をうばわれそうになりながらも、我慢して自分の台本を開いてセリフを小さい声で口に出して練習し始めた。

「オレたちは二人でずっと腕をみがき合ってきた。そのおかげで、オレもハンスも、この町ではともに……」

 ステージからは、さっきとは別の演劇部の先輩の演じるエインズの声が聞こえてくる。

 堂々としていて、格好よくて、キラキラしていた。私の思い描いていた少しのんびりしたエインズの人物像とは、少し違っている。

(やっぱり、主人公の勇者って言ったら、ああいうかっこいいキャラクターを、みんなイメージするよね。強くて、イケメンで、優しくて……)

 いつの間にか、さっきまで自分でほり下げてきたエインズのイメージがゆらいできてしまった。

(どうしよう……。やっぱり、今のままじゃ、だめなのかな。でも、私には演劇部の先輩たちみたいな、あんな堂々としたかっこいい演技はできない……)

 急に緊張で胸がドキドキしてきた。息がうまくできない。

(あ……どうしよう……。せめて、セリフをかまないように練習しなきゃ……。でも、なんだか、台本が頭に入ってこない……!)

 落ち着かないと、と思うほど、頭の中が空回りしているようだ。

 私は深呼吸して、初めから台本を見つめ直す。

(そうだ、今からでも、イメージを変えて練習してみよう。かっこいいエインズをイメージして、もう一回……!)

 順番はもう、私の前の人の番になっていた。もう時間がない。

「はい、カット! じゃあ、最後ね。入部希望の大本さん、出てきて!」

「は、はいっ!」

 私は緊張でガチガチになりながら、ぎこちない動きでステージの中心に進み出る。

「入部希望でオーディションに飛び入り参加なんて、すごい度胸ね」

 ハンス役の先輩が、にっこりと笑いかけてそう言ってきた。

 ただでさえ緊張していた私は、ドキッ! と心臓が飛び出そうになった。

 だって、審査中の演技を見ていただけで、私はこの人の演じるハンスの大ファンになってしまったのだから。

 何だか、悪いドキドキといいドキドキが混ざり合って、頭がさらに混乱してくる。

「よ、よろしくお願いします!」

 私が頭を下げると、先輩も笑顔で、よろしく、と返してくれた。

 緊張で冷や冷やしていた胸のあたりが、じんわり温かくなってくるような感じがした。

「それじゃあ、スタート!」

 審査開始の合図に、私は無理やり表情を引き締めてハンスを見る。

 そしてはっとした。

 目の前の先輩の雰囲気が、さっきまでとは一変していた。笑顔を引っ込めて、ゆううつそうな表情で落ち込んだハンスの姿を表現している。

(そうだ。この場面では、剣の稽古がうまくいかないハンスを、エインズがはげますんだ)

 私はばっと顔を上げて、今やってきてハンスを見つけたエインズのセリフを声に出す。

「やあ、ハンス。そんなところで座り込んで、どうしたんだ?」

 明るくて思いやりのある青年。私は頭の中でシミュレーションしたエインズの話し方を、先輩たちの演技をなぞるような感じで表現する。

日課の発声練習の成果なのか、緊張している割には、思っていたよりは声が出て、ステージの下からもちょっとした歓声が上がった。

よし、行ける!

初めの一声を思い切って出してしまえば、意外と緊張はおさまったりするものだ。

私はそのまま、次のハンスのセリフを待った。

「オレには、エインズみたいな才能がないんだ……」

 もともとそんなに長いシーンではないから、台本を見なくても、セリフは頭に入っている。

 集中したい私は、台本を開かずに次のセリフを言おうとした。

 ここは、力強くハンスを励ますシーン。親友としてハンスに寄り添う心優しい主人公を表現するため、思いっきり感情を込めて――

「……!」

 しかし、ハンスの顔を見た私は、声が出なくなっていた。

(あれ……どうしてだろう。言えない……)

 もちろん、セリフは覚えている。

何を言うんだ、ハンス! 

一緒にオーディションを受けていた演劇部の先輩たちは、力強くそう言って、ハンスの肩を叩いたりして元気づけようとしていた。

頭の中にははっきりとその場面のイメージができ上っているのに、なぜだかすぐに口に出せず、変な間が生まれてしまう。

「何を言うんだ、ハンス……」

 私は何とか声をしぼり出すが、その言葉はどこかかわいたひびきをしていて、明らかに感情がこもっていなかった。

 何だかわからない違和感に調子をくずされたまま、このシーンは終わった。

 すると、ステージの下から声がかかる。

「オッケー! もうわかったから、入部希望の子はこれで終わりでいいよ」

「え……」

「いいんですか? 部長」

「まあ、受けたいって言うからオーディションしてみたけど、やっぱりまだ早かったかな。緊張もしてるみたいだし、今回は無理に後半のシーンまでやらなくても……」

 そのやり取りに、私は頭をなぐられたようなショックを感じた。

(あ……)

 部長は、うまくできていない私に気を使ってくれているんだ。これ以上ステージでみんなの前で恥をかかないように。

 そして、演技については、後半を見るまでもない、ということなのだろう。

 部長のとなりに座っているルリカさんを見ると、彼女はふうっとため息をついて、興味なさそうに私から視線をそらした。

(ちがう……まって……。まだ終わりにしたくない。だって……)

 私は、自分のとなりに立っている、ハンス役の先輩を振り返った。

 先輩は気遣うように私を見ている。

(私は、この人が作る世界を邪魔して、台無しにしてしまったんだ……)

 頭が真っ白になって何も言えずにいる私に、先輩は歩み寄った。

「大丈夫? 緊張したよね。もう降りて平気だから……」

「違うんです! すみません、私……」

 正面から顔を覗き込むようにして声を掛けられて、私ははっとした。

(そうだ……演じようとしたキャラクターと、自分の持っているキャラクターのイメージがずれていたから、うまくセリフを言えなかったんだ)

 この人の演技を正面から見て、私はハンスの気持ちを理解しようと思った。

 だけど、そう思った瞬間、今まで先輩たちの真似でイメージを作ってきた二人の関係性は、ガラガラと崩れ去ってしまったのだ。

 だめだ。やっぱり、私の中の二人の関係は、この演技では表現できない。

 特に、私の思う、ハンスのエインズに対する気持ちというのが、さっきの演技では全然ちがう方向に行ってしまう気がする。

「もう一度、やらせていただけないでしょうか!」

 気が付くと、私はステージの上からみんなに頭を下げてそう言っていた。

「もう一度って……」

「まだ入部希望者の段階なんだから、そこまでしなくても……」

 私の言葉に、みんなは困惑したように顔を見合わせている。

 すると、となりにいたハンス役の先輩がそっと私にささやいた。

「自分の表現したいエインズがあるのね? できるだけ私も合わせるからやってごらん」

「え、先輩……」

 すると、彼女はステージの上から部長に向けていった。

「私からもお願い。もう一回だけ、見てあげてくれない?」

「本当にやりたいのなら、まあ、別にいいけど……」

 部長もうなずいてくれた。

「ありがとうございます!」

 私がお礼を言うと、先輩はパチッと片目を閉じて、再び舞台の中心に歩いて行った。

(今度こそ、頑張らないと)

 正直、まだどういう演技にするか自分の中で決まっていないけれど、チャンスをもらったからにはその場で一番いいと思えることをやるしかない。

(考えるんだ……。先輩の、ハンスの気持ちを読み取って、ハンスがその気持ちをちゃんとぶつけられるようなエインズを……)

 私は気合を入れて、先輩のあとを追った。

「それじゃあ、テイクツー。スタート!」

 スタートの合図があり、エインズとしてハンスに近づきながら、私はハンスの姿を見つめて頭をフル回転させてた。

「やあ、ハンス。そんなところで座り込んで、どうしたんだ?」

 エインズに話しかけられて顔を上げたハンス。

「オレには、エインズみたいな才能がないんだ……」

 私はハンスの表情を見つめながら考えた。

 このときの表情や発せられたセリフから、私はエインズに対する憎しみやねたみを感じることができなかったのだ。

 きっと、二人がまだ親友だった過去のシーンだから、そういうふう演技になっているのだろう。それは納得できる。

 だけど、この先輩が作ったハンスというキャラクターが、勇者であるエインズのことを、憎しみを抱くほどにねたましく思うようになるには、何か理由があるはずだ。

(きっと、ハンスはエインズに、剣の実力とかだけじゃなくて、気持ちの面でも距離を感じるようになっていったんだ)

 ハンスの劣等感に、優秀だったエインズは、どこまで共感できただろうか。

 きっと、ハンスがエインズのことを憎むようになってしまったのは、ねたみではなくて、気持ちのすれ違いだったんじゃないだろうか。

(そして、気持ちが少しずつすれ違っていることに、エインズは気が付けなかった)

 私の中のエインズとハンスは、きっとそうだと思うのだ。

「何を言うんだ、ハンス!」

 ここはきっと、他の先輩がやっていたみたいに、真剣にハンスの目を見て語り掛けるのが正解なのかもしれない。だけど、私の中のエインズは、少しイメージが違っていた。

 私は、ハンスから視線をそらすと、エインズの堂々とした感じと陽気さをアピールするように観客の方を向いて、明るく笑いながら続きのセリフを口に出した。

「オレたちは二人でずっと腕を磨き合ってきた。そのおかげで、オレもハンスも、この町ではともに一番だろう。ずっとこうしてふたりで高め合っていけば、オレたちにかなうやつはいないさ!」

「そ、そうかな……」

 ハンスがうしろで戸惑ったような声を出す。

 しかし、私は後ろを振り返らないまま、笑顔で続ける。

「いつだって、オレにはお前が、お前にはオレが付いているんだ。もっと自信を持て」

「ありがとう、エインズ……」

 後ろからハンスの、戸惑いを残した、どこか心細い声が聞こえた。

 そこで、この場面は終了。

 客席の反応を気にする余裕は、今はない。

 今度はストップをかけられなかったので、そのまま次のシーンの演技に入る。

「ハンス! 思い出してくれ! 一緒に修行をしていたころのお前は、こんなことをするようなやつじゃなかったはずだ」

 私は親友に思いもよらず裏切られたエインズの気持ちをぶつけるように叫んだ。

 きっと、このシーンでのエインズの中には、怒りとか悲しみとか、そういう持ち前の明るさややさしさではおさえきれないほどの感情があふれているんじゃないかと思うのだ。

「オレはもうあの頃とは違うんだ。エインズ、お前が親友だと思っていたオレはもういないんだ」

 ハンスの方も、私につられたように声を荒くして答える。

「戻って来てくれ、ハンス! お前ならやり直せる。オレと一緒に、また人を助けるために剣を振るってくれ」

「もう、遅いんだよ! オレはもう……お前のとなりにはいられない! 決めたんだ、勇者を倒して、オレがこの国の王になると!」

 エインズの言葉を、ハンスは躊躇なく切り捨て、拒絶した。

 お互い、相手の言葉を受け止める気なんかない、感情のぶつけ合いのような掛け合い。

 ささいな気持ちのすれ違いの最終的な姿が、これなのだ。

 演劇部の先輩たちが演じていたのと同じ場面とは思えないほど、印象の違う演技になっていると思う。

 でも、私の中の二人の関係は、こうしないと表現できなかったのだ。

「ハンス! 戻って来てくれ! もう一度、オレたちの仲間に……!」

「もう終わりだ! 終わったんだ……! オレは、おまえを倒す! 覚悟しろ、エインズ!」

 最後のセリフが体育館にひびく。

「はい、カット!」

 審査終了の合図が聞こえた瞬間、張りつめていた空気が一気にゆるんで、現実に引き戻された感じがした。

「お疲れさま」

 先輩が汗を拭きながら言った。

「お、お疲れさまです……」

 現実が戻ってきた瞬間、推しに話しかけられた緊張でうまく視線が合わせられなくなる。

「セリフ、上手だね。もしかして経験あるの?」

「えっと……少しだけ……でも、自己流だし、ちゃんと習ったわけじゃなくて」

「でも、すごいよ。っていうか、私が合わせるつもりだったのに、私に合わせて演技を変えようとしてたでしょ」

 先輩は笑顔で続ける。

「大本さんのおかげで、私の役が、今までのイメージよりももっとかっこよくなった気がする。こんなに激しく感情をぶつけるハンスは初めてだったよ」

「すみません……」

「謝ることじゃないよ。私も楽しかったし」

 すると、ステージの下から声をかけられた。

「大本さん、来てくれる?」

「は、はいっ」

 私が下りると、部長が審査員席にいたほかの演劇部員たちの輪に入るよう手招きした。

「大本さん、お疲れさま。二回目の演技、よかったよ」

「ありがとうございます」

「どう表現したいかっていうのが伝わってきた。棒立ちだったけど、声もよく出てたし、セリフはけっこう上手だったと思う」

 そう言われて気が付いた、そういえば、私、剣の演技なんてできないから、途中から動作をほとんど無視して勝手に朗読劇にしてしまっていたんだった。

「す、すみません!」

 慌てて謝ると、先輩は笑いながら手を振る。

「いや、いいよいいよ。もし入部してくれるなら、これから練習してくれればいいし。でも、今回のエインズ役は、今いる演劇部員から選ぶことになると思う。今回、公演までに時間があんまりなくて、今の時点での完成度も考えなきゃいけないから。それに、大本さんのエインズも面白かったけど、やっぱりちょっとキャラのイメージとは違うし……」

 二回もやってくれて悪いけど、と言われて、私はとんでもない! と首を振った。

「入部は、確か今は検討中って聞いてたけど、どうかな。もちろん歓迎するけど……」

「すじは悪くないし、やる気ありそうだもんね」

 周りにいた先輩たちまで、うんうんとうなずいている。

「ええっ! あっ、ええっと……」

 私は急にあせり出した。

 そもそもこのオーディションを受けたのは、ルリカさんの聞き込みの条件だったからで、私は演劇部の入部希望者ではないのだ。

 すると、横からルリカさんが助け船を出してくれた。

「部長、鈴奈さんは迷っているみたいですので、後日私の方からまた聞いてみますわ。それより、わたしく、ちょっと鈴奈さんとお話したいことがありますので、失礼いたします」

 そして、私を引っ張って体育館のすみに連れていく。

「おもしろい演技でしたわ、鈴奈さん」

 ルリカさんは笑顔で言った。

「あ、ありがとう……」

 推しだし、普段のちょっと冷たい感じも知っているので、ほめられると恐縮してしまう。

しかも今の演技をクラスメイトのルリカさんに見られていたと思うとよりいっそう恥ずかしい。

「真剣にわたくしのお願いを聞いてくださいましたので、鈴奈さんのお願いも聞いて差し上げます。申し訳ないけれど、部活が終わってからでもよろしいかしら」

 私はその言葉に、はっと顔を上げた。

「はいっ! お願いします!」

 聞き込みをさせてもらえることになり、私はルリカさんの部活が終わるまで体育館のすみっこで演劇部の練習を見学させてもらうことにした。

「お待たせいたしました」

「いえ、ルリカさん、お疲れさまです」

 部長を中心に終了の挨拶をした後、ルリカさんが私の方に歩いてくる。

 演劇部の練習はすごく見ていて楽しかった。

 私は自己流だから、演劇部の先輩の演技の指導をみていろいろと発見もあったし、なにより、今日新しくできた推しの先輩をずっと見ていられて幸せだった。

「また教室でお話していると隠し撮りなんかをもくろむ無粋なやからが現れるかもしれませんから、学園の外でお話ししましょう。近くのカフェでいいかしら」

「はい、もちろん!」

たしかに、ルリカさんは人気チャンネルを持つ演劇部の部員だし、私も例の動画で一部で有名になってしまったから、話すなら学園の外の方がいい。

 私たちは一緒に学園を出て、カフェに入った。

「それで、鈴奈さんの聞きたいことって? 今なら何でも答えて差し上げますわ!」

 ルリカさんはダージリンを手に私に微笑みかけた。

 なんだか、オーディションのあとから急に距離が縮まったような感じがして、ちょっと照れくさい。

「演劇部の動画配信について聞きたいんです」

「ああ、そうでしたわ。たしか、配信システムの不具合で何か困ったことがあるかどうか、でしたね?」

「はい、そうなんです」

 私がうなずくと、ルリカさんはうーん、と考え込むように頬に手を当てた。

「演劇部ではとくに心当たりはありませんでしたね……。不具合が出た日に、配信の予定がありませんでしたので。ただ、学内SNSで不具合が出たときは、公演の案内ができなくてイライラしましたわ。まあそれもすぐに直ったので、たいして困りませんでしたけど」

「そうですか……」

 私は聞いた情報をメモ帳に書き込む。

といっても、得られた情報は演劇部は特に困ったことなしってことと、学内SNSで公演の案内が遅れたっていうことくらいだ。

「あまりお役に立てなかったようですわね。他にもお手伝いできることがあれば、なんでもおっしゃって」

「いえ、そんな」

 無意識に落ちこんだ様子を見せてしまったのか、ルリカさんは心配そうに言ってくれる。

「ところで、他の配信者にもいろいろ聞いているんでしょう? そちらで何か得られた情報は?」

「それが……」

 私は、麻里絵さんの教室に行ってみたものの、近寄ることさえできなかったことを話した。

「いきなり一番人気の配信者を当たるなんて、鈴奈さんって、意外と度胸ありますのね……」

 ルリカさんが片眉をピクピクさせながら言う。

「いやー、でもことわられちゃって……」

 度胸だけあってもだめでした、と笑って見せると、ルリカさんがコホンと咳払いをした。

「でも、確かに、他の配信者も同じように、動画の視聴者という立場から話してもだめかもしれませんわね……」

「やっぱりそうですか……」

「だいたい、個人的な取材とか、そういうのを嫌う方も多いですから」

 ルリカさんの言葉に、私はうなだれた。

「わかりました! それじゃあ、こういうのはどうです?」

 ルリカさんは何か思いついたように手を打つと、言った。

「わたくしが演劇部の代表として、コラボ相手を探しているという名目でお話を聞いてもらうのはどうでしょう。演劇部のチャンネルは上位ですし、わたくしの顔を知っているものは学園中にいますわ。そのわたくしからの申し出でしたら、きっとみなさん無下にはなさらないと思いますの」

「ええっ、でもそんな……いいんですか?」

「構いませんわ。コラボを検討するというだけですし、実際、演劇部の動画についてはわたくしに決定権がありますもの。人気配信者とのコラボ動画なら、演劇部員の中にも出演希望者が集まりそうですし。案外、声をかけてみることで、配信者同士いいご縁になるかもしれませんわ」

 そう言って、ルリカさんは私に小さなカードを差し出した。

「演劇部のチャンネルで名刺を作りましたの。差し上げますから、話しかけるときに提示すればわたくしの関係者だと思ってくれますわ」

 名刺には、演劇部配信チャンネルと書かれており、その下に動画配信担当者として、ルリカさんの名前と学内SNSの連絡先が書かれている。

「ありがとう……すごく助かります!」

 確かにこれなら、私がただの視聴者として話しかけるよりもずっとうまくいきそうだ。

「良いってことですわ!」

 ルリカさんはダージリンを片手に、漫画のお嬢様キャラみたいに高笑いをした。


 次の日、私はさっそく、ルリカさんの名刺を手に配信者のいる教室めぐりを開始した。

 すると、みんなおどろくほど興味を持って話を聞いてくれた。

 名刺をもらった三日後には、ほぼすべての配信者への聞き込みが終わった。

「あとは……」

 一度近づこうとして失敗した、葉月麻里絵さんだけだった。

「よし、今日こそ話を聞かせてもらおう!」

 放課後、私は再び葉月さんの教室へと足を運んだのだ。

 教室の前に立ち、中をうかがうと、葉月さんはやはり教室の中にいた。

 となりには、前回私の前に立ちふさがったあのポニーテイルのマネージャーの先輩もいる。

 私は、ごくり、とつばを飲み込むと、思い切って教室に入り、歩み寄った。

「あの……!」

 二人がいっせいにこっちを向く。

「あなたはこの間の……。ファンクラブの入会を決めたのね? でも、悪いけど今はちょっと立て込んでて……」

 前のときと同じように、マネージャーの先輩が私をさえぎって前に立つ。

「すみません、今ご都合が悪いならもう少ししてからまたうかがいます。ただ、どうしてもお話をお聞きしたくて。ひとまず、こちらの名刺だけでも受け取ってもらえませんか」

 私が差し出した名刺を、マネージャー先輩が受け取る。

「演劇部の配信チャンネル……。あなた、演劇部の部員だったのね」

 少しおどろいたように言われて、私は視線をそらしつつあいまいにうなずく。

「えっと、今はその、仮入部みたいなもので……。実は、演劇部のチャンネルで今、コラボ企画を考えていまして、はーちゃん先輩にご協力いただけないかと思いまして……!」

「コラボねぇ……。確かに、演劇部のチャンネルなら、お互いのファンから注目を集められて、いいかもしれないけれど」

 マネージャー先輩が、名刺を見つめて呟く。

 さすが、ルリカさんの名刺効果! 前回は門前払いだったのに、今は少しだけ興味を持ってくれている感じがする!

「それでそのっ、もし興味をもっていただけるなら、少しだけお話をして、ご要望などありましたら聞いておきたいな、と思っておりまして!」

「なるほど。あなた、新入部員だから声かけと取次ぎをさせられてるってわけね?」

「そ、そこは自分の判断です! 演劇部から許可はもらっていますが、今回は個人的にお声がけさせてもらいました!」

 名前を借りている以上、演劇部の迷惑にはならないようにと私は独断であることを強調した。

「まあでも、名刺はもらっておくわ。コラボの話を受けるかはあとではー様と相談して決めるから、連絡はその後になると思うけど」

「今日のうちに、少しだけお話をうかがうことはできないでしょうか……。その、お二人のお話が終わるまで待っていますので、少しだけ……」

「ずいぶん食い下がるわね。私たち、忙しいんだけど……」

「美玖ちゃん、待って。話くらい、聞いてあげようよ」

 そのとき、今まで後ろで私たちのやり取りを聞いていた葉月さんが、口を開いた。

「麻里絵……でも」

「こうやって名刺まで持ってきてくれたんだし。演劇部の子が会いに来てくれるなんて、私も嬉しいもん」

 そう言って私に向かって笑顔を浮かべる。

 か、かわいいっ……! やっぱり葉月さん、人気配信者のオーラが出まくってる。

こんな機会がなければ、私なんか、眩しすぎて近寄れなくて、一生直接お話しすることなんてなかっただろう。

「麻里絵がそういうならいいけど……」

「教室で企画の話をするのもなんだから、話しやすいところに移動しましょう?」

 葉月さんはそう言って立ち上がり、私を手まねきする。

「は、はいっ! ありがとうございます!」

 葉月さんのあとを追いかけてたどり着いたのは、廊下の突き当りにある教材準備室だ。

 マネージャー先輩がカギを取り出して、ガチャッと開ける。

 中は狭くて、教材の積まれた棚のほかには、長机が一つと、たたまれた椅子がいくつかあるだけだった。

 わたしたちはそれぞれ椅子を持ってきて座る。

「ここならだれも来ないから。美玖ちゃんはね、私のマネージャーをやりながら、学級委員もしてるの。すごいでしょ?」

「こ、これくらい……麻里絵に比べれば全然……」

「ふふ、照れちゃってー。けんそんしなくていいのに」

 マネージャー先輩、なんだかうれしそう。

 今のやり取りを見て、この二人はすごく仲がいいんだな、と思った。

「さて、ところで、あなたの話って何なのかしら」

 仕切り直すように、コホンと咳ばらいをすると、マネージャー先輩が私に向かって言った。

「あ、はい……その、まずは演劇部とのコラボにあたって、なにかご要望があれば……」

 すると、マネージャー先輩ははあっとため息をついた。

「それじゃないんでしょ? あなたの本当の目的。前に来たときは演劇部なんて一言も言ってなかったし。最近いろんな配信者のところに行って話をしているみたいだけど、何が目的なの?」

 私はギクッとしたが、そこまでわかっているなら隠しても仕方がないと思いなおした。

「はい……。すみません。実は私、最近起こっている学園のシステムの不具合について調べてるんです」

 私は、学内SNSの不具合が動画配信者がらみの情報を発信する生徒を狙って起こっていたことと、動画配信サイトの不具合も同じ犯人であると考えていること、そしてそのことから、一連の事件が配信者を困らせる目的で行われている可能性があることを話した。

「なるほど……。あなたってもしかして、そういうのを解明して動画のネタにしてる配信者だったりする?」

 マネージャー先輩の目が、少しだけ興味深そうに光った。

「い、いいえ……そういうわけじゃないんですけど。個人的にちょっと気になっていまして」

「まあ、今の話からすると、あなたが麻里絵のプライベートとかを探ってネタにするようなたちの悪いやからじゃないことはわかったわ」

 わかってもらえてほっとする。

 それと同時に、どうして前に話しかけたときにあんなに警戒して、葉月さんに近寄ることさえ許してくれなかったのかがわかった気がした。

「美玖ちゃん、警戒しすぎだよ」

 葉月さんがにっこりと笑いながら、のんびりした口調で言う。

「麻里絵が無防備すぎるのよ。でも、そうね……。実は、学内SNSが使えなくなったことについては、ちょっとだけ、ありがたいなって、思ってもいたのよね」

「え……?」

「配信者がらみの情報を発信するアカウントって、動画の感想を言ってくれたり、告知を拡散してくれたり、ありがたい反面、配信者の普段の様子とか、プライベートにまで不用意に情報を発信して注目をあびようとするのもけっこうあるから」

「……っ!」

 私ははっとした。

 困っている人ばかりだと思っていたけれど、今みたいな視点で考えれば、確かにあの不具合で助かっている人だっていたのかもしれない。

「不謹慎だよ、美玖ちゃん……」

 葉月さんが笑顔のまま言った。

しかし、その表情は、気のせいか少しだけ強張っているように見えた。

すると、マネージャ―先輩も私から視線をそらすように、さっと後ろを向くと、考えるような口調で続けた。 

「まあでも、もちろん麻里絵の動画も告知ができなくなって困ってはいたんだけどね。やっぱり、あれで宣伝した方が、再生数は伸びるし。話題にしてくれるアカウントがあるおかげで再生数が増えているのはたしかだし」

「そうですか……」

 私は聞いた話をメモしながら、ふと気になったことを口に出した。

「あの、葉月さんって、ほとんど毎日動画の投稿をしてますよね?」

「うん。みんなからのリクエストもあるし、やりたいこともいっぱいだもん。動画のアイディアはいつも考えてるの。授業中でもね」

 そう言って、可愛らしく舌をペロッと出して見せる。

「動画の配信システムが使えなくなったときって、何か動画を上げる予定がありましたか?」

「えっ……その日は……」

「なかったわ」

 葉月さんが答えるより先に、マネージャ―先輩が断言する。

「ま、たまには休みだって必要でしょ。その日は元から動画を上げない予定だったの」

「そうなんですか」

 私は二人の様子に内心軽く首をかしげながら、うなずいた。

「さあ、まだ何か気になることはある? そろそろ私たち、動画について打ち合わせをしたいんだけど」

「あ、いいえ。もう大丈夫です。お邪魔してすみませんでした」

 マネージャー先輩の言葉を合図に、私は立ち上がる。

「どうも、お時間とっていただいて、ありがとうございました」

「いえいえ。また教室に遊びに来てね」

 葉月さんが手を振ってくれる。

「来るならファンクラブに入ってからにしてよね。あとファンが直接麻里絵に話しかけるのはルール違反だから」

 マネージャー先輩はそう言って、ドアを開けてくれた。

「失礼します」

 私は頭を下げると、教材準備室をあとにしたのだった。

 その夜。

 私は放課後、花島くんに、ランキング上位の配信者に対する聞き込みが終わったことを連絡した。

 すると、すぐにメッセージアプリの着信音が鳴った。画面に花島くんの名前が表示されている。

「はい、もしもし」

「今、話せるか?」

「うん。大丈夫。えっと、聞き込みの結果のことだよね」

 私はメモを見ながら話し始める。

「みんな同じような答えで、たいして何かわかったって感じはしないんだけど……やっぱり、学内SNSの不具合は、動画の告知ができなくて困ったって人が何人かいたくらいかな。動画配信システムの方も、その日に動画をアップする予定だった人は延期しなくちゃならなかったけど、そこまで困ったって感じでもなかったみたいだったよ」

「そうか……」

 花島くんが考えるように呟く。

 私は少し迷ったけど、一応言ってみることにした。

「あとね……これも、関係あるのかわからないんだけど、学内SNSが使えなくなったのって、人気の配信者たちにとっては、困ったことばかりではなかったみたい」

「どういうこと?」

「配信者の情報を発信してる人たちって、中には無理な取材で押しかけてきたり、プライベートのことを勝手に公開したりする人も多いみたいで……」

 取材中に聞いた話を思い出しながら言う。

 葉月さん――というより、マネージャ―先輩――ほどガードが堅い人はさすがにいなかったけど、他の配信者も、知らない下級生にいきなり話しかけられて警戒する人がほとんどだった。

 それも、ルリカさんにもらった名刺のお陰で話を聞いてくれるようになったのだから、ルリカさんには本当に、感謝してもしきれない。

「そういうアカウントが一時的にだけど停止されたのが、いつも被害にあっている人からすると助かるっていう意見もあって……」

「ああ……確かにな。あることないこと勝手に捏造してうわさの種をばらまいたりとか、迷惑なやつらがいるからな」

 花島くんが話を聞いてうんざりするような口調で言う。それで私も思い当たった。

 今、花島くんが私と一緒にいる動画を勝手に撮られて拡散されているのも、まさにその一例というわけなのだ。

「でもそんなのって、規則違反だし、学園としても対処してるはずだよね?」

「いや……まあ、確かに、明らかに迷惑行為ってわかる場合は対処してるんだけどな。ただ、その線引きが意外とむずかしくて……」

 花島くんは電話口で、うーんとうなりながら説明してくれる。

「例えば、オレたちの動画だけど、あれは明らかに隠し撮りされた動画だから、はっきりとルール違反だっていえる。でも、例えば配信者と仲のいいクラスメイトが、会話の中で偶然知った配信者の情報とかを公開してしまった場合とかは、あくまで本人たちの問題ってことになるんだ。当然、自分に話してくれた情報を不用意に公開するもんじゃないとは思うけど、事前に口止めしておかなかった方が悪いとも言えるしな」

 それを聞いて、私は考え込んだ。

 確かに、仲のいい友達同士だったら気がゆるむのは当たり前だし、そこでしゃべった情報を勝手に公開されてしまったら、気持ちがいいわけはない。

 ちなみに花島くんも触れていた、私たちの隠し撮り&超絶インチキ編集動画は、管理人の花島くん本人の手ですでに削除されている。

 これで、しばらくしたらうわさまでなくなってくれるといいな……。

「まあ、配信者本人から苦情が来れば対処はするけど……実際、苦情を入れるほどでもないようなささいなことでも、ネタにされるとうざったいからな」

「たしかにそうかも……」

 改めて、人気者って大変なんだな、と実感した。

 これじゃあ、仲のいい友達相手でもなかなか完全に気を許して何でも話せる仲になるのはむずかしいと思う。

「そういえば、それでいうと、確かに配信者の中に助かったっていう人がいるのも納得できるかもな……。なにしろ、強引な取材にしても、うわさにしても、そういうのの元凶みたいなやつらもあのときダメージを受けたみたいだし……」

「えっ、何それ……元凶ってだれのこと?」

「新聞部だよ。さすがに部活全体のアカウントでは明らかに規則違反になるようなことはしてないみたいだけど、部員の何人かは個人でアカウントを持っていてネタの取り合いみたいになってるらしい。配信者の中には迷惑してたやつも多いだろうから、しばらく活動できなくなってざまあみろって、思ってたやつも多いかもな」

 花島くんがため息交じりに言う。

 もしかして、花島くんも同じように迷惑していたんだろうか。

「たぶんだけど、オレたちの動画上げたやつもその中のだれかだと思うぞ」

「えっ⁉」

 その言葉に、私も思わず反応してしまう。

「要するに、それくらい無理なこともしてくるやつらなんだよ」

「そうなんだ……」

 確かにあんなでっちあげみたいな動画を上げられたら、だれだって迷惑だろう。見た人がみんな、本気で信じてるわけじゃないんだろうけど、私みたいな地味な生徒でも面白半分にうわさされたりしてたんだから、人気の配信者とかならなおさらだ。

 私はうなずきながら考えていた。

(でも、それならむしろ、このシステムの不具合で困ってたのって、配信者よりも、そういう配信者の情報を発信してる人たちだったってことなのかも……)

配信者が自分の情報を公開するのを邪魔するのではなく、新聞部みたいな、特ダネを追ってるひとたちを狙って事件を起こしてるってことも考えられる。

 それがどういうことなのか、まだ私にもわからないけれど、どっちにしても、中心には配信者がらみの事情が隠されている気がした。

 私は聞き込みをしたときの葉月さんたちの様子を思い出す。

 困っているところを人に見せたくなかったのか、葉月さんは情報発信系のアカウントの話をしたとき、あまり触れてほしくなさそうな顔をしていた。

 あのときは聞くことはできなかったけれど、やはり何かあったのかもしれない。

 そして、それを探るためには、やっぱり……。

「花島くん、私、明日新聞部にいって話を聞いてみようと思う」

「新聞部か……確かに、この流れなら、そうするのがいいかもな……」

 花島くんも同意するように言った。

「わかった。それなら今度はオレも一緒に行く」

「ええっ!」

 思いがけない言葉に、私は驚いた。

「オレもやつらには言っておきたいことがあるからな」

 そう言われて、私ははっとする。

 もしかして、花島くん、あの動画のことを抗議しに行くのかな。

 動画を削除するだけじゃなくて、わざわざ直接言いに行くなんて、よっぽど怒ってるんだ。

 ケンカにならないかな、と心配してしまう。

「じゃあ、明日また放課後に声かけるから」

「あ……うん。それじゃあ、明日」

 私は不安を覚えながらも電話を切った。

 そして、次の日。

授業が終わると、花島くんが声をかけてきた。

「行くぞ」

「はいっ」

 私は教室を出て行く背中を急いで追いかける。

「……」

 花島くんは無言で歩き、私はその少し後ろをおどおどしながらついていく。

 こんなふうに二人で歩いていたら、花島くんファンの人たちに何か言われるんじゃないかと思うと、なかなか並んで歩くことができなかった。

 花島くんはあの動画にすごく怒っているみたいだし、きっと迷惑かけてしまうから。

 ふいに花島くんが立ち止まって、私は背中にぶつかりそうになった。

「あのさ……あの動画について、まだいろいろ言うやつはいるのかもしれないけど、もう削除したし、どうせもうみんなあきて忘れ始めてる。オレが言うのもおかしいけど、あんまり気にするなよ」

「え……」

「……」

 花島くんはすぐにまた前を向いて歩き出してしまう。

(今の……私が気にしてると思って、声かけてくれた……?)

 なんだかうれしくて、私はもう一歩分だけ、花島くんから離れていた距離をつめた。

「ここだな」

 新聞部の部室の前。私がおそるおそるノックしようとしていると、花島くんがさっと手をかけてガラッとドアを開けてしまった。

 さすがの度胸に、私はあぜんとするばかりだ。

「し、失礼します……。急にすみません」

 中にいる人が一斉にこっちを向いたので、私は慌てて小さな声で断りを入れる。

「あなたたち、何?」

 ホワイトボードの前でペンを握っていた、明るい髪色をした背の高い先輩が、みんなを代表して言った。

 ちょうど会議中だったのか、全員が長机を囲んで座っている。

「ちょっとちょっと、部外者は立ち入り禁止なんですけど! 出てってくれる?」

「すみません。聞きたいことがあってきました。オレ、一年の花島瑠偉っていいます」

 花島くんが礼儀正しく頭を下げたので、私もそれにならう。

 しかし、顔を上げた瞬間、何だか部室全体の空気が凍り付いているような感じがして、私は内心首をかしげた。

 しかし、となりにいる花島くんの顔を見て納得する。

(ど、どうしたんだろう……なんか怖いっていうか、迫力がすごいんだけど!)

 花島くんが新聞部のみなさんを見る目は、すごく険しくて冷ややかで、となりにいる私にまで重たい圧が……。

「一年生? そんな怖い顔したってダメなもんはダメ。アポなしで乗り込んでくるなんて非常識……」

 最初に声をかけてきた先輩が言うと、後ろにいた男子の部員が背中を突く。

「ひ、日浦部長!」

「なによ。あんたまさか、一年生にビビッてるんじゃ……」

「違うんです! そいつ、実は例の動画の……」

「例の動画って……あれの⁉」

 こそこそ話していた部長の顔が引きつる。

「あー……花島くんって、そっか、そうだったね」

 部長が花島くんに向き直ると、急に頭を下げた。

「ごめん! 私の部員の管理がいたらないばかりに、迷惑をかけたみたいで……」

 星形の髪飾りの付いた長い髪がバサッと揺れる。

「ほら、動画上げたあんたたちもあやまって!」

「す、すみませんでした!」

 二人の男子部員が同時に頭を下げる。

 私は何が起こっているのかわからないまま、ポカンとそれを眺めるしかない。

「大本。オレたちを盗撮してあの動画をアップしたの、ここの部員なんだ。もう学内SNSで連絡を取ってちゃんと上げた本人に確認もした」

「あ!」

 なるほど! やっぱりあれも新聞部の人がやってたんだ。

「もしかして、そっちの子がうわさのもう一人の子?」

 部長、日浦さんが申し訳なさそうな顔で私を見る。

「えっと、はい……」

「ごめんね。うちの部員が迷惑かけて」

 そう言って、私にまで頭を下げてくる。華やかな見た目でちょっと話しにくいタイプと思ったけれど、下級生の私にまでこんなふうに誠実に対応してくれるなんて、絶対良い人だ!

「いえ、もう動画は削除されてるみたいだし……」

 大丈夫ですよ、と言おうしたところで、花島くんがかぶせるように言った。

「実はあの動画のおかげで、オレたちはあらぬ疑いをまわりから受けていまして。その解決のために、新聞部のみなさん、ご協力いただけますよね?」

 花島くんの声が普段より一段階低くなっている。

 やっぱり、なんかちょっと怖いんだけど……。

「ぶ、部長~っ……」

 花島くんににらまれて、動画を上げたっていう先輩が日浦さんにすがりつく。

 日浦さんはため息をつくと、私たちに向き直って言った。

「わかったよ。部員が迷惑かけた責任は、私が取る。新聞部に協力できることがあるなら、何でも言って」

「ありがとうございます。助かります」

 花島くんがさわやかにお礼を言うのを、私はちょっとポカンとしながら見つめてしまった。

「それじゃあ、さっそく聞きたいんですけど、ここ最近の学内SNS、または動画配信システムの不具合で、新聞部の活動に何か影響が出たりしましたか? たとえば、何か発表したいネタがあったけど、発表できなかった、あるいは予定していたタイミングでは発表できずに延期した、とか……」

 花島くんの言葉に、日浦さんは部室にいる部員たちの方を向いて言った。

「あたしは配信者を追ったりしてなかったからわかんないけど、みんなはどう? 個人で追ってたとか、取材途中のこととかでもなんでもいいから、心当たりがあったら答えてくれる?」

 部員たちはみんなそれぞれ考えるような顔をしてだまり込んだ。

 そんな中、一人の女子部員が手を上げる。

「あのー、私、毎月部で出してる学園新聞では、いつも配信者へのインタビューコーナーを担当してて、逆に配信者の方から新聞部のアカウントで動画の告知を出してほしいって頼まれることもたまにあるんですけど、学内SNSの不具合のときもちょうど何人かから依頼されていて、告知を出すのが遅れたことがありました」

 私は考えた。

たしかに、配信者がらみの困りごとと言えるかもしれない。

 ただ、配信者みずからが学内SNSやインタビューで発言している場合なので、私が考えていたような、もしかしたら新聞部から情報を発信できなくなることが配信者の得になるかもしれないという状況とは一致しない。

 するともう一人、女子の部員が手を上げた。

「私は、配信者の情報に限らずなんだけど、毎週金曜の放課後、決まった時間にひとつ何か学内SNSに投稿するって決めていて、それが不具合でできなくなって中止したことがあったな……。でも、新聞部全体じゃなくて個人でやってる方のアカウントだったし、配信者情報に限らず、自分が気になったトピックについて、ブログみたいに適当に投稿してるだけだから……」

 参考までにその学内SNSのアカウントを教えてもらって投稿を見てみたが、確かに、内容は自分のイチオシの配信者のことから、話題になっている本の感想、学園の近くにできたカフェの食レポなど、さまざまだった。

 一応、配信者のことも話題にしてはいるものの、内容は独自に取材したものではなく、おもしろかった動画の内容を軽く紹介したりする程度だった。

(これも、配信者が自ら発信した情報を取り上げて紹介しているだけ……。配信者が困りそうな情報を載せてるわけじゃないから、この人の投稿がなくなったところで、得をする配信者がいるとは思えない……)

 私はもう少しだけ踏み込んだ質問をしてみようと思った。

「あの……たとえば、なんですけど、配信者のプライベートの情報とか、偶然知ってしまった情報なんかを公開しようとしてた、とか……そういうことは、なかったでしょうか」

 私の言葉に、部員たちのほとんどが困ったように顔を見合わせた。

「そういう、不確かな情報とか、配信者本人が隠したがっている情報、まして、隠し撮りや強引な取材で無理に情報を得ようとするのは……新聞部内のルールとしては、禁止してるんだけど……」

 日浦さんが言う。言いながら、なげかわしそうな顔でため息をついているのは、そのルールを守らない人がいるからなのだろう。

 じとっとにらみつけるような視線を向けたその先に、例の、私と花島くんの動画を上げた先輩がいる。

(そっか。あの動画も、花島くんを勝手に撮ったやつだから……)

 日浦さんの視線を浴びて、その先輩は気まずそうに視線をそらす。

「あんた、他にも何か隠してるんじゃないでしょうね。個人のアカウントで公開して、注目を集めようなんて、思ってない?」

「うっ……」

「そういえば、前に変なこと言ってなかったっけ。人気の配信者の告白現場を目撃した、とかなんとか。写真まで取ってなかった?」

「えっ!」

 私はおどろいて目を見張る。

 先輩は、日浦さんに問いただされて、しどろもどろに答える。

「……だから、それは本当に告白の場面かどうかわからないし、なにより隠し撮りはだめって部長に言われたから……」

「公開はしてないんだよね?」

「はい」

「それならよし。当然、そんな場面、絶対に公開させるわけにはいかないからね。でも、この話なら、今大本さんが言ってた条件に合うんじゃない?」

「は、はい……。そうですね」

 私と花島くんは顔を見合わせてうなずいた。

「教えてもらえませんか。もちろん、オレたちも絶対にだれにもしゃべったりしないから」

「お願いします!」

 私たちが言うと、先輩はちらっと日浦さんの方を見た。

 日浦さんがうなずくと、スマホを取り出して、私たちに見せてくれた。

「これなんだけど……」

 私と花島くんは、画面のぞき込む。

「あっ!」

 私は声を上げた。夕方の校舎裏を背景に写っていたのは、葉月麻里絵さんと、ひとりの男子生徒の背中だった。

「これって……」

 男子の方は顔が見えず、向かい合った二人が何か話していることくらいしかわからない。

 だけど、私は何となく、その写真の葉月さんをみて、妙に胸がドキドキしてしまうのを感じた。

「葉月麻里絵が男子に告白してるところを、オレは目撃したんだ」

「ええっ!」

 新聞部の先輩の言葉に、私は驚いた。

 葉月さんが、告白……! 

(葉月さん、すごく可愛くて女の子らしいし、好きな人がいて告白するのは意外でも何でもない……。だけど、配信者としての葉月さんは、確か、恋人がいることとかは公表していなかったし、もし隠れて突き合っている人がいたとしたら、ファンの間でもかなり話題になっちゃいそう……)

「これ、いつの写真なんですか?」

 花島くんが冷静な口調で聞く。

「先月の半ばくらいだったかな。相手の顔は見てないし、好きですとか、付き合ってくださいとか、直接的な言葉は聞いてないけど、でもあれは絶対に告白の場面だったぜ。何しろ、葉月麻里絵の方から真っ赤になって頭下げてたんだから」

「だから、そういうのを憶測っていうんでしょ。とにかく、新聞部としては、絶対そんな情報を公開するわけにはいかないからね」

 日浦先輩がばっさりと切り捨てる。

 先輩はしょんぼりしながらもうなずいた。

「わかってますよ、部長」

「でも、私もちょっと信じられないなー。だって、はーちゃん先輩だよ?」

 話を聞いていた部員の女子生徒が腕を組みながら言う。

「逆ならあり得るだろうけど、はーちゃん先輩から男子に告白するなんて、絶対ないと思う。はーちゃん先輩って、プロ意識がすごくて、ファンにはみんな平等に優しいし、学園にいる間は、友達と話すときでも人気配信者のキャラそのまんまだし。ほんと、すきがないっていうか、完璧なアイドルって感じだもん」

「確かに。この写真だけで、はー様が男子に告白してたなんて言われても、オレには信じられない。どうせ、男の方が言い寄ってたのをたまたま目撃しただけなんじゃないのか?」

「ち、違うって! オレは確かに見たんだよ」

 その言葉に、日浦さんがぴしゃりと言った。

「でも、だからって一週間も無断で配信者に張り付いてたのはやりすぎ。いくらうらが取れたとしても、そんな配信者のプライベートをこっそり探るような記事、あたしは絶対許可しないから!」

「わかってますよ。あーあ、せっかく超特ダネをゲットしたのになぁ」

 私と花島くんは顔を見合わせて、うなずく。

「それと先輩」

 花島くんは部員たちに背中を向けて出口に向かいながら、さりげなく先輩を教室の角まで引っ張っていった。

「あの日、教室で聞いたこと、だれにも話してませんよね?」

 ひそひそ声で言うと、先輩はにやりと笑って私たちを見てうなずいた。

「ああ、もちろん」

 私がりんねる劇場の配信者であることと、花島くんが学内システムの管理をしていること。

 自分だけが秘密を知っているのがうれしいのか、なんだか先輩がにやにやしているのが気になるけれど、私はひとまずほっとする。

「よかった。今後も秘密のままでお願いします」

 花島くんはそれだけ言うと、何事もなかったようにガラッと出入口のとびらを開いた。

そのまま、花島くんが少し話したいというので、私たちはだれもいなくなった教室でとなりあった自分たちの席に座った。

「今の話で、気になったのはやっぱり配信者の葉月麻里絵だよな。大本はどう思う?」

「うん……。実は私、配信者への聞き込みをしていたときから気になっていたんだ。実は、配信者のプライベートな情報とかを公開している人たちがいて困ってるって聞いたの、葉月さんに聞き込みをしたときだったから」

「そうだったのか……」

 私は、そのときの葉月さんの、あまり触れられたくなさそうな態度とかを思い出して話した。

「でも、だからって、葉月さんがハッキングの犯人だったなんてことは、私はやっぱり考えられないよ。告白の話が本当だったとしても、そんなふうにみんなを困らせるとは絶対考えられない」

 そもそも、葉月さんとハッキングって言うのが、まったくイメージが違い過ぎて、結びつかない。

 あんなふうにふわふわーっとした雰囲気の可愛い人が、良く映画とかである、暗い部屋でフードかぶって一人でキーボードをすごい勢いで打ちまくってるハッカーみたいなことをしている様子なんて、全然想像できない。

「いや、そのイメージはさすがに偏り過ぎだと思うぞ……」

 花島くんにツッコミを入れられてしまった。

「オレも、葉月麻里絵がハッキングの犯人だとは思わないな。ただ、何か関係があるような気がする……」

「実は葉月さんも特技がプログラミングだったり……しないか」

 私は、動画配信サイトの葉月さんのチャンネルのページにある自己紹介を読みながら言ってみた。しかし、それらしい情報は一切書かれていない。趣味はぬいぐるみ作り、特技はお料理って書いてある。

「そんなプロフィール、本当のことを書いてるかなんてわかんないだろ。それに、趣味でやっててハッキングなんてできたら、世界中ハッカーだらけだぞ」

 た、たしかに……。でも、実際にこの学園にはそれができる人が、花島くんのほかに一人はいるのだ。

「うーん……あ、じゃあもしかして、だれかが葉月さんのことをかばってやってるとか」

 私はマネージャー先輩のことを思い出した。

 あんなふうに、配信者としての葉月さんのことを守ろうとしている人がいるのかもしれない。

「あれ……?」

 そこでふと、スマホで葉月さんのプロフィールを開いていた私はそこに書いてあることに目を止めた。

「葉月さんの誕生日……五月七日って、確か……」

 私の言葉に、花島くんも反応する。

「動画配信サイトが使えなくなった日だな。それが葉月麻里絵の誕生日だったのか……」

「うん……そうみたい」

 花島くんは、黙って何か考えているようだった。

 私は、花島くんがこの学園のシステムの管理を任されているって聞いたときの花島くんの言葉を思い出していた。

『これくらいできるやつ、他にもいるだろ。ここのプログラミング部のやつとかな』

 まるで、それができるような人に心当たりがあるような言い方だった。

「ねえ、花島くん……」

「どうした?」

「花島くんは、もしかして、ハッキングの犯人に心当たりがあるの?」

「……そうだな。実際、できるとしたらあいつくらいだろうなっていうくらいには目星がついてる」

 私の言葉を肯定するように、花島くんはつぶやく。

「教えてくれない? 花島くんは、だれがやったと思ってるの?」

「プログラミング部の、三年の小湊京也ってやつ。学園内でもいろいろアプリとか作って配布してるらしい」

「名前もわかるんだ。もしかして、花島くんの知り合い?」

「いや。ただ、競技プログラミングの大会で一緒になったことがあるし、そのときは一緒に表彰された」

「そうだったんだ、すごいんだね」

 競技プログラミングっていうのは、プログラミングのスキルを競う試合みたいなものだ。

 学園では、クリエイターや配信者と同じように、プログラマーとしての活動も奨励しているから、私でも話くらいはよく聞く。

「ああ」

 花島くんがうなずいた。

 花島くんに認められるくらいのうで前ってことは、やっぱり相当すごいってことだろう。

「じゃあ、もしかしたら、小湊さんが葉月さんのためにこの事件を起こしていたってこと?」

「たぶん、そうなんだろうな」

 私は考える。

 そんなすごいプログラマーの先輩が配信者の葉月さんのために事件を起こした理由……それはやっぱり。

「じゃあ、葉月さんが告白した相手は、小湊さんだったのかな」

 恋人だから、葉月さんのことを守ろうとした。自分と付き合っていることがバレて、葉月さんが傷つけられるのを防ぐために。

「写真を見た限り、後ろ姿だったからわからないけど、まあ、背格好はにていたかもしれないな」

 花島くんが言う。

「そっか……。じゃあ、今度はプログラミング部の小湊さんに直接聞き込みしてみる、とか……?」

「いや。正面から言ったところで、正直に認めるとは思えない。恋人の葉月のために学園全体をまき込んだ事件を起こしたなんて、本当のスキャンダルだからな」

 確かに、そんなことがもしみんなに知られたら、葉月先輩のイメージまで下がってしまう。

 恋人がいるってことよりも、そっちが知られてしまった場合の方がずっと深刻だ。

「でも、私たちは、もう事件を起こすのをやめてほしいだけだから、だれかに話したりするつもりはないんだけどなぁ」

「オレたちがそう話したところで、信じるかわかんないだろう。っていうか、たぶん無理だ」

「そうだよねぇ……」

 だって、告白のシーンを撮られてたってだけで、たくさんの学内SNSのアカウントを停止しちゃうくらい用心深いんだもん。

「だから、少しずるい手を使うことになる」

「えっ、ずるい手って?」

「新聞部にとられた写真をオレたちが知っていることをほのめかして、それを公開されたくなかったら認めろって言う」

「そ、それは……」

 脅迫ってやつじゃないでしょうか……。

「例の校舎裏で撮られた写真を公開されたくなかったら、オレたちの話を聞いて欲しい。こう言っておけば、小湊が犯人なら必ず反応するはずだ。なにしろ、恋人の秘密を守るためにあんな事件を起こすようなやつだからな」

「そっか。それで反応があったら、写真に写っているのが小湊先輩だったってことの証拠にもなるのか」

 今の時点で、写真に写っているのが百パーセント小湊さんだっていう確証はない。

 だけど、今の花島くんの言い方で問いただせば、それが小湊さんだっていうことまで確定させられるわけだ。

「多少強引なやり方だとは思うけど、これくらいは仕方ないだろう。それに、オレたちは話を聞いてもらいたいだけだ」

「うん……」

 なんだか、どんな条件を付けるにしても、その人の大事な秘密をそんなふうに使うのは気が引けるけれど、そうでもしないと認めてくれそうにないのだから、今回ばかりは仕方がない。

「まず、小湊が一人のときを見計らって声をかけて、写真のことを話す。具体的に何の写真かまでは言わないで、校舎裏とか、気にさせるキーワードを入れるんだ。そして、写真を公開されたくなかったら、放課後、オレたちが指定した場所までくるように言う」

「そこで、ハッキングのことを話すんだね」

「そうだ。秘密を守りたいのはわかるが、もしまた学園のシステムに不具合を起こすなら、オレは学園側に対処するように要求する。今回はそれだけだ」

「わかった。じゃあ、えっと、小湊さんに話しかけるのは、明日の放課後、部活に行くところを捕まえるのでどうかな」

「ああ。その……オレが声を掛けるから、大本は気が進まないなら来なくてもいいぞ」

 花島くんがちょっと視線をそらしながら言う。

 最近話すようになってわかってきたのだが、これは花島くんなりに気を使ってくれているときの仕草なのだ。

「大丈夫だよ。ここまで一緒に調べてきたんだもん。私も一緒に行かせてほしい」

「そうか……わかった」

 花島くんは視線を合わせないままうなずいた。


 次の日の放課後、私と花島くんは、昨日話した通り、一緒に三年生の教室に向かった。

 小湊先輩が出てきたところを捕まえるのだ。

「いた。あいつだ」

 花島くんが指さした方を見ると、眼鏡をかけた、真面目そうな先輩が教室から出てくるところだった。

「すみません、先輩」

 花島くんが声を掛ける。

「ん……ああ、きみは花島くんだね。こんなところまできて、何か用かな」

 細いフレームの眼鏡がいかにも頭がよさそうで、どこか神経質そうな印象を与えるけれど、こうして話している表情は穏やかで優しそうだ。

「いきなりすみません。オレたち、学園の配信システムの不具合について、先輩と少し話したいと思っているんです」

 小湊先輩は、私たちを驚いたような顔で見くらべたあと、笑顔に戻って言った。

「配信システムの不具合? なぜ、きみがぼくとそんなことを話し合いたいと思うのかな」

「実は、オレたちはちょっとした事情があってハッキングの犯人をさがしているんです。この学園の生徒でそれができるのって、小湊先輩くらいだと、オレは思っています」

 はっきりと言い切った花島くんに、今度は小湊先輩は笑顔を崩さなかった。

「はははっ。きみにそう言ってもらえるなんて光栄だな。でも、それを言ったら、花島くん、きみにだって、十分それができるってことになるんじゃないかい? なんていったって、ぼくは同じ競プロの大会で、一度もきみに勝てたことがないんだから」

 その言葉に、花島くんは答えない。

 私は一歩前に出て先輩に近づくと、声を潜めて言った。

「例の校舎裏で撮られた写真、実は私たちがもっているんです。撮影した人に頼んでもらったんです」

 私の言葉に、先輩がはっと息を飲む。

「すみません、先輩。でも、もし心当たりがあるなら、私が何のことを言っているのかわかったはずです」

「な、なんの話だか……」

 しかし、再び視線をそらそうとする先輩に、今度は花島くんが言う。

「もし、今日の部活が終わったあと、その写真を撮られた場所まで来てくれれば、写真のデータはすぐに消します。もしも、本当に何のことだかわからないのであれば、その写真、新聞部の広報誌に載せさせてもらっても問題ないですよね?」

「……」

「もし、また同じように学園内システムに不具合を起こしても、今度は無駄ですよ。このタイミングで不具合が起きたとしたら、やはりあなたが一番あやしいとオレは思う。新聞部にオレの考えを話し、写真に関しては裏が取れたから間違いのない情報だって言ってやります」

 たたみかけるような花島くんの言葉を聞いたあと、先輩は考えるような間をおいて、はあーっと長いため息をついた。

「わかったよ。部活が終わってからでいいのかな?」

「はい」

 私たちがうなずくと、先輩は穏やかな笑みを取り戻して、それじゃあまたあとで、と言って歩き去った。

 部活が終わる時間になり、私と花島くんは校舎裏に移動する。

 小湊先輩を待つ間、私は、このまま先輩がここに来ないで、私たちの考えが間違っていたらいいのにな、と少しだけ思ってしまっていた。

(だって、先輩がここに来たら、小湊先輩にハッキングの犯人はあなたですねって、もう一度問いつめないといけなくなる……)

 人を疑うのは、やっぱり心苦しい。それに、あの優しそうな先輩が事件を起こしたなんて、まだ私には完全に信じ切れていないのだ。

「ごめん、お待たせしてしまったかな」

 その声に、私と花島くんは振り返る。

 小湊先輩が、こっちに歩いてくるところだった。

「もう、きみたちにはぼくがしたことも、そしてその理由までわかってしまっているみたいだね」

「……はい」

 私は小湊先輩の顔を見られないままうなずく。

「写真はこれです。約束通り、今削除します」

 花島くんは先輩に向かってスマホの画面を見せながら、葉月さんと小湊先輩の写真を消した。

「新聞部にある元のデータも消してあります。そもそも、この写真だけでは、二人が話しているだけで、何の話をしているかまではわかるはずもないと思いますけど」

「それでも……」

 花島くんの言葉に、小湊先輩の方がピクリと動いた。

「それでも、勝手にいろいろと憶測でさわぎ立てる人たちがいるんだ。何も悪いことをしていないのに、配信者だからってだけで、彼女は……」

「葉月さんのことですね」

 私が言うと、小湊先輩はうなずく。

「麻里絵ちゃんから相談を受けていたんだ。この写真を撮られてから、何だか昼休みや帰り道で、人に見られているような気がするって。それで思ったんだよ。もしかしたら、あの写真を撮ったやつが、僕たちのことを調べて公開しようとしているんじゃないかって」

「それで、新聞部とかの、配信者の情報を発信しているアカウントを停止したんですね」

「ああ。写真を撮ってすぐに公開するんじゃなくて、裏を取ろうとして探ってくるあたり、面白半分で出まかせを言うやつらよりもたちが悪い。だから、僕は麻里絵ちゃんと、学園の中ではなるべく会わないようにした。絶対にこっちから情報なんかつかませないために」

 私はそれを聞いて、すごく胸が苦しくなった。

 先輩の気持ちは痛いほどよくわかる。どうして、配信者だからって、恋人とか、好きな人がいるのを隠さなきゃいけないんだろう。

「写真を撮られたとき、新聞部の撮ったのは生徒だろうと思った。校舎裏なんか、なかなか人が立ち入らないところだし、麻里絵ちゃんのことをつけてきたんだろうって。だから、最初は新聞部員とか、よく配信者の情報を勝手に公開したりうわさばなしを拡散して注目を集めているようなアカウントを使えないようにしてやったんだ」

 そこで、先輩はギュッとこぶしを握り締めた。

「だけど、本当はだれが写真を撮ったのか、ぼくにはわからないし、だんだん不安になっていったんだ。学内システムをハッキングして勝手に生徒のアカウントの停止なんてやったら、それがまた話題になってしまう。それが配信者の秘密を守るためだってバレるだけでも、写真を撮られたこのタイミングではまずいんだ。それにもう、配信者について何か話題にしているアカウントからは、どこから情報が漏れてもおかしくないとまで思いつめてしまって……」

 それで、目に付く配信者がらみの投稿をしているアカウントを片っ端から停止していったのだという。

「それに、停止されるアカウントが多くなれば、ぼくの狙いもわかりにくくなる。配信者について話題にしているアカウントがみんな停止されたら、どんな情報を発信している人が狙われたのかもわからないだろう」

 話し続ける小湊先輩の顔には疲れたような表情が浮かんでいた。

「途中でやめようとも思ったけど、でも、今やめてしまったら、やっぱり写真を撮られたあとにそういう事件が起こったっていうことであやしまれると思った。それに、ほとぼりが冷めたら写真が公開される可能性だってあるから。でも、一度アカウントを停止しても、花島くんが修復してしまうし、新しく作ることだってできる。だから、配信者の話題で注目を集めようとしているやつらのなかでも特にたちの悪いアカウントには、脅迫文を送ったんだ。でも、そこにもやっぱり、ぼくの狙いがバレるのが怖くて、直接的なことは書けなかったんだけどね」

 疲れた顔に、自嘲するような笑みが浮かぶ。

「動画配信システムをいじって使えなくしたのは、葉月さんの誕生日と何か関係が?」

 花島くんが言った。

「その日は、二人で……学校が終わってから、となり町の星見の丘に行っていたんだ」

「星見の丘……?」

 私は首をかしげた。すると、花島くんが思い出したように言う。

「確かその日は、流星群が見られるって話題になってましたね」

 私ははっとした。

 そして、星見の丘はそのためにはうってつけのスポットだ。

「麻里絵ちゃんが見たいっていうから。だけど、その日は彼女の誕生日で、みんなからは誕生日配信を期待されていると言って悩んでいた。星を見に行くとなると、帰りは夜遅くになるからね」

 実際、その日は夜になってから大学生の先輩のお兄さんに車で迎えに来てもらって、葉月さんも家まで送って行ったらしい。

「だけど、麻里絵ちゃんが僕といることを選んだせいで、また何か変なうわさのもとになってしまうんじゃないかと思うと怖かった」

「あの……また、というのは?」

「この記事ですね。去年のクリスマスのときの」

 花島くんがスマホを操作して、私に学内ウェブに投稿された一つの記事を見せてくれる。

 内容は、麻里絵さんがクリスマスに配信をしなかったことと、たまたまその日、プライベートで男子生徒と会っているのを目撃した人がいることを関連付けて、麻里絵さんに恋人ができたんじゃないかと勘ぐるものだ。

「本当は、二人じゃなくて、ぼくの兄貴と、麻里絵ちゃんの弟も一緒だったんだ。僕たちはおさななじみで、家族ぐるみで付き合いがあったから、クリスマスにはこうしてみんなで出かけて過ごすことが多かった。それなのに、たまたま二人でいるところをだれかに見られていて……」

「そんな……」

 葉月さんと小湊先輩が経験した、周りの人たちからの興味本位での圧力が想像を超えていて、私は言葉が出なかった。

「だから、今回の誕生日には、動画配信そのものをできなくしてしまおうと考えた。それしかもう、麻里絵ちゃんを守る方法がぼくには思い浮かばなかったんだ」

「なるほど……」

 花島くんが納得したようにうなずく。

「今回のことで、きみたちにはいろいろと迷惑をかけてしまったようだね。謝るよ」

「……」

 頭を下げる先輩を見ても、私は複雑な思いが胸にうずまいていて、何も言えなかった。

 毎回大変な思いをしてシステムを直していた花島くんならともかく、私は先輩に謝ってほしいとは思っていない。

ハッキングの犯人だと疑われたのはそもそも私が、自分で本名がランキングに表示されてしまうような設定をしたせいだし、ハッキングのことがなくてもどうせ、あやしんで何か言う人はいたと思う。

 だから、今胸の中にあるモヤモヤとした思いは、先輩への怒りではない。

「こんなことはもうしないから、安心してくれ。ぼくは学園に、システムの不具合を起こした犯人として名乗り出るよ」

「待ってください、そんなことしたら……」

「ダメよ! そんなこと、絶対させない!」

 私の言葉を遮って、突然うしろから必死に叫ぶような声が聞こえてきた。

「麻里絵ちゃん……」

 驚いて声が出ない私の代わりに、小湊先輩が言う。

 走ってきたのか、葉月さんは肩で息をしながら私たちの方に近づいてくると、小湊先輩の手をぎゅっとつかんで、私と花島くんを見た。

 その目には、動画や教室で見たのとは全然違う光が宿っていて、鋭く胸に突き刺さってくるようだった。

「京也くんは悪くないの! 全部私のためにやったことなんだから、責められるのは私だけでいい!」

「葉月さん……」

 強い言葉で言い切った葉月さんに、私は圧倒されてしまう。

 それと同時に、本当に小湊先輩のことが大切で、守りたいと思っていることが、痛いほど伝わってきた。

「私が頼んでやらせたってことにしていいから……全部私のせいにしていいから、京也くんの名前だけは出さないで。お願い」

 葉月さんはそう言って私たちに頭を下げる。

 声にも必死なひびきがあって、動画のときの明るくてふわふわした感じとは違っていた。

「は、葉月さん、私たちは、小湊さんがやったことを、だれかに話すつもりはありません。ね、花島くん?」

 私はあわててそう言って花島くんを見た。

「まあ、確かにな。ただ、これ以上、学園のシステムに不具合を起こすようなことを繰り返すなら話は別だ」

 花島くんは厳しい表情で言った。

「ああ。もちろんだ。もうしないと約束するよ」

 小湊先輩がうなずく。

「本当に、話さないでくれるの?」

 葉月さんが顔を上げる。強いひとみの中に不安そうな影が見えて、私は思った。

(これが葉月さんの、本音を話すときの姿なんだ)

 動画とか教室で友達としゃべっているときの葉月さんも本当の葉月さんなんだろうけれど、こうして好きな人のために必死になっている葉月さんはもっと、アイドルみたいな遠い存在じゃなくて、ずっとリアルな体温を持った、等身大の女の子って感じがした。

 そして、その可愛いだけじゃなくて強さを秘めた表情と声に、私は教室で見たときよりももっと、葉月さんにひき込まれてしまった。

「オレはもとからそのつもりだったけど、大本もそれでいいか?」

 花島くんが確認するように言う。

「うん。もちろん」

 私はうなずいた。

「二人とも、本当にありがとう……」

 葉月さんがそう言ってまた、そしてさっきよりも深々と頭を下げる。

 小湊先輩も後に続いた。

 二人は顔を見合わせて、ホッとしたように微笑んだ。

「ありがとう、花島くん」

「別に、オレは何も」

 なんだかうれしくてお礼を言った私に、花島くんは視線を合わせないまま答える。

「ところで、今のままだと今まで以上にこそこそ隠れて付き合うことになると思うけど、それはいいのか?」

 花島くんが言う。

 私には、なんとなくわかった。言い方はそっけなくてぶっきらぼうだけど、花島くんなりに二人の恋を心配しているんだと思う。

 人のことにはいつも興味がなさそうな素振りだけど、花島くんは、本当はすごく優しいのだ。

 花島くんの問いに、小湊先輩が顔をくもらせた。

「それは、仕方がないと思う……。麻里絵ちゃんを傷つけないためには、そうするしかない」

 すると、葉月さんはその言葉に首を横に振った。

「いいよ、もう。こんなふうに自由に恋愛もできないなら、配信者なんかやめる!」

「ええっ!」

 私と小湊先輩がそろっておどろきの声を上げる。

 だって、その言葉はまったくの予想外だ。しかし、葉月さんは真剣な表情のまま続けた。

「私は京也くんのことが好き。好きな人と一緒にいるだけでいろいろ言われるのはもうたえられない。たくさんのファンの人たちに支えられてきたのはわかってるけど、周りの反応を気にして自由をうばわれるくらいなら、私はもう、みんなに受け入れてもらえなくてもいい」

 泣きそうな表情で言う葉月さんに、見ている私もさっき小湊先輩から聞いた話を思い出して辛くなった。

(そうだ。さっきの胸のモヤモヤの正体はこれだったんだ……)

 気がついて納得する。

 人気の配信者だからってだけで、プライベートを好きな人と一緒に過ごすことをあたかも悪いことをしているみたいに言われるのが、私も納得いかなかったんだ。

「麻里絵ちゃん……」

 小湊先輩は、心配そうに葉月さんを見た。

 たぶん、配信者を辞めたとしても、葉月さんみたいな元人気配信者は、注目のまとになり続けるだろう。

 もしかしたら、裏切られたっていうふうに思う人もいるかもしれない。

「いいの。私はもう、恋人がいることを動画で話す。それで、配信者でいる限りまた何かあるごとにいろいろ言われるなら、もうやめて動画のチャンネルを消す」

 葉月さんは覚悟を決めたようにそう言った。

「でも……麻里絵ちゃんは、もともと動画でおもしろいことをして人を楽しませるっていう目標があったじゃないか。やめてしまっていいの?」

 小湊さんが言う。

「いいんだよ。だって、最初は趣味のこととか、動画サイトで流行ってるネタを真似してみたり、思い付きでいろいろ好き勝手やってたけど、全然人気でなかったんだもん。他の人がやってて面白いことでも、私では面白いって思ってもらえないこともあったし。みんなが見たいのはこれじゃないんだって、だんだんわかってきちゃって。今みたいにアイドルっぽいイメージに変えてからは、うまくいき始めたけど、そんなの運が良かっただけだと思ってるし、もとからそういうふうにやりたかったわけじゃないの。ファンの人からリクエストをもらったりして、一緒に作っていくのが楽しかったのは確かだけどね」

少し寂しそうに、葉月さんは笑った。

まさか、いつも笑顔で明るい葉月さんに、こんな悩みがあったなんて……。

それを知って、私の中で、あきらめたくない気持ちが膨らんでいくのを感じた。

「待ってください。私に考えがあるんです」

 みんながいっせいに私の方を見た。


「私はAIハッカーのベルナール。まずは今までの学内SNSと動画配信サイトの不具合について、私の仕業であることをここに告白し、お詫びする」

 昼休みの教室で、教室のそこここで再生される音声を聞きながら、私はドキドキする胸をおさえた。

 周りの音に聞き耳を立てながら、自分のスマホにも表示されているその動画を、息をつめて見守る。

「そして、新聞部の部員たちに感謝する。学内SNSの停止によって君たちの取材した情報を発信できずに迷惑をかけた上、この動画に関する告知を新聞部のから出してもらうことを快く引き受けてくれた」

 小さいころに遊んでいたゲームのラスボスみたいな、あやしくてまがまがしいけれど、ちょっと可愛らしいキャラがセリフに合わせて口を動かし、軽く加工された冷たい声が皮肉っぽく告げる。

「さて、生徒の諸君。なぜ私が学園のシステムをハッキングしたかだが……。私は普段、学園のシステム内に住まうAI、つまり人工知能として、学内システムが諸君らによって使われているところを見守っている。それが正しい使い方であれば、私は何もせずただ見守っていただろう。しかし、生徒たちの中には私の意にそわない使い方をする者が残念ながらいる」

 動画で流れているセリフに、見ている生徒たちがざわざわとささやき合う。

「AIってマジ?」

「嘘に決まってんじゃん。絶対生徒のだれかが作ってのせてるだけだって」

 そんなやり取りが、教室中いたるところで繰り広げられている。

 動画はさらに続く。

「このたびは、私の信条に反するようなことをするものが多くいたので、罰としてアカウントを停止した。それでもなお改めないものには、直々に警告のメッセージを送ってやったのだ」

 その言葉は、ひときわ大きな反響を呼んだ。

「警告ってもしかして、例の脅迫文のこと?」

「じゃあ、自分の気に入らない投稿をした人のアカウントを停止して、それでもやめなかった人たちに脅迫を送ったってこと?」

「えっ、それって怖くない?」

「だまされるな。システムの不具合はハッキングじゃなくてシステムに元から存在していたバグだったって調査結果が学園から公式に出されたんだから、こいつが言ってることは嘘に決まってる」

 みんな思い思いに、この謎の動画配信者について語っている。

「今回私がアカウントを停止した者たちは、またもう一度私の信条に反することをして制裁を受けることがないよう、自分の行いを振り返ってみることだ」

 そこで動画は終わった。

 再生するタイミングは人それぞれだけど、今教室にいる人たちはみんな、新聞部の緊急告知で話題になったこの動画を見て、内容について話している。

「なにそれ。これじゃあ結局どんな人たちが罰を受けてたかわかんないじゃん」

「私、一回だけアカウント停止されたけど、直してもらったし、そのあとも脅迫文はこなかったよ。なんだったの?」

「真に受けるなって。どうせいたずらだよ」

 私は、ドキドキしながらみんなの言葉を聞いていた。

「また話題になっちゃったね、すずなっち」

 私の席のうしろに立っていっしょに動画を見ていた真凜ちゃんが言う。

「私もはりきったかいあったなー。こんなに自分がデザインしたキャラが注目されたことないもん。すずなっちとのコラボも叶っちゃったし」

 声をひそめたまま、にししっ、と笑う真凜ちゃん。

 そう、実は動画に表示されていたベルナールのキャラ絵は、真凜ちゃんにお願いして描いてもらったものなのだ。

「うん。ありがとね、真凜ちゃん」

「ま、瑠偉くんといろいろ頑張ってたときに私に何も言ってくれなかったのはちょっと残念だったけど、でも頼ってくれてうれしい」

 ちらっととなりの席の花島くんを見ながら言う真凜ちゃんに、私は苦笑する。

「まさか二人で学園のハッカーを捕まえちゃうなんてね。犯人がだれかは、教えてくれなかったけど、そんなのどーでもいいや」

 真凜ちゃんには、事件の真相を、小湊先輩と葉月さんの名前だけをふせて話したのだ。私がみんなからうわさされているのをすごく心配してくれていたから。

 でも、きっともう真凜ちゃんにはわかってしまったと思う。

 ほら、と私に差し出してきた真凜ちゃんのスマホには、葉月さんが配信者として、今までとは違う、もっと本当の自分らしいイメージでやり直したいと話す動画が表示されている。

「それにしても、すずなっち、やっぱ本物の黒幕っぽいキャラになるとすごいね。ノリノリじゃん。ベア伯爵よりもずっと迫力あるし、なによりもいつもの大人しくて優しいすずなっちがこんなヤナヤツ感たっぷりの演技をしてるなんて、ちょっとだれにも想像できないと思う」

「えへへ……」

 その言葉はすなおにうれしくて、私は照れ笑いを浮かべた。

 声は、私がセリフを読み上げて、それをより謎めいた悪役っぽい感じが出るように低めに加工して動画にのせている。

「それにしても、瑠偉くんってけっきょくナニモノなわけ? ハッキングのこと、システムに元から存在していたバグだったなんて、学園から公式に発表させちゃうなんて……」

「ああ、それはたしかにすごいよね」

 ははは、と笑いながら話しているけど、私だっておどろいてる。

「そういううわさ話は本人のいないところでしろよ」

 花島くんの低くおさえた声がとなりから聞こえる。

 次の授業の教科書を開いて、真面目に予習でもしているのかと思ったからびっくりした。

「わわっ、ごめんっ!」

 真凜ちゃんが小声のままおどろきの声を上げると、花島くんは顔を前に向けたまま視線だけをこっちに向けた。

「理事長が年のはなれたオレの従弟なんだ。学内システムのことをオレに丸投げだから、それくらいの協力はしてもらってもいいはずだ」

 それだけ言うと、また退屈そうに再び教科書に目を落としてしまう。

 ベルナールの動画が公開されたことで、みんな混乱して、今までの脅迫やシステムの不具合はこうやって注目を集めるためのいたずらだったっていう考えを持ちはじめるだろう。

 私のねらいは、せいぜいそうやって話題を集めてみんなの気をそらすことくらいだった。

プログラミング部のエースの小湊先輩と葉月さんが付き合い始めたことは、本人たちが隠さないって決めた以上、広まっていく事実だと思う。

だから、学内システムをめぐる事件がこのタイミングで起こったことで、ハッキングと小湊先輩を結びつけられることがないようにしたかったのだ。

もっとも、プログラミング部のエースであってもハッキングなんて普通はできないと思うけれど、事実であるだけに念には念を入れた。

花島くんだってクラスの子たちからちょっとあやしむようなことを言われていたし、うわさはあなどれない。

さらにそこで、ベルナールの動画を公開する前に、花島くんの協力で、一連の不具合が実はだれのせいでもなくてシステムに元から存在したバグ、つまり、プログラムの間違いなどによっておこるエラーだったと学園から公式に発表してくれることになったのだ。

そうすることで、脅迫については、突然あらわれたナゾの配信者ベルナールを装っただれかのいたずらだったってことにして、ハッキングについては、そんなのもとからなかったんだっていうふうにみんなが思うようにしたのだ。

 ベルナールがだれなのかは、もともとAIっていう設定を信じる人はいないだろうから、もしかしたら今後、また探し出そうとしてくる人がいるのかもしれない。

 でも、一部の人にはベルナールが本当に言いたいことがわかってもらえたと思う。

 小湊先輩は、アカウントを停止しても配信者のことを探って情報を勝手に発信するような人には、脅迫するようなメッセージを送っていた。

でも、同時にそれだけではなく、小湊先輩から見て、こういうのはやめてほしいって思うような投稿、つまり、勝手に調べた配信者の情報をのせた投稿そのものを、ハッキングして削除していたのだ。

きっとそれは、脅迫のメッセージを受け取ったその人にしかわからないことだけど、アカウントの停止と、脅迫のメッセージと、削除された投稿の内容、全部を合わせて見ると、配信者に関する情報を勝手に公開するのをやめてほしいっていう小湊先輩のメッセージが伝わるんじゃないだろうか。

もしかしたら偶然と思われてしまうかもしれないけれど、それが正体不明のベルナールの動画でうっすらとほのめかされていたら、たぶん、受け取った人はちょっと不気味なんじゃないかと思う。

きっと、こういう投稿はやめた方がいいかもしれないって、思ってもらえるくらいには。

 だから動画の最後はあいまいに投げかけるようなセリフにしたのだ。

「ねえねえすずなっち。それよりさあ、これからのベルナールの活動ってどうなるのかなあ」

「え? 活動も何も、もうベルナールの役目は終わりだから……」

「それじゃつまんない! もっともっと活躍させちゃおうよ! ほら見て、新衣装までもう考えちゃったんだよ」

 真凜ちゃんの言葉に反応して、花島くんがまたとなりから口をはさんだ。

「おいっ、何言ってる! そいつがまた出てくるってことは、また学内システムがおかしなことになったってことだろうが。そんなのオレはごめんだぞ」

 すると、真凜ちゃんは目を丸くしたあと、にししっと笑う。

「花島くんが女子の会話に入ってくるなんてめずらしー。やっぱお目当てはすずなっちだったりして」

 いや、ありえないから! と思った私の横で、花島くんもため息をつきそうな声のトーンでつぶやく。

「深町……」

 すると、真凜ちゃんは私の耳にささやいた。

「聞いた? 意外と否定しないし! うつむきがちな姿勢と長めの前髪で隠されてるすずなっちの可愛さに気付くなんて、瑠偉くんなかなか見る目あるじゃん」

「真凜ちゃん……」

 絶対ないから、と私まで脱力してしまう。

「でも、今回は大本のおかげで助かったよ。深町も協力してくれてありがとう」

 こっちを見ないまま告げられた言葉に、私たちはポカンと顔を見合わせてしまうのだった。

「ごきげんよう、鈴奈さん。今お話しよろしくて?」

 そのとき、突然後ろから声をかけられた。

「あ、ルリカさん……と、ハンス先輩⁉」

「こんにちは」

 なんとルリカさんと一緒にいるのは、オーディションのときのハンス役の先輩。

 私に向かってにこやかにあいさつしてくれる。

「改めてご紹介しますけど、この方のお名前は三咲真澄先輩でしてよ? わたくしたち、鈴奈さんの演劇部入部のご意思を確認しに来ましたの。聞き込みのために見せてくれた熱演、ぜひまた演劇部で見せてください」

「えええっ……そんな、私は……」

 せっかくのお誘い、ことわるのももったいなくて、結局返事をどうするか、決めていなかった。

 すると、まごまごする私に、ルリカさんが突然顔を近付けて声をひそめた。

「といいたいところですけど、今鈴奈さん、瑠偉さんとお話になっていませんでした? まずはそちらのお話を……」

「はいはい、もう授業が始まるから、お嬢様は向こう行っててね」

 真凜ちゃんがルリカさんのおでこをぐいぐい押して私からひきはなす。

「うるさいですわね、真凜さん!」

 さわがしく言い合いを始める二人をみて、ハンス先輩、もとい三咲先輩は肩をすくめて苦笑した。

「本当だ。もう授業が始まるから私は帰るけど、また今度、ぜひ演劇部で返事を聞かせてほしいな」

「は、はいっ!」

 私は思い切り返事をしながら、手を振りながら去っていく先輩を見送った。

 推しと、クラスの王子様と、親友に囲まれてなんだかバタバタした昼休みだった。

なんだかドキドキして落ち着かない授業時間になりそうだけれど、私は教科書を取り出して授業の準備を始めるのだった。

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悪役マニアの学園暗躍物語 空志 美鳥 @sorashimidori

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