第8章:決戦のあと(1)

 意識の中で、遠くから聞こえる声。


「……烈火さん」


 まるで水中にいるかのような、かすかで遠い声。


「……烈火さん、聞こえますか?」


 少しずつ、声が近づいてくる。

 懐かしい、優しい声。


「烈火さん!」


 ふっと目が覚めると、緑の瞳がすぐそばにあった。

 白と水色のローブを身にまとい、長い茶色の髪を後ろで一つにまとめたエルナが、心配そうに俺を見下ろしている。

 その柔らかな表情に、なぜか胸が温かくなった。


「エルナ……」


 声を絞り出すと、彼女の目に涙が浮かんだ。


「良かった……目を覚ましてくれて」


 彼女の手から緑色の温かな魔力が流れ込んでくる。

 傷ついた体が少しずつ癒されていくのを感じた。


「何が……」

「バルドラスとの戦いで倒れたんです。あれから三日」


 三日? そんなに長く気を失っていたのか。

 記憶が断片的に蘇ってくる。

 バルドラスの復活、絶望的な戦い、そして最後の一撃——ヘル・ライダー・キャノン。


「みんなは?」

「大丈夫です。全員無事ですよ」


 エルナは安心させるように微笑んだ。

 彼女の緑の瞳に疲れの色が見える。

 きっと三日間、休まず俺の傍にいてくれたのだろう。


 辺りを見回すと、見慣れた場所だった。

 ロゼッタの工房。

 天井の梁を渡る太陽の光が、ホコリの舞う空気を照らしている。

 金属の匂い、油の匂い、そして薬草の香りが混ざり合っていた。


「バイクは?」


 俺の問いにエルナが窓の外を指さした。

 そこには俺の愛車「ドラグブレイザー」が静かに佇んでいた。

 しかし、その姿は俺の知るバイクとは明らかに違っていた。

 タンクの紋様は前より複雑になり、赤、青、黄色が交わり、紫がかった光を放っている。

 車体全体がより洗練され、どこか生きた存在のような存在感を放っていた。


「ロゼッタさんが修復してくれました。でも……」


 エルナが言いよどむ。


「でも?」

「もう、元の世界のバイクとは違うものになったようです。竜の核の力が……さらに強くなって」


 そうか、あの戦いでバイクも変わったのか。

 いや、最初から変わり続けていたのかもしれない。

 この異世界に来てから、ただの乗り物は「相棒」に、そして「戦う仲間」になっていた。


「そうだ! みんなに知らせないと!」


 エルナが急に立ち上がり、窓辺に駆け寄った。

 外を向かって何か合図を送ると、すぐに階下から足音が響いた。


「烈火! 起きたの!?」


 水色の髪をポニーテールにまとめたリアナが、階段を駆け上がってきた。

 彼女は森の色合いを基調とした軽装に身を包み、アクアマリンのような薄い青緑色の瞳が好奇心と喜びで輝いていた。

 右腕の小さな部族紋様のタトゥーがちらりと見える。


 リアナを追って、ロゼッタも上がってきた。

 栗色の短髪が揺れ、黄緑がかった瞳は驚きと安堵の色が混じっていた。

 いつもの工具ベルトを腰に巻き、首からゴーグルをぶら下げている彼女の顔には、オイルの汚れがところどころ付いていた。


「烈火……」


 最後に現れたのはソフィアだった。

 白銀の長髪を後ろで束ね、軽装の鎧を身につけた彼女は、青灰色の鋭い瞳で俺の状態を素早く確認していた。

 普段はクールな彼女の表情に、わずかながら安心の色が浮かんでいるのを見逃さなかった。


「みんな……」

「ばか! 心配したんだからね!」


 リアナが俺に飛びついてきた。

 彼女の体温が伝わり、妙に安心する。


「三日も眠りっぱなしとか!」

「心配したのです!」


 ロゼッタも近づいてきた。

 彼女の声には感情が詰まっていた。


「バイクを直すのにも苦労したんだから、次は壊さないでよね」


 そう言いながらも、彼女の瞳は潤んでいた。


「お前が無事で……良かった」


 ソフィアは短くそう言った。

 あまり感情を表に出さない彼女にしては、珍しく素直な言葉だった。


 四人の女性たちに囲まれ、俺は何とも言えない気持ちになった。

 この異世界に来たとき、一人だった俺は今、大切な仲間たちに囲まれている。

 バイクが相棒となり、そして彼女たちが仲間となった。

 孤独だった日々が嘘のようだった。


「ありがとう、みんな」


 シンプルな言葉しか出てこなかったが、四人それぞれが微笑みを返してくれた。


「それで? バルドラスは?」


 俺の問いに、四人は顔を見合わせた。


「倒した……はずなんだけど」


 リアナが少し困ったように言った。


「完全には消滅していないのです」


 ロゼッタが説明を続けた。


「魔力の痕跡が火山に残っているの。微弱だけど、確実に」

「でも、当面の脅威は去ったようです」


 エルナが付け加えた。


「ドラゴン崇拝教団は壊滅し、バルドラスも姿を消した。人々は安全になりました」

「一時的にな」


 ソフィアの声は冷静だった。


「古代の存在が完全に滅びることはない。いずれ再び力を取り戻すだろう」

「悲観的ねえ」


 リアナがソフィアの肩をポンと叩いた。


「とりあえず、今は祝うべきよ! 世界を救ったんだから!」


 祝う、か。確かに俺たちは世界を救ったのかもしれない。

 でも、それは俺一人の力ではなかった。

 みんなの力が合わさったからこそできた奇跡だった。


「それに……」


 ロゼッタが俺の方をじっと見た。


「烈火さんのバイクにはまだ謎がたくさん残ってます! 竜の核の意思を持っていることや、バルドラスとの関係……研究すべきことは山積みっ!」


 彼女の目が研究熱心に輝いていた。


「そうだな」


 俺は頷いた。

 バルドラスとの戦いの最中、タンクの紋様から聞こえた声を思い出す。

 「我が兄弟」と言っていた。

 バルドラスと竜の核には何らかの繋がりがあるらしい。

 まだまだ解明されていない謎が多かった。


「それより烈火、もう動けるの?」


 リアナが俺の腕を引っ張った。


「スチームギアの人たちが凱旋パーティを開くって言ってるのよ! あなたたちのおかげで助かったって!」

「まだ無理です」


 エルナが制した。


「もう一日は安静にすべきです」

「えー! せっかくのお祭りなのに!」

「お祭りは明日以降もあるでしょう」


 ソフィアがリアナの肩を抑えた。


「烈火の回復が先だ」

「あーあ、烈火が眠ってる間に、バイクをもっと調整しておけば良かった」


 ロゼッタが残念そうに言った。


「サイドカーの新型も作りたいんだけどなぁ」


 四人の会話を聞きながら、俺はベッドに横たわっていた。

 体はまだ痛むが、心は温かかった。

 こんな風に仲間と過ごす時間が、どれほど貴重なものか、今さらながら実感していた。


 そのとき、窓の外から何かの物音が聞こえた。

 みんなが顔を上げる。


「あれって……」


 エルナが窓に近づき、外を覗いた。


「バイクが……動いています」

「え?」


 一同が窓辺に集まった。

 確かにバイクが微かに震え、タンクの紋様が明滅していた。

 まるで誰かを呼んでいるかのようだった。


「烈火、あれ……」


 ソフィアが振り返ったとき、俺はすでにベッドから立ち上がっていた。


「行かなきゃ」


 なぜか分からないが、そう感じた。

 バイクが俺を呼んでいる。


「ダメよ!まだ体が……」


 エルナが制止しようとしたが、俺は彼女の手を優しく握った。


「大丈夫だ。相棒が呼んでるんだ」


 その言葉に、彼女は少し躊躇った後、静かに頷いた。


「私たちも一緒に行きます」

「当然っ!」


 ロゼッタが工具ベルトを確認した。


「何が起きるか分からないんだから、私がいなきゃ!」

「面白そうねえ」


 リアナはすでに扉の方へ向かっていた。


「どうせ祭りに行けないなら、これも悪くないわ!」

「無茶はするな」


 ソフィアは短く言ったが、すでに剣を手に取っていた。

 すでに戦闘の準備はできているようだった。


 こうして、俺たち五人は工房を出て、バイクの元へと向かった。

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