第二話 悪霊入りバ美肉ドール

 指でつまんだ目玉を窓の外の光にかざすと艶やかな怪しい煌めきが降ってくる。

「飴みたいで綺麗よね。舐めてみたくなっちゃう」

 艶やかな白が甘い甘いミルク味なら、赤い瞳は何の味だろうか。甘酸っぱいラズベリーかイチゴ味だったらいいのに。毒々しい人工的なアメリカンチェリー味も素敵かもしれない。……毒の味がする目玉。そう考えるだけで背筋がぞくぞくする。

愛流あいる。目玉を舐めるのなら、きっちり洗浄してからにしろ」

 やけにきっぱりとした男の声が、私を現実に引き戻した。わざとらしい溜息を吐きつつ、窓から室内へ振り返りながら視線を移す。

 換気されつつも空調が効いて快適な古民家の一室は、壁面が大小の木製の引き出しで埋め尽くされ、中央に据えられた大きな作業台の上にはレジンキャスト製の球体関節人形の体のパーツが多数転がっている。椅子に座る墨色の作務衣を着た短髪の男の手が、セラミックで出来た特殊な彫刻刀でパーツの合わせ目を削っていた。

夜刀やと。……普通、止めない? グラスアイなんか舐めるなって」

「止めてほしかったのか?」

 八條夜刀は作業の手を止め、私の顔を見た。黙っていれば色男だと思う。その職業が〝拝み屋〟でなければ、彼女いない歴が年齢と同じとは信じられなかっただろう。


 人形を抱いて立っているだけのバイトで出会ってから半年が経過して、いつの間にか私たちは、気安い友人関係になっていた。

 夜刀は自作の球体関節人形に悪霊を憑依させて封印するという、変わった除霊方法を得意としていて、業界では〝人形師〟と呼ばれているらしい。

 悪霊と戦って、動けなくしてから封印する姿は何度も見ている。夜刀に依頼される除霊は、テレビや動画サイトで見るような、話を聞いて落ち着かせることが出来る段階を遥かに超えた悪霊ばかり。

 結界という安全圏で、人形を抱いて立っているだけで稼がせてもらっているのは気が引けるから、私は得意の洋裁を活かして人形の衣装を作っている。


 窓際を離れた私はグラスアイを弄びながら、削り作業を再開した夜刀の隣の椅子に座り込む。

「作業中に近づくと服に削りカスが付くぞ」

「平気。帰ったら洗うから」

 くすみピンク色の綿のワンピースは最近のお気に入り。高い位置で結んだポニーテールには、似た色味のリボンを結んでいる。

「赤い瞳か。そんな変わった色の目玉、どこで調達したんだ?」

 夜刀は私の手の中のグラスアイへちらりと視線を投げて口を開いた。赤い深みのある光彩に黒い瞳孔の目玉のサイズは直径三十ミリ。国内ではなかなかお目にかかれない色合いと大きさ。

「これはドイツからお取り寄せ。マシンメイドだから、意外とお手頃価格よ。いつもお願いしてる近所のガラス職人さんが先月から産休取ってるのよねー」

 青や緑、茶色といった人の瞳と同じような色は豊富に作られていて安価で入手しやすい。赤や黄色、紫等の特殊な色は種類もサイズも限られているので、どうしても欲しい色はガラス職人に個別オーダーしていた。子供が生まれて落ち着いたら復帰すると意気込んでいたので、楽しみに待っている。

 濃い飴色の木製ジュエリーボックスを改造したディスプレイケースには、様々な色合いとサイズのグラスアイが並んでいて、その輝きを見ているだけで心が躍る。

「……前から聞きたかったんだが、何で俺の工房にお前の目玉コレクションが置いてあるんだ?」

 この古民家は一人暮らしの夜刀の家。夜刀が工房と呼ぶ作業部屋の中、棚の上にしっかりと存在を主張しているのは、私が持ち込んだディスプレイケース。

「あれ? 言ってなかったっけ? 一緒に住んでる子にフリマアプリで売られそうになったから、私の部屋に置いとくの心配になったのよねー。超ベテラン職人さんの目玉がオークションサイトで六渋沢になってたーって言っちゃった私も悪かったんだけどさー」

 私が住んでいるのはハンドクラフト系の趣味を持つ女性六名のシェアハウス。それぞれの得意分野が違っているけれど、気の合う友人だと思っていた。お互いの趣味や持ち物を隠すことなくオープンにしていたから、私のコレクションの中にもそのベテラン職人が手掛けたグラスアイがあることは全員に知られていた。

「ガラスの目玉が六万か。安くはないが、高くもないな」

「夜刀が使ってる目玉と比べないでよ。そもそも造りが違うんだから」

 作業机の引き出しの中で無造作に転がっていても、夜刀が使う目玉は宝石職人が磨いた半貴石か特殊な七宝焼きで作られた高価な物ばかり。リアルに近い造形の目玉が好きな私の趣味には合わなくて助かった。

「ってことは、その窃盗犯とまだ一緒に住んでいるのか」

「……それは言わないお約束よ。表向き、そのことは水に流したってことにしてるし。こういう時、シェアハウスってめんどうよね」

 深い深い溜息一つ。毎日顔を合わせるから気が重い。最初は控えめにしていた彼女も都合の悪いことは完全に忘れてしまったようで、以前と変わらず普通に接してくるようになっていた。やらかした方は忘れやすくて、やられた方はいつまでも記憶に残るとはいうけれど、どうして被害者が加害者に気を使わなければならないのか不思議に思う。

「私の運はギリギリ良かったと思うの。知り合いがたまたま気が付いて、売り払われるのを阻止してくれたなんて奇跡よね」

 元友人は、数組のグラスアイを持ち出していた。その中に製作者が再販禁止にしている有名な作品が含まれていて、私の知人が落札した上で連絡してくれたので気が付いた。

「たくさん持ってるんだから少しくらいバレないと思った。なーんてド定番の言い訳されたのよねー。……大事にするから欲しいって言われたら譲ったのに」

 たとえ譲った後で売りさばかれても、それはそれで仕方ないと諦めもつく。友人のカテゴリから他人へと、心の信用ランクを下げるだけで済んだ。

「災難だったな。それなら別にここに置いていても構わないが、俺が使うかもしれないっていう危機感はないのか? 俺が使ったら元には戻せないぞ」

 夜刀が作る球体関節人形は身長約五十五センチで、使用する目玉は直径十四ミリから二十ミリ。確かに該当するサイズも私のコレクションに含まれている。私のコレクションは直径八ミリから三十二ミリまでと、サイズも色も幅広い。

「夜刀は代金きっちり払ってくれるでしょ? また新しい目玉買う資金にするわよ」

 気前の良すぎる夜刀なら、買った値段どころか勝手にプレミアム価格を上乗せして支払ってくれるだろう。ある意味では美味しい話であっても、私は適正価格しか受け取るつもりはない。


「さて、と。今日の削りは終了だな」

 夜刀が手を止め、腕や脚のパーツを箱へと並べる。その数は人形八体分で、頭と胴体はなし。

「頭と胴体は?」

「昨日削った。明日は磨きで、明後日に塗装だな」

 立ち上がって背を伸ばした夜刀は、片づけを手伝おうとした私を手で制した。

「何度も言ってるが、お前は触らない方がいい。俺は平気だが、レジンキャストで肌がかぶれるかもしれんぞ」

 それほど繊細な肌ではないと思いつつも、夜刀の言葉に甘えることにする。夜刀は手早く机を片付けて雑巾で拭き、木の床に落ちたカンナくずのようなキャストを充電式の掃除機で吸い取った。一連の作業は手馴れていて、毎日の習慣なのだろうと推測できる。

 古民家の中も掃除が行き届いているし、作業はまめ。身なりも清潔感があるし、私が突然訪れても嫌な顔一つせず様々な気遣いもしてくれる。何故夜刀に彼女ができないのか本当に不思議。以前、私の女友達を紹介しようかと言ったときに断られたから、実は女性に興味はないのかも。


「そういえば、何で来たのか聞いてなかったな。お前の目玉コレクション見に来たのか?」

 現時刻は金曜日の午後三時。愛しの目玉たちに気を取られて本当の目的を忘れかけていたのは秘密にしておきたい。

「目玉はついで。ドールのお洋服が出来たから届けに来たの」

 紙袋から出した紙箱を開くと、淡いピンクの薄紙に包まれたドールサイズの服が二着現れる。

「白っぽいドレスっていうオーダーだったから、海月をイメージしてデザインしてみたの。夏っぽいでしょ?」

 夜刀の注文はいつも大雑把で、自由にデザインできるのは嬉しい。美しい球体関節がほのかに透けて見えるように薄いシフォンを重ねたワンピースとレースで作ったコルセットベスト。総レースのオーバーワンピース。レースに刺繍を施したヘッドドレスには、ベールを付けて顔を隠せるようにしている。

「凝った服だな。一着分しか払ってないのに、二着もいいのか?」

「手間が掛かる靴と下着がないから、その分サービスよ。基本的に同じデザインなんだけど、こっちは着せても持ち運びしやすいように、金具とかは使わないで刺繍にしてるの。ワンピースは皺になりにくいポリエステルシフォン。こっちは飾る用で金具やらビーズ縫い付けてあって、ワンピースはシルクシフォン」

 時間が掛かる靴と下着が入っていないと、服を二着作っても作業時間は変わらないか、短く終わることが多い。夜刀のオーダーは完全前払いだから、安心して高価な材料を惜しげもなく使うことができる。ドールの服に限らず、人間の服やアクセサリーも注文しておきながら代金の支払いを渋る人間は一定の割合で存在するから、年間のオーダー数が安定して完全紹介制に踏み切るまでは高価な材料に手が出せなかった。


「ちょうど着替えさせたいヤツがいるから頼めるか?」

「いいわよ。手を洗っていい?」

 箱を夜刀に手渡して作業部屋を出る。古民家といってもリノベーションされていて、いにしえの和の雰囲気は残しつつも快適な住環境。木と岩で作られた洗面所も浴室もまだ真新しい。洗面所で手を洗い、夜刀と一緒に二階へと時代を感じる雰囲気たっぷりの階段を上る。

「最初の頃はなんか暗くて不気味だったけど、大掃除でもしたの?」

「いや。昔から週一で軽い掃除しかしてないな」

 三ヶ月前、最初にこの家を訪れた時には昼間で電灯が点いていてもおどろおどろしい空気が流れていたのに、今ではすっきりさっぱりしている。ふと踊り場の壁に作られた飾り棚が目に入った。

「この飾り棚に花瓶とか置けばいいのに。花一輪でも無しでもいい感じじゃない?」

「花瓶はマズイ。霊が暴れた時、簡単に武器にされる」

「武器?」

「よく怪談話とかで物が飛んだりするポルターガイストとかいうのがあるだろ? 力の弱い霊でも割と簡単に影響を及ぼせる水と、土で出来た陶器やガラスの組み合わせとか最悪な武器にしかならん」

 力の弱い霊は同調しやすい水や風を使い、力の強い霊は火や土を使いがち。さらに上位になると雷や嵐、地震まで起こすらしい。つまりは力の弱い霊が水を使って土で出来た物を動かすことで、攻撃力が強くなることになる。

「あ。だから夜刀が使ってる食器は軽いのにしてるのね」

 夜刀の台所に置かれた食器棚には漆器とプラスティックで出来た食器が並んでいた。陶器は湯呑とマグカップだけで、驚いたことを思い出す。

「いや……その……それは……皿洗ってる時に欠けたのを捨てたら、それを知った親戚が怒って無事なのを全部持って行った。今でも顔を合わせると、セットで揃ってたらもっと価値があったと愚痴られる」

 夜刀が割った皿はお祓いのお礼として受け取った皿で、歴史的価値があるものらしい。親戚が奪っていくのは理解できないけれど、夜刀が渡したのなら他人の私が口をはさむことでもなかった。

「価値のある食器だったんなら、捨てずに金接ぎとかすればよかったんじゃない?」

「それも考え方の一つではあるな。ま、そうはいっても、俺の職業では欠けた食器は凶事を呼ぶ。修繕しても欠けは欠けだからな」

「凶事って何が起きるの?」

 拝み屋の凶事と聞いて、少々興味が沸いた。

「縁が欠けるというのは、完全で安定した状態ではなくなるということだ。日常では何ていうこともないほんの些細なことが大事になる。……俺の知人は欠けた茶碗を毎日使っていたが、その欠けを入り口にして日々の仕事で残った穢れが溜まったんだ。穢れは穢れを呼び寄せて集まる性質がある。そのうち満杯になった穢れが溢れて本人へと一気に返って……急性の病を発症して亡くなった」

「それは……お悔やみを申し上げるしかないわね……」

 いきなり生死に関わる程の事だとは思わなかった。聞いて悪かったなと反省しつつ、自分の食器に欠けた物はなかったかどうか心配になる。

「普通の職業なら、多少運気が欠けるだけで支障はないぞ」

「運気が欠けるって運が悪くなるってことでしょ。一般人にとっても大問題よ」


 廊下の奥、人形部屋の扉を夜刀が開くと、ひやりとした空気が流れ出てきた。人工的な冷房の風ではないというのは肌感覚でわかる。柔らかな羽根で皮膚表面を触れるか触れないかの距離で撫でられているような不快感に鳥肌が立つ。

 十二畳の人形部屋の窓には厚い臙脂色の天鵞絨ビロード製のカーテンが掛けられていて薄暗く、ロウソクを模したLED電灯がゆらゆらと揺らめきつつぼんやりとした光を発していた。濃い飴色の木の床と同じ色の棚が一つの窓以外の壁を埋め、棚にところどころ置かれた小さな椅子には私が作った服を着た人形たちが座っている。髪型は様々で、髪色は黒や金、茶色に銀色や白もある。総数十五体のはずが、体に布を巻いただけの人形がテーブルの上に置かれた棺のような箱に収められていた。

「ちょ。……増えてる?」

「ああ。昨日四体増えたから、追加で服を注文しようと思ってた」

 常に結界が張られた部屋に置かれている人形たちには、人間に害をなした霊が封印されている。夜刀は悪霊を人形へと憑依させて移動させることで、霊が取りついていた人や場所から切り離し、時間を掛けて怒りや悲しみを落ち着かせて祓う。殴り倒して捕まえて終わりではなく、ちゃんとアフターフォローも万全。

「えー、昨日なら予定空いてたのに。一気に四体って……悪霊四名様相手にしたの?」

「一名だ。力が強すぎるから分割した。連絡したかったが、緊急だったからな」

「緊急って?」

「素人拝み屋の除霊が失敗して、俺が呼ばれた。ネットの情報で勉強した気になって拝み屋名乗るヤツが増えてるんだ。強い霊か神の加護を受けてればまだいいが、中途半端に霊能力があるだけのヤツは調子に乗ってマジでヤバい件に無策で突っ込んでいく」

 夜刀の一族の本家は神社。分家は代々拝み屋や占いを生業にしていて、ほぼ全員が何らかの霊能力を持っているらしい。

 棺をのぞき込むと人形の顔がどれも険しく見えて、怒りの感情がにじみ出ていた。

「この新入りさんに服を着せるの?」

「いや。頼んだ服は古参の人形用だ。準備をするから少し待ってくれ」

 そう言った夜刀は木の床に白い布を敷いて四隅に木の枝を置き、棺を一つずつ恭しくテーブルから移動させていく。人形の着替えに関しては、夜刀が依頼するまで手伝ってはいけないと言われているからすることがない。

 テーブルの上を清める夜刀を横目で見ながら、壁際に置かれた人形たちを眺める。初めてこの人形たちと会った時には、新入りの人形と同じで険しい顔や悲しい顔ばかりだった。造形は変わっていないのに穏やかな顔をしているのは、取りついた霊が落ち着いてきたからなのだろう。半貴石や七宝焼で作られた瞳は瞳孔がなく、どこに視線が向いているのかわかりにくい。

「こんにちは。いきなり話し掛けてごめんなさい。貴方の髪を直していいかしら?」

 人形に声を掛け、顔に一房落ちた髪を指ですくって撫でつけると表情が少し明るくなったような気がするから不思議。人形の中には悪霊が封印されていると聞いてはいるし、人形によっては赤だったり黒だったり煙のようなもやをまとっている者もいて、最初は不気味で怖かった。今では慣れてしまったのか、自然と小さな子供を相手にしているような態度になってしまっている。それが正解なのか不正解なのか、夜刀は教えてはくれなかった。何度聞いても私の思うままに接していいと繰り返すだけ。


「球体関節人形って、ビスクとか石粉粘土製って思ってたけどレジンキャスト製も悪くないわね。黄変するのは致命的だけど」

 夜刀に出会うまでは、球体関節人形は高価で不気味な芸術品という認識だった。一生触れる機会はないだろうと思っていたのに、今では服を作るためにモデルとして提供された人形を毎日のように触っている。

 レジンキャストという樹脂で作られた人形は、陶器や粘土より壊れにくくて気軽に扱うことができるという利点はあっても、光による劣化が早くて数年で肌が黄色っぽくなっていく欠点がある。

「随分上から目線だな。昔は石粉粘土で作っていたが、壊された時に困るからな。レジンキャストは気軽に量産できるから都合が良い」

「壊された時?」

「霊によっては力業で器を壊してくる。ビスクドールなんて簡単に粉々にされるぞ。レジンなら、そこそこ強い霊でも指や手足を折られる程度で済む」

 人形の細い指なら折れることもあるだろうと想像はできても、手や足が折られるのは想像できない。

「それだったら、ソフビの着せ替え人形でいいんじゃないの? 三十センチくらいでしょ。持ち運びも楽よね」

「お前な。俺がアニメ顔の可愛らしい着せ替え人形持ってるところを想像してみろ。『視覚の暴力』だぞ」

 さらりと流す軽口のつもりが、夜刀は真面目な顔で食いついてきた。

「そう? 別にいいと思うけど……それ……誰かに言われたの?」

「お前は本当に妙なところだけ勘が働くよな。……俺が中学生の頃、よりによって封印しようとした悪霊に言われたんだよ。封印は成功したが断末魔の叫びがそれだったんで、ダメージがでかい」

 断末魔のセリフがそれかと考えると、夜刀より悪霊が可哀そうな気がしてきた。

「中学の頃って、着せ替え人形で封印してたの?」

「ああ。……親に隠れて正義のヒーロー気取りで悪霊退治をやってた頃だ。子供の頃から基礎は叩き込まれてたが、正規の仕事じゃないから金は受け取れない。全部自腹の状況で当時の小遣いで買えるのはその程度だった。で、俺に暴言放った悪霊は八條本家が除霊に失敗した霊だった。だから親だけでなく親戚中に知れ渡ったが、見栄えが悪いと雛人形やビスクドールを渡された。それも地味にダメージ喰らったな」

 夜刀が嫌なことを思い出したとばかりに溜息を吐いていても、まさに中二病の中学生に封印された悪霊が、さらに哀れに思えるのは何故なのか。

「そんなことがあって、本家に目を付けられた俺は頻繁に除霊現場に駆り出されるようになったが、渡された人形はことごとく霊に粉砕された」

 それは本家の人々が、調子に乗った中学生を懲らしめようとしたのではないかとちらりと思う。

「人形壊されて、除霊失敗したの?」

「除霊は成功させてたぞ。粉々になった人形に無理矢理霊を押し込んで、家に帰って粘土細工の人形にこっそり移してた。そしたら霊たちが、もっとマシな体を寄越せと毎晩大合唱だ。睡眠不足になった俺はビスクドールを参考にして球体関節人形を自分で作ることにした。それが十四の頃だ」

 まさに中学生の夜刀を想像しようとしてもうまくいかなくて、現状のままで学生服姿の夜刀を思い浮かべてしまう。……どう考えても可愛くはない。


「夜刀って今、いくつだったっけ?」

「二十五。そういえばお前は?」

 もう少し上だと思っていたのに、意外と近い年齢だった。

「二十三。もうすぐ誕生日で二十四。……そもそも、何で人形なの? 小説とか映画だったら魔法陣とか怪しい御札とか水晶玉とか石とか、そういう物に封印したりするじゃない?」

 私の疑問に対して、夜刀は肩をすくめた。

「俺にもよくわからんが、水晶や宝石より人形の方が器として良いらしい。子供の頃は水晶と人形と見せて、どっちに憑くか聞いてみたりしてたんだが、中高年のおっさん霊やら落ち武者の霊も大抵、人形選ぶからな」

 綺麗な人形の中身がおっさんや落ち武者と聞いて、ネット上で二次元美少女を装っていた中年男性が家族にバレたという話題を思い出した。

「ふーん。バ美肉びにくは霊の世界でも人気ってことなのね」

「バビ? なんだそりゃ」

 夜刀はネットから少し距離を置いているので知らなくても仕方ない。スマホやパソコンは持っていても、ニュースや世界の情報を見るばかりで流行の話題は知らないし、SNSの利用もしていない。メッセージアプリすらスマホに入れていないので、連絡は電話か手紙かメールのみという不便さで生きている。

「バ美肉。『バーチャル美少女受肉』の略語よ。バーチャル世界で美少女姿の分身アバターを纏うっていう日本発のネット文化なの。見た目は美少女だけど、中身はおっさんだったりして全然違うっていうのが多いのよ」

「そうか……あいつら……時代の最先端だったんだな……」

 私の言葉を聞いて、夜刀は遠い目をしてつぶやいた。

「そのうち、ネット上の美少女アバターの中身が霊でしたなんてことになったりして」

「俺は笑えないが、そうなっても不思議はないな。ネットで流れてる動画を介して移動する霊もすでにいるからな」

「それって、動画見てたら悪霊が出てくるってこと?」

「ああ。だから見本画像サムネイルでヤバいと直感したら、その動画は見ない方がいい」

 そうは言われても、霊能力なんて全くない私にはそんな直感が降りてきたことはない。


 人形が納められた四つの棺は床に敷かれた白い布の上に置かれ、清掃されたテーブルの上には別に用意された白い布が掛けられた。

「灯りを点けるぞ」

 それは私に対する宣言ではなく、部屋の住人である人形たちに対する言葉。壁面のスイッチを入れると天井から下がる小さなシャンデリアから煌めく光が落ちてくる。私はこの瞬間の光景が好き。人形たちの髪飾りや服に縫い付けたビーズや金具、布が光を受けて輝く。

「さて。待望の新しいドレスが来たぞ。誰が着替える?」

 人形たちに向かってそういった夜刀は十数秒の空白の後、棚の中央に置かれた豪華なソファに座る人形へと手を伸ばして動きを止めた。

「どうしたの?」

 夜刀が手を降ろし、私の方へと振り向いた。 

「愛流、この人形をそこへ運んでくれないか?」

 珍しい。というよりも棚から人形を運ぶのは初めて。いつもは夜刀がテーブルまで運ぶ。

「いいわよ」

 指示された人形は、夜刀から初めて注文されたドレスを着ている。雪の女王をイメージした白いドレスには雪の結晶を白銀の糸で刺繍していて、あちこちに縫い付けたオーロラガラスビーズが光を受けて七色に煌めく。最初に見せられた時、この人形だけは夜刀が縫った白いシンプルな着物を着ていた。それはそれで似合ってはいたけれど、もっと豪華で威厳のあるドレスが相応しいと感じてデザインした。

「新しいドレスの着替えをお手伝いしていいかしら?」

 人形に話しかけて断りを入れてから、そっと抱き上げると体感で二キロ弱の重みが腕にかかる。ほんの数歩の距離を慎重に移動して、テーブルの上に横たえる。

 夢から覚めた直後のような、うっすらと目を開けた表情の人形は、美しい少女のような顔をしている。その白い肌の一部には青みを帯びた血管が透けて見え、目元は長いまつげが陰を重ねて物憂げ。今にも言葉を紡ぎそうな何か言いたげな唇は艶やか。すべては塗装による化粧だと理解してはいても生きているように見える。

 翡翠と月長石ムーンストーンで出来た瞳は穏やかな緑色。黄色がかった薄茶色の髪は緩やかな波を描きながら膝近くまでの長さがある。

「夜刀、毎回思うんだけど、下着あった方がよくない?」

 服の下がすぐに肌。夜刀の注文を受けるまでは、身長三十センチサイズの人形服と下着と靴でワンセットの注文が多かったので違和感がぬぐえない。

「下着や靴下、靴で細部をしっかり覆うと浄化の妨げになるらしい」

「じゃあ、裸で飾ってた方がいいんじゃないの? 美術品みたいに綺麗だし」

「それだと霊が落ち着かない」

「注文の多い悪霊さんたちなのね」

 そういうことなら仕方ない。箱から新しいドレスを取り出して、人形へと見せる。

「これは海月をイメージしたドレスなの」

 この人形に着せる可能性があったのなら、注文時に言って欲しかった。知っていたら海月の女王レベルの装飾を施したのに。

 シルクシフォンを重ねたワンピースを着せると、うっすらとその体が透けて見える。全体的には人の形をしているのに、球体関節という人とは違う造形が魅力的で美しい。

 レースで作ったコルセットベストを重ね、総レースのオーバーワンピース。素材の違う白は、自然なオフホワイトではなく漂白されたホワイトを選んだ。さらしあるいは晒白、蛍光ホワイトと呼ばれる漂白された布地やレースは、ほのかに青みを感じる白色。個人的にはナチュラルな高級感を醸し出すオフホワイトより、人工的な不自然さが出てしまうホワイトの方が難しい色だと思っている。

 服を着せつけた後、服を覆い隠す白いマントで包んでからドール用のヘアブラシで髪を梳かす。この人形たちの髪は人毛ではなく、ファイバー製。ウィッグは固定されていて、人間と同じように髪を扱える。

「夜刀、髪にツヤが欲しいから、ウィッグオイル使っていい?」

「ああ」

 手渡されたウィッグ用のオイルミストをスプレーすると、人形の髪にツヤが出る。多すぎるとべたべたするし、マントの下の服に染みてしまうので加減が大事。人形の顔を手で覆いながら、さっと吹きかけてブラシで梳かす。

 マントを外したところで、夜刀が唯一の窓へと向かってカーテンを開いた。

「窓、開けるの?」

「ああ。着替えさせたら日の光にあててみてくれ」

 これも今まではなかったこと。この部屋に入って窓を開けたことはないし、そもそもカーテンを開けたところを見たことがない。舞台の緞帳どんちょうのような分厚い臙脂色のカーテンが開かれると、錠が掛かった木の窓枠が出てきた。夜刀は手にした鍵で錠を外す。

「この窓開けるの初めて見た」

「そうだな。俺も久しぶりだ。ここに越してきて以来だな」

 開かれた窓の外は、青い空と庭の木々の緑色。ヘッドドレスを髪に付け、人形を抱えて窓際へと向かう。

 シャンデリアの光で見る怪しい美しさは消えて、太陽光が海月のドレスを青白く輝かせて眩しい。ゆらゆらと海を漂う海月のドレスを着た人魚姫。そんなイメージが沸き上がる。

「すっごい可愛いー」

 心からの言葉が口から出た途端、人形の瞳が開き、口元がはっきりと笑顔になった。

「え?」

 心底驚いても手を離したら人形を床に落としてしまう。それだけは避けたいと手に力を込めた時、突如として人形の重みが消えた。

「何、何、何? めっちゃ軽くなったんだけど!」

 体感で二キロ弱あった重さは、今や五百ミリのペットボトルより軽い。人形の目は閉じたものの、口元は微笑みを浮かべたまま。

「……封印していた霊が神上がり……一般的にわかりやすく言うと成仏したっていうことだな」

 夜刀の声は深い安堵と共に若干の呆れを含んでいるように聞こえる。

「は? 成仏? 何でいきなり?」

 全然全く理解不能。腕の中の人形をどうしたらいいのかわからない。

「この世に未練が無くなったってことだろ。恨みつらみが消えて気分がすっきりしたみたいだな」

 差し出された夜刀の手に人形を手渡すと、緊張感が一気に抜けた。

「憑依してた霊が消えたなら、中身が誰だったのか聞いてもいい?」

 夜刀の人形たちには名前がつけられていない。それは名前を付けることで、霊を名で縛って固定することになるから。だから中身が誰なのかも教えてはくれなかった。もちろん私の部屋にあるモデル用の人形には霊は宿っていない。

「……鎌倉時代の武将だ。弟の裏切りにあって名が残せなかったと、弟の子孫を祟り続けていたんだ」

 少女のような人形の中身が武将と聞いて、あの威厳のある偉そうオーラの正体はそれかと妙に納得してしまう。正体を先に聞いていたら、もっと凛々しい服を作ることもできたのにと残念。

「祟ってたなら世継ぎが死んでお家断絶とかしない?」

「それが絶妙な奇跡があって子孫が生き延びてたんだな。生かさず殺さず祟り続ける為だったみたいだが」

「鎌倉時代だから、八百年以上? とってもしつこい恨みだったのね。人形に封印されて、子孫から離れたから落ち着いたってことかしら」

「それもあるが……それだけではないかもな……」

 何故か言葉を濁した夜刀は丁寧な手つきで人形を椅子へと座らせた。元の場所に戻った人形は周囲を威圧するような怪しい空気が消えて、ただの綺麗な人形になっている。

「あいつ……本当に綺麗さっぱり消えやがった……」

 そう呟く夜刀の横顔は、ほっとしているようでもあり寂しさも含んでいる。

「俺は……自分が生きてる間に、あいつが神上がりするとは思わなかった。恨みが強すぎて一生かけても無理だと判断してた。俺が死んだ後は八條本家で預かってもらう約束をしてた。もの凄く嫌がられたけどな」

「本家が嫌がるくらいに強力な悪霊だったのね。早めに成仏してよかったじゃない。これで一安心でしょ」

 私の言葉を聞いて、夜刀は口を引き結んだ。

「…………あいつは俺に『視覚の暴力』と言い放ったヤツだ」

「その霊、ソフビ人形に封じたんじゃなかった?」

「ソフビから移した。この体は四体目だ。昔、もっとマシな体を寄越せと他のヤツらを扇動したのはあいつだ。あいつのせいで俺は球体関節人形を作る羽目になった。……冷静になったらムカついてきた。そうだ。神上がりする時に、文句の一つでも言っておくべきだった」

 夜刀は手を握りしめ、しまったという顔をしている。何か過去の色々を思い出しているのか苦悩の表情が浮かんでは消えていく。

「夜刀が作る人形って、とても素敵だと思うけど。作りたくなかったの?」

「中二の男が人形作ってるなんて他人には言えないだろ。最初は男の人形作ってたら、女の霊が絶対嫌だって泣くわ暴れるわで苦労した」

「あー、それはわかる。もしも男の体に入れって言われたら私もきっと抵抗するもの。だから性別無しのボディなのね」

 夜刀の話を聞いていると怖そうな悪霊も、人であることに変わりないような気がして面白い。

「教えられないならいいんだけど、女性の霊が入った人形はいる?」

「今はいない。女の霊はこの人形部屋を何故か嫌がるんだ。この部屋に置いて二、三日経つとさっさと神上がりしてしまう。最速はこの部屋に入った瞬間だったな」

 その光景が余裕で想像できた。ふと頭の中をよぎる理由をはっきりと口にするのはためらわれる。

「人形に取りついた霊同士って、お互いの中身がわかったりするの?」

「ああ。人形はただの器だから、霊はお互いのそのままの姿を見ていると思うぞ」

 夜刀の言葉を聞いて私は確信した。もしも私がこの部屋に連れてこられたら、むさくるしい野郎どもが綺麗な少女人形に取りついているという地獄絵図に絶対耐えられない。目の保養になる超イケメンがいたら考えるかもしれないけれど、これまでの様子を聞いていると、そんな都合の良いイケメンはいないのだろう。


 私が考えていることも知らずに、夜刀は空になってしまった人形を見つめ続けている。十年以上一緒にいたのだから、悪霊と霊能力者という敵対関係だったとしても何らかの繋がりのようなものを感じていたのかもしれない。

「その人形、どうするの?」

「八條本家の特殊焼却炉で焼いてもらう。超高温で焼く、環境に配慮した焼却炉だ。……悪いが、霊が戻ってこないように元の服もこの服も一緒に焼くことになる」

「それは気にしなくていいわよ。死出の衣になるってことでしょ」

 あのドレスは私の作品でも、すでに私の手から離れた物。写真も撮っているし、人形服としての役目を最後まで全うしたことを目撃したのだから満足感すらある。

「もう一着残ってる方はどうする? 誰かに着てもらう?」

「そっちはまだ霊が入ってない人形に着せてくれ。……昨日、久々に職務質問を受けて人形を確認されたが、フェイスカバーだけだったから気まずかった」

 フェイスカバーというのは、顔のメイクが落ちないように保護するドーム状の薄くて透明なプラ製のパーツ。布を開くと体は裸で、顔だけ覆っている姿を想像すると、人形が可哀そうになってくる。

「職務質問って、警察の?」

「ああ。俺みたいな男が、黒くて長い筒状のカバン下げてるとすぐに不審者扱いされる。武器を隠し持ってるんじゃないかってな」

 ドールの持ち運び用のカバンは市販されていて、夜刀は黒いナイロン製の筒状のカバンを使用している。長さ七十センチ、直径二十センチの円筒のサイズ感は、確かに武器を隠しているように見えなくもない。

「そういうの受けたことないけど、どんな感じ?」

「どんなというか、身分証とカバンの中身見せろってだけだな。免許証見せて、確認したいならどうぞとカバンを手渡すだけだ。自分で開けろと言われることもあるが、大抵中身見た途端に表情が変わる」

 武器かと警戒しつつカバンを開けたら、中身は顔が覆われた裸の人形。その光景を想像するだけで、警察官が可哀そうになるのは何故なのか。

「……半年前、俺が依頼主に頼んでバイトを募集したのも、それが理由だ。あの時、でかい国際会議があっただろ? 俺が一人で歩いているとひっきりなしに職務質問を受けるから、連れが欲しかったんだ」

「連れがいたら声って掛けられないの?」

「完全に回避するのは無理だが、男でも女でも複数なら格段に減ると知人に教えてもらったから頼んだ。あの日、二人で駅を歩いても声掛けられなかっただろ?」

 思い返してみると、確かに駅にはあちこち警官がいたのに、職務質問は受けなかった。私の服装を考えると、夜刀が持っていたカバンが、カメラと三脚とでも思われたのかも。

「へー。じゃ、今でも職務質問除けってこと?」

 この半年、何度も一緒に歩いていても、警察に声を掛けられたことは無かった。

「いいや。今は除霊の助手として助かってる。人形の服まで作ってくれるなんて大助かりだ」

 人形を抱いて立っているだけで助手と言われるのは納得できなくても、本人が役に立っていると言うのならいいのか。

「前は白い着物作ってたんでしょ? もう作らないの?」

「……あれを作るのに、俺が何百回針を指に刺したか聞くか? 出来上がったら血の染みだらけで、着せるまでにどれだけ苦労したか」

 思い出してもうんざりという顔をされたら、それ以上は聞いてはいけない気がする。というよりも針を指に刺したと聞いただけで背筋が寒い。


 人形部屋の窓を閉めて、工房へ戻ると時計は午後四時を指示していた。たった一時間のことだったのに、長い時間を過ごしたような気がしてしまう。

「四時か……飯食うには早いな……あれ? 愛流、仕事は? この前、正社員の仕事が決まったって言ってただろ?」

「……ちょ。そんなの、察してよ」

 平日金曜日の午後に訪れていることで、気を使ってくれているのかと思っていたのに夜刀は全く気が付いていなかったらしい。痛いところを突かれたと黙っていると、夜刀が焦りだした。

「おい、まさかまた会社が潰れたのか? 二週間経ってないよな?」

「……先週の水曜に初出社。金曜夜に社長一家が夜逃げして、今週の火曜朝に取り立てが来て多額の負債発覚。部長にとりあえず帰って自宅待機って言われたけど、全然音沙汰無いのよ。取り立てのあった借金の金額だけでも再建は無理かなーって。……業務拡大で二十名の正社員雇用っていうのも、銀行とかからお金引き出す口実だったみたい」

 夏の中途半端な時期にも関わらず高級ホテルの会議場で派手派手しい入社式も行われて、私を含めた新入社員二十名はとても喜んでいた。まさかそれも多額の資金調達の為だったなんてショックは大きい。

「この辺ではそこそこ名の知れた会社だったよな? 流石に全部の資産は処分してないだろ。そんな借金まみれになってたら、噂があると思うんだが」

「一族経営で三代目の社長に経営手腕が無かったみたいで、最初から自転車操業だったんですって。外に出てなかっただけで、内部では大丈夫かって心配されてたって。今回の業務拡大話からの流れがあまりにも手際が良すぎて社長に誰かが入れ知恵したんじゃないかっていう話なのよ」

 それは社長が逃げた後、社員から聞いた話。誰もが毎日の業務に追われていて、時々感じる疑問や違和感を確認せずになんとなく過ごしていたと悔やんでいた。

「給料は?」

「連絡ないから、まだ全然わからない。勤務四日間でまともな仕事もしてないからどこまで補償されるのかっていうのもあるし、社員さんがいっぱいいるから、もしも資産とか見つかっても先にそっちに払われると思う」

 はぁあと心の底から溜息一つ。復職は無理とわかっているから早く結果連絡が欲しい。夜刀の注文品を超スピードで納品できたのも、不安を忘れる為に制作に没頭したから。

「……潰れたの何社目だ?」

「十一社目。……これも職歴に書かないといけないかしら。デジタル履歴書ならまだいいけど、紙の履歴書出せってところだと、別紙が増えて仕方ないのよね……」

 履歴書には『会社の倒産により退職』やら『会社の解散により退職』が並んでいる。経営に関わらない一般の社員なら、倒産が退職の理由とはっきり書いた方がいいと転職アドバイザーに教えてもらった。『会社都合』と書くと、何が理由なのかと採用担当者が不安になると言われたけれど、私が就職した十社すべての倒産が並ぶ職歴の方が不安になるのではないだろうか。

「職歴は正直に書いた方がいいだろうな。今の失業保険は半年以上勤務……だったか?」

「そう。だから一度も条件が満たないの」

 今回の勤務四日間は最短記録。最長は二ヶ月。給料が払われることもあれば全く払われないこともある。ド田舎から都会に出てきた私は、実家に心配を掛けたくなくて頼れない。

「こんな時に何だが……人形服の注文、受けてもらえるか? あの新入りの服が至急欲しい」

「ありがとー! もちろんお受けします!」

 夜刀は新入り分の四着だけでなく、他の人形のドレスも注文してくれた。すぐに支払うと言ってスマホで振り込み完了。会社から連絡があるまでは動けないから、除霊の助手か、人形服を作って稼ぐしかない。

 ざっくりとしたイメージを聞きとってスマホにメモを取っていると、夜刀が口を開いた。

「愛流、もうすぐ誕生日だったな。いつだ?」

「八月八日」

「何か欲しい物あるか?」

「切実に就職先が欲しい! 去年も誕生日に就活してたのよ……面接官に誕生日おめでとうって言われた後、日付変わる前にお祈りメール届いて最悪で……あー、思い出したらムカついてきたー!」

 シェアハウスの住人が誕生日を祝ってくれたことも、お祈りメールで吹っ飛んだ。

「お祈りメール?」

「就職活動の不合格通知のこと。『今後のご活躍をお祈り致します』っていう締めが定番だから、お祈りメールって呼ばれてるのよ」

 お祈りメールには、気の利いた返信をする方がいいというアドバイスもあるけれど、不要と宣告された企業に食らいついてでも就職したいという気力はない。

「……………………俺のところに永久就職するか?」

「は? 私は拝み屋の才能ないわよ」

 普通の人間が拝み屋に雇われても足手まといになる未来しか見えない。気前が良い夜刀は、他人に優しすぎる。

「……いや、そうじゃなく……」

「心配しないで、大丈夫。私は私自身の手で稼ぐから」

 私の宣言を聞いて、夜刀は何故か大きな溜息をついて肩を落とした。

「……これから晩飯食う時間あるか?」

「あるけど……」

 若干、お財布の中身が心配。コンビニATMで口座から引き出す手数料も気になるところ。けちくさいと思われても、失業中なのだから仕方ないとあきらめる。

「俺の長年の敵が神上がりした祝いに、飯おごってやる。鉄板焼きでもすき焼きでも何でもいいぞ」

 私が断ろうとしたのを察したのか、夜刀はおごると言い出した。

「えーっと。それは嬉しいけど……」

 先日、就職祝いにおごってもらった鉄板焼きの値段は、私のひと月分の食費を超えていた。夜刀が連れていくというのなら、庶民感覚のお店ではない気がする。

「インド料理はどうだ? 前にインドのカレー食べてみたいって言ってただろ? 知り合いに美味い店を教えてもらった」

 そんなことを随分前に言った気がする。覚えていてくれたのかと少し嬉しい。インド料理なら、そこまで高くはないだろう。

「本場のカレー、食べてみたい……かも」

 私が答えると、夜刀は上機嫌の笑顔を見せた。

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