貴方の記憶、受け取ります

真城幸

第1章 

カタタン、ゴトトン。

ガタタン、ゴトトン。

この音が嫌いな人は多くいるだろう。というか、周りに住んでいる人にとっては、騒音以外の何者でも無いだろう。だが、彼女はこの音が、この振動が、この涼しさが、好きだった。

窓から外を覗くと、まるで動く絵のように景色が動いていく。

佐竹千夏は、今、1人で電車の中に座っている。

古着屋にて断腸の思いで買った白いタンクトップに、淡いピンクのシアートップスを着た。下はただのジーンズ。油気のない髪は後ろで一つにまとめ、お菓子の包装に使われていた白いレースリボンを使って髪留めっぽくした。大きめの麦わら帽子を被っていたのだが、今はもう外して膝の上に乗せている。それからキャリーケースと大きなボストンバッグが一つずつ。

 大荷物の隣で千夏は、振動に身を任せ、頬を窓にピッタリとつけて外を眺めていた。

 新幹線と違って電車の中からだと、景色が綺麗に見える。

 通っているのは田んぼと畑ばかりのありふれた田舎町。が起こらなければ、実家のある故郷ふるさとを想って懐かしく感じたかもしれないが、そんなほんわかとした優しい感情は、心の奥底で萎んでしまっている。代わりに、暗い気持ちが胸の中でうごめいて、窓からそっと視線をずらした。

 千夏は、言うならば不幸を呼び寄せるタイプの人間だ。必然的に雨女となり、運動会や体育祭、文化祭、遠足でも天候はサイアクだった。もちろん事故に巻き込まれるのも日常茶飯事だから、車は使わない…というか、使いたくない。そんな風に不幸に巻き込まれたり、特待生維持のために勉強をしていたりするのに時間を使っていたから、彼氏なんて一度たりともできたことがない。同級生からは、「あんた、欲をお母さんのお腹に、置いてきちゃったんだよ…」とあきれられたほどだ。

いや、ちゃんと、欲はある。千夏は金銭面に関しては相当うるさい。

 その時、ポケットの中のスマホが小さく震えた。

「…もしもーし」 

『千夏?』

「うん、そうだよ」

 電話をかけてきた相手は、同級生の明護あきもり美和みわ。いいところのお嬢さんで、薬剤師。生まれながらの茶髪で先生には度々怒られていたが、千夏と比べると相当得な人生を送っているのではないかと思う。…もしかして、これは妬み!?

『ねぇ、どーするの、結局。いや、内定貰ってたのに消されて、それ以外の内定は既に辞退していて就職する場所なくって、さらにはアパートが燃えるだなんて…』

「はぁ……。ねぇ、美和ちゃん。普通こんなこと起こるかな?」

『千夏の不幸パワーなら起こりうるな、うん。しょうがない、受け入れな』 

「いやいや、そんな軽く言わないでよ」

『あー、うちに居候すれば良いのに』

「…美和ちゃんにこれ以外面倒かけられないよ」

『いや……分かってるよ、あるんでしょ?他の理由。大丈夫、聞かないから』

 苦笑混じりの声には、心配の色が滲んでいた。それでいて背中を押しているような気もして、千夏は微笑んだ。美和ちゃんは、千夏の姉のような人だ。ものすごく天然でドジでおっちょこちょいだけど、いざとなれば頼りになる。付き合いの悪い千夏に対しても、なんだかんだと世話を焼いてくれる。だけど、もうこれ以上頼りたくはない。負担になりたくない。

「ありがとう、またね」とだけ言って電話を切り、千夏はまた窓の外へと視線を戻した。

「あーあ…、ほんっとうに運悪いなぁ…私って」

 ぼそりと呟いた言葉は、電車がレールの繋ぎ目を通る時にする『ガタンゴトン』という大きな音にかき消された。

 春と秋という概念が消え失せた今日このごろ。『ちょうどいい』ものは、なくなっていってしまう。

 眠りたいのに眠れない。

 座席に身を任せてみるけれど、安心なんてできなくて、ただ恐怖に似た感情が浮かび上がってきて、ぶるりと震える。

 ぼんやりとしていたのか、思考の沼に落ちていたのか、いつの間にか目的地に到着していた。

 乗り過ごしかけながらもどうにか降りる。

 良かったなんて思っていたが、バス停に来、時刻表を見ると、ピキリと表情が固まった。

 2時間おきしかないバス。45分ベンチに腰掛けてから乗ったのだが、おばあさん一人と、おじいさん二人、若いお母さんとその息子と思われる男の子の、計6人しかいないスッカスカの車内で、1番前の二人席に座った。

これは、最近問題になっている『赤字路線』確定だな。

周りには、まだお店や家などもいくらかあったが、30分ほど経つと、すうっと開けたように山で囲まれた懐かしい景色へと移り変わった。それまでにみんな降りてしまって、千夏以外はもう誰もいなかった。

…と。

「…ん?あっ降ります!降ります!」

いつの間にやら、目的のバス停に到着していた。

慌ててバスを降りる。

歩き出そうとし、何かに気づいて足を止め、キャリーケースの持ち手と本体の間にボストンバッグを挟むようにして入れた。そのまま進んでみると、とても楽だ。

(これがいいや。肩の負担減るし)

 ガラガラ、とキャリーケースがちょっと重そうな音を出しているが、気にせず歩く。

 都会とは違って、あまり変わらない景色。

 古びた道路。連なるそう高くない山々。田植えを済ませたばかりの田んぼ。

 胸がつかまれたようにギュッとした。

 懐かしさなのかもしれないが、別のものも混じっているような気がした。

(あっつい……)

 まだ夏は遠いとナメていた。風は冷たいが、日差しが凄い。一応日焼け止めは塗ってきたが、日傘も何も持っていない。

「あら、初めて見るお嬢さんね」

 前の方から、少ししわがれた優しい声がした。ハッとして前を向くと、小柄な老婆が立っていた。

「あっ、はい。……千夏と言います。よろしくお願いします」

「千夏ちゃん。いい名前ねぇ」

 彼女は千夏に微笑みかけると、「私こっちだから」と、通り過ぎていった。

(苗字、言えなかった…) 

 あの林の中の坂道を登ると、目的地に到着する。

 千夏のの家だ。

(あれからもう8年か…)

 千夏が大好きだったこの町を離れたのは。

 祖母が突然の病で倒れ、亡くなったのは。

 あの日のことを後悔しなかったことはない。

 両親は、千夏が3歳の時に事故で呆気なく逝ってしまった。相手側の信号無視だったそうだ。向こうの車を運転していた人も亡くなったと聞いた。そうやって1人になった千夏を、引き取って育ててくれたのが信代だった。

 美和の母に預けることも考えたらしいが、美和は三姉妹の長女。8歳と4歳と1歳のいる家庭にこれ以上の負担を負わせる訳にはいかなかった。

 それでも、両親がいなくても、幸せだった。

 ちっとも『カワイソウな子』ではなかった。

 地域の人たちみんな、それを分かってくれていた。

 それなのに。

 ある日、学校から帰ると、祖母と仲の良かった松枝まつえさんが叫んだ。

『信代さんが倒れたよ!』

 震える口びるで、『今、どこに…?』と言った。急いで病院に駆けつけた。でも、手遅れだった。

 まだ暑さの残る、9月のある日だった。

 休日だったら、自分がいた。休みだったら、帰るのが早かったら、信代は助かっていたのではないか。美和の母親の美穂みほが来て、葬式やら色々やったらしい。その時の記憶は、ぼんやりと霧に包まれたようで、あまり覚えていない。

 千夏は中2だった。1人で生活できると言い張って、この家から離れようとしなかったそうだ。定期的に美穂たちが様子を見に来るということで、信代の家に住むことになった。

 しかし、突然変なことを言い出したという。

『お祖母ばあちゃんがいる』

 千夏には、そう言った記憶がない。思い出せないとかではなくて、ぽっかりと抜け落ちたように、『分からない』のだ。

「…あ、ここ」

 分かれ道だ。十字の交差点。右に曲がって坂を上がるとすぐに家がある。

 でも、何故か動けなかった。ピタリと、ノリではり付けられたみたいに足が止まってしまう。

 結局、千夏は美穂のもとへ行った。

 信代の家には残らなかった。

 …誰が信じてくれるだろう。

 誰が理解わかってくれるだろう。

 誰が寄り添ってくれるだろう。 

 誰が話を聞いてくれるだろう。


 死んだお祖母ちゃんが視えるだなんて。

 が視えるだなんて。


 ドッドッドッと、心臓が脈打って、苦しくなる。

 すくんだ足は、もう1ミリも動いてくれない。

 どうしよう。

 行かなきゃ。

 帰らなきゃ。

 お祖母ちゃんが待ってるから。


 私のせいだから。


 ゾワリ。

 背筋が凍った。時間が止まったと思った。音がきえた。感覚が消えた。息が吸えない。

 膝がカクンと曲がってしまって、キャリーケースに捕まるようにしてどうにか立っていた。その拍子にポケットからスマホが落ちて転がった。

「大丈夫ですか?」

 優しく響く低い声。

(誰……?)

「ほら、息を吸って〜、吐いて〜」

 ゆっくりと背中が撫でられ、その温かみに安堵する。

 少しずつ、呼吸が落ち着いていくのが分かった。

「あり、がとう…ございました。…もう、もう大丈夫です」

 そう言って顔を上げると、パチっとその『誰か』と視線がぶつかった。

「「え……」」

(もしかして……)

「ちぃちゃん…?」

「なぎ…?」

 幼馴染はたった3人。1人は、茶髪の可愛い系の美人で、大阪の方にいるらしい。今でもたまに会って話をするけど、結婚間近の彼氏がいると惚気られた。

 もう1人は……

 千夏の目の前にいる。

 桐生きりゆうなぎさ、千夏と同級生。家業を継いだとかなんとか聞いたけど、本当かどうかは分からない。

 他の男子からは、『カラス』だなんて言われていた、真っ黒の髪。ごくフツーの焦げ茶の千夏には、それがとても羨ましかったっけ。髪色は変わっていない。

 でも、あの頃よりずっと背たけも高くなって、身体も厚く、男の人って感じだ。手も大きなってるし、顔つきも大人びている。イケメンになったねぇ、だなんて思う千夏は、ちっとも冷静なんかではなく、ただただ混乱に揉まれていた。

 彼は、髪色と同じ、ぬばたまの瞳を大きく、飛び出そうなほどに見開いて、

「な、何で……?」

 口から溢れたのは、当たり前の、至極真っ当な問いだった。

 何か言わないと、何か言おうと、千夏は酸素不足の魚のように口をパクパクしたが、出てきたのはため息だけだった。

「立てる?」

「あ、うん…」

 差し出された手を取って立ち上がると、汀はキャリーケースとその上のボストンバッグを分解して、どちらも持った。

「どこ行くの?」

 スマホを拾って、キズができてないか確認した。

(良かった。綺麗…)

「ちぃちゃん?」

「ん?…あっ荷物ありがとう」

「ううん、これくらい大丈夫だよ。で、どこ行くの?」

「お祖母ちゃんの家……なんだけどさ」

「あぁ…」

 腑に落ちたと言うように、汀は何度も頷く。

「…そうだ。うち来る?丁度、ちぃちゃんの大好物だった松谷まつやどうのカステラがあるよ」

 気を使ってくれているのが分かって、いたたまれないような気持ちになる。

 汀にだけは『お祖母ちゃんが視える』と言えたし、汀はそれをきちんと信じてくれた。

「…ありがとう」

「ん?…ほら行こうよ」

 聞こえなかったふりをしたのか、本当に聞こえていなかったのか、どちらにせよ彼の言葉は静かで、ただ温かった。

 どちらからともなく促して、歩き出す。

(良かった、もう固まらない)

 ホッとため息をつくと、少しだけ緊張も解けてきた。

「ねぇ、まだあの立派なお家はあるの?」

「そんな立派だなんて……、でも、うん。まだそのまんま残ってるよ」

 汀はポリポリ頭を掻いた。

 そう、桐生家はここらへん一帯で1番由緒正しいお家なのだ。小さかった頃は幾度も中に入ったけれど、ずっと『お城』だと思っていた。汀のは身体が弱くて、汀が7歳の時に亡くなった。は、失意のままにふらりと家をでていって、消息は不明である。だから、汀はお祖父ちゃんに育てられたらしい。

「で、どうしたの?何かあった?こっちに戻ってくるなんてよっぽどの不幸があったのでは…?」

流石さすが幼馴染。14年一緒にいたからかな)

「…ご名答。内定取り消しからのアパート取り壊し」

「ウワァ。予測はしていたけどそれは災難だったね」

「なぎは?何かあった?」

「うーん、お祖父様が隠居して、僕が家督を継いだよ」

 歩幅を合わせてくれているのが分かる。申し訳なさと感謝が胸を満たしていき、先程の恐ろしさも薄れてきた。

「ワァ、とうとう若様がお館様になってしまったか…婚約者フィアンセとかいたりするの?」

「いないよ流石に。でも本家から山のようにお嫁さん候補の写真が送られてくるよ……」

 汀はクスリと苦笑わらってそう言った。

「相当なお家柄だもんね、大変だねぇ。あ、そうだ松枝さんは?まだいらっしゃる?」

「うん。屋敷の方は和世かずよさん含めた10人くらいが手入れしてくれてる」

 松枝さんの下の名前は、和世である。信代の唯一無二の親友だったが、桐生家の使用人的な人でもあったのだ。

「おー、そうなんだ。ねぇ、何の仕事してるの?昔ながらって感じだったけど」

「あーー……」

 何気なく訊いたこと。でもそれは答えにくいことだったのかもしれない。

「いや、言えないとかなら大丈夫だから!」

 慌てて胸の前で手を左右に振った。あの家に帰らなくて済む理由をくれようとする気の置けない幼馴染だ。不愉快な思いをさせる訳にはいかない。

(って、また逃げちゃったよ…。でも、近いから、いつでも行けるし)

 この考えが甘えだということは、千夏にも分かっていた。それでも、この出会いに、親友に、少しだけ、少しだけ、すがりたいと思ってしまったのだ。

「ほら、着いた」

 いつの間にか、汀の家についていた。『武家屋敷』というのに相応ふさわしい豪華さだ。

「いつ見ても、何度見ても、この驚きは凄いや……」 

 ほうけたように言う千夏を、汀はジィィッッと見つめている。

(…なんだろう)

 ふっとよぎった不安は、気のせいではなかったのかもしれない。

「ほら、こっち。本邸に住んでもいいけどさ、色々大変だからこっちに住んでるんだよね」

 連れて行かれたのは、大きな家…

 凄い綺麗だし、ウッドデッキまで付いている。

流石さすが…別宅だって何十もあることでしょう」

「何十はないよ…」

(何十って何!?)

「あ。そうだ、ねぇ綾って覚えてる?」

「うん?あやっこ?覚えるよ」 

「いつも思うけど、なぎってネーミングセンスだけは欠如しているよね」

 せっかくのイケメンが勿体もったいない、と千夏はため息をつく。

「ちぃちゃんひどいよ!」

 こうしていると、中2の時あのころと似てるんだなって思う。時間が過ぎても、何年会っていなくても、変わってない所は確かにあるんだって。

(でも、それに甘えちゃ駄目だよ)

 心の中で自分を戒めた時、ピロピロピロと音が鳴った。

(電話……?)

「うげぇっ、みすゞみすずさんかな」

(みすゞさんって、ダレ!?)

 え、彼女…なぎに…?…とクワンクワンしている千夏に気づかぬまま、汀はスマホを取り出して耳に当てる。

「えぇ……仕事ですか…?」

 サァァっと青褪あおざめていく汀。

(仕事って、言いたくないって言ってたやつ…)

 そのみるみる小さくなっていく背中をじっと眺めている千夏。

「ねぇ、」

 何かを言いかけた千夏の声に被せるように、汀が嘆く。

「ちぃちゃん、仕事入っちゃった……」

 泣きべそをかく寸前のような顔……

(ほんっと、こういう所は変わってないなぁ)

 口元に浮かんだ笑みは、呆れか喜びか。

「私に手伝えることがあれば言ってね」

 幼馴染なんだから、と明るく言った千夏に、汀は下手くそな作り笑いで「ありがとう」と言った。

 ピロピロピロ。

「えぇ~、まだ何かあるの?…何だよぅ」

 グダグダなんだかんだ言いながらも、スマホを耳に当てる汀。

「……えぇっ!?だ、駄目に決まってるじゃないですか!…脅しはよくないです、みすゞさん。……うっ、なっ!………ぐぅ……。はぁ…、分かりましたよっ、彼女に訊いて、良いって言ったらですからね?……ハァ!?今から来る??何言って…あ、切れた」

 汀は、半ば呆然としてスマホ片手に固まっている。

(どうしたのかな……)

 ピッピッと、不慣れな仕草で電源を切ると、汀は大きなため息を着いた。

「ど、どした?」

「うぅ…、ちぃちゃん…。僕はあの人嫌いだよ。多分もうすぐ来る…」

 ズゥン…と、暗くよどんだ空気が見えるようだ。

「えぇ…仕事の人?」

「うん、上司みたいな感じかな?…いつも無理難題ふっかけてくるんだよね…あの人……」

 ハハ…と汀の乾いた笑いも、この暑さの中に消えていく。

「あ、すぐ開けるから、早く入ってね」

 あんまり可愛くないキノコのキーホルダーのついたケースを取り出すと、ガチャっと鍵を開けた。

「あ…うん、ありがとう」

「ほらほら、早く入って!あの人に見つかると色々ややこしいことになるからさ」

 汀は焦ったように急かす。千夏は慌ててドアを開けた。

 ドアの向こうに千夏の背中が消えようかとしたその時。

「おおっと、何処どこに行こうとしているのかね?」

 落ち着いた、しっとりとした声が背後から。

「ぐえぇっ、で、出た!」

 汀は、扉の向こうに千夏を押し込みながら、蛙がつぶされたような声を出して、うめく。

「人を幽霊のように言うんじゃないよ、桐生家当主」

 ピシャリと言い切ったのは、とても妖艶な美女だ。そのあやしい美しさと、スーツ姿がちぐはぐに見えるくらい、この世離れしている。

「え…誰……?」

 千夏は、ちゃっかり郵便受けの所からそっと外を窺っている。

「ちぃちゃん!?お願いだから中に居てよ!」

 汀は郵便受けから覗く二つの目に気づくと、その穴をぺいっと手で覆ってしまう。

「ほぉ~、『ちぃちゃん』ね…どういう仲なのかい?」

「みすゞさん、からかわないでくださいよ…彼女は、」

「なるほど、彼女か」

「「ちっがーうッ!」」

 したり顔でウンウンと頷く美女――大鴻おおこうみすゞ――に、二人でツッコミをかます。

「幼馴染ですよ、!」

「例の…?例のって何?」

「う、まあまあ」

「いや例のって、」

「あぁ、そこの君、でてきておくれ」

「駄目だよ、この人は…」

 その時、みすゞがスマホを取り出した。(その真っ赤なカバーに有名アイドルの写真が貼られていることには触れないでおこう)。スッスッスッと画面を動かしたかと思うと、画面を二人に向けた。『…っ、ごめんなさい…お願い…許して……』

 悲しい声が、郵便受けから覗いている千夏にも聞こえてきた。しかし、その音声はブツリと途絶えてしまう。

「なぁ?今は忙しいんだよ、『なぎ』クン?」

 みすゞの真っ紅まっかな口びるが、意味深に弧を描く。

「……っ、そーみたいですね!」

 汀は、嫌なものでも見たように顔をゆがめる。

「分かってくれたらいいんだよ、というわけで、行こうか」

「は…?」

 ポカンとする千夏と汀にウインクして、みすゞは先ほど乗ってきた(と考えられる)車に乗り込んだ。それは、あの有名な歌にあるような真っ赤なポルシェ。

(ポルシェ……)

「ほら早く来な、二人共」

「え、私も?」 

 みすゞは、思わず呟いた千夏の方を一瞥し、

「そうだ」

 とだけ言った。

「なぎ…?どっ、どうすれば…」

「うぅ…、すっっっっごく不本意だけど、言う通りにするほかないね…」 

 汀はギリリと口びるを噛んで悔しがっている。

「二人、ほら早く乗りなさい」

「…行こう、ちぃちゃん」

「うん、分かった」


「あのぉ、狭いんですけど…」

 ぽいぽいっと荷物と一緒に後部座席に放り込まれたのは汀だ。

「我慢しなさい。ったく、大和男子やまとだんじが情けない」

「大和男子て…いつの時代だよぅ……」

 汀のぼやきはことごとく無視されている。

「ポルシェって、後部座席は狭いんですね…」

 千夏は後ろをくるりと振り向き、押し込まれた汀を見てウワァと頬を引き攣らせた。

「うん?あぁ、私はいつも荷物置きに使っているよ」

「何で狭いのが分かってるのに乗せるのかなぁ」

「君の幼馴染が助手席まえだから良いじゃないか」

「うぅ…」

「ほら、行くぞ」

 言ったと同時に、アクセル全開。 

「なっ、何でこんなほっそい田舎道でこんな速くするんですか!?」 

「急ぎだから、かな?」

 ニィッと笑うみすゞは、確かに美しい。

「だったら最初から自分が行ったら良かったじゃないですか!」

「それがしたく無かったからに決まってるだろう?」 

 みすゞは、何言ってんのコイツ、とでもいうようにやれやれと肩をすくめる……

「うわぁ自分勝手!」

 ワーワー喚いている久しぶりに会った幼馴染と、性格に難のある初対面の美女……。

(ほんっとにこの状況何!?)

 ガクリ、と千夏は肩を落とし、

(美和ちゃぁぁああん!!助けてぇ!)

 心の中で従姉妹あねに助けを求めるのだった。

 もっとも、その美和は家族で楽しくお買い物中なのだが……

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