第30話

「うー、頭がぼーっとする」

 皆月みなづきは眠い目をこすっていた。


「何だ、場所代わってやったのに眠れなかったのか」

 と、かなでが言った。



 奏は実に元気そうで、今日の眼帯アイパッチ英国国旗ユニオンジャック模様だった。


 普段は黒い眼帯をしていることが多いが、明日のコンサートで威風堂々を弾くからユニオンジャックのも持ってきたと言う。


 威風堂々の作曲者エルガーは英国の国民的作曲家だ。(奏の受け売りだが……。)


 やっと夜が明け、二人は別の階の朝食会場に行こうとしているところだった。


 朝食後はふもとの町に一度下りる予定なので、二人とも今朝は宿の浴衣と丹前たんぜんではなく私服に着替えている。


 皆月はジーンズにカーキ色のボタンダウンシャツ、奏はやはりジーンズに、皆月は名前も知らない北欧のロックバンドの黒いバンドTシャツ(胸に向かい合ってほのおを吐き合う緋色と金色のドラゴンが二頭描かれている)という軽装である。



 皆月みなづきはあの後、ほとんど眠れなかった。


 天井から血のようなものが降ってきた場所で再び寝る気にもなれずにいると、かなでがじゃあ場所を交換しようと言うのでそうしたが、それでも頭上が気になって仕方がなかった。


 部屋の灯りも点けたままにした。しかし、僅かな物音にも心臓がどきどきするしカーテンの隙間に垣間見える闇に何か潜んでいる気がして皆月は神経を尖らせた。


 奏はと言えば、一体どういう神経をしているのか、最初は皆月が寝ていたほうの布団であっという間に寝息を立てていたという次第だ。



 朝になって奏も起き、カーテンを開けると朝日が眩しかった。昨夜の出来事が嘘のように、ここは昭和の風情を残した温泉宿の一室でしかなかった。


「逆になんでお前はぐぅぐぅ寝れるんだよ」

 と、皆月がぶつくさ言っていると部屋のドアがノックされ、二人は顔を見合わせた。


「失礼します、田辺たなべです」

 と、ドアの向こうから男の声がした。


 田辺というのは、昨夜、旧館のロビーで話を聞かせてくれた従業員のうちの若い男性のほうだ。


 奏が立っていき解錠してドアを開ける。

 作務衣風のお仕着せの制服を着た田辺は小さな段ボール箱を身体の前にかかえていた。


「あのー、飛鳥井あすかい様宛てにお荷物が届いているんですが」


 皆月は警戒したが、奏は、

「おっ、届いたか。助かる。ありがとうございます」

 と、田辺に礼を言った。


 皆月は奏のでかい図体越しに覗き込んだ。

「何なんだ?」

「後で話す。ところで田辺さん、昨日はありがとうございました」

 と、奏。

「いやあこちらこそ、あのヘンな縄を桜の木から外してもらうの手伝ってもらって助かったっす。そのアイパッチかっこいいですね」

 と、田辺。

 奏はにこやかに、

「ありがとう。実は訊きたいことがあるんだが、ちょっとだけいいですか」

 と、田辺を室内に入れた。


 そうして床の間の前に置いたスポーツバッグの横に受け取った宅配便の箱を置き、バッグを開けて例の昨夜、突然この部屋に出現したを取り出した。


「こいつに見覚えがありませんか」

 と、奏は長めの柄を持つそのを、床の間の上に横たえた。


 刃の部分はタオルにくるんであるものの、田辺はぎょっとした顔をした。


「何ですか、それ」


 奏は刃の部分をくるんでいたタオルをほどいた。

 微妙に湾曲した刃は不吉な鈍色にびいろをしている。


「見ての通り、ですな。夜中にこの部屋に急に現れたんですよ」

「へっ?! これがですか?」

「そうです」


 田辺は怪しんだらしく確認するように皆月のほうを見たので、皆月は頷いてみせた。


「いやでも、どういうことっすかそんな……」

「若島さんの奥さんは、縄がとおっしゃっているんですよね?」

 奏が探るように田辺を見る。


 田辺は、

「はい。いや……でも、見覚えはありません……それ、うちの旅館のものかどうかは、あっ、でも、竹灯籠たけどうろうはここで古くから働いてる爺さんの従業員が山から竹をってきて手作りしてるんですけど、僕も手伝いに駆り出されたことがあって、そん時、を使ってたような……」

 と、なんとか思い出そうとするように目をきょろきょろさせた。

「ただ、それと同じ物かはわかりません。がどんなのかなんて注意を払っていなかったんで……」


「普段、がしまってある場所はどこかわかりますか?」

「知ってます。納屋にしまってあって、でも納屋のある場所けっこう遠いんですよ。僕、これから新館のフロントに行かなきゃで」


「我々は朝食をとったら今日は町に下りる予定です。夕方までには戻ります。我々が帰ってきてからで構わないので、がちゃんとしまってあるかの確認をしていただいてもいいですか? 田辺さん、今日は何時まで勤務ですかね」

「早番で昼すぎまでのシフトだけど、僕はここに住み込みなんで大丈夫っすよ。あの、ここってほんとに何か……あるんでしょうかね」


 それはこっちが訊きたいのである。


 奏はダメ押しのように、田辺に五千円札を渡した。

「我々もそれを知りたいと思っているので、ぜひ協力を。できればほかの従業員の方たちにも話を聞きたい。謝礼はします。何人か話をしてくださりそうな方を夜までに集めていただけないですか」


 田辺は紙幣を見てあからさまに嬉しそうに目を輝かせてから、

「あっいや、そんな、」

 と言いかけたが、奏は素早く彼の手にそれを握らせた。

「そちらにご迷惑はかけません。私はちょっとしたオカルト好きでして。ほんの好奇心ですから。ただ、部屋に急にがあったのには驚いたし、ここに何かがあるならぜひ謎を解明したい」


 田辺は、一瞬ためらってから……あるいはためらった振りをしてから……頷いた。

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