第18話
「こんばんは、おお、使用中のところお邪魔致します」
入ってきたのは、五十代になるかならないかの年齢に見える小柄な男性だった。
ビートルズみたいなマッシュルームカットで丸い眼鏡をかけ、紫色のシャツの上に赤紫色のコーデュロイジャケットを着て茶色と黄色のチェック柄のズボンを履いている。足元はピカピカの白いエナメルシューズである。
男性はぺこぺこ頭を下げながらこちらに近づいてきた。
「ご挨拶が遅れましてすみません。町の温泉組合の寄り合いがあったもんで……。
「ここのご主人だ」
と、奏は皆月に耳打ちしてから、立ち上がった。
「
チェロを弾いていたせいではだけまくっていた浴衣と丹前を整え、相手に握手を求める。
「おおお、やはりチェリストの方は握力が強いですね」
と、若島と名乗ったこの旅館の館主は奏と握手して感動したようだった。
実際、奏の握力は強い。学生の頃は飲み会の余興で片手で林檎を握り潰したりしていた。
ただし、奏の場合は握力だけでなく力が強い。
若島がちらりと皆月を気にしたタイミングで、
「これは私のマネージャー兼友人で
と、奏が紹介した。
マネージャー兼友人って何だよ、と、皆月は奏を素早く
若島は寄り合いで飲んできたようで、酒の匂いがした。もっとも奏と皆月も夕食についてきた
「メールでもお話ししましたが、二日前から前乗りさせていただいたのはせっかくのみちのくですから温泉や観光も楽しませていただきたいと思いまして。明日は一日、自由にさせてもらって明後日土曜日の午前中にリハ、午後一時から開演というスケジュールに変更なしで大丈夫でしょうか?」
「勿論です。まあ、ご覧の通り私が趣味でやっているような小規模なホールでして。気楽にやってください。いやあしかし飛鳥井さんのような全国区のアーティストに来ていただけて、光栄です」
と、若島は機嫌よく言った。
「小規模なりにいちおう音響と照明の機材はありますが」
「照明はリハの時に確認させてください。この規模ならマイクは必要ないです。ステージの床材がいいですね。エンドピンからよく音が響く」
「やはりわかりますか!」
と、若島は目を輝かせた。
「けっこう奮発したんですよ。この音楽ホール全体も、解体された古民家から木材を再利用してまして、まあ、私の趣味なんですがそれなりに凝ってます」
奏はにこにこして聞いている。
皆月は風呂に行きたいので、場を辞するタイミングをはかったが、主人は話好きのようだ。
奏も話を続ける。
「しだれ桜や
「ああ、桜子と!」
若島はなぜか少し目を泳がせた。
「お茶を出してくれましたよ。旧館のロビーで桜の絵を描いていました」
「ああ……」
若島は作り笑いのような表情になった。
「桜子は少々、変わっとるんです。
奏は何かもっと主人から情報を聞き出そうとしていると皆月は感じた。
しかし、若島は一転して気弱げな様子になり、
「それじゃあ、練習の邪魔になりそうですし、私もちょっと仕事が残っているので……リハ前に何か打ち合わせなど必要なことがあるようでしたらいつでもフロントに電話してください」
と、言い置いて、そそくさと出ていってしまった。
ドアが閉まると、奏は腕を組んで皆月を見た。
「何かあるよな?」
「……だな」
皆月も、これには同意せざるを得なかった。
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