流れ込んだ羽

未 詳

最初は向こう側

もがくたびに音を立てるこの空間は、もはや心地よく思えてきた。




春に一人暮らしを始めた。

大学に通うために故郷から200キロほど離れた見知らぬ土地にやってきた私を、夜と不安が容赦なく襲った。


最近鍵を変えた。前の住人が鍵を返さずに引っ越してしまったからだ。


最初に聞いたときは背中が凍り付いた。


女の一人暮らしをする部屋にそんな欠陥があってはたまらない。すぐに鍵の交換を申し出た。


予算は危なかったが、ついでにオートロックも取り付けた。


最寄り駅から徒歩10分の二階でワンルーム、もともと家具や服が多くなかった私にとっては好条件だった。



少しずつ帰り道の遠回りや近道を把握し始めたころ、外は豪雨やカンカン照りな天気を繰り返していた。


ニュースを見るたびに真夏日、灼熱といった言葉が目に入る。


こんな日には外に出ないに限る。


大学がない日はバイトのシフトを夜側に入れて朝から夜まで本を読んでいた。


日が沈みかけたころ、リフレッシュのためにシャワーを浴びた。


浴室を出て、ベッドの上に置いてあったジーンズに手を伸ばした。


その時、つけっぱなしにしていたテレビの中継が目に入る。


報道の内容に特に違和感はない。しかし、どこか空が変だ。




いつも見る江の島の景色に、点描画のように黒い穴が見えた。


しかし、テレビの中のアナウンサーは「雲一つないきれいな夕焼け」と言っている。30秒ほど気を取られて、首を傾げた。


すると、映像の中の黒い穴が魚群のようにグネグネと動き始めた。


左右にいじられるように数秒動いた後、それは蜘蛛の子を散らすように霧散して中継カメラから姿を消した。




...なんだったのだろう。

気には留めつつ、手元でバイトの準備がそろった。鍵を持っていつもより少し早めに家を出る。家を出てから降りる階段には、いつも寝てる猫がいなかった。


スーパーの品出しバイトはいつもよりも少し忙しかった。


レジの対応に追われていると、すぐに自分が担当のレトルト商品の棚が切れてほかの人に報告されることが多かった。


休憩もまともにできず、帰りは余った総菜をもらって帰った。帰っても食べるものは無いのに、それを食べる気にはならなかった。


湯舟を沸かし、その間に寝間着をベッドに投げ出した。

日はどっぷりと夜に漬かっていた。


風を浴びたくなって、バルコニーのカーテンを開けてみた。


外は暗いが、まだまだじめっとした暑さが残っていそうだ。夜風はもう期待できない。


ガラス越しに空を見上げた。バイト前のニュース中継で見たあの物体を思い出した。


買って早々にテレビが故障でもしたのかと、テレビをつけた。


バラエティー番組が映った。ひな壇と反対側にいる弁護士の人たちが、現代でも男女間で論争のある倫理観についての話をしていた。


これといってテレビに異常は見えなかった。

バイトに対する嫌悪感の現れだったのかもしれないと、肩で大きく息をついた。



湯舟の様子を見に行かなければ、そろそろあふれてしまったかもしれない。






浴室のドアを開けた。



浴槽に水は張ってなかった。




代わりに、紺色の羽が大量に湯舟を埋め尽くしていた。


「なに...これ...」


思わず後ろに下がった。


紺色のふわふわした浴槽の水面は、知らぬ顔をするようにそこにいた。


突然、浴槽の底から何かがひっかくような音がした。


怖くなって、ブラシを構えた。


羽の水面がもぞもぞと動き出した。


ブラシを振り上げた。




振り下ろそうとしたその瞬間、

羽の中から、大人のツバメが一羽、顔を出した。


赤い顔から突き出た黒いクチバシと、その横についた鋭い目が私を見つめていた。


突如、羽の水面をぼこぼこと泡が湧き出した。

その泡からは大小さまざまなツバメが湧き出てきた。


全員が私を見つめており、我が家の浴場は妙な緊張感に包まれた。



ブラシを持った腕の力が抜けた。



右手の人差し指で1番近くのツバメの顔を横から触ってみた。


ツバメは顔をしかめた。


ツルツルしていて、作り物ではない。


ブラシを置き、両手でツバメを掬った。


ツバメには足が無く、私の手の上でゆらゆらと揺れていた。






「ピーッ!」



私の手に乗ったツバメが鳴いた。


全てのツバメが羽を広げ、私に向かって飛びかかってきた。


ツバメたちは、私の服や皮膚関係無くクチバシで噛み付いてきた。


その小さな体から出来るとは思えない力で私の全身の服を破き、皮膚を引っ張った。


私は腕を振り回し、壁に体をぶつけながら必死に抵抗した。


火事場の馬鹿力というものだろうか、ふと私は1羽のツバメを掴んだ。


そのまま痛みを晴らすように握り潰した。



ぶちっ



ツバメは三日月切りのレモンを絞ったように、簡単に形を変えて動かなくなった。


ほかのツバメ達はそれを見て動きを止め、唖然としていた。


手の中のツバメを放し、地面に落とした。



べちゃっ



落ちた肉から血は出なかった。


それを見たツバメ達は、攻撃を再開した。


既にボロボロだった私の体は、傷が広がり、血が滴っていた。


今度は数羽を一気に体から引き剥がし、踏み付けた。


先程と同じ音をたてて潰れた。


鳴き声など最初の1羽以外持っていないのだろうか。


私とツバメ達は、もう止まらなかった。


ツバメは数々の仲間の死を横目に、ひたすら私の肉を鍔んだ。


私は体からツバメを毟っては潰し、投げ、叩き、壁に体をぶつけ、それでも目の前はツバメでいっぱいだった。





ようやく目の前が開けてきた。


体の隅々を噛んでいたツバメを落とした。


近くにあった風呂桶で、次々に潰していった。





一通り潰した。


ツバメの折れ曲がった体だけで、浴室に山が出来ていた。


浴室のドアノブに手をかけた。


洗面所に入ろうとした瞬間。目の前が真っ暗になった。


誰かに袋を被せられたようだった。


スラスラと手足を落とされていく。


脳天にワイヤーを刺された。


その穴から体のバランス感覚が抜け落ちていく。


一気に体が崩れ落ちた。


浴室のドアに縋るように倒れたところで、私は頭を落とされた。






目を覚ますと、感覚が戻っている。


私の頭部は箱の中に入っており、プラスチックパッケージ越しに外が見えた。


外には商品棚が映っていた。


私と同じように、頭部だけを飾られていた。


私達が入っている箱は様々な文字や色がついていた。


「快楽」「濃厚」「極上」


私の箱もきっと同じようなことが書かれているのだろう。


ふと、目の前を同年代くらいの男性が通った。


1度通り過ぎたあと、後ろ歩きでこちらを見つめながら戻ってきた。


口を抑えて5秒ほど固まった後、私の箱を掴んだ。


脇に抱えられた。


灰色でコンクリの地面を早歩きしていった。


カートにも通さず、直接レジで私を購入した

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流れ込んだ羽 未 詳 @ginta_ooyama

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