第一章:東方「青龍」圏へ3

3. 房宿・心宿の芸術と人心掌握

 陽州の混乱が収まり、街に平穏が戻った数日後。蒼藍たちは次なる星宿の気配を追って、さらに南に広がる大都市蓮花(れんか)へと足を運んでいた。

 蓮花は芸術と娯楽の都と呼ばれ、街の中央には巨大な劇場「華月座(かげつざ)」がそびえ立つ。蒼藍は劇場に漂う“星の気”を感じ、視線を向けた。

「ここにいる。二人、いるはずだ」

 千佳は劇場前に群がる人々に目をやった。

「こんなに人が……今日は特別な演目があるのね」

 そこへ、角が呟く。

「なんだか、不自然な感じがする。全員が同じ顔をしてる……うっとりしてるっていうか、酔ってるみたいな」

 確かに、観客たちは目を潤ませ、微笑を浮かべたまま劇場に吸い込まれていく。誰もが夢を見ているようだった。

 蒼藍は周囲に警戒しながら、劇場の裏手にある関係者入口へと回り込んだ。すると、衣装係の少女が何かに怯えるように出口から飛び出してきた。

「やめたほうがいい……! 房様は、何かに操られてる……っ」

 少女はそれだけを言い残し、駆け去っていった。

 “房”という名に、蒼藍は確信する。

「房宿が……ここにいる」

 劇場の奥では、美しい舞台が繰り広げられていた。黄金の衣を纏い、絹の布を舞わせて踊る美青年——房(ぼう)。彼の踊りは幻想的で、観客たちを完全に魅了していた。

 だが、よく見れば、その目は虚ろだった。房は心のどこかを閉ざしたまま、完璧な演技を繰り返していた。

 蒼藍たちは舞台の裏へと忍び込み、房の楽屋にたどり着く。

 楽屋の鏡の前、房は自らの顔に化粧を塗っていた。彼は背後の気配に気づき、薄く笑う。

「来たのか。君たちが“星宿狩り”の連中でないことは、すぐにわかったよ」

 千佳は一歩前に出て、真剣な声で問いかける。

「あなた、何かに縛られてる。観客を操ってまで、何のために?」

 房の笑みがわずかに歪む。

「……僕の舞台は、人を癒す。だけど、今の僕の踊りは“術”に過ぎない。舞台主が……僕の力を利用してるんだ。観客の“心”を弱らせ、別の者がそれを吸い取っている」

 そこへ、楽屋の扉がゆっくり開いた。

 赤い衣の男が立っていた。全身から冷たい気配が漂っている。

「房、余計なことを喋りすぎだ」

 その男が指を弾いた瞬間、房の瞳が苦しげに歪み、膝をつく。

「くっ……また、あの……声が……!」

 男の足元から、黒い煙のようなものが立ち上る。煙はまるで触手のように房に絡みつき、意識を蝕んでいた。

「心を操る力……これは、心宿の力の応用……」

 蒼藍は剣を構える。

「お前は心宿か?」

 男は笑う。

「俺の名は灘(だん)。心宿と同じ力を持って生まれたが、その力を憎まれて捨てられた。だから俺は“奪う”ことにしたのさ。感情も、意識も、魂さえも」

 そのとき、扉の影からもう一人の少女が現れた。

「灘……やっぱり、あなたがやっていたのね」

 少女は静かな瞳で、部屋に歩み入る。青い帯を締めた巫女装束のような衣を纏い、優しい声を発する彼女が——心(しん)だった。

 灘は目を細める。

「来たか……俺と同じ力を持ちながら、それを偽善に使う哀れな女」

「あなたの痛みも、怒りも、私にはわかる。でも、そんなやり方じゃ……誰の心も救えない」

 灘が手をかざす。黒い煙が心へと伸びた——が、その瞬間、彼女はまるで風に溶けるように姿を揺らがせた。

「なっ……!? 幻覚……?」

 心が手をかざす。

「あなたの心を、私が見る」

 次の瞬間、部屋全体が光に包まれた。

 心と灘の精神が交差し、心は灘の過去を“感じ取った”。

 孤独、憎しみ、捨てられた記憶——

 千佳が心のそばに駆け寄り、手を握る。

「帰ってきて、心!」

 心はうっすらと微笑み、灘に向き直った。

「あなたの力は、本当は人の心を癒せたはず。だけど、私はもう迷わない」

 心の力が解き放たれ、黒い煙が吹き飛ばされた。

 灘は絶叫し、そのまま崩れ落ちた。

 房も膝をついていたが、蒼藍が支える。

「……助かった、のか……?」

 千佳がうなずく。

「ええ、今度はあなた自身の意思で、人を癒せるわ」

 心も、頷く。

「私も、もう逃げない。心を読む力を、本当の意味で使いたい」

 こうして、房宿の舞踊家・房と、心宿の共感者・心が仲間に加わった。

続く

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