ツチノコの森

くまのこ

本文

 俺とイッチは、待ち合わせ場所にしていた森の入り口へ、ほぼ同時に到着した。

 強い日差しと湿度が生み出す、むせ返るような草いきれ、そして元気にも程があるだろう蝉の声に、今が真夏だということを思い知らされる。


「まさか、地元の町で、ツチノコに賞金掛けてたなんてな」


 イッチが、いつもの陽気な口調で言って笑った。

 こいつは高校の同級生で、俺との付き合いは小学生時代から続いている。

 そのTシャツ越しにも分かる筋肉質な体型は、俺とは対照的で、見るからに疲れ知らずという感じである。

 俺自身は、絵に描いたようなヒョロガリのインドア派だ。何もなければ、こんな暑い日には外出するなんて発想すら生まれず、冷房の効いた部屋で読書やゲームに勤しんでいるところだ。


「ちょっと、これ持っててくれるか」


 そう言って、イッチは片手に持っていた竿のようなものを俺に渡した。先端にはマジックハンドを思わせる爪が付いている。どこかから調達してきた、蛇捕獲棒――名前の通り、蛇を獲るための器具だそうだ。

 イッチの手には、ペットを持ち運ぶ用の結構大きなケージが残っている。


「イッチの家に、ペットなんかいなかったんじゃ?」

「はは、近所の人が、もう使わないって言ってたから貰ってきた。捕まえたツチノコの入れ物だ」

「ツチノコなんて、ホントにいると思ってるの? 結局は誰も実際に捕獲とかできてないんだよ」


 ツチノコとは、昔から日本に生息すると言われている、いわゆる未確認動物U M Aの一種だ。見たところは太くて短い蛇のような生き物で、鳴き声をあげるとか高くジャンプするといった、普通の蛇には見られない特徴がある……というのは、俺が子供の頃に読んだオカルト系の本に書いてあったことだが。

 俺たちの住む町がツチノコに賞金を掛けているなんて、イッチに言われるまで気付かなかった。町興まちおこしの一環らしいが、もう少し他にやれることがあるんじゃないかと思う。


「だから、二千万円も賞金が掛かってるんだろ。もちろん、山分けだからな。さ、行こ行こ」


 俺の否定的な言葉など意に介さない様子で、イッチは森の奥に向かう道を歩き出した。

 かつて一つの集落に繋がっていたが、過疎化で集落がなくなると共に使われなくなった道は、人の手が入らない為か、周囲には雑草が生い茂っていて、半ば獣道けものみちのようだ。

 子供の頃に「危険だから入るな」と言われていた場所に足を踏み入れるのは、ほんの少し背徳感がある。

 この森では、昔から何度かツチノコの目撃時報があるということから、イッチも今回の捜索場所に選んだという。

 イッチの背中を慌てて追いながら、自分たちが昔から何も変わってないなと、俺は思った。

 小学校高学年になった頃、転校生として俺のクラスに現れたイッチこと壱郎いちろうは、その頃から体格が良くてスポーツ万能、性格も明るく真っすぐで、あっという間に人気者になった。

 いじめっ子の目につかぬよう、教室の隅っこで目立たぬようにしていた俺には、彼の存在が眩しかったし、はなから住む世界が違うと思った。

 しかし、たまたま席が隣同士になった縁で俺はイッチと親しくなり、いつの間にかニコイチみたいな扱いを受けるようになった。

 本を読むのは好きで頭でっかちだった俺と、好奇心旺盛なイッチとは、どこか通じるものがあったのかもしれない。

 鈍臭どんくさくて運動は苦手な為、性格の悪い連中からいじられがちだった俺だが、イッチとつるむようになってから、そんなこともなくなって快適に過ごせた。

 正直言うと俺は爬虫類が苦手だし、他の奴の誘いなら、今回のツチノコ捜索なんて断っていた。しかし、イッチからの誘いは、断るという選択肢が浮かばなかった。

 俺自身はツチノコが獲れるなんて思っていないけど、こいつと一緒にいるのは楽しいのだ。

 足取りも軽く歩いているイッチの後を、ふうふう言いながら追っていた俺は、突然、太い木の根のようなものに足を取られて転んだ。

 俺が転んだのに気付いて、イッチが振り返る。


「おい、大丈夫か。お前、昔から、よく何もないところで転ぶよな」


 笑いながらも、イッチは手を差し出してきた。


「いや、ここに太い木の根か何かが……」


 俺は、イッチに助け起こされながら地面を見たが、確かにあると思った木の根は見当たらなかった。

 変だなと首を捻った俺は、イッチの背後、少し離れた木の陰で、何か毛むくじゃらの生き物が俺たちを見ているのに気付いた。


「イッチ! うしろ! うしろ!」


 慌てて生き物を指差した俺を見て、イッチが背後を振り返るのと同時に、毛むくじゃらの何かは木の陰に隠れるようにして姿を消した。


「ツチノコ、いたのか?」

「いや……な、なんか毛むくじゃらの……結構でかい……動物?」

「熊か……? この辺りって、熊はいない筈だけどな」


 イッチが首を傾げている傍らで、俺は動悸の治まらない胸を押さえていた。

 木の陰から俺たちの様子をうかがっていた生き物は、ほとんどシルエットしか分からなかったものの、二本足で立っているように見えた。

 二足歩行の生き物と仮定した場合、そいつの身長は、180センチ近いイッチとほとんど変わらないくらいだと思われる。

 俺が強い恐怖を感じたのは、あの生き物の目に、人間以外の動物にはない知性のようなものを感じた為だ。


「熊っていうか、どっちかと言えば、野人やじんとか、ビッグフットとか、ヒバゴンとか、そっち系統みたいな?」


  未確認動物U M Aなどというものは「どうせ存在しないんだろうけど」と思いつつ楽しむ分にはいいが、身近なところに実在するかもしれないと考えると、途端に気味が悪くなった。

 俺は自分でも突拍子のないことを言っていると思ったが、イッチは馬鹿にするでもなく、ふむふむと頷いている。


「あ~、ガキの頃、お前が読んでた本に載ってたよな、そういうやつ。でも、野人やじんとかヒバゴンじゃ捕まえても賞金出ないよな。とりあえず、もうちょっと行ってみようぜ」

「気にするところ、そこなの?」


 漫才のようなやり取りをしながら、俺たちは森の中の道を歩いていた。


「イッチは、賞金貰ったら何に使うの?」


 俺はイッチに問いかけた。


「そうだな、海外旅行なんてのもいいな」

「一千万円あれば、飛行機もファーストクラスに乗れるね」

「そこまで贅沢じゃなくていいけど、世界一周くらいできるだろ?」

「世界一周……」


 海外どころか東京にすら行ったことのない俺にとって、世界一周という言葉だけでも眩暈めまいがしそうだった。


「俺は、とりあえず貯金……かなぁ」

「ケンジツだな。でも、お前らしいや」


 そう言ってイッチが笑った時、近くのやぶから葉擦はずれの音が聞こえた気がした。

 俺とイッチは音のしたほうへ目を向けた。

 葉擦はずれの音が徐々に接近してきたかと思うと、草の間から蛇のような生き物が這い出してきた。

 蛇っぽい鱗に覆われた手足のない身体は、頭から尻尾の先まで30から40センチ程度と短いものだが、ビール瓶ほどの太さがある。

 そいつは、俺たちの顔を見上げると、チーとかキーとかいう鳴き声をあげた。

 

「イッチ、こ、これ、ツチノコ……かも!」


 一瞬、驚きで思考停止していた俺は、我に返って言った。

 はっとした様子を見せたイッチが、手にしていたペット用ケージを地面に置いた。

 彼は俺が持っていた蛇捕獲棒を取り上げ、先端の爪部分で素早く「ツチノコ」の首の辺りを挟んだ。


「ケージの蓋を開けてくれ」


 イッチに言われて、俺は慌てて地面に置かれていたケージの蓋を開けた。

 逃げ出そうと身をよじっているツチノコをケージに入れ、蓋をしっかりと閉めた俺たちはガッツポーズをした。


「すげーな! まじで獲れるなんてさ」

「いや、もしかしたら餌を食べたばかりの蛇かもしれないし……でも、普通の蛇は鳴いたりしないよね」

「どう見ても変な生き物だよな。ま、だいぶ奥まで来たし、一旦戻ろうぜ」


 俺たちは、思わぬ収穫にスキップしそうになりながら、もと来た道を戻ることにした。

 少し歩いた頃、再びやぶの中から葉擦はずれの音が聞こえた。


「おっ、二匹目か?」


 きょろきょろと周囲を見回して、イッチが言った。

 しかし、今度は、ツチノコよりも、もっと大きな何かが移動している音のように思える。

 不意に、がさり、という音を立て、大きな何かが俺たちの前方に立ち塞がった。

 大柄なイッチと同じくらいか、少し大きな体格の、真っ黒い人間……いや、全身が黒い毛で覆われた生き物だ。強いて言えば、その顔は猿やゴリラに近いもののように見える。やや前屈みになった姿勢も、猿の仲間を思わせた。


――こいつ、行きで俺がチラッと見た奴では……!


 目が合った――と思った瞬間、毛むくじゃらのそいつは、吠えながら俺に飛びかかってきた。

 大きく開いた口の中には、明らかに人間とは異なる尖った犬歯が見える。

 ここは、奴の縄張りなのかもしれない。俺たちに害意がなくても、向こうが敵と認識しているのであれば攻撃の対象になるということだろう。

 相手の動きはスローモーションの如く見えるのに、自分の身体は全く言うことを聞かず、俺は、ただ立ちすくむばかりだった。

 だが、奴の手が俺に触れるかと思った瞬間、両者の間にイッチが割って入った。

 そのまま、イッチは毛むくじゃらと両手を組み合わせ、プロレスの力比べ――「フィンガーロック」というらしい――のような体勢になった。


「お前は逃げろ!」


 毛むくじゃらの動きを封じながら、イッチが叫んだ。


「で、でも……!」

「俺が持ちこたえてる間に、早く行けっ!」


 スポーツ万能で力も強いイッチだが、その顔からは普段の余裕が消え、必死の形相だ。

 

――ここで逃げないと、イッチの頑張りが無駄になる……だが、友達を置いて自分だけ逃げるなんて……


 迷いで動けずにいた俺の目に、地面に転がっているケージが映った。


――猿の仲間は本能的に蛇を嫌うと本で読んだことがある。毛むくじゃらが猿の仲間だとしたら……


 俺は、これまでの人生で最も素早い動作でケージに飛びついて蓋を開け、中に入っていたツチノコを掴んだ。

 普段なら、蛇に素手で触るなんて考えるだけでも嫌だが、そんなことを言っている場合ではない。


「この野郎!」


 俺は、ツチノコを毛むくじゃらの顔にぶつけるつもりで投げた。

 しかし、力が入り過ぎていたのか、ツチノコを遥か手前の地面に叩きつけてしまった。

 声にならない悲鳴をあげた俺の前で、ツチノコが唐突に高く跳躍した。

 凄まじい勢いで、ツチノコは毛むくじゃらの顔面に突っ込んだ。

 顔面にツチノコのタックルを食らった毛むくじゃらが不快そうな声で吠えて、イッチの手を振りほどく。

 ツチノコに触れられたのが余程イヤだったのか、奴は何度も両手で顔をこすりながら森の奥へと走り去っていき、やがて、その姿は見えなくなった。


「大丈夫か?!」


 俺は、尻餅をついた格好で座り込んでいるイッチに駆け寄った。


「助かった……あと二秒遅かったら、ヤバかったな。何とかなると思ったけど甘かったわ。凄いな、お前は」


 立ち上がったイッチが、頭を掻きながら笑った。


「いや、ツチノコがジャンプしてくれたお陰だよ。ただ逃げようとしただけだろうけど」


 自分の無様な投擲とうてきを思い出し、苦笑いしていた俺は、ふと重要なことに気付いた。

 

「あ、ツチノコ、逃げちゃったかな」


 俺は慌てて周りを見回したものの、ツチノコは、とうに姿を消していた。


「ごめん……せっかく捕まえたのに」


 しょんぼりしている俺の肩に、イッチが手を置いた。


「ツチノコがいるのは分かったんだから、また来ればいいだろ?」


 おおらかに笑うイッチの顔を見て、俺は小さく息をついた。こいつは、やはり良い奴だ。

 ただ、あの毛むくじゃらと再会するのは勘弁して欲しい。

 と、夏場の動物園を何倍にも濃縮したような異臭が鼻を突く。

 においの発生源は……さっきイッチが触れた俺の肩だった。


「うわあああ! て、手がせええええ!」


 一方、イッチは自分のてのひらを見つめ、悲鳴のような声をあげている。


「さっき、あの毛むくじゃらと思い切り手を握り合ってた所為か? 洗ってない犬の何十倍もせぇ! 目にみる!」

「まぁ、あいつが風呂に入ってるとは思えないからね……」

「ああ、もう、さっさと帰って風呂に入りてぇ!」

「そうだね、家に戻ろうか」


 涙目になっているイッチをなだめて歩きつつ、今日の出来事は、ちょっと面白かったかもしれない、などと俺は思った。


【了】

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