08話 “SUSPEND”

「なんで追われてんの俺たち!」

「しらないよ!」

 雨の降らないコロネでは電動カーは基本ルーフのないオープンカーなので会話する声も自然と大きくなる。

「逃げられそう?」

「俺は子供のときレースゲームを1200時間やった男だぞ。楽勝!」

 その大口に違わず、カケルは一本のアームで器用にハンドルを操作した。でもシートベルトで固定できない彼の身体は小道を曲がる度に左右に揺れて運転しにくそうだ。相当がんばって無茶な運転をしているみたいなのに警備部の黒い車はぴったりとモネたちの後ろについてきた。特別にスピードの出る車なのかもしれない。


(( 前の車、逃走をやめて脇に止めなさい ))


「カケル、もう少しスピード出せないの?」

「目一杯だ!速度制限機能リミッターがあるしタイヤと地面はマグネットで引き合っているから。俺のドラテクでも全然撒けない」

 このままでは捕まってしまうのは目に見えていた。なら、いちかばちか。

「ちょっと試したいことがあるから近くの循環路に入って」

「おうさ!」

 循環路はベニエの円周方向に走っている道路で、輪っかのように筒を一周しているエンドレスな直線だ。

「どっち方向だ!?」

「回転の反対方向!」

 コロネの回転に逆走するように道路を走る。見通しの効く直線になったからか、黒の車はより一層モネたちに近づいてくる。四角い車両でめずらしくルーフがついていて、そのてっぺんには赤い警告灯が点滅している。


 ・・いい子でいてね


 ひとつ念じてから、モネは胸元のシートベルトから手を離し電動カーのコンソールにそっと手のひらで触れた。つながった感覚を待って次は目を瞑る。遠慮がちに探った暗闇の先にちいさな星々が瞬いていた。


 これじゃない・・・これでもない。

 無数の星が降ってきては通り過ぎていく。

 星座を辿って星と星のあいだに意味を見いだす。

 あった、きっとコレだ! 心の中の手で星を押す。


「わわわ!」

 カケルの慌てた声が耳に届く。背中が押されて、車の速度が上がったことがわかる。

「なんか急にリミッターが解除されたんだけど!」


 よし!


 モネはびっしょりと汗をかいていることに気づいた。をするといつもすごく疲れてしまう。スピードが上がって安心したのも束の間、黒の車もさらに追いすがってきた。


(( 速度超過を確認、きさまらを改造車と認識した。これから実力行使に移行する ))


「どうする!?やっぱだめだ!」

「カケル!諦めずにそのまま直進して!」


 上がっていく車速。授業で習ったことが確かなら・・!


 みるみる車間が詰まる。4m、3m、2m。黒い車の両脇から大きなアームが飛び出し、こちらの車体を挟み込もうとした。その瞬間、モネは声に出して電動カーに命令を出した。


「マグネット、オフ!」


 お腹の下のほうがくすぐったく笑った。


「えっ浮いてる!?」

 タイヤが地面にお別れを言い、みるみる距離を開けていった。からだを揺らしていた走行音も消え失せている。空に浮かび上がったモネたちの車の直下を、真っ黒の車が駆け抜け、通り過ぎていく。ルーフがあるせいでどうやらモネたちを見失ってくれたようだ。


「やったぜ! コロネに逆走して遠心力をキャンセルするなんて考えたな!」

 モネとカケルは空中でハイタッチ。数秒、高い場所から街を見下ろす。あるのは風を切る音だけ。先ほどまで雨が降っていたらか、眼下の屋根たちはきらきらと輝いていて美しかった。


 あ。


 空気抵抗で再び地面に近づきはじめる車。シートベルトが不完全なカケルは運転席からこぼれて空中にむかって遠ざかっていく。

「手を!!」

 無意識に叫んだモネ。精一杯伸ばしたカケルの1本アーム。


 届かない!?

 掴み取ろうと、モネは自身のシートベルト解除ボタンに手をかけた。

「やめろ!バカ!」


 呼吸がとまり、音が消えた。ゆっくり回転するコロネの人工照明と地面が交互に視界に入る。近づいていくカケルの3つ指ハンドとモネの手。まるで宇宙船のドッキングみたいに、確かに、静かに近づいて、ひとつの物になった。

「いっしょに地球、いくんでしょ!」





 同時刻。ヤマネの自宅。


 1000万G


 目が眩むほどの大金が、自身の端末に振り込まれていることをヤマネは信じられない面持ちで眺めていた。つらくてすぐに辞めてしまったバクテリア繁殖の仕事は月に23万。清掃の仕事をやっていたときの月収が18万Gだからその金額の大きさがよくわかる。


 最初はただの趣味の延長だった。友人が喜んでくれたからと続けていたアニメ制作は、カケルから買い取った素材で大きく化けた。コロネでは入手不可能な絵の素材を、あの四角頭の掃除機はいとも簡単に量産した。動画生成AIの万年亀がその素材を食べるたびに新しい世界の扉が開いた。

 彼が何者なのか興味はあったけど、深く詮索はしなかった。ヒトのように流ちょうに話し、旧時代の知識を持ち、絵まで描ける掃除機。どうせ法の外の存在だ。知れば知るほどこちらが危うくなる可能性があった。


 一方、持ち主のモネは扱いやすかった。

 少額で家事をやり、作った動画の配達もやってくれた。公共ネットを使うと足がつくからとネットを介さない物理的な方法で販売する必要があったから、まさに渡りに船だった。

 万が一にもヤマネ自身で動画を配達するわけにはいかなかった。なぜならデビューしてしまうと顔写真が管理部に登録されてしまい、街中の監視カメラで検出可能になってしまうから。デビュー済のヤマネが自分で動くのはリスクがあった。逆に言えば、そこまで気にする必要があるくらい動画の内容はコロナ市民にとって刺激的だった。


 美しい景色、大きく揺さぶられる感情、暴力的な表現。コロネ市民が、いや、世界戦争を生き残ったすべての人類が嫌悪すべき負の遺産。なのになぜこんなにも魅かれるのだろう。実際に、この動画たちは作れば作るほど飛ぶように売れた。まるで麻薬だった。


「大活躍の二人に売上の2割も渡さなかったのは我ながらケチだったかもな。ただ、アニメを作っているのは僕なんだから取り分が多いのは当然。この奴隷船みたいなコロネを脱出して、僕は月に行く」

 いくら為替で不利といってもコロネの独自通貨であるガエタンから国際通貨に換金しても余裕で2年は過ごせるだろう。つまりどこへだって行ける。何にだってなれる。この金があれば。そう考えるとヤマネは興奮を抑えきれなかった。


 タイミングよく月を経由して地球までいく船がもうすぐコロネから出る。チケットも予約した。しばらく月でゆっくりして、そのあいだに次の仕事を探せばいい。なにも問題ない、なにも心配などない。僕は道端の石ころから一転して選ばれし者になる。


 ふいに玄関のチャイムが鳴る。今日はもうあの二人が訪ねてくる予定はなかったけど、忘れ物でもしたんだろうか。以前は存在すら忘れていたチャイムだが、ここのところ毎日鳴るようになってひさしい。ヤマネは訪問者を確認するまでもなく玄関のドアを開けた。


「ヤマネ・チヒロだな。危険思想、反社会的なメディアを拡散した容疑で拘束する。ガエタン船長の命令だ」


 目の前には白いジャケットを着こんだ屈強の男たちが並んでいた。大変な事態なはずなのに頭が痺れて言うことをきかない。

「どうした。おとなしくついてこい」

 ハッと我に気づいて踵を返す。廊下に向かって駆ける。こんなときのために万年亀には消去モードを組み込んでいた。亀の甲羅の一部、そのボタンさえ押せれば、100分の1秒という瞬きの時間ですべての集積回路を焼き切り証拠を隠滅することができる。


 後ろに向かって走るヤマネの背中を、男の腕が空振りした。勝った! ヤマネはそう確信した。

 証拠不十分でこの場を乗り切れさえすれば、個人の財産に介入されることなくコロネ外に逃げ切ることができる。


「強制抑制モード送信」


 背後で声がした瞬間、視界にオレンジ色の華が咲いた。 あれ? 足が絡まる。

 ヤマネはゆっくりと膝をつき、廊下から自室に入ったその場で崩れ落ちた。目の前には万年亀。腕をのばすだけで手が届くその距離だ。


 何をしてたんだっけ。こんな僕に彼らみたいなエリートを振り切ることなどできるはずがないのに。


「手間をかけさせるな。デビュー後のお前たちに自由意志などあるはずがないだろう」


 脳内に灯っていた火が一斉に消え去ったのをヤマネは感じた。無能で虫けらな僕らはただ、地を這って生きるのみ。それしか取り柄がなかったのに、なにを高望みしてしまったんだろうか。

 失意の中でモネの笑顔が浮かんだ。眩しい、見るな、やめてくれ。これ以上、僕をみじめにしないでくれ。





「それが、だめなんだよねー」

 ゲート前に待機していた係員の表情は疲れていた。同じような質問を何回も受けているのかもしれない。

「えーっ!? せっかくベニエ5まで来たのに? そんなあ!」

 モネの不満顔は今にはじまったことではないけど今のカケルの気分も、さすがに「そんなあ」という感じだった。表情には出せないが。


 警備部の車を撒けたのはよかったがミンジュンに借りた車は着地の際に壊れてしまったので空き地に放置してきた。あとでどんな言い訳をしよう。「何もしてないけど空飛んだら壊れた」って言っても聞いちゃくれないだろうしなー。

 ともかく目的のチケットだけでも買いにいこうと周囲を気にしながらベニエ5に渡ったのは良いけど、港に続くゲートは予定にない封鎖中ときたらグチのひとつも出るというものだ。


「港に爆発物が設置されたって匿名の通報があったらしくてね。港に入る一般ゲートは全部立ち入り禁止になってるんだ」

「あたし、中で航空チケット買わなきゃなんですけど。今日までの販売期間で」

「ああ、今接舷しているボナン号かい? こう言っちゃなんだけど状況が状況だから出発も早まるんじゃないかなあ。まあ様子見てダメなら諦めてよ」

「そんな無責任なことって・・」


 言いかけた途中でモネの端末に着信が入る。表示を見るとミンジュンからだった。念のためゲートから遠ざかってから、カケルにも聞こえるようにハンズフリーにする。


「お前ら今どこにいる!?無事か?」

 聞いたこともないくらいミンジュンの声は切迫感に満ちていた。

「無事じゃないよ!チケットが買えなくって」

「そんなこと。こっちはそれどころじゃねえよ、管理棟に警備部の連中がなだれ込んで来やがった! 入り口に設置しておいた防犯装置のおかげで裏口からギリギリ逃げられたけど、これじゃしばらく戻れねえよ」

「はあ!?なに悪いことしたのミンジュン?」

 決めつけてかかるのもどうかと思ったが、よく考えなくてもヤツは密航者だ。

「バカ!最近は足がつきそうなことはしてねえよ。案外お前らじゃねえのか?」

「そういえばさっき黒い車に追いかけられて・・じゃなかった。えっとその話は今度にしよう。とにかく今夜どうしたら・・」

「どこか匿ってくれそうなツテはねーのかよ。ひとり暮らしでスネに傷もってそうなヤツはよ」


 ひとり暮らしでスネに傷持ってそうなヤツ。と聞いて頭に浮かぶのはヤマネしかいない。巻き込むのもどうかと思ったけど背に腹は代えられない。ミンジュンにも住所を伝えて、十分暗くなってから現地で落ち合うことにした。


 夜。ヤマネ邸。


 辺りを見回してからチャイムを鳴らすが、生活音のひとつも聞こえない。不審に思ったカケルが合図をし、モネがゆっくりと玄関ドアのノブを回した。

「鍵、掛かってない」

「不用心だな。とにかく入ろう。戻ってきてから事情話せば良いだろう」

 合流していたミンジュンも加えて、3人は部屋に入る。

「ひどい・・!」

 目の前に広がる光景は見たこともないくらいに荒れ果てていた。モネの悲痛な叫びも無理はない。ここ最近、定期的にヤマネ邸に通っていたから、元々散らかり放題だった部屋もモネの努力でピカピカを維持していたのだ。

 床には土足で歩いたような足跡があり小ぎれいに整頓した棚からは物がすべて落ち床に散らばっている。部屋の隅で存在感を発揮していた「万年亀」は持ち去られ、その場所は薄らと埃が積もっているだけだ。そしてどの部屋にも家主の姿はなかった。最悪の事態も頭をよぎったから、姿が見えないことにかえって安堵した。


「これはどう見ても警備部の家捜やさがしが入った後だな。カラマリテの部屋に最初にはいったときと同じだ」

「じゃあヤマネさん捕まっちゃったってこと?」

「そう考えるのが妥当だろ。なにをやらかしたんだ?ここに住んでたヤツ」

 ミンジュンが冷たく吐き捨てる。

「なに、なにって・・・アニメを作ってただけだよ」

 モネたちが手伝って制作・販売していたメモリーをミンジュンに渡す。ミンジュンは持ってきた端末でそれを見るとすぐにカケルたちを睨み付けた。

「こんなヤベーもの直接売ってたら捕まるに決まってるだろ」

「えっ!?」

「お前ら騙されてたんだよ。こんなコンテンツ、コロネで蔓延したら現状に不満を持つヤツがどれだけ生まれると思ってんだ。発禁ネタのオンパレードじゃねえか。いったいいくら握らされたんだよ」

「今日で、ちょうど200万G」

 ミンジュンは頭を抱える。

「なあミンジュン、俺たちどうしたらいいと思う?」

「見ろ」

 ミンジュンが端末画面を二人に見せる。そこにはモネの名前と、オフィニナにいた頃のやや幼い顔写真が掲載されている。

「デビュー前だから行方不明者として情報提供を促す内容だが、実質は指名手配だ。もうコロネ内でおおっぴらに歩けないと思った方がいい。お嬢ちゃんは誕生日を待たずに強制的にデビュー手術を受けることになるだろうし、まあカケルのほうは解体だな、最悪」

「そんな・・。なにかモネだけでも助かる方法はないのか?」

 カケルの必死の問いかけに、しばらくミンジュンは壁を見つめていた。

「ここのヤマネってやつの、なにか端末は残ってないか。探せ」

「そうはいってもこれじゃあな・・」

 アニメを作っていた亀とコントロール端末は持ち去られているのか見つからない。ヤマネ自身のIDが入った携帯端末はいつも身につけていたから、連れ去られたとあればこの部屋に残っていはいないだろう。


「あっ、ひょっとしたら、あたしひとつ知っているかも」

 モネがバスルーム横、掃除用具が押し込まれている小部屋に入る。部屋の隅においやられるかたちでヤマネが清掃業の仕事をしていたときの作業着が1着ハンガーに掛けられていた。モネは迷うことなくツナギのポケットをまさぐりはじめた。

「いちど洗濯しようと思ったことがあって、確かここに・・。あった!」

 取り出された携帯端末は傷がたくさんついていて清掃業者から貸与されたものだということがわかった。しばらく使われず電池が切れているのか電源も入らない。

「ひょっとしたら・・。貸してみろ」

 ミンジュンが自前の端末からケーブルを引っ張り、その携帯端末につないだ。

「ロックは掛かっているが・・・甘い甘い。ビンゴ!」

 なにやら文字列が列挙された画面を見せて自慢げにしているがカケルやモネには何のことだか理解できない。

「コイツ、自分の端末から情報コピーして使ってたみたいだ。ちっと古いがID情報も残っていた。そいつを装って公共ネットに潜ってみたら、IDそのものは凍結されてないみたいだ」

「つまり・・?」

 唾は出ないはずなのにぐっと飲み込む。

「お前ら、逮捕されたくなければ俺のいうことを聞くんだな!」

 カケルとモネは半信半疑のまま、ミンジュンのギラギラした目を見つめる。

「ええい、こうなりゃ毒を食らわば皿まで、だ!」

「えっ!? 毒は食べちゃダメでしょ!」

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