窓辺の君
@Yuuuuzan
第1話
別に話したこともない。目があったこともない。追ってしまう存在がいる。その人は物憂げに肘をつき、柔らかく色づいた頬に手を添えて窓の外を見ている。真似をして窓の外を見てみると、いつも何も無い空を見ている。私が見えたものは、青い空、灰色の雲、雨、雪、小鳥...。あと、飛行機。それくらいだ。彼と見ているものは同じなはずだが、私と違って飽きもせずずっと見ているのは、きっと見えているものが違うからだろう。青い空から連想して、次々に思考を巡らせる。自身の空想の中に、夢を見る。それで空一つ見るだけでも、彼は退屈しないのだろう。
彼は人と話す時、考え事をする顔から人と話すモードに切り替わる。その動作が、見逃した日には後悔してしまうほどに愛おしい。自分の世界が心地よいけれど、現実にも向き合わねばならない。そう思っているのだろうか。きっと彼の周りに人がいなければ今頃、詩や小説でも出来ていただろう。薄紅色の唇を開き、絹に触れた時みたいに柔らかな声を出す。その声に合わせるように、中性的な顔の表情を綻ばせる。柔らかくなった彼の表情は良い。まるで天使のようだ。背に光を纏っているから、余計神々しい。彼の柔い話し声に耳を立て、難しい講義で絡まった脳をほぐしてもらう。暖かな彼の声は、万物を癒やすと錯覚するほど虜だ。彼が話し終わると、彼の友人が話し出す。話し終わるまで、少し時間がかかる...実際はほんの数秒だ。相槌を打つたび揺れる黒髪が愛らしい。彼に喋ってほしいとは言うものの、話し相手がいなければ彼は喋らない。私が話し相手になることも考えたが、なんだかハードルが高い。陰で彼のことをひっそり見ているのが一番いい。私の手の届かない存在だからこそ、彼はこんなにも特別に見えるのだ。
いや、厳密には手は届く。同じ大学だし、同級生だし、取っている講義も同じだし。ただ、私の手に触れさせたくない。もちろん彼と関わることがどれだけ私の幸福に繋がるかなんて考えるまでもない。でも、彼があまりにも無垢に見えるものだから、私と関わっては彼にとって悪影響なのではないか、と考えてしまう。そのままでいてほしい、そのままの彼が知りたいと思うばかり、距離は遠のく。だが、それでいい。
友人と話し終わったのか彼は荷物を持ち、席を立つ。そのまま講堂を後にする。もうお昼の時間だ。きっと彼は食堂に行くだろう。そしてカツ丼定食を頼む。行動パターンは大体読めている。彼は掴み所がなかった。だからこそ、私は知りたいと思った。純粋な知識欲だ。だんだん知れてきた今でも、彼はまだ面白い。何がって、供給が多いことだ。知らなかったことが、まだまだ出てくる。入学して少し経って、この場所に落ち着けるようになってようやく自分を出せるようになったのだろう。かわいい。
食事中の彼を見たことがある。カツ丼のカツを小さく小さく食べていて、小動物のようだった。でも今日は生憎、やらなきゃいけないことがある。今日までの課題を今までサボっていたツケが回ってきたのだ。彼の声や仕草が見れないのは仕方ない。そもそもこの学校にいることが出来なければ、彼を見続けられないのだから。課題のお供の菓子パンをかじり、気合を入れた。
ーーーーー
順調に課題は進み、お昼休みが終わる頃にはできあがった。なんとか間に合ってよかった。提出用にプリントをまとめていると、彼が講堂に帰ってきた。おかえり。
彼は窓辺に座ることが多い。それが分かってから、私は斜め後ろにいるようにしている。彼の視界に私が入りにくいし、私の視界に彼が入りやすいからだ。という要領で今日もウォッチング。友人とメッセージをやりとり中らしい。
...”あんなに笑ったのは久しぶり”?ということは彼は、今までにない笑顔だったということだろうか。食堂で?私が行ってない場所で?笑った?
...見たかったぁぁ。悔しさのあまり机にうつ伏せになる。自分が課題をサボらなければこんなことは無かったはずなのに。期日を気にするというのは、こういうことが起きないようにするためなんだな...違くないよね?とりあえず、今後は課題が配布されてからすぐに手を付けるようにしよう。そうしよう。
そう決意して解決した気でいたものの、あまりにショックな出来事に、私の頭はぼんやりしてしまった。その影響で、講義の内容は何一つノートに書いておらず、何一つ頭に留めた事象も無かった。一つ駄目だと思うと、それが連鎖するタイプの人間なのだ。
夕焼けが差す頃、我に返った私は辺りを見回す。誰一人いなくなっている。自分に声を掛ける人間はいないんだな、と少し寂しくなった。今日も可愛かったな。彼...”推し”との、友人以下他人未満のこの関係が心地よいと、改めて感じた。感傷に浸っていると、ふと、この講堂は時間が来ると施錠されてしまうことを思い出した。後5分だ。私は大急ぎで荷物を片付け、講堂を後にした。施錠係の人とすれ違った。
建物を出ると、外はオレンジに染まっていた。ガラスがすべての橙を反射し、眩しいほどに輝く。こんなに綺麗な景色を誰かと共有できないのはもったいないが、彼の影響でできた時間...贈り物だと考えてみると、やっぱり一人で良かった、と思い直したのだった。
明日も、彼がいるから頑張れる。ここにいる理由を、与えてくれる。
そんな気がしている。
窓辺の君 @Yuuuuzan
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