第5話 相談するふたり

 翌日、いつものように彼女が同じ時刻、同じ車輌に乗ってくる。

 昨日の出来事を思い出してドキドキする。

 優ちゃんも心做しかいつもより表情が柔らかい気がした。

 電車の中での会話も普段よりも弾む。

 ふと視線を下にやると優ちゃんの左手首には昨日のブレスレットが巻かれていた。

 私の視線に気付いたのか優ちゃんが

「あ、これ、着けて来ちゃいました」

 私が言うより先に

「学校に着く前には外しますので、ご安心を」

 と、笑顔で付け加える。

「それなら大丈夫よね」

 私もそう言いながら得意気に左手を少し動かし、彼女の視線を誘導する。

 優ちゃんは一瞬目を大きく見開いたが、すぐに微笑んでくれた。

「着けてくれてるんですね。嬉しいです」

 優ちゃんは少しはにかむ。

「私は社会人だから会社に着けて行っても注意されないしね。いいでしょう?」

「はい。そこに関しては少し羨ましいです」

「あ、そういえば優ちゃんって高校生だったわね。今いくつ?」

「十六歳です。高二です」

「う、私と十くらい違うのか…。若いなあ」

「そんなことないですよ。やぶきさんだって十分若々しいですよ」

「そ、そうかな? ありがとう」

 歳下の子にすかさずフォローされる私…

「いえ、本当のことですから。ちなみにお幾つなんですか? あ! 差し支えなければで」

 優ちゃんに気を遣わせてしまうのは忍びないので

「今年で二十六になります…」

 私は大袈裟にがっくり肩を項垂れる。

「あ、やっぱり全然若いじゃないですか。歳も十も違わないですし」

 全く悪気のない言葉の暴力が私を襲う。

「優ちゃん、覚えておいて…。若い子から言われる“若いですね”って言葉は、時として人を目を背けたい現実に直面させるの…」

 彼女も私から発せられる闇色のオーラを感じたのか

「は、はい。覚えておきます…。なんかすみません」

 と、少し引きつった顔で応えるしかなかった。




 そんな楽しいやり取りを毎朝しながら、彼女との距離が少しずつ縮まっていくのを感じていた。

 それから数日後、 いつもと同じ時間、同じ車輌だというのに、彼女の乗車してくる姿がなかった。

 あれ? 今日はいないんだ?

 何となく寂しい気持ちになる。まあ、そういう日もあるよね私は自分にそう言い聞かせた。


 すると、暫くして、彼女はいつもより一つ奥の車輌から姿を現した。

 乗る車輌、一つ間違えちゃったのかな?

 しかし、辿々しくこちらへ歩いてくるその様子は明らかにおかしかった。

 私は気になって彼女をよく観察することにした。彼女は心ここに在らずといった感じで、何処かをぼーっと眺めているようだった。

 私は彼女の様子が心配になったので声を掛けることにした。

「おはようございます。優ちゃん、体調悪い?」

 私が声をかけると、

「え!? あっ、おはようございます。ちょっと寝不足みたいでボーッとしちゃいました。すみません」

 と、慌てふためくように返事をする。

「体調が悪いとかではないので、大丈夫です」

「でも、なんか元気がないような気がするんだけど」

「いえ、本当に大丈夫です」

 優ちゃんは必死に取り繕おうとしているようだ。


 どう見ても大丈夫じゃなさそうなんだよなぁ……

 私は彼女が無理をしているんじゃないかと勘繰っていた。

「ねえ、優ちゃん、何かあったんじゃない? 相談に乗るよ?」

 私がそう言うと、彼女は少し驚いた顔をしていた。

 そして、暫く考え込む素振りを見せた後、意を決したかのように口を開いた。

「やぶきさん、明日の土曜日って空いてますか?」

 彼女がぽつりと呟く。

「明日? 予定はないから大丈夫よ。空いてる空いてる」

 私は慌てて答える。

「良かったら、相談にのってもらえませんか?」

「…うん、いいよ」

 私は真剣な眼差しで彼女を見る。優ちゃんの顔からは相変わらず笑顔は消えたままだ。

 そうこうしてる内に私たちの降りる駅に電車は着いた。

 元気のない優ちゃんを残してこのまま別れるのは不安だったが、彼女が大丈夫と頑なに言うので、私はその小さくなっていく背中を見送ることしか出来なかった。



 仕事中も家に帰ってからも私の頭の中には、彼女のことが離れずずっと居座っている。

 優ちゃん、一体何があったんだろう……

 考えても答えが出る筈もなく、ただ悶々と時間が過ぎていった。




 翌日、優ちゃんとの待ち合わせ場所に向かうと、既に彼女は来ていた。

「ごめんね。待った?」

「いえ、今来たところなので、全然大丈夫ですよ」

「それなら良いけど……。さて、どこ行こうか? 優ちゃんどこか行きたいとこある?」

「あの、やぶきさん。先に謝らせてください。折角の休日に呼び出してごめんなさい」

 突然、謝罪の言葉を口にする彼女。

「え? いきなりどうしたの? とりあえず、立ち話もなんだし、どこか入ろっか」

「はい……」

 私たちは近くのカフェに入った。

 席に着くなり、彼女は開口一番にこう言った。

「やぶきさん、昨日は心配を掛けてすみませんでした」

「いやいや、そんなことは気にしないで。それで、どうしてあんな状態だったのか教えてくれるかな?」


「実は……。彼氏と別れたんです」

 彼女は俯きながら小さな声で話す。

 彼氏いたんだ!? そんな素振りは微塵も見せてなかったような…。まあ、これだけ可愛い子ならいない方が不自然か……

 あれ? 何だか少し凹んできた……

「そっか……。それは辛かったね。私で良ければ話を聞かせてくれない?」

 私は動揺を隠し、優しく語りかける。

「はい……。ありがとうございます。実は……」

 私は黙って彼女の言葉を待つ。

「やぶきさんと出会う一ヶ月くらい前に、告白されたんです」

 うわっ! 甘酸っぱいなぁ〜。

「告白されて悪い気はしなかったし、断る理由も特になかったので、何事も経験だと思い、オーケーして付き合い始めたんです」

 そりゃそうだよね。高校生だし。

「付き合ってみると彼は優しい人で、一緒にいると退屈だった日常が少し楽しくなったんです。ですが…」

 そこで彼女は一旦言葉を区切る。

「ですが?」

 私は続きを促す。

「ですが、デートを重ねる度に彼の態度が少しずつ変わっていって…」

「……どういう風に?」

「まだ手を繋ぐだけでも抵抗あったのに、一昨日、キスを求められ…。それだけじゃなく、体も……」

「っ……!」


 ああ、ダメだ…。今は引っ込んでいて…

 私は心からドス黒い感情が湧き上がって来そうになるのを必死に封じ込める。

「もちろん、私は嫌だと断ったのですが、彼は全く聞き入れてくれませんでした」

「…うん、わかるよ。そういう時って相手の気持ちが見えないから怖いもんね」

「はい……。それで、あたし怖くなって彼のこと思い切りビンタして、その場から逃げ出したんです」

「そうだったんだ……。その後彼とは連絡取ってないの?」

「はい……。それ以来、メールも電話も無視しています」


 優ちゃんは悲しげな表情を浮かべている。

 私はこれまでの付き合いの中で優ちゃんがとても真面目で正義感が強い子だってのは知ってる。

 そんな優ちゃんだからこそ、相手の変貌にも驚いただろうし、信じられない出来事だったろうな…

「ねぇ、優ちゃん。優ちゃんはその人のこと嫌いになったの?」

「最初は好きになれるかもと思ってましたが、今はもう……。わからないです」

「そっか……。辛いかもしれないけど、もう一度自分の気持ちを整理してみたらどうかな?」

「私の今の気持ちですか? やっぱり彼を許せないっていうのが一番強いと思います」

 優ちゃんは真剣な眼差しで言う。

 だけど、きっと優ちゃんは心の奥底ではその人のことを好きでいたいと思っているはずだ。

 だから、この子はこんなに苦しんでいるんだと思う。


「…優ちゃんは優しいね。もし、私がその立場なら同じ行動を取っていたかも知れない。私は気が小さいから、ビンタなんて出来なかったろうけど…」

「優しいなんて、そんなことはないですよ。それに、やぶきさんの方が優しいじゃないですか。いつもあたしの話を聞いてくれますし、相談に乗ってくれるし、こうして今も…」

 彼女はそう言って苦笑する。そんな彼女の歪な笑顔を見て、私の胸も痛んだ。


 私は今まで優ちゃんの悩みを聞いたり、話を聞いたりするだけで、彼女自身のことを深く聞いたことはなかった。

 彼女の生い立ちとか、家族構成とか、色恋沙汰とか……

 今思えば、私は優ちゃんのことを知らないままでいた。それなのに、私だけが一方的に彼女に頼られて、嬉しいと感じていた。


 優ちゃんは優しい。そして真面目だ。

 だから、どんなに辛い状況であっても、自分よりも他人のことを考えてしまう。

 私はそれが歯痒くて仕方がなかった。

 もっと自分を大事にして欲しかった。

「やぶき、さぁん…。男の人って、みんな、こんなに…」

 優ちゃんの目には涙が浮かんでいた。

「大丈夫だよ。大丈夫。怖かったね…」

 私は彼女を安心させるように頭を撫でた。

「やぶきさん……。あたし、どうすればいいんでしょう……」

「まずは落ち着いて。それからゆっくり考えよう」

「あたし、あたし……」

「ほら、深呼吸してみて。吸ってー吐いてー」

「すぅ……。はぁ……」

「落ち着いた?」

「はい……」

「よし、偉いぞ!」

「えへへ……」

 優ちゃんは照れくさそうに笑う。

 可愛い……

 やっぱり優ちゃんには笑顔でいて欲しい。

 こんな可愛い彼女を泣かせるなんて…

 私はため息の一つもつきたくなった。



「優ちゃん、これは私の経験も交えた一般論だと思って聞いて欲しいのだけど…」

「はい」

 私はまだ涙の跡が残る優ちゃんの瞳を見つめ、ゆっくりと話し出す。優ちゃんも真っ直ぐ私を見つめて聞いてくれていた。

「高校生くらいの男子って、女の子を好きになる時は大体まず相手の見た目から好きになるの」

「そうなんですか?」

「うん。あとは性格かな。それで、実際に付き合ってみたり、一緒にいる時間が増えていくと、だんだん内面の良さが見えてくる。でもね、恋愛対象として見れるかどうかっていうのとはまた別問題なんだよね」

「はい……」

「恋愛感情と性愛は必ずしもイコールではないの。でも、そういう風に考える子もいるのは事実だし、それは別に悪いことじゃないよ」

 優ちゃんは真剣な眼差しで私の言葉を咀嚼しているようだった。

「じゃあ、彼は……」

「多分、彼の場合は優ちゃんの外見が好きだったんじゃないかな。それと、優ちゃんが大人っぽい雰囲気だったから、余計にそう思ったのかも」

「そう、だったんだ……」

「だから、優ちゃんが気に病む必要は全くなくて、そのくらいの年頃にはよくある話だと思う」

「よくある、話……」

「うん。だって優ちゃんは可愛いし、とても魅力的な女性だよ! 私が男子だったらやっぱりほっとかないかも!」

「やぶきさん……」

 優ちゃんは少し頬を赤らめながら微笑んだ。


「あの、やぶきさん。あたし、もう大丈夫です。やぶきさんのおかげで元気が出ました。ありがとうございます」

「そっか。良かった」

 私はホッと胸を撫で下ろす。

 優ちゃんが少しでも前を向いてくれるなら、こんな私に相談してくれた意味があったってもんだよ。

「やっぱり、やぶきさんに相談してよかった」

 優ちゃんは嬉しそうに呟く。

「お役に立てたようで何よりです」

 私は苦笑した。

「あたし、やぶきさんみたいな素敵な女性になりたい」

 優ちゃんの言葉を聞いてドキッとする。

「優ちゃんは今でも十分素敵だよ」

「そんなことないですよ。やぶきさんみたいにしっかりしていないし、背も高い方じゃないし、メイクも下手だし……」

 優ちゃんは困ったような表情を浮かべる。

「そんなこと言わないで。優ちゃんはとても魅力的だから」

「やぶきさんの言う通り、見た目だけなのかな……」

 優ちゃんは寂しげに笑う。

「違うよ。優ちゃんには人を惹きつけるような魅力があるの。それに、背の高さとか、顔の美醜とか、化粧とかって関係ないと思う。大事なのは中身だよ。優ちゃんには人を幸せにする力があるの。だから自信を持って」

 私はつい熱っぽく語ってしまった。

「やぶきさん……。ありがとう。あたし、やぶきさんと知り合えて、本当に嬉しいです」

 優ちゃんは潤んだ瞳で私を見つめた。

 ヤバい。可愛すぎる……

 私は慌てて視線を逸らす。

「どういたしまして。こちらこそよろしくね」

「はい!」

 優ちゃんは満面の笑顔を見せた。

 私はこの笑顔を守りたいと思いながら、少し冷めたコーヒーを口に運んだ。

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