メタルガールズノンシュガー

真上悠

本編:メタルガールズノンシュガー

第1話 出会うふたり

 帰宅途中の電車の中、私は睡魔と戦っていた。

 今ここで寝落ちしたら、確実に降りる駅を逃す自信がある。こんな時は音楽でも聴いて眠気を紛らわそう。そう思い、私は鞄からイヤホンを取り出した。

 音楽を聴きながら窓の外を見ると、夕日が沈もうとしている。

 あぁ……綺麗だなぁ。

 こんな情緒的な景色を見てると、余計に眠くなって来るよ。

 私がそんな寝ぼけた事を考えていた時だった。


 突然、私の左隣に座っていた人が立ち上がったのだ。その人を見ると制服を着た女の子だった。

 長い栗色の髪を後ろで一つに結んでいる。

 彼女は少し吊り目がちの目をしていたが、瞼の上に乗った睫毛は長くて多く、鼻筋も通っていて顔の輪郭もシュッとしていて小さい。所謂、美少女だ。

 その子が立つと、代わりにおばあさんが私の左隣に座ってきた。あの女子高生がお年寄りに席を譲ったのだと気付くのに、私の眠たい脳みそでは数秒掛かってしまった。

 私はまだ眠い頭で彼女の行動に感心していた。

 最近の若者にしては珍しく、親切な子だと思う。

 それと同時に、寝こけてお年寄りがいることに気付けなかった自分が情けなく恥ずかしい…。私は少し顔を伏せ反省した。



 次の駅が私の降りる駅だ。

 どうやら寝過ごさずに電車から降りられそうだ。

 しかし、そこでふと思った。

 あの子は何処へ行ったんだろう? さっきまでそこに居たはずなのに……

 もしかして、まだ車内にいるのかしら? 辺りを見回してみたけど、それらしい人影はなかった。

 私は首を傾げながらも、電車は次の駅へと到着した。

 それから私は改札を出ようとしたところで定期券がないことに気付く。

「あ、あれ!?」

 いつも入れてる鞄の中にも見当たらない。

 あわわ、ど、どうしよう!

 私は改札の前では邪魔なので少し横に退いたところでわたわたしていた。


 するとそこへ、さっきの感心な女子高生が駆け寄ってきて何かを差し出した。

「あの! これ、落としましたよ」

 女の子が手に持っていたのは私の定期入れだった。

「あ、確かに、私のです。ど、どうもありがとう!」

 女の子から定期を受け取ろうと手を伸ばした。


 女の子はそのキリッとした瞳で私の目を見ながら言った。

早乙女さおとめ、やぶき、さん?」

 突然その子は私の名前を口にした。

「はっはい! 私です! でも、どうして私の名前を…?」

「あ、定期入れに書いてあったので、一応確認と思いまして」

 女の子は淡々とした口調で答えた。彼女の声は透き通るような美しい声で、見た目よりどこか大人びているように感じられた。

「今度は落とさないよう気を付けて下さいね、お姉さん」

 それだけ言うと、女の子は立ち去ってしまった。

 私は呆然としながらも、彼女に言われた通りと心に誓った。

 そして、ようやく我に帰った私は急いで改札を出て家路についた。




 私はアパートの自室に入ると、ベッドの上にダイブする。今日一日の疲れが一気に出たような気がした。でも、何だか心地よい疲労感だ。

 そういえば、帰りの電車の中で凄くしっかりした子に助けてもらったんだった。

 名前を聞き忘れてしまったけど、きっとまた会えるよね。その時はちゃんとお礼言わないと。

 それにしても、あの子のしっかりした態度と振る舞いは素晴らしかったなぁ。

 私は今日の出来事を思い出しながらうとうとする。



 ――私は早乙女やぶき。

 社会人になって四年目になる二十六歳。しがない商社ビルで経理の事務仕事をしている。

 これといって山も落ちもない仕事だけど、平凡に生きて行く分には困らない、地味な私に合った仕事だ。

 趣味は音楽鑑賞と読書。休みの日には一人で喫茶店巡りをする。そんなどこにでもいる平凡なOLだ。

 偶に今日みたいなドジをすることもあるが、割と周りの皆のフォローもありなんとかなっている。今日の事然り。

「あ〜、明日も仕事だから、お風呂入って早く寝ないと〜…。お夕飯どうしようかな…。…髪も伸びたな〜。鎖骨より下まで伸ばすと重い…。美容院も予約しなくちゃ…」

 あーだこーだ。

 大体、一日の終わり頃はこのような体たらくである。




 翌朝、私はいつものように電車に乗って会社に向かっていた。

 いつもと変わらない日常。

 代わり映えのない日々。

 それはそれで良いものだと、私は思っている。

 いつもと何も変わらないという幸せもある。

 ただ一つ、いつもと違ったのは電車の中で昨日私の定期を拾ってくれた子が同じ車輌に乗っていることに気付いた点だった。

 向こうもこちらに気付き、軽く会釈してくれた。

 私も微笑んで返す。

 その子は相変わらず凛とした佇まいをしていた。


 彼女はつり革に掴まり、もう片方の手は吊革ではなく、胸の前に抱え込むようにして何かを持っていた。恐らくその手の中には文庫本が握られているのだろう。

 よく見ると、彼女の着ている制服に見覚えがあった。この辺りでは有名な進学校の制服だ。確か名前は……聖なんとか女学院……。忘れた。


 車内はいつもより混んでいた。座席は全て埋まっていて、立っている人もそこそこいる。

 そんな中、彼女が持っている本を読むスペースはなさそうだ。

 しかし、彼女の周りにいる人は誰も彼女を気にしていない様子だった。

 まるでそこには誰も居ないかのように――

 私は自分の降りる駅まで彼女のことが気になっていた。そして、私の職場の最寄り駅に着いた時、彼女はやはり本を読めないまま下車して行った。



 私がホームに降りて振り返ると、彼女と目が合う。

 このタイミングで昨日のお礼を言おう!

 そう思って口を開こうとしたが、言葉を発する前に彼女は踵を返してしまった。そして、そのまま階段の方へと歩いて行く。

 私は慌てて声を掛ける。今しかないと思ったのだ。このままだと機会を逃してしまう。

 まだ降りていない人が多い中、私の声はよく響いた。

「あ! 昨日の、定期の子! 待って!」

 そして、彼女は振り向く。


 彼女の顔を見て私は息を飲む。

 綺麗な栗色の髪に端正な顔立ち。大きな瞳にスッと通った鼻筋。薄く小さな唇に華奢な身体。

 こんなに可愛い女の子がいるのかと思える程、素敵な容姿をしていらっしゃる。思わず見惚れてしまいそうになる。

 だが、そんな気持ちとは裏腹に、彼女の表情はどこか暗い影を落としていた。

 彼女の整った眉は八の字になり、口元は真一文字に引き結ばれている。

 私は何とか言葉を絞り出す。

「き、昨日は定期拾ってくれてありがとう」

 彼女は余り表情を変えず

「いえ、お礼なら昨日言ってもらってるので結構ですよ」

 と、淡々と答える。


「あ、そ、そうだよね。ゴメンね。同じ駅で降りる姿が見えたからつい声掛けちゃった…」

 少し照れ笑いしながら話す。

 すると、彼女の頬はほんのりと朱に染まったように見えた。

 あれ? ちょっと恥ずかしいことしちゃったかな……。でも、ここで引き下がったらダメだ。


「私は早乙女やぶきという、この近くのオフィスで働いてるしがないOLです。兎に角、昨日は定期を拾って頂き助かりました。どうもありがとう」

 精一杯の笑顔で感謝を伝える。今度はちゃんとお礼が言えた。

 それを聞いた彼女は、 またあの仏頂面に戻る。

 あれ、やっぱり迷惑だったかなぁ……

 気まずさに耐えきれず、「じゃあ…」と、その場を離れようとすると、彼女がポツリと呟いた。


 やばい、聞こえなかったふりをして去るべきか!?  と一瞬思ったが、一応聞いてみることにする。恐る恐る聞き直す。

 すると、彼女は答えてくれた。

相田優あいだゆうです。この近辺の高校に通ってるしがない学生です」

 そう言うと、彼女はペコリと頭を下げて、再び踵を返し駅の改札に向かって歩き出した。

 え……? 名乗ってくれた……? 嬉しい!

 と、思いつつも、これ以上話し掛けると仕事に遅刻しそうだ。私は諦めて後ろ髪を引かれつつ会社に向かうことにした。

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