第5話『異世界の王子に乙女ゲームを説明するハメになった』

「……いいんですか? こんな話を信じて」


「何をしてても退屈なんで。ただの自分の暇つぶしですよ」


そう言った彼の目元は、ほんの一瞬だけ陰を帯びていた。


エルメラルダはその瞳に、ほんの少しだけ哀しさのようなものを感じ取った。


「えっとですね……私、今のこの世界とは全然違う、“科学”っていうのが発展した世界に住んでいたんです。技術とか文明とかも全然違って……“未来”ってわけじゃないと思います。地形が違うので。私がいたのは“地球”っていう、丸くて青い星でした」


「星……。つまり、今のこの世界が“円形”だとあなたは思っているということですか?」


「え? 円形……? いえ、“球体”ですよ? まんまるです!」


その瞬間、ヒスイの目が大きく見開かれた。


「……球体……! そうか……球体か……!」


次の瞬間――。


「ハッハッハッハッ!!」


ヒスイは腹を抱える勢いで笑い出した。

この世界において、空を飛び、上空から大地の形を確認できる者は限られている。ヒスイはかつて魔法を駆使して空から観察し、地形が“球体”であると確信していたのだ。


けれどそれを証明する術も仲間もいない。たった一人で抱えていたその仮説が、まさか令嬢の一言で証明されたとは――。


「……あなた、面白いですね」


ヒスイは、珍しく心の底から楽しそうだった。


エルメラルダは小さく息を吸い、続けた。


「日本という国に住んでました。両親は早くに亡くなってしまって……弟を育てるために、ずっと働いてました。でも、そんな私の一番の楽しみが《麗しき王国の麗しき人々》――略して“ウルコク”っていう乙女ゲームで……。それが……この世界だったんです」


「ストップ。“乙女ゲーム”ってなんですか?」


ヒスイが眉をひそめ、片手を軽く上げた。


「あ、はいっ! 乙女ゲームっていうのは、ヒロイン――つまり女性の主人公が、複数のイケメン男子を攻略していくゲームです。選択肢を選んで、恋愛イベントをこなして、好感度を上げていって、エンディングを迎えるんです。種類は“バッドエンド”、“ノーマルエンド”、“ハッピーエンド”、“ラブラブエンド”の4つ。ウルコクは総勢15人が攻略対象です!」


「15人……? みたいな感じ……。ちなみに、その攻略対象の名前は?」


ヒスイは急に興味を増したように椅子の背に肘をかけ、頬杖をついた。


「もちろんです!!」

エルメラルダは勢いよく語り出した。


「優しさ全振りの第一王子アナスタリア、体力バカの熱血第二王子ハルク、女たらしで裏では色々やってる第三王子ミロード、攻略最難関・超天才児のヒスイ王子、可愛いけど実は腹黒ヤンデレな第五王子ティファニール、真面目な王国騎士ディール、年上萌えの団長グランドリヒ、実は男のメイドのマリア、心優しいコックのエドウィル、几帳面すぎる執事ダリ、表と裏の顔を持つ執事オミドー、表面は穏やかでいつもニコニコしてるけど、裏ではやんわりドSで、主人公への愛がガチ重なタイプです!、大人の色気ムンムン宰相候補キュール、神官でもある庭師ハリル、筋肉と白髪の隣国王子ミッドウィルド、そして溺愛系幼なじみのウリュウ! 以上です!!」


「……ふむ。特に設定が曖昧な人物は攻略してない、という感じですかね?」


ヒスイの鋭い指摘に、エルメラルダがピタリと動きを止めた。


「ギ、ギクッ∑」


「総勢15人もいるんですよ!? 難しいキャラも多くてですね!? 一応、ヒスイ王子以外は全員クリアしてます!」


「……ふむ。じゃあ、執事のオミドーは何回攻略しましたか?」


「そりゃあもう……全クリして、気が済むまで何回も……!」


言ってしまった直後、空気がピリッと変わる。


ヒスイがちらりと“影”と視線を交わす。影は音もなく消えた。


そして――。


部屋の扉が開き、汗をほんのりかいた一人の男が現れた。


「呼びましたか? 第四王子殿下」


穏やかな声色と完璧な礼儀作法。

入室した執事は、漆黒の髪をぴしりと撫でつけ、静かな微笑みを浮かべていた。


オミドー――それはゲーム内でプレイヤーたちから“癒し系執事界の沼”と呼ばれ、絶大な人気を誇った攻略対象の一人。

そのリアルすぎる実物を前にして、エルメラルダの脳内は即座に限界突破した。


「ひゃっ!? ま、待って!? この声っ!!!」


ガバッと勢いよく起き上がり、そのまま両手で頬を覆う。顔は真っ赤、耳まで染まり、目はうるうると涙すらにじんでいる。


「う、無理ぃぃぃぃぃい……!!////」


悲鳴に近い声を上げると、そのままベッドにバフッとダイブ。シーツに顔を埋めて、身をくねらせて悶絶している。


ヒスイは、その様子を見てふっと口元をゆるめた。

普段めったに見せない、自然な笑みがこぼれる。


「彼女、三日間寝込んでて、何も食べてないんですよ。栄養たっぷりのスープを用意してくれませんか」


「はい、かしこまりました。」


深々と一礼したオミドーは、落ち着いた足取りで部屋を出ていった。

扉が静かに閉じられた瞬間――


「うぅぅぅぅ……っっ! む、無理……尊い……存在が……画面から出てきた……!」


ベッドの上で悶絶している令嬢は、もうほとんど魂が抜けかけていた。


「で?」


ヒスイは椅子に腰を戻し、腕を組みながら視線を向ける。


「自分は、どうして攻略してくれなかったんですか?」


その問いに、エルメラルダはビクッと反応し、顔を上げた。

顔はまだ真っ赤のままだ。


「……いや、それはですね、攻略最難関って言ったじゃないですか! 不可能って言われてるんですよ!? 恐らく、用意された選択肢を全部正解してもダメなんです」


「ふむ」


「たぶん……全員の好感度をマックスまで上げて、誰からも好かれた上で、何か特別なフラグを立てないと……っていう、異常に面倒くさいルートなんですよ! 他のキャラと違ってヒスイ王子は……ほんと、特殊なんです!」


「つまり、自分は“攻略されにくい男”だと?」


「はい、バッドエンドは何回も見ましたよ……」


エルメラルダがうなだれるようにそう告げると、ヒスイはちょっと首をかしげた。


「バッドエンドって、どんな?」


「……第四王子が、高い塔の窓から転落死するんです……」


静かに、しかし重く語られるその結末に、部屋の空気が一瞬止まる。


「……これほど悲しいバッドエンドはないでしょ……? 他のキャラは誰一人死なないのに……なぜかヒスイ王子だけ、あっさり死ぬんです……」


ヒスイはしばらく沈黙していたが、ふいに肩をすくめて、ぽつりとつぶやいた。


「……うわ、やりそー……退屈すぎて」


窓の外に視線を向けながら、どこか遠い目で、しかもほんの少しだけ笑みを浮かべて。


「ヒィィィィィッッ!!」


エルメラルダはベッドの上でのけぞり、がっつりドン引いた。

その反応に、ヒスイの目元がますます楽しげに細まる。


(なんだこれ……ちょっとだけ面白いかも)

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