アイドルなんて理屈じゃ推せない!

藤之恵

第1話 アイドルとオタ活について


「こちらご注文のケーキセットになります」


 そう言って店員さんが生クリームのふわふわ乗ったイチゴショートケーキとアイスティを置いた音が、戦闘開始の合図だった。


「で、アイドルを応援する意味がわからないって?」

「そう。なんでそんなに必死になって応援してるの?」


 そんなことをアイドル顔負けの可愛い顔をしている女の子に言われると違和感しかない。

 だが、確かに目の前に座る麻友は、その容姿に反して、こういったことにとてもクールな人間なのだ。

 言語学を専攻している大学院生なんて、レアキャラの同期に彼女のような存在がいることがまず奇跡だろう。


「アイドルを推すって言うのは……こう、理屈じゃないんだよ」

「却下。ちっとも論理的じゃない。もっとわかりやすく」


 無茶ぶりをしてくる女だ。

 まぁ、研究の生活に身を置いていると、論文なんてものを書くせいで日常生活のすべてにおいて、目的、方法、結果、考察に当てはめて考えたくなるのはわかる。

 わかるけど、アイドルを応援することを論理的に証明すること何てできるんだろうか。

 私は元々そう優秀でもない頭を捻った。


「わかった。じゃ、とりあえず、私はアイドルを応援する意味が分からない、日本のアイドルがレベルが低いという批判には真っ向から反対するね」

「へぇ、そういう手法」


 麻友の片眉が吊り上がる。

 何にもしてないわりに、シミもニキビもない肌の中に、オニキスをはめ込んだような瞳がこちらをじっと見つめて来る。

 論説は面白いと思われるかが大切。その中で、逆説法、反論法はときに有効なものだ。


「まず、アイドルの定義について話さなきゃならなくなるけど」

「短く的確に。あんたからアイドルの話を聞くのはもう十分飽き飽きしてるわ」


 そう言うと麻友はグラスを取り、アイスティのストローに口をつける。小さくストローを噛むのは麻友の癖のようなものだ。

 この興味のなさそうな人間に対して自分の中のアイドルについて語るのは中々の難題なんじゃないだろうか。

 私は自分用に頼んだ紅茶に口をつける。ふくよかな香りと癖の少ない味が口の中に広がった。これだって推しの趣味の一つだ。


「昔の日本とか、海外だとアイドルとスターがイコールで結ばれるときが多いんだ」

「まぁ、間違いではないわよね。アイドルは元々偶像。理想の姿って意味だもの」


 麻友は単語の語源に詳しい。

 ラテン語なんかも好きで読んでいる人間だ。

 アイドルの名前の響きについて研究している私とは、言語学という大枠しか合っていない。


「そう、だから昔の使い方の方が意味的にはあっているんだよね」


 私は指を一つ立てて、横に振った。それから指揮者のようにふらふらと指を動かす。


「だからこそ、日本のアイドルは歌やダンスのスキルが低いなんて批判が出る」

「海外のアイドルグループは、歌唱スキルもダンススキルも日本とは違う!ってやつね」

「よく知ってるね」


 麻友の的を得た言葉に、私は目を瞬かせた。まさか彼女の口からそんな発言が出るとは。

 すると、麻友はパッチリとした二重の瞳を細める。


「あんたがよく怒ってるじゃない。『推しを褒めるのはわかるけど、もう一方を落とす方法は好きじゃない』って」

「まぁ、実感だし」


 私は頬を掻く。

 麻友に覚えられるほど言っていたらしい。

 お洒落な喫茶店の丸テーブルの円をなぞる様に視線を動かす。


「そこが分かんないのよね。なんでも完成度が高い方がいいでしょ」


 麻友は小首を傾げた。艶やかな髪の毛がその動きに合わせて流れていく。

 完成度は高いほうがいい。

 これだから、寝ぐせもつかなそうな完璧な女は困るのだ。

 私はわざとらしく大きなため息を吐いた。


「わかってないなぁ……完成度は高い方がいい。それは間違いない。だけどね、アイドルって言うのは努力する存在なんだよ」

「努力、ねぇ」


 麻友がケーキセットの横に置かれているフォークに手を伸ばす。それを摘まみ上げると、まるで鑑定するかのように表面を指で軽く撫で、じっと見つめた。

 努力という言葉が麻友は嫌いなのだ。

 それはするのが嫌とかいう話ではなく、逆で、努力はして当然のものだからである。


「日本のアイドルは、基本的にオーディションや芸能界で言えば一番下のような扱いから始まることが多いでしょ」

「うん、まぁ……そう、なの?」


 形の綺麗な眉が下がり、わずかに首を傾げる。

 私は腕を組んで最近の推しに惚れた時のことを思い出した。


「私が推してる子は、企画で怖すぎるお化け屋敷に入って号泣してたからね」

「それは大変ね」

「それでもやり切ったし、泣き顔が可愛くて推しになったんだけど」


 麻友の口元が歪む。

 少し身体を引くような動作に、私は慌てて「まぁ、それは置いておいて」と話を戻した。


「日本のアイドルは、基本的に一般人に毛の生えた状態なわけ」

「それはいいの?」


 少し下から私を見上げて来る視線には、ありありと呆れが乗っていた。

 オーディションを通ったばかりのアイドルなんて一般人とほぼ一緒だ。そこからアイドルになるのが面白いんだから。

 私は大きく頷いてみせる。


「大丈夫。だけど、彼女たちはアイドルに、もしくはアイドルを踏台にして別の何かになりたい」


 紙ナプキンにアイドルと書く。そこから、歌手、女優、タレントと分岐させた。


「だから、努力する。アイドルとして必要なのかもわからない生クリームに塗れたりもする」

「あんた、たまに生クリーム浴びて真っ白になっているアイドルの動画だけ見てるものね」


 私は唇を尖らせる。

 それだけをまとめた動画がある時点で需要がるのだ。私だけ変態のように扱われるのは気に食わない。


「あれはね、良いものなのだよ!」

「微塵も分からない」


 麻友のバッサリとした言葉に、私は小さく天井を見上げた。

 言葉を探す私の前で麻友はケーキとアイスティをパクパクと食べ進める。

 その姿はアイドル顔負けの可愛らしさだった。


「今の日本ってさ、息がつまるの」


 私は麻友の姿を脇目で捉えつつ、窓の外に目を向ける。

 多くの人がくたびれた顔で歩いている。


「うん?」

「毎日働いて同じことして努力して、周りに気を遣う……そんなん意味ないんじゃない?って」


 人の多くは凡人だ。いや、昔の人から見れば、凡人にもならないのかもしれない。

 生きようとしなくても生きられる。そのわりに、息苦しいのが今の世の中だから。

 隣を動画撮影するためのカメラを持った人が通り過ぎていく。ちょっと大きな声に邪魔にならないように肩を竦めた。


「好きなことを好き放題にしてお金をもらっているように見える人も多くなってきたし」

「まぁ、マネタイズの方法は人それぞれよね」


 ほんと、それ。

 私は大きく頷いて見せる。

 周りを気にしない方が楽なのは間違いない。


「そんな中、ただお金のために働いて、勉強や仕事をしているだけの自分って意味あるかなって」

「勉強も仕事も自分のためにしているんだから、意味あるでしょ」

「それは正論。でも、正論だけじゃ人は救えないでしょ」


 正論だけで生きていけるなら、犯罪なんて起こらない。

 私の呟きに麻友は顔をしかめて、まるで苦いものを食べているかのようにケーキを口に放り込んだ。


「なに、文学の話?」

「ある意味、そうかもね」


 文学は外れた人間の話が多い。

 正論から外れた人間を救うのは、きっといつでも正論じゃない人間なのだ。

 いや、生きるという力をあふれさせた人間と言った方がいいのかもしれない。


「そんな中、アイドル達は意味のあるか分からないクリーム砲に塗れて、祈願のためと無茶ぶりの依頼をこなし、泣いたり悔しがったりしながらステージに上るんだよ」

「もうちょっと論理的に」


 麻友はショートケーキを一口、口に運んだ。それから教授が指示棒でダメ出しをするようにフォークで人を指す。

 頑張って説明しているのだけれど、論理的じゃないものを論理的に説明するのは困難なことだ。

 私は両肩を竦めてまとめに入る。


「つまり、この努力が正しいのかわからなくて苦しい時に、輝きたいってアイドルが頑張っている姿を見ると自分も頑張ろうと思える……かな」

「それなら、まだ少しはわかる。共感と同調ね」


 そうとも言える。学術的な言葉がするする出て来る女だ。

 私は一息つくように紅茶に口を含んだ。

 これがリラックスできると言っていた推しに全面的に同意したい。

 だが、麻友は私の説明で納得してくれたわけではなかったらしい。


「その割に、そんな想いをして稼いだ給料やら時間やらつぎ込んでるのはなんで?」

「それは……推しに会えるなら、ちょっとくらい自分の生活を切り崩してもよいといいますか……」


 両手の指先を合わせるように指を動かし、曲げ伸ばす。そこに対する論理的な理由などない。自分の給料やら時間やらをつぎ込みたくなるのが推しなのだから。

 私のしどろもどろの言葉に、麻友は綺麗な二重の瞳を吊り上げる。

 気分はまるで発表の後の質疑応答の時間だ。


「それは矛盾でしょ」

「推しを摂取することで、生きる力が湧いてくるから矛盾じゃないの」

「へぇー……」


 小さくなっていく麻友の声をどうにか受け流そうと私は「あはは」と乾いた声を上げた。長い語尾がそのまま矢のように私の身体に刺さる。

 どうにか話を逸らそうと私は冷め始めた紅茶の紅い水面を見た。


「たとえば、この紅茶も推しが好きな種類なんだ」

「そうなの? 通りでコーヒーばっか飲む人間が紅茶頼んでると思った」

「そう。これが推しが好きな紅茶かと思うと、それだけで推しを思い出せて元気になるわけ」


 そうだ、これが推しに自分の給料や時間をつぎ込む理由になるじゃないか。

 私はひらめいたように口にする。


「日本のアイドルは偶像じゃないの。実体なんだわ、きっと」


 言いながら私は小さく頷いた。

 理想だと遠すぎる。もっと身近な存在。それが日本のアイドル。

 偶像ではない、今を生きている誰かに私たちは惹きつけられる。

 うん、よくできた結論ではないだろうか。


「だから会いに行きたい、と?」

「うーん、そうかな」


 映像とか雑誌とか、ネット記事とか、アイドルに関する情報は溢れている。

 そんな中でも推しに実際会える場面はやっぱり特別で。その時の雰囲気や匂い、音、表情を直接、確認できるのだ。

 自分でも納得できる答えができたと、私は一人何度か頷いた。

 そんな私を見ながら、麻友はにっこりと口角を上げる。黒い瞳には何やら青い炎が見える気がした。


「わかった。じゃ、次は恋人がいるのに推しを優先する理由について話しなさい」


 滑らかな命令口調。私は刃物を首先に突きつけられたように口元を引き結んだ。


「そんなテスト問題みたいな口調で、すんなり話す人間を初めて見たよ」

「それは光栄ね」


 にっこりとアイドルのような顔で麻友が笑顔を作る。

 彼女のケーキはいつの間にか半分以上なくなっていた。


「で、どうなの?」

「麻友さん、それは……このお洒落な喫茶店で話すにはあまりに恥ずかしい内容ではないでしょうか」

「私は恥ずかしくない。それより恋人がアイドル並みに可愛い私を放っておいて、アイドルに会いに行く方が気になる」


 この女、自分の顔がいいことに気づいている。まったく困ったものだ。

 頭の良い人間は自分が利用できるものを最大限に活用する。麻友は頭の良い人間だ。だから、自分の容姿なんていう切り札を上手く使えないわけがない。

 これにアイドルが好きなだけの平凡な人間が太刀打ちできるだろうか。いや、無理でしょ。


「面目ございません」


 私はテーブルに額がつきそうなほど深く頭を下げた。今度の土日をアイドルのコンサート遠征に捧げることを恋人の麻友に平謝りする。

 もちろん、このケーキセット代は奢らせてもらった。

 拗ねてこんな論争を吹っかけてくる恋人は、最後まで取っていたイチゴをコロコロと口の中で転がしている。

 それに頬がゆるむ時点で負けなのだった。

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