第4話
私たち日本人は、協調性を重んじていますから、少し人と違う所があると、どうしても標的にされてしまう。私は奇異の目を、例に漏れず道化でやり過ごしました。
そうは言っても、人間は成長するもの。目の肥えた人間を欺くのは骨が折れました。過激過ぎても胡散臭く、消極的では思う壷。良い塩梅を探して、また、新しく仮面を作り上げる。
そんな日々に、突然、今まで見て見ぬふりを続けていた罪悪感が私にのしかかって来たのです。
「嘘つき」
背後で、舞台を見ていた私が、私を指指すのです。これでもかと開いた瞳孔で、私を見るのです。他でもない私が、捨ててしまえと、仮面に手を掛けるのです。
この時に、もしも、この道化を捨てられたら。もし、私が「皇桜痴」という演目に帳を降ろしていたら。思い返すと、この時が、私の人生の分岐点だったのかもしれません。
暇を持て余すと、嘲笑の声が聞こえる。そんな日々に悩まされて、私は孤立を選びました。聞こえる筈の無い、聞き飽きた笑い声と、友人達の声。見分けがつかなくなって、どうにも対人関係に消極的になっていたのです。教室に留まることを畏れた私は、図書館に入り浸るようになりました。
開いたことのない作品も、これまでに何度か読んだものも、手当り次第に手に取りました。土地柄、どの施設に顔を出しても大きく取り上げられているのは、彼の大作家です。あの日、父の前で震えていた私に、道化を演じろと、天啓を齎した彼の作品は、どうしても惹かれるものがありました。幾度となく頁を捲り、その言葉の美しさに息を呑み、僅かですが、確実に心を踊らせていました。
そんな私も、ひとつだけ、避けていた一冊がありました。彼の最期の大作を、私は幼少期に一度読んだきり、避けていました。あれを読んでしまえば、自分の醜態がありありと、鮮明に、自分の眼前に突き付けられてしまうと思っていたのです。
同族嫌悪。
そう。同族嫌悪だったのです。演じた先の破滅を見せられたくなかったのです。それがどういう訳か、道化である自分自身に思い悩んだあの日の私は、その背表紙を撫でました。
桜が散って、雨と晴天が交互に顔を出す日が続いていました。図書館の端の席に座り、司書に背を向けて遊紙を捲った時は、丁度雨が降り始めていたと思います。それほど長くないものですから、ものの一時間ほどで読み終わったと思います。最後の、一文。それを咀嚼し、嚥下した瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けました。
「神様のようないい子」。
なんて、甘美な言葉なのでしょうか。道化に徹し、痕を濁した鳥は、それまでのお道化、お茶目によって、最期まで愛されたのです。それは、私が求めた理想だったのです。私が道化に、どうしようもない後ろめたさを感じていたのは、心のどこかで「皇桜痴」という、個人を見て欲しいと叫んだが故でした。
演者が愛される必要など無い。私は、私達道化は、舞台で踊り続け、幕を下ろした時に拍手喝采を貰えば、それでよかったのだ。
許された気持ちでした。今まで腹の中に居座っていた蟠りを、全て払拭して貰ったような、清々しい気持ちで窓の外に目を向けました。
斜陽が差し込んでいた。狐の嫁入りだったと、私は記憶していますが、司書に聞いてもその日は一日中雨降りで、太陽は一度も顔を出していないというものですから、きっとあれは、あの大作家からのささやかな声援だったのです。私は受け継ぐことを許されたのです。彼の、道化の精神の後継者に選ばれたのだと、今でも私は信じています。
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