【3-5k】天地を返した
「いまがあさだよー ずっとあさだよー おきてぇー! ねむねちゃぴんの朝ねむ!」
ステのノアと呼ばれるスマホのような石板の画面から、浮かれた合成音声が響いている。
スープの湯気が立ちのぼる店内。ぼくはステとカウンター席に並び、ラーメンを待っていた。とんこつの香りとボイチェンされた不自然な電子の声が交じりあう。
「今日はねぇ、緊急で録画をまわしてるんだけど、なんとね! 膠着した86補給線を打開した36中隊に密着取材したよ~!」
画面に映るのは、紫の髪の…アニメ調の女の子が…いやなんだこのキャラ!?うさみみ、ねこみみ、イヌみみ…耳がいっぱい生えてる!!??こっわ!
それと整った軍服と整った顔立ちの中年の男。その後ろには、ボロボロの軍服を着て、ヘルメットを脱がずに無表情で立つふたりの兵士が映っていた。まるで“置かれた”ように、ただそこに立っている。
「あなたちにとってこの戦いは?」
「正義……ですかねぇ」
ヒーロー然と語る中隊長の声に、ステが箸を止めた。
「なあ、みてみろよケンwww、大真面目に答えてる中隊長の後ろで”私たちがやりました”ってきたねぇ字のフリップだしてきたwww。めっちゃドヤ顔してるwww」
「わたしたちが育てました」って野菜のシールみたいな絶妙な顔と、まじめにロクロを回して「不屈の精神」や「王国の装備のすばらしさ」を語るおじさんのキメ顔との対比で、思わず笑ってしまった。あ、おじさんに気づかれてめっちゃ怒られてる。
そのとき、カウンターの奥から声がしずかに飛んできた。
「おきゃくさん……」
低く、煮詰めたスープのように重い声。振り向けば、鉢巻に汗を滲ませた大柄なオークの店主が立っていた。
「うちはラーメンに命かけてんだ。ノアは、しまってくんねぇかな」
「サーセン……」
ステは素直にノアをポケットにしまう。店内には湯気だけが静かに残った。
ふんっと店主は振り返りながら、リモコンを操作して店内の大型ノアを点け、ぼくらが見ていた「ねむね†ちゃぴん」に合わせてくれた。なんだツンデレか?
画面からは「そのあとシールダーが合流し、一気に相手を押し戻した」とおじさんが説明していた。
ステは頭をポリポリと掻いた。シャツの袖で代用された包帯からは、まだ赤い染みがにじんでいる。
「いちち……」
「まだ痛む? やっぱり、病院――救世院だっけ? 行ったほうがいいんじゃない?」
「こんなん大したことねぇって。三周期待たされて治療三拍、治療費三万オカネ。三日分の働きがパーだよ。そっちのが痛えっつの」
頭の傷はただの擦り傷。でもぼくは心配だった、頭の傷だしね。
「……なんもおぼえてない?」
「そう。マジでなんも覚えてねぇ。気づいたら頭からすっころんでて……なんか、時間が止まってたみたいな感じだった」
「で、そのときは 賢者が現れて、時間を止めた?だぁ?? 時計も三分ずれてたし、あり得るかもしれないけど。時止めなんて戦略級魔法だぞ? しかも“魔剣を抜け”って言っただけ?」
「そうなんだよね… てか、賢者ってこの世界にはいるもんなの?」
「いるっちゃいるが… 今は一人だけじゃねぇかな?一位の貴族席を譲り受けて、六位の座も簒奪した。勇者パーティにいた…なんつったかな。まぁやべぇやつだよ、それがわざわざ会いにくるかねぇ? しかも時止めしてぇ??」
どんな背景かわからないけど、なにやらすごい人らしい。
「なんか、アイマスクしたちっちゃい子だったよ?」
「なんだそりゃ? 賢者さんの姿はしらねぇけど、なんか子供のいたずらじゃね?」
そのとき、オークの店主が再び現れた。ラーメンを、ぼくたちの前に差し出しながらぶっきらぼうに続ける。
「おきゃくさん、うちはラーメンに命かけてんだ。しゃべらずに……ラーメンと真剣に向き合ってくんな。ほらっ小ふたつ、 おまち!」
ラーメン?これはなんというか… 山盛りに茹でた野菜、チャーシューというか、崩れたレンガのような豚肉が盛られた異世界系とんこつが湯気を立てていた。
ラーメンというか、二郎だった。
「あ、すいません……」
そうだね、静かに食べよう。次の配達ピークまで時間がある“ステ時計で”三時の今、店内には僕ら以外に客はいなかった。「故郷の味が恋しいだろ?転生者が開いて広めた店らしいぜ?たまにはいいもの食おう!」ってステの提案で来た店だ。人気店なのか、しょっちゅう配達先として指定されていたけど、まさか二郎だったとは……。
「おおっ!うまそう!! 運ぶ時いつもいい匂いが漏れてたけど、これだったんだな!」
ステは陽気にフォークとレンゲのようなスプーンを卓上からとってはしゃいでいる。転生者も箸は伝えられなかったのか……とケンは内心で呟く。
丼からは、揮発した油の匂いと、鼻の奥を刺すような刻みにんにくの香りが容赦なく立ち昇っていた。スープに浮かぶ脂の層は厚く、ひと口すするだけで胃が戦慄する気がする。だが、それでも一口目は、抗えないほどに魅力的だった。
野菜の山にレンゲを突っ込めば、湯気とともに甘辛いタレの香りが鼻を打つ。崩れたレンガのような豚肉のかけらは、箸で持つには重すぎる。いや、そもそも箸がない。
「たしかに……これは、本能に訴える匂いだ……」
ケンは呟いた。胃袋ではなく、脳の奥のほうを掴まれる感覚。食べきるには、本能に任せるしかない。思考を止め、味に溺れるだけだ。
麺を引きずり出すたび、スープがはね、湯気が立つ。具材の存在感が、まるで戦場のように乱雑に、しかし計算されたように丼の上でぶつかりあっていた。
「ふっふっふ、教えられてばっかりの僕だけど、今日はステに教えてあげよう…」
手元の肉塊を指さして、まるで儀式のように語る。
「まずはお肉。脂と絡めて、野菜と一緒に一口でほおばるんだ。いいか?これは最初に処理しておかないと、あとが地獄になる。おいしいものは、美味しいうちに。これが僕たちの世界の――いや、僕の矜持だ!おっと!ノアなんかで写真は撮るな! 一秒一秒でおいしさが蒸発してるんだぞ!! ギルティ!!おいしい思い出は写真になんて残らない! 記憶に、気持ちを、心に残せ!! そして脂肪として蓄えろっ!
そして…いくぞ――天地返し!!」
野菜を麺の下に沈めて、全体を軽く混ぜる。
「これで一気に味が染みる……味変の極意だ! そしてこの麺を――すすれっ!!逆ナイアガラだ! 服が汚れる? 気にするな! それが僕たちの――勲章だ!!!」
あまりの熱量に、ステは言葉も出ず、ただ唖然と見守っていた。
すらすらと出てきたラーメン指南。ケンはふと箸を止め、自分の言葉に驚いていた。
(……え? ぼく、あっちでもこれ好きだったのか?)
「お客さんさぁ…」
あ、しまった、つい流れるようにしゃべってしまった。ギルティだ。
オークの大将はそっと、僕たちそれぞれの丼に煮卵を乗せてくれて、親指をたてていた。お?なんだ?ツンデレか?
ていうか、明らかにとんこつなんだけど、オーク的にだいじょうそ?倫理感とか。
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