【2-10k】CHANT
背中が焼けていた。 皮膚ではない。肉の奥、骨の芯が熱に染まるような痛みだった。
たぶん、ぼくが生まれて育った場所なら、「ムチ」という単語は知っていても、その痛みを知ることは一生なかっただろう。あのゲームや、映画。あの痛みが、こんなものだったなんて。
背中が焼けていた。切られたわけじゃない。なのに、皮膚が裂けていた。
焼けたムチだった。魔法で熱を持たされたそれは、刃よりもゆっくりと、深く、ぼくの背中に食い込んだ。叩かれた場所の皮膚は、黒く、ただれて、まるで“肉が焼けすぎてはじけた”みたいだった。
背中の傷。見えるわけでは無い。でも見させられている。
自分の傷を確認させるため、治癒を急がせるため、善意で。どんなにひどい状況かを知らせる、早く対処しろという…善意で。
その映像は町中の至る所にある、おそらくはカメラ、おそらくは他人のオーグやモノリス。そういったもものの視界を借りて、ぼくのオーグにまざまざと見せてくる。
さぁたいへんだぞ、早く治せと、はやくなんとかしろ と。けたたましい警告音とともに。
AUGMENTED VITAL MONITOR - - -
[緊急警告]:焼灼型外傷(エテル起因 3種系列熱プロゲステロン)
深層組織損傷:Ⅲ度熱傷相当
血流:表層循環停止
スリップダメージ:進行中(HP -0.3/sec)
自然治癒見込み:極低
医療介入推奨レベル:A
リカバリーユニット未接続
オートポーション未接続
血は流れていなかった。
……流れるはずのものが、熱で煮え、固まって、そこに留まっていた。
痛みは、熱いのに冷たい。焼けた鉄を押しつけられたみたいに、感覚がまだ残っているのに、逆に、そこだけ“自分じゃない”みたいだった。
傷の一つは「お前は無力だ」と嘲笑うような歪んだ口だ
もう一つは、“もう一人のぼく”がいて、そいつがずっと泣いているような唇だった。
――痛みを忘れよう。 たのしいことを思い出そう。記憶のなかに逃げ込もう。
でも、覚えてることなんて、リドリーと出会って、空を飛んだことだけだった。それだけ。それが、全部だった。 あの風の中で、笑っていた顔。手を繋いだ時の温度。名前を呼び合ったのは、ほんの一度きり。 彼女のことは、なにも知らない。けれど、彼女だけは、覚えていた。
「おいっ! あんちゃん! あんちゃ……」
遠くでステの声が聞こえた。水の底から浮かび上がるように、ぼくの意識は現実へと戻っていった。
揺れていた。どこかへ運ばれている感覚。体の正面が熱く、背中が冷たい。汗と雨と血と、体温と。
「ああ、すまねぇ。雨が降ってきたな」
ぼくはステにおぶられていた。
「い…いよ。背中が冷たくて、気持ちいい……」
「そうか」
そのあとで、ギリっと奥歯を噛む音が聞こえた気がする。
ステの足が、泥を踏む音を立てる。膝が震え、息が荒い。ひと足ごとに全身が揺れて、そのたびに背中の痛みがずきん、と跳ねた。
「いや、歩くよ。たぶん、大丈夫」
降りようとするぼくを、ステがぐっと押さえた。
「だめだ!いや無理だ!、ケン。こんな傷で……」
かすれた声。彼の手は震えていた。けれど、その背中はまだ、ぼくを支え続けている。
「これで救世院、5件目だけど、どれも分野が違うとか、満室だとか、予約がないとか……」
「本当は、金がなさそうだからだよな。まぁ、実際ねぇんだけどさ…」
ステは、ひとつ息を吐いて、自虐的に笑った。けれど、その笑いにはもう力がなかった。
「でも、大丈夫だ。ここから5つ階段を下がれば、俺が行ってる救世院がある。そこもダメだが……でも、あのねぇちゃんなら……ああ! 今日が出勤なのか見たらよかったんだ!」
ステはポケットからモノリスを取り出し、画面を確認した。
さんくとぅあり ノクタン
『当院のオススメ術師たち』
――あなたに寄り添う解毒が得意:ミホイ「あと一枠」
――“ぜんぶ揉めます”全身魔触マッサージ:バルム「指名多数」
――痛みを嘘にする囁き術師:メンディ「初回10分無料」
――魔力排毒+快楽鎮痛の一石二鳥(国家認定提出中):ドクター・ケヤル「1/3周期コース推奨」
――ふんわりボディであなたを癒やしちゃう:イザ「解雇」
「え? このサイト、ピンク色だし、救世院? えっちなお店じゃなくて?」
そんな一瞬の疑問は、背中の熱にかき消された。
どうやらステは問い合わせをしている。
「ああ、イザさんね。やめたよ。なんだかほかに呼ばれたって。行き先? しらないよ、こっちが聞きたいくらいだよ。あ、ステさんか? きみ、勤め先から継続勤務の保留で保険切れてたよ。差分で34万6,731お金の請求あるけど、払いにこないと次――」
プツッ。
ステの足元が崩れた。雨の中、泥に膝をつき、そのまま倒れ込む。
ハンガーノック。脱水。空腹。疲労。ぼくを背負ったまま、限界を迎えていた。
「すまねぇ……あんちゃん。いや、ケン。せっかく助けてくれて、オイラなんかのために……でも、オイラ、なんもできねぇ……」
ステの手が、ぼくの手をぎゅっと握った。その掌は濡れて冷たいのに、震えていて、あたたかかった。
「いいさ。だいじょうぶ。痛いだけだ。お金がないんだろ。ぼくもお金がない。そうだ……その宅食のやつ、教えてよ。RPGでもはじまりはお使いなんだよ」
ぼくは、痛みに滲む視界のなかで、いたいたしく笑った。
「無理だ…無理だよ… このままじゃ腐るのを待つだけだ… ケン、 口きいてるのがやっとじゃねぇか!いてぇだろ!泣いていい、のたうち回っていい!オイラにおぶられててくれ…」
まわりにはもう、清掃ボランティアや臓器回収業者が集まりはじめていた。 だれも助けてくれない。だれも、立ち止まらない。ただ、ステだけが泣きながら、ぼくの手を握っていた。
……そして、ふと、雨がやんだ。
ぼくらの周囲だけ、しん、と静まり返る。
わたしの影が、あなたを隠す。
「水源のためぇ〜、洗い流しとはいえ〜、ほんと王都は雨ばっかりよねぇ。八周期に一回は雨の周期あるんじゃなぁい? このまえなんてぇ、二十四周期ずっとよぅ? マンドラゴラ生育セット実家から持ってきたらよかったわ〜」
とぼけた、どこか楽しそうな声が響いた。
まっくらのなかで 闇を抱く
「だからぁ、ここの服ってぜんぶフードがついてるのよねぇ。まったくかわいくないわぁ」
視界に影が差す。屈んで、ぼくの視線にあわせてくれる女の人がいた。ふわりとした髪、まるっこくて優しい顔立ち。 でも、その頭には、ヤギのような大きな歪な角が生えていた。
灯の… いいや 詠唱省略ぅ!
「いや、かわいいかも?フードもかわいいわねよねぇ。でもほら、他の人の雨を防げないじゃなぁい?
そこで私は考えたの〜! こうやってぇ、”雨”を“分ける”の。
誰かに冷たい雨がかからないように覆ってあげるの。いまは私の魔法でやってるけどぉ、これ、紙……じゃあだめか、ふやけちゃう。油紙とかぁ、布とかぁ?。ウチで開発した芳香族ナステル系高分子結晶素材とかを骨につけてさぁ……」
「そうねぇ……名前は、“カシ”ってどうかしら? 売れそうよねぇ」
「ぼくがいた世界だとそれは”カサ”だよ」
そんなツッコミは、痛みでもう口には出せなかった。
ぼくの意識は、真っ暗に沈んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます