(2-7.1r)署名と麻薬とアーモンド

絶対時刻12:21。都市トロイメイア、第2層上空。気圧の変動なし。微風。


空は都市に縫い止められている。朝も昼も夜もない。あるのは、許可された光度と配信された時間帯名。それでも正確な時刻は、常にひとつ。


舗道と枝道の境界を、AL-BQ07 IQO-Mk2 (イコ二型 Aero-Levitator Broom Quadruped) 機体名”シャペロン”が静かに進む。魔女の箒から応用された四肢が地を踏まず、空気の層を押し返しながら、都市の縁をなぞる。


接着された樹脂、剥き出しの鉄骨、樹の皮が混ざったような都市のにおい。 風はないのに、風景だけがすべっていく。








わたしは背もたれに身を預けたまま、口を開かずに、すんっ 鼻を鳴らした。 喉でも舌でもない——鼻が、さみしい。


そんな感覚を覚えたことがあるだろうか。吸いたい。と、体の底から欲する欲求。匂いフェチとかじゃなくて!


あった、兵役中にその欲求はあった、ピンクの小瓶の真っピンクの粉。「ともだちのもと」

思い出すと無性にそれがモノの輪郭を描き、吸ったあとの「安心感」を心が求める。禁断症状ではない。お勤めが終わったあと、退役後にこの感覚が襲来したことは一度もなかったのだから…


オーグが体温やホルモンを操作しているのか? それを吸うべきと。脳に、心に直接に「楽になりなよ」と優しく耳元で囁いているような感覚。




「つかうか?」


ツカウカ? それは辺境で新しく発見したモンスターだろうか?それともあたらしい魔法名 ツカウ ツカウラ ツカウカ ツカウガ みたいな?

違った、拘束されて、息苦しい車内の中でおおよそふさわしくない優しい声が私に投げかけられ、ふいに思考が窓の外に漂っていただけだった。


私は車内に向き合う2人を見直し、思考を戻す。




「使うか?」


目も出さない覆面マスクを取ってあった正面の左の男は、ピンク色の小瓶左手にもち、右手の指で鼻をつまみ、スンスンと吸い込んでいる。


「ともだちのもと」


それは、戦友や仲間を愛おしく思う感情を誘導する軍用バフ薬。主成分はオキなんとか誘導物。それと、アドなんとかを出すの攻撃バフ系魔法。そういったカクテル。優しさを生むための化学と魔法の結晶。ほんのり甘く、懐かしい香り。


わたしは視線も顔も動かさずに「否定」を伝える。


左の大男は何も言わずに「そりゃざんねん」といった肩をすくめるジェスチャーをして小瓶から自分の右手の甲に粉を落とす。


それを右の男の前に、右の男はマスクを外し、大男のゴツゴツとした血管の浮き出た手に添えられたそれに顔を寄せ、片方の鼻を潰して スッ っと一気に吸い込む。


ふう… と深呼吸しながら、右の男は天井を向く。その後でじっと私を見つめると、崩れたまだぎこちない笑顔で自分のサイドポケットから袋を取り出す。


「おれは、アタラ。こっちはビフ。 食うか?」

そう言ってアーモンドの袋の口をこちらに向ける。「かしこさの種」という商品名でちょっといい道具屋で売っている間食だ。


アタラは整った顔立ちをしていた。軍人らしく清潔で、まっすぐに人を見る目をしている。 どこかで「信じたいものを裏切れない」タイプだ、とリドリーは感じる。


「まぁ味はともかく、長靴いっぱい食べてぇよってやつだな」


その隣のビフはその隣で笑いながら袋に手をいれ、豪快に拳で掴んだ。私の眼の前に「ほら」と拳をだし、「このまま落としちゃったら持ったいねぇだろ?」と善意を後ろ盾に私の手で受け止めることを期待して、二粒落とす。


手のひらに二粒のアーモンド。食べるわけでもなく。シャペロンの僅かな振動を受け、ゆらゆらとそこにあった。


残りのアーモンドを拳そのまま口に入るんじゃないかって動作で口を大きくあけて、すべて口の中に放り込む。 ボリボリと咀嚼音。「いや、いけるな?…が、塩気がほしいな」と軽口。

大きな体に柔らかな表情。無骨そうでいて、繊細な気配がにじむ。 彼は力を持ちながら、それを使う場面を選びたがる人間だ。そういう人は、信じられる。


「違いない、砂糖に塩、俺らにはいつだってそれが足りない」

 市民プロトコルに反する発言。しかし、それが許される空気がある。

戦場の兵たち。かつて私も居たところ。 あの場所では高度なストレスに対処するために、軽微な悪態は許容されているのが監修だ。オーグもその文脈を理解しているのか、滅多なことでは警告がない。


「まず、勘違いしないでくれ、いや、してないだろうが…」

 アタラは少し改って続ける。

「”わたしのばしょ”の収容は任務だったさ、これが思想犯罪に類するものならノックアウトパッチで気絶させて、AWSD(A-Silly Walk Device)を頭に貼ってコントローラー操作でこれに乗ってもらうだけ」


「ゾンビみてぇにな」

ビフが手を前にだし、茶化して言葉に入る。


「そうだ。それで”再教育センター”に届けておしまい。」

アタラは頭を人差し指でトントン叩く、そして手を開きパット弾ける動作をする。意味はお察しだろう?と


「あんたにこうして話しかけてる、そして”ともだちのもと”はビフ、俺、そして”あんた”用に調整されてある。そうゆうことだ」


「強制動員 (Con-scripted Soldier)…」

そんな気は薄々していた。しかしなぜ私が…?の疑問が拭えなかった。それが説明を受けるまで確証を得れなかった証だった。


「俺たちは志願兵、ボランティアだ。でも、あんたは違う。強制動員——強制参加だ。逃げられない」


アタラは、やさしい目で言った。


「王の考えることはわからない。でも、居場所を取り上げて戦場に送る。そう考えれば、辻褄は合う」


ニードトゥノウにシングルタスク、この国の戦闘群体においてその絶対的な原則から、それ以上の邪推はできない。知ることもない。 アタラが私にしめした、精一杯のプロトロルすれすれの優しさだった。

つまるところ「上のことはわからねぇ、俺も従っただけだ。たいへんだな、あんた」


彼は続ける。

ところで…と

「この詩篇について、知ってるか?」とアタラがオーグの近距離ファイル共有(AIR-drop:Augmented Instant Recast -drop)で私になげてくる。


 > わたしの絆が 世界を縛る

 > ほどけないようにと 誰かが願った

 > この指を伝って いまも

 > 祈りは ほどかれずに残っている


「知らない」と、私は即答する。

「書けるけど、詠めない。」と続ける。正直に。


それに一瞬アタラとビフは眉をしかめる。

この国に、珍しく、市民としてはとても珍しく私は文字が書ける、筆記も、タイピングも。それは私の兵役時代で親切な(親切ではなかったが)貴族が弾道計算のついでに終えてくれたものだ。感謝はしている(おなじくらいに憎んでもいるが)


「すげぇな!…嬢ちゃん、書けるのか…文字!」

ふたりは素直に驚いていた。

「書けるやつなんてそういないしな。筆記具は貴族しか持ってねぇ」

とビフが笑う。「俺ももちろん読めるが、もちろん書けねぇ」


その一言に、リドリーはわずかに眉を動かす。


——この世界で、自分の名前を“書く”必要のある人間なんて、ほとんどいない。


アタラもビフも、自分の名前をオーグで表示されるのを読んで育ってきた。 パーソナルな認証はすべてオーグが担う。物心がついたときには、すでに“名乗る”ことも“署名する”ことも必要なかった。

作業はすべて口述筆記、オーグに向かって話すものがテキストとして入力される。情報処理の効率化を図る為、市民は読める。自由市民に関しては読めるかもあやしい、彼らの入力は音と映像。すべて読み上げだ。

私が書けるといっても紙やペンが支給されることはない、よほど特殊な部署に行ったときにタイピングが許された程度だ。


書くことを、描くことを禁じること。伝達と、複写、思考の分解。整理。そして統合。さらに保存を制限すること。それがこの国のみんなが幸せにあるために敷いたルールだった。


だからこそ——書けるということは、彼らにとって、まるで魔法のようだった。


「こんなに”感情に接続される”詩を生成するのは口述筆記じゃ不可能よ。抽象すぎる語句、意味が有りすぎる、そして無さすぎる。 意味がないからこそ、誰かの願いを載せられすぎる。 こんなのオーグ上では不可能は文字列よ」


ありのままの感想を、そう、実用を規定していないのだ。ただのなんの機能もなさない、無意味だからこそ、そういった伝達はオーグによって規制される。流通されるわけがない。


「まるで詠唱短縮されてない、魔法の本文そのもの…ってわけか…」

ビフは大げさなリアクションでなく、ただ、顔をしかめた。


「そう… おれも、こんなナマのやつにお目にかかるのは初めてだ。肝が冷えたよ。 必要以上に収容で高圧的で当たったのは、あんたがこれを持ってるかと身構えたからだ。すまなかったな」


アタラはぴょこんとおでこに落ちた髪を撫でて戻しながらそっぽを向いて言った。

意外といいやつかもしれない。だなんて…不覚にも浮かんでしまった。

「ほぼ半裸の転生者を吊るしてノロノロと降りてくる時に、おっかなくて武器の申請したくらいだしな」

ビフが真面目な顔でそう続けた。


いや…まぁ 相手からみたらそうかもしれないけどぉ?!?


「そして、こいつだ。嬢ちゃんにも強制的にアサインされたろうから見れるだろ?」

と、今度はビフがドロップでこちらにファイルを投げた。


パパっと命令書、スケジュール、装備、のウィンドウが開く。全てに機密のラベルがついている。


「“オペレーション・デイブレイク”。

真理省の地層解析によれば、地層が聖樹から外れての崩落、現時点で大崩落の予測精度はすでに86.5%。 十二周期後には、99.9623%に達する。俺たちはそのための避難誘導と復興支援、側溝から湧くモンスターの”湧き潰し”を担当する。


数ブロック程度なら行きすぎた掘削や耐えられない地盤での崩落でよくある任務だ。だが、今回は規模が違う。一層の六割、悲観的予測では二層までもが沈む。 


一層、二層の す べ て が…だ


——いや、消失か。」


ビフがぽつりと加える。「俺の家、職場、港が沈む。それだけは、どうしても防ぎたい」


アタラもうなずく。「俺には、妻と子がいる。だからこそ、あんたに頼みたい」


「あんたの力は知らない。だが、重要ななにかを背負わせられてるんだと思う。

この王国首都トロイメライを救う、市民を救う。あの一緒にいた転生者の小僧がこの世界を楽しむためだってなんでもいい。今、俺たちは“お願い”してるんだ。あんたの力がどうしても必要なんだ。


——力を貸してくれ、リドリー」








リドリーはふと、ケンの顔を思い浮かべた。 ——ごはん、食べたかしら?


そして、黙ってビフの持っていた“ともだちのもと”を吸い込む。




シャペロンの内壁にある小窓。外気との温度差で、うっすらと水滴が浮かんでいた。


リドリーはそこへ、指を伸ばす。


ためらいがちに、けれど丁寧に、線を描いていく。


曲線。跳ね。静かなリズム。そして、止め。


——Redolly。


「Redolly そう書くの」




ほんのわずかな沈黙。 それでも車内は、かすかにあたたかくなっていた。


この名前は願いではない。ただの事実でもない。


いま、わたしは秩序の側に立つ。役割のなかに身を置く。 名前を書くという行為が、その命令にサインをする。それを受け入れる儀式になるのなら。


この指の動きが、誰かを守るための証になるのなら。


リドリーは、静かに名乗った。


「わたしは、リドリー。よろしく」


鼻の奥で、ジュクジュクとした甘さを脳に伝えていた。

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